第22回青年対策交流集会に参加して(参加者感想)

第22回青年対策交流集会に参加して
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関東地方横浜支部関東港運分会 山本 弥

 

2019年6月1日から6月3日、福島県いわき市にある小名浜オーシャンホテルにて開催された青年対策交流集会に参加しました。3日間の中で2日目に行われた被災地フィールドワークは自分の中での原発に対しての考え方、気持ちが大きく変わった。

ホテルからバスで夜ノ森に行き帰還困難区域と旧避難指示区域の境目を見てきた。その境目にはバリケードがあり警備員が配置されていたが境目がロープで区切られているだけの場所もあった。目で見る限りでは一歩向こう側と今、自分が立っている場所との違いが感じ取れなかった。しかしながら以前ここに住む住人には大きな違いがあった。それは国から支払われる補助金だ。道路一本の差で金額は大きく変わるそうだ。目には見えない放射能の恐怖に住民みんなが同じように避難をして同じような苦しみを感じているが国からの保証の違いがある事に憤りを感じた。

その後、富岡駅陸橋~津島と放射線量が多く検出される場所を見学した。震災の影響で崩れた家や施設は手付かずのまま放置されているものの森は元気な緑色で全国の町と何も変わらない。復興に向けて整備を初めていれば震災前の町にすでに戻っていると思う。しかし人間の姿はそこにはなかった。何故、全国と変わらない町なのに人が居ないのかはすぐに知ることになった。目では確認する事は出来ないがバスの中では放射線量を測る装置から不気味な警告音が何度も鳴った。見えない放射能により復興に向けて整備する事すら出来ていない区域だからだ。地震大国の日本では震災から逃れる事は出来ないだろう、だからこそ壊れた家屋や道路を直して復興させる。だけど原子力発電所がある地域は違う。原発事故が起きて放射能が噴き出せば、救助隊もその場から避難を余儀なくされ助けられる命すら助けられずに避難をしなくてはならない。その後も助けられなかった人達の捜索も復興に向けての整備も進めたいがその区域への立ち入りが禁止される。日本が持ち込みを許し、人間の手で作り上げた原発のせいで震災の被害はより大きくなる。そしてそれは人災と呼べる。福島の現状を見る限り、日本はもちろん世界のどの国も原発を安全に扱う事は出来ないと思う。これ以上、福島と同じような人災が二度と起こらぬように日本から原発を無くしていくことが大切だと感じた。

今回の青対に参加して全国に同じ気持ちを持つ仲間が多くいる事を確認出来た。今回の青対の経験を一人でも多くの人へ伝え全港湾青年部、日本に住む一人の人間として僕は脱原発を訴え続けようと思う。最後になりますが、今回の青年対策交流会を開催し貴重な経験をさせてくれた東北地方の方々に感謝致します。青年対策交流会へ参加させてくださいました横浜支部並びに関東港運分会の皆様に感謝致します。

 

 

関西地方青年部部長   南谷尚孝

 

今回、全国青対に参加して、普段、体験できない体験をさせてくれた東北地方青年部に、感謝します。原発について関西地方として勉強会は、していましたが、現地を視察するというのは、勉強会で、学んだことよりもリアルに体感でき、話だけでは、伝わないモノを感じ取れました。 フィールドワークでは、線量の低い所から高い所えと移動するにつれて、目に見えない放射線というものの恐怖感が、湧いてきて、いきなりなる検知器の音が、より一層の恐怖を覚えさせました。

帰宅困難区域の前では、このガードレールの向こう側と私達がいる側で、帰れない、補償内容も違うと聞くと、この道路1本で、何が違うのかと言う疑問と補償は、手厚くと思ってしまいました。帰宅困難者のやるせなさと、帰宅困難区域のスグ手前で、生活を送る人達の理不尽な気持ちを考えると、国は、一体どこを見て、この決断を下したのであろうかと疑問に思わされました。

慰霊碑の前で黙祷を出来たのは、良かった。内容も、原発事故のせいで、避難を余儀なくされ捜索活動も中止せざるおえない状況は、捜索隊は、とても悔しかったのではないかと感じた、時間がアレば助けることの出来た命は、あったのでは、ないかと考えてしまう。タラレバは、良くないが、原発事故がなかったらと、考えてかしまうことを禁じ得ない。114号線を走り出したら、線量は、安定して1.2以上を指していた。基準値から考えても、日常では、考えれない数値で、あると聞くと、ホントに帰って来れない場所であるとみんなが思ったんでは、ないであろうか。途中下車し、路側帯より少し入った所で、線量を、測ると5.2を指していた、除染作業を、していないと、こんなにも高いのかと、驚かされた。道中、山の中を車で走っている景色は、ホントに綺麗で、川も森も何事もない顔であったが、検知器を見ると、とんでもない数値がでるという事実は、真実であり、人間が、やってしまった過ちであると考えてしまう。この過ちを日本政府は、原発再稼働をして繰り返して行くのだろうか?また、大規模震災が、来て「想定外だった」とでも、言って許しをこうのであろうか、こんな事は、二度とは、あっては、ならない事であると、思えない現日本政府は、再稼働という発想を直ちに帰る必要性を、大きく感じた。

今回、参加出来て大きく考え方が、変わる大きな出来事でありました。「論より証拠」実際に現場に来てみる重要性を強く感じ、関西地方でも、何か出来ることは、ないかと考えながら、まずは、家族・職場・友人たちに体験した事を話して、フクシマの現状を理解してもらえるように話して見たいと思います。

 

 

関東地方鹿島港支部 高木 涼

 

6月1日から3日で東北地方いわき市で行われた青年対策交流集会に参加させてもらいました。議題で原子力発電についてグループ討論・フィールドワークを行ないました。メディア等で情報として知っていたつもりでしたが、実際に見たら道にバリケードがあり未だ帰還困難区域で入れない場所、自分たちの所と何も変わらない景色の中の放射線量の高さ、震災後何も工事が進まない場所を見て言葉を失うほどの衝撃を受けました。二度と繰り返させないためにも小さいことでも行動していきたいと思います。最後になりますが、受け入れてくれた東北地方の皆さんありがとうございました。

 

 

関東地方横浜支部 鶴岡勇輔

 

お疲れ様です。関東地方横浜支部で青年部副部長をやらせて貰ってます鶴岡です。6月1日から6月3日に行われた第22回青年対策交流集会に参加させて頂きました。まず初めに受け入れて下さった東北地方の皆さん、細部にまで渡る配慮と事前準備、運営とご苦労様でした。そして、全国の仲間との密度の濃いかけがえのない時間を創り出して頂き本当にありがとうございました。日程としては1日目の分散会、2日目のフィールドワーク、分散会、3日目の分散会発表、中央本部総括という流れでした。

2日目のフィールドワークは1、2号車と地方ごとに便を分け、同じルートを辿りました。同じ便には東北地方青年部部長の井坂さん、小名浜支部青年部部長の矢内さん、ひたち支部青年部部長の古内さん、中央の鈴木副委員長と福島キャラバン経験者が同乗しており、道中沢山の話をして頂きました。フィールドワークを通して放射能の怖さ、被災地の現状、その現状が天災ではなく人災だと身をもって体感しました。今回はその道中での貴重な話と感じた事について報告させて頂きます。

ホテルを出て高速に乗るまでにいわきオールという会社がありました。福島原発の現場作業を行う会社で直近6ヶ月の残業が100時間を超える労働環境の中労働者が過労死されたとの話がありました。裁判中との事ですが風化と言うかメディアに取り上げられなくなった現在でもまだまだ事態は収束せず、見えない所でたたかってる人が居るんだな、と痛感しました。

高速を降りて富岡町、大熊町の境にある夜ノ森にて降車しました。ゴーストタウンという表現が相応しいガイガーカウンターの数値が激しく上下する地域でした。帰還困難区域の境界線があり、大気中の線量に変わりは無いのに住める住めないが区別され補助金の有無があることに疑問を感じました。また、そんな地域でも子育てをされてる世帯を見ましたが、道中一時避難してる町役場の方が「こっちに戻ってこないなら通勤手当を削る」等圧力を掛けられてる話もあり、何故あの世帯がこの街で子育てをしてるのか?地元愛からか?身内の事情からか?金銭的理由からか?憶測の域を出ませんが明らかな理不尽に晒されてる人の存在を知り強い憤りを覚えました。

道中、アトムと名の付く店を何軒か目にした時です。井坂部長から「鉄腕アトムは原発誘致のためイメージアップとして作られたんだよ」との話を聞きました。調べてみると同様にドラえもんも原子力で動いており、今現在は別のエネルギーに置き換えられたり原子力というワードが消されたりと、当時はプラスなイメージとして国民的アニメを利用して発信されてた事実を知りました。

プラスなイメージというと、双葉町に「原子力 明るい未来のエネルギー」という標語の看板があります。当時小学生だった大沼さんという方の案だそうです。現在は帰還困難区域になってる双葉町ですが、大沼さんは震災後この看板を負の遺産として残す運動を行っていると聞きました。看板を掲げる事が安全面への配慮から取り外され、ならば別の場所で保管してくれ、と諦める事なく働きかける姿は私たちの労働運動と何ら変わりがないと共感したと共に、私達が生まれた時には既にあった原発がこの様に日本に生まれたのだなと知りました。

その後、富岡駅陸橋から第二原発を遠巻きに視察し、請戸小学校、慰霊碑を訪れそこで黙祷を捧げました。

請戸小学校は海に近い立地ですが、児童が先頭に立ち、野山を駆け上がり全員が津波を免れた奇跡の小学校と称される小学校です。あの日、人々が逃げて来たであろう丘に慰霊碑はありました。丘からの眺めは新たに造られた防波堤と、今後何十年もかけ育つ防砂林を囲う柵、あとは周囲に1つも建物のない景色でした。

慰霊碑には住人182名の名前が刻まれており、福島原発の爆発後、救助捜索が打ち切られた悲劇の地だと聞きました。裏には沢山の方の名前が刻まれてましたが浪江町が勤務先だったと思われる方も何名か居ましたが大半が家族で、きっとまだ助かる筈なのに津波に襲われ救える筈の命が失われた悲惨さに表現しようのない悲しみを覚えました。又、多くの人が人災によって命を奪われたと憤りを覚えました。

富岡駅陸橋からも、慰霊碑の丘からも新しい防波堤が見えましたが「あの防波堤があの日あれば逃げれた人はもっと居たのではないか?」と思いました。東京五輪開催で政府は東北の現状に蓋をし、風化を促し、また、汚染土を県内で再利用させ地中に隠してしまおうと、それを被災された地域に押し付けようとしてると聞きました。

南海トラフ地震が危険視されてる中、風化が故に東北以外ではこの様な防災対策はされてないのでは?と思い調べてみました。すると災害対策基本法というのがこの国にはあり、平成24、25年に改正もされたそうです。この法に基づき各方面整備は進んでるそうですが防災対策は本当に完璧でしょうか?特別強化地域には私達の職場があります。そしてそこには浜岡原発も伊方原発もあります。

原発の立地から読み取れる様に自治体にあえて跨がる様に建設し、助成金や雇用をちらつかせ住民の分断を図る様な狡猾な国策を取る今の政治に身を委ねるだけでは自分達の生活を守れないのでは?と強く思いました。

今回の青対を経て貴重な体験が出来、分会、支部の仲間に伝える事からですが今の時代を生きる大人の責任として、子供達次の世代に元のこの国を取り戻すため、そして残す為に行動して行かなければと熱いモノを頂きました。この様な大切な機会を作って下さりました全ての皆様に感謝し、結びとしたいと思います。本当にありがとうございました。

 

 

大阪支部青年部部長 林 涼史

 

6月1日(土)〜3日(月)全国青年対策交流集会に参加させて頂きました。初日、現地の泉駅に着いたのが早かったので送迎を待たずに会場のホテルまで歩いたのですが、到着早々から違和感を感じました。歩いていると車は少ないながらも走っていたのですが、自転車、歩いている人が全く居ない、大きな公園も子供が全く居ないのにも驚きました。住人が少ないのかタイミングが合わなかったとかかも知れませんが大阪での日常が福島ではこれほどまでに違うのだと感じました。

この後、3日間のグループ討議、フィールドワークで福島の現状を学習しました。原発事故当時より放射能漏れは減っているとは言われているけれども、今も原発から放射能が撒かれ風に乗り降り続け、いつまでたっても家に帰れない人が居る、放射能漏れを止める事も出来ず事故の収束すら出来ていない恐ろしい現状を見ました。この見て感じた現状を持ち帰って大阪から原発反対の声を上げていこうと思いました。参加させて頂きありがとうございました。

 

 

関西地方阪神支部日本包装運輸分会 鈴木暁道

 

2019年6月1日から3日の3日間、福島県いわき市の小名浜オーシャンホテル&ゴルフクラブにおいての第22回全国青年対策交流集会に参加しました。私自身青年部に参加してまだ日が浅いこともあり、良い勉強になるかと思い参加を希望したのですが、想像以上の収穫があったのではないかと実感しています。

まず1日目、ホテルに到着してから各役員のあいさつをいただき、この全国青年対策交流会議の成り立ち、存在意義について学びました。「第〇〇回」とカウントするに至ったエピソードには感銘を受けました。

その後の分散会では各班に分かれて原発について必要か・不必要かを議論しました。ほぼ皆不必要という論調だったのですが、私は当初原発はまだ日本には必要だという考えを持っていたので意見をぶつけるという意味合いも含め、自論を展開しました(日本にはまだまだ資源が不足している、メガソーラーの拡大は自然破壊を伴うなど)。その時に東北地方の皆さんが興味深そうに私の話を聞いていたのが印象に残っています。

そして2日目、マイクロバスに分乗し被災地のフィールドワークが始まりました。私は以前よりこの件には興味があり、現状がどうなっているか自分で調べもしていたのですが百聞は一見に如かず、悲惨な状況を目の当たりにしました。ガードレール、鉄柵などのバリケードで街が分断されているのです。国が指定した帰還困難区域で住民がバラバラにされているのを見て憤りも覚えました。請戸小学校のある浪江町はかつて町があったとはとても思えないような草原がただただ広がっていました。復興などまだまだできていないのです。

2回目の分散会ではフィールドワークをふまえた上での議論になりました。それでも私はまだ迷っていました。確かに福島にこのような現状をもたらした原発はあってはならない、しかしだからと言って急にゼロにするのは可能なことなのか?原発があることで生活ができる人もいる。そんな人たちに対して無責任な発言にならないか?結局はっきりした答えは出ませんでしたが、時間をかけて原発を減らしてゆき、最終的にゼロにできればという結論に落ち着きました。

今回全国青年対策交流会議に参加して、全国の青年部がもっと連携して各地方ごとに情報を共有し、同じ目的に向けて行動することが大切だと感じました。原発のことについてもわれわれが現地で学んだことは、各々が自分の支部で勉強会を開き、知識を深めていかなければ今後の原発ゼロという目標も見えてこないのではないでしょうか。

最後になりましたが、東北地方青年部の皆さん、とても良い機会をご準備いただき本当にありがとうございました。皆さんの熱意には圧倒されっぱなしでした!

 

 

関西地方神戸支部山陽バス分会 木村浩暢

 

2019年6月1日~3日の3日間、福島県で開催された第22回全国青年対策交流集会に参加して参りました。日本全国各地より同世代の多くの仲間達が集まり、全国には活動的な同世代の仲間がいる事に頼もしさを感じました。

1日目は開会の挨拶から始まり、中央本部・東北地方の代表者による挨拶や各地方青年部ごとの活動報告が行われました。その中で中央執行部鈴木誠一氏から「何故、青年対策交流会議はあるのか?」全港湾を立ち上げたのは20代の青年達で、立ち上げた先輩(当時青年)達の意思継承をするためであるという話がありました。この話を聞き、偉大な先輩達の意思を風化させないためにもこの三日間で既に活発に活動している同世代の仲間から出来るだけ多くのことを吸収しようと決めました。

その後、7班編成で分かれ分散会をおこないました。ここでは、原発についてどう思っているか?というのを最終日に班ごとに発表するので現在自分はどうイメージを持っているか各々意見を出し合いました。

2日目はマイクロバス2台に分かれフィールドワークを行いました。8年前に起きた、東日本大震災によって被災した地域や建物を実際に自分の目で見てきました。自分の中では8年経てば少しづつ復興しているのではないかという思いはありました。確かに震災以降に建てられた建物もありましたが、あの日以降何も変わっていない地域がありました。それが、放射線の影響で帰還困難区域と指定された地域です。現在、帰還困難区域と指定されている地域とのそうでない地域の境界地点を見学させていただきましたが、私にはこの境界地点がすごく不思議に見えました。私が自分の眼だけで見ればこの境界というのはなにが違うのか分からないからです。こうして境界地点に居ても、放射線は痛い・熱い・臭いといった生身の人間の五感では感じることができず放射線は見えない恐怖があるとフィールドワークを通して認識させられました。その後、ホテルに戻り一日目と同じく分散会を行いフィールドワーク後どうイメージは変わったか意見を出し合いました。

3日目は分散会で出し合った意見をまとめた発表を各班ごとに行いました。様々な班ごとの意見はありましたが、原発はいらないという意見が多くありました。それには、放射能の恐怖や安全面の確保や現在、原発事故の影響で復興が止まってしまっていること等が理由に挙げられていました。その後、中央執行部鈴木誠一氏より総括があり、東北青年部代表者より閉会のあいさつがあり解散となりました。

私はこの3日間を通し多くの仲間達と交流させていただきました。同世代の仲間達と真剣に一つのテーマに取り組み学び、時には誰一人孤立することなく全員で笑い絆を深める。こうした事が、全国にいる仲間達と出来るのは全国青年対策交流会議という特別な機会があるからこそだと思います。初日の東北青婦部部長 井坂氏のあいさつ冒頭でありました青年対策交流会議は存続が危ぶまれていると仰られていました。この素晴らしい青年対策交流会議を存続する為にも、今回で得たものを地方に持ち帰り労働組合活動の基本である、喋る・行動する・文字を書く事を信念を持って取り組み青年対策交流会議に参加した事を意味のあるものにしていきます。全港湾の皆さん、参加された皆さん、この青年対策交流会議を成功させるために尽力された東北地方の皆さん、本当にありがとうございました。

 

 

関西地方阪神支部青年部長 篠崎謙悟

 

61日から3日にかけて福島県小名浜オーシャンホテルに於いて第22回全国青年対策交流集会が総勢65名で開催されました。私は全国青対には今回が初めての参加でありました。

初日の開会式で鈴木誠一中央副委員長よりご挨拶を頂き、その中で青年部の成り立ちについて触れられ「全港湾を作り上げたのは青年たちであり、その後を継ぐ第3世代第4世代に意思継承していくために青年部ができた。みなさんがこの組織をより良いものにするためにその意思を継承する入口となるのが全国青対であると自覚をしてこの3日間しっかり学んでいただきたい」とお話をされました。

続いて東北地方青年部の井坂部長より「今回の全国青対の開催地に手を上げさせてもらったのは2つの理由がある。1つはこの全国青対は年々開催が危ぶまれるようになってきた。全国青対に参加することですごくいい経験になるし全国に仲間ができる。この様な良い集まりを無くしたくないという思いから手を上げさせていただいた。2つ目は福島の現状はみなさんが思っているほど変わっていないよというのを見ていただきたい。そして皆が地元に帰って伝えてほしい」とご挨拶がありました。

その後の分散会では『組合を抜きにして原発は必要か不必要か』というテーマで各班ごとに討論しました。私の班では7人中6人が不必要、1人が必要という結果でした。出された意見としては「太陽光や風力などの自然エネルギーにシフトするべき」「資源のない日本にとって原子力は夢のエネルギーだと理解はできるがリスクが大きすぎる」「今現在、原発関連の仕事をしているので原発がなくなれば生活が困窮かもしれない」などがありました。

2日目はフィールドワークとして原発事故の被災地を実際に見て回りました。途中の高速道路上に放射線量計が設置されていたり、道路脇に汚染土壌の仮置き場があったりと物々しい雰囲気がありました。

避難指示解除準備区域である富岡町では道路を一本隔てただけで住める地域住めない地域に分けられている現状を目の当たりにしました。また、住める住めないだけではなく補償の有無についても大きな差があると聞き、住人同士の確執すら生んでしまっているのではないかと感じました。

全線開通した国道6号線を北へ走り、延々と続く人が住めなくなった街を通り抜けると、海辺の方向に福島第一原子力発電所が見えてきました。あの小さな場所で爆発事故が起きただけでこんなにも広範囲に影響を及ぼし、人が住むことができなくなったのかと考えると心底恐ろしい気持ちになりました。

その後の分散会では『実際にフィールドワークに参加してどう感じたか、前日と意見は変わったか』をテーマに討論しました。

出された意見として「山や川に放射能が多くあってすごく恐い」「道路一本で区切られていて何が違うのかと疑問を感じた」「テレビなどのメディアでは原発事故は収束した、福島は復興したと良いニュースが多いが実際はまだ何も終わっていなかった」「放射能は目に見えないので恐い」「現状を見たら賛成とは言えない。有るよりかは無いほうがいい。そもそも原発を置いたのが間違いだった」などがあり7人中7人が不必要という結果になりました。

最後に『福島の現状を見て今後の脱原発運動にどう取り組むべきか』というテーマでまとめを行いました。「原発事故は福島だけに限ったことではなく全国どこでも起こりうる事であり、東北地方だけが反対運動を行うのではなく全国の青年部が一丸となって取り組むべき問題である。福島連帯キャラバンに参加するなど、各地方各支部で原発問題に取り組むことで青年部としての底上げに繋がるのではないか」とし、3日目に発表を行いました。

各班の発表の中で「福島連帯キャラバンに参加すること」「選挙に行って政治から変えていこう」という意見が多く出されました。

総括の中で鈴木誠一中央副委員長より「この3日間みなさんを見ていて感じたことがある。それは人として、国民として、全港湾の組合員として1日目よりも格段にスキルアップしている。これを地元に持ち帰って必ず反映して下さい。最後に、脱原発キャラバンは福島に来なくてもできる。全国の青年部が一斉に立ち上がって各地方で福島に連帯する脱原発キャラバンを展開する手もある。一つの目的に向かってみんなで取り組むことが福島を孤立させないことである」とお話があり、脱原発運動や沖縄基地問題など現地に足を運ぶことが一番いい事だと思っていた自分にとって目からウロコでした。

神戸や大阪には原発自体はないが、近隣の県にある原発が事故を起こした場合、甚大な被害を受ける可能性があり、全く他人事ではありません。関西地方青年部としても福島に連帯した取り組みができないか地元に持ち帰り話し合いたいと思います。

3日間を通して非常に貴重なお話や体験ができ、青年部としての存在意義も確認できました。今回の経験を活かせられるように今後の活動に取り組みたいと思います。

最後になりましたが、東北地方青年部の団結力には本当に感銘を受けました。素晴らしい運営をしていただきありがとうございました。

 

 

名古屋支部青年女性部 羽賀達也

 

今回の青年対策交流集会のテーマは「原発」がメインとなっていて、今回の日程の中にあるフィールドワークで「フクシマ連帯キャラバン」でもフィールドワークを行う場所も、視察に向かうということだったので、今年キャラバン隊には参加したのですがフィールドワークには行けなかった自分としては是非参加してみたくて今回の青対に参加させていただきました。

まず、参加しての率直な感想としては、自分の中での原発に対しての見解が変わりました。

今まで青年部の活動に参加してきた中で福島の現状はある程度学んできてはいたのですが、それでもどこか他人事のように思っている自分が居て「それでも必要なものだから」という気持ちが心の中の何処かには有りました。しかし実際に帰還困難区域に指定されている場所に、自分の脚で立って見た時にその空気の異様さを感じ、放射能という見えない物への恐怖を自分の肌で感じ取った結果「これは人間の手には負えない物だ」と心の底から思いました。

福島第一原発の事故からもう8年が経ち、被災した地域以外ではその関心が薄れつつあります。それは私達全港湾青年部の中でも同じことです、ですから私達が率先して原発事故の悲惨さや放射能の恐ろしさを日本中すべての人に伝えていく必要があります。

そんな大切なことを思い出させてくれた全港湾東北地方の青年部の方々、この場を開いてくれた全港湾中央本部に感謝の気持ちを伝えて終わりたいと思います。

 

 

名古屋支部 赤木 敬

 

全港湾名古屋支部の赤木です。第22回青年対策交流会議(以下青対)には2泊3日で参加させて頂きました。

青対への参加は今回が初めてです。今回は開催地が福島で、僕が参加した3月の福島連帯キャラバンでは東北の方々にお世話になったこともあり、参加してみようと思いました。

やはり青年部の若い人が全国から集まるとパワーが凄まじく、初日の交流会では場の空気に圧倒されてしまいました。

青対のテーマが原発ということで福島県にある帰宅困難区域のフィールドワークをしましたが、福島キャラバンの時とは違う場所を見て周ることができました。

その後は、班ごとの発表に向けて意見交換などをして他の支部のメンバーとも交流ができ、2日目の交流会では楽しい時間を過ごすことができました。

初めての青対ということで、たくさん貴重な体験をさせて頂きましたがその中でも特に東北の人たちの団結力を見られたことが大きいと思います。青対の企画、準備から進行など細かなところまで気配りまでされていてとても楽しく参加させてもらえました。

普段働く港が違ったとしてもこういう場所で協力しあい、何かを作り上げていき盛り上げる、そしてその場に新しい人を迎え入れていく。そういった楽しさの中に青年部として出来ることや、青年部の必要性を強く感じました。

名古屋支部でも今後、全国の活動に参加しつつ青年部で活動するメンバーを増やし団結力を高めていくこと、また新しい人が来た時には全港湾の「楽しい」という部分を見せてあげられるよう環境を整えていくことが必要だな、と感じました。

 

 

九州地方長崎県支部 中ノ瀬大志

 

六月一日から三日間に渡って、第二十二回全国青年対策交流集会が福島県いわき市にある小名浜オーシャンホテルで行われました。

初日は開会式が行われ、中央本部鈴木誠一副委員長より青年対策交流集会の成り立ち、意義等の話があり青年部とはどうあるべきか教えて頂きました。初めて青年対策交流会議に参加するにあたり、参加出来る有り難さや、組合員である事を誇りに思い、次世代を担うであろう我々が努力して組合を支えることが出来るようになる為に、この三日間を無駄にしないよう頑張ろうと誓いました。

二日目に被災地フィールドワークを行いました。立入禁止区域のバリケードのある街や福島第一・第二原発、津波が来た地域や慰霊碑等を東北地方の方々のまとめた当時の写真や、エピソード等を聞きながら回りました。そこには目に見えない放射能という恐怖に汚染されて決して人の住める環境ではない土地が広がっていました。これはメディアの報道では決して知り得なかったであろう現状が広がっており、言葉に出来ない衝撃を受けました。確かに原発は多くの雇用を生み、それに携わる土地・人に金銭を生み出すメリットはあると思いますが、人の命・故郷を天秤にかけてまで必要とするものではないという声を聞き、それに感銘を受けどこの原発でも起こり得るこの惨状を決して繰り返してはいけないと思いました。

分散会は七班編成で行われ、課題としては福島の原発事故についてでした。原発が必要かどうか、フィールドワークを行う前と行った後ではどういう心境の変化があったか、またそれに伴いこれから青年部としてどういう活動をして行きたいかというような課題を話し合いました。初日では金銭面、発電効率面から不必要とは言い難いという声が少数ではあるが上がったものの、フィールドワークを終えると意見の変化が見られ、少しずつても減らしていくべきだという声に変わっていきました。原発を無くすためには選挙闘争に参加し、原発反対の政治家を当選させ各地方から少しずつでも原発事故の悲惨さ、現状を全国に発信し、より強い意見を出せるようにしなければならないと考えています。その為に私は同じ被爆県として原子力によりもたらされた恐怖を決して風化させてなるものかという強い意思を持ち続け、反戦・反核の勉強や、脱原発の署名等、多くの活動に積極的に参加して知識を広め、より強い意見を持たせる事も重要であると考えています。

最後に今回初めての参加でしたが、同じ方向を向いている全国の仲間と共に勉強し、議論を交わし、楽しく同じ時を過ごすことが出来ました。このような素晴らしい学びの場に参加出来た事を誇りに思います。また、これほどまでに高い意識を持った仲間達のいる全港湾は素晴らしい組合だと実感しました。これも運営である東北地方始め、運営に携わった皆様、共に学んだ仲間達があってこそだと思います。本当にありがとうございました。この三日間を無駄にしないようこれからの青年部の活動に尽力していきます。

 

 

九州地方博多支部 陳ヶ尾俊

 

まず最初に、東北地方の青年部の方々お疲れ様でした。6月1日から3日間の間、私にとって、とても貴重な経験をさせて頂きました。

今回、テーマを「原発」におき、原発における様々な問題を青年部同士で協議、共有できたこの3日間は、私自身を人として、組合員として成長させてくれました。

2日目に行われたフィールドワークでは、災害から8年経ったとはいえ、未だに爪跡は生々しく残っており、津波の凄惨さを物語っていました。そして、第一原発爆発という「人災」によって奪われた、安心できる生活は今もなお戻ることはなく、不安と心配がのこるフィールドワークでした。帰りのバスの中で、様々な感想や質問がありました。印象に残っているのが、禁止区域が解除された地域住民のライフラインは、人口が何人になったら、普及されるのかという質問です。とても、重要な事だと思いました。実際に体験しましたが、目に見えず、臭くもなく、熱いとか寒い訳でもない、全く何も感じさせない放射能の恐怖のなかで生活をしていかなくてはならない人達の事を想った時に、言葉が思いつきませんでした。その日の分散会では、一人一人が自分の立場として考え、全港湾の青年部としてどうしていくかなど活発な議論ができました。

私はこのような貴重な経験をさせていただき、青年部だけではなく、支部、分会も含め組合員、家族、友人、同僚、1人でも多くの方達に原発の怖さを伝え、脱原発へ向け1人でも多くの人に理解してもらえるように活動していきたいと思います。繰り返しになりますが、東北地方の皆さん本当にお疲れ様でした。

 

 

九州地方苅田支部   濱崎直哉

 

6月1日〜3日までの、第22回青年対策交流集会に参加させて頂きました。青対としては2回目の参加でした。懇親会の場では、個人の悩み、活動の仕方など全国の仲間と交流を深める事が出来ました。2日目のフィールドワークでは、被災、被爆している場所など行き、地震や津波の怖さや凄さなどを肌に実感しました。帰宅困難区域では、被災した当時のままの建物など見ることができ、津波や地震の凄さを目で見て体験する事が出来ました。その後山間に行ったのですが、そこはただ綺麗な景色の山だったのですが、放射線量計のブザーが鳴った時にここでも鳴るのか!?という気持ちに襲われました。目で見てとれない放射線はただの恐怖でしかありません。この恐怖を、支部で広げていければと思います。そして、この恐怖は天災ではなく人災だという事。感じた事を支部で広げ、青年部での活動に繋げていきたいです。分散会では、班長を務めさせてもらいました。班員の様々な意見をまとめ、発表するのは大変でしたが有意義に過ごせたと思います。これからの組合活動に繋げていきたいです。

 

 

東海地方清水支部青年部  髙田祐次

 

今回、初めて青年対策交流集会に参加させてもらいました。今回の開催地が8年前の3月11日に震災があった福島と聞きました。津波や原発事故で被害を受けた所でフィールドワークをすると聞き、同じ原発を持つ県として、今現在どこまで復興出来ているのかを勉強しようという思いで参加しました。初日はグループに分かれて原発の必要性はあるのかという内容で話し合い、自分たちのグループでは原発は怖いが、今の生活を維持して行く為の代わりになるエネルギーはあるのか?必要がある、ないに対し分からないと言う意見が多くありました。

2日目、バスに乗り津波や原発事故で被害を受けた場所に行きました。津波で家を流されてしまった場所はきれいになり新しい建物が出来ている所もありましたが、まだ、工事中の所や被害にあった小学校などはそのまま残っていて、1階はほぼ破壊されており津波の壮絶さを感じました。また、原発事故で放射能を受けた町は今もなお、人が住むことを許されず車、家、全てが8年前と変わらずそのままで人の気配もなく周りには帰還困難区域にバリケード、警備員と監視カメラをセットされている状態でした。1つ道を挟んで通りが違うだけで住むことができる、帰還困難区域に入るか入らないで国からの補助金が出る、出ないがあると聞き、数メートルの差で国の助成が全然違うのは何なのか疑問に思いました。道や畑には今現在も汚染物が入った黒いフレコンにシートがかけられて仮置きされている状態、放射線量が高いため車の通行は許されても窓を開けてはダメ、バイクは走ってはならないという区間があり衝撃を受けました。国道は除染がされていて山や川は除染作業されず今現在も高い数値を出していて目にも見えない、臭いもしない、でも身体に悪影響をもたらすものが飛んでいて恐怖を感じました。現地で説明を受けている時、今この瞬間にも放射能を受けています。という言葉がありました。自然がいっぱいで綺麗な所なのに、ここにはまだ人は住めない、放射能を浴びたこの地で動物がいっぱいいるのに悲しい思いを感じました。現地を見てからのグループワークでの話し合いでは皆、考え方が変わり原発は必要ないと言う意見に変わりました。一人一人が原発という「核」に対し知識を持ち、どう問題意識を持って行くか?また、次の世代へどう繋げて行くのかが大切だと感じました。今回の全国の仲間とコミュニケーションを取りとても楽しく3日間を過ごす事が出来ました。今回、知り合った仲間を大切にして行きたいと思います。貴重な体験をありがとうございました。

 

 

東海地方清水支部青年部 小田島幸佑

 

第22回青年対策集会に参加させていただきました。今回が初めての青年部活動という事で右も左もわからない状態でしたが一緒に参加した先輩や他港の支部の方々に色々と教わり無事に終了できました。

初日は各支部の活動報告を聞き、その後、班ごとに分かれて分散会を行い、福島第1原発についてと8年前の東北の震災について意見交換を行いました。色々な地区の人の意見を聞いて、自分もそうでしたが福島から離れている地域の人ほど実感がなくて知識もなく東北支部の人の実体験を聞いて驚く事ばかりでした。その後懇親会が始まって、普段の会社での宴会とは違う雰囲気の中、はじめはうまく話せませんでしたが色々な方たちが話しかけてくれて各支部の人達と色々な話をして楽しく過ごせました。

2日目はフィールドワークを行い、バスで現地を回りながら原子力発電所がどんな意図で建設されたのか、地域にどんなメリット、デメリットがあったのか等の勉強や東北地震で起きた津波によって起きた福島第1原発での事故やその後の影響を学びました。8年経った今でも放射能の数値が下がらず立ち入りを制限されている地域や、立ち入り禁止区域で人が居なくて荒れ放題の町を目の当たりにして衝撃を受けました。実際に放射能を測定する機械を使って数値を確認すると目に見えない放射能がはっきりと存在している事がわかり、とても恐ろしく感じ原子力の怖さを実感しました。ホテルへ帰って分散会を行い各班で原子力発電所についての意見交換と発表するためのまとめを行いました。初日より意見がたくさん出て、自分の意見も積極的に伝えることが出来て内容の濃い分散会になったと思いました。その後の懇親会では初日よりさらに色々な人達と話ができ、二次会のカラオケでは最後はみんなで肩を組んで歌うほど打ち解けて本当に参加できて良かったと感じました。

最終日の3日目は各班でまとめた意見の発表を行いました。各班で原発に対する様々な意見がありとても勉強になりました。今回の青年対策交流会議に参加して、見て、聞いて、感じた事はすごく自分にとってプラスになったと思います。また体験した事をしっかり清水支部に持ち帰って職場の先輩や後輩に伝えたいと思います。有難うございました。

 

 

東海地方清水支部 堀井大夢

 

第22回青年対策交流集会が福島県で行われました。今回の青年対策交流集会では、原子力発電所や福島第一原子力発電所の事故後の現状などを見てきました。

まず一日目は各地方の活動報告がありました。どの地方も、その地方ごとの問題を解決するために行動していることを聞き、自分達ももっと積極的に行動しないと駄目だなと思いました。活動報告の後は分散会が行われ、色々な地方の人達と「原子力発電所は必要か」という議題について話し合いました。自分達も浜岡原子力発電所が近くにありますが、原子力発電所が本当に必要なのか、もし何か起きた時にどんな事が起きるかなど考えたこともありませんでした。福島の人達の話も聞けてとても勉強になりました。

二日目はフィールドワークがメインでした。福島第一原子力発電所の事故によって放射線が漏れ、住民が避難する事になりました。フィールドワークでは帰還困難区域の境界などを見に行きました。同じ町の中でも道路一本挟んで帰還困難区域のためフェンスで囲われている所と帰還出来るので戻ってきて生活しているような所を見てきました。フェンスで入れないようにされている帰還困難区域は震災当時のままで、今までこんな光景を見たことが無かったので自分の中では衝撃的な光景でした。また、帰還困難区域の道路の反対側では普通の生活を送っている家もありました。道路一本挟んだだけで放射線量がそんなに変わるとは思えません。しかし、帰還困難区域が解除されてしまったため、補償が出ないのでしょうがなく戻って来ている人達もいるという事でした。次に帰還困難区域の中を通っている道を走りながら放射線量を測定しました。風向きなどによって変わったりすると言っていましたが、車で走っている間も放射線測定器の警報が鳴っていました。途中、車から降り道路と道端の草むらで放射線量を測定しました。道路は除染されているので警報は鳴りませんでした。ですが、草むらで測定した時は警報が鳴りっぱなしでした。警報は鳴っていても目には見えないし臭いも無いので、放射線測定器がなければ何も分からず草むらに入って被爆してしまう事になります。福島の人達はこんな状況の中で生活しているのだと思うと考えさせられる事が多いです。そのあとホテルに戻り分散会をしました。フィールドワークで福島の現状を目の当たりにした後に再び「原子力発電所は必要か」という事を考えると原子力発電所はいらないのではないかと思いました。今回福島に行かせてもらって、福島第一原子力発電所の事故の現状を見てきて原子力発電所の恐ろしさを知りました。この事を色々な人達に伝え、行動していかなくてはいけないなと思いました。