原水禁止大会広島大会に参加して

原水禁広島大会に参加して

九州地本関門支部 伊東俊介

2016年8月5日~6日(金・土)に九州地方平和学習会として、広島県広島市で開催された「被爆71周年原水爆禁止世界大会」に各支部代表者4名で参加しました。

5日には、数あるひろば・フィールドワークの中の「⑧ヒバクを許さないつどい」に参加をし、プログラム最初の主催者あいさつでは、「原発はごめんだ!ヒロシマ市民の会」代表の木原省治さんから「会場には様々な年齢の方々がいるがもっと多くの若者に参加をしてほしい」との挨拶をいただきました。

講演・「5年を経た避難者の現状と思い」では、「退職女性教職員の会」副会長の橘柳子さんから、福島原発事故以降1年余りで10カ所を転々と避難した話や、現在の避難者たちの悩みなどの話を聞かせていただきました。

講演・「私たちはなぜ、福島から避難したのか」では、「原発賠償関西訴訟原告団代表・東日本震災避難者の会、Thanks&Dream代表」の森松明希子さんからは、母子避難の話や、逃げる権利などについての話を聞かせていただきました。

全体討論では、母子避難時の心境・これからの若者がどうするべきかなど様々な意見や質問があがりました。講演の中で私が心に残ったのは、母子避難をする前の話で3歳と5ヶ月の子供に放射線物質が検出されている飲み水を飲ますことが親としてどれだけ辛い決断だったかと聞いたことでした。私も同じ親として、小さな子供に身体に悪いと分かっている物をあげなければいけないというのがどれだけ辛いかは計り知れないことだと思いました。

最終日の6日には、平和公園で開催された広島市主催の平和祈念式典へ参加をしました。平和祈念式典では広島の方々だけでなく、日本人だけでもなく、様々な国の方々も参加しているのを見て、平和を願う気持ちというのは世界共通なんだと改めて強く実感させられました。平和祈念式典終了後には県民文化センターホールで開催された「まとめ集会」へ参加をしました。まとめ集会には600人もの人々が集まっていて、黙とうをして主催者川野浩一大会実行委員長からのあいさつ・海外代表からのアピール・特別報告などがおこなわれました。特別報告では沖縄の辺野古新基地建設問題なども話されていました。

全港湾で沖縄平和行進に参加させてもらったことがあったので、話の内容・風景をとてもよく理解することができました。広島大会まとめ・ヒロシマアピール後には会場に参加した全員で「原爆を許すまじ」を歌い、まとめ集会は閉会となりました。

今回、原水爆禁止世界大会・広島大会に参加をしてみて改めて平和の大切さ・核と人類は共存できないと感じることができました。

私たち若者にできることは聞いた話を少しでも多くの人達に伝えて、後世に残していくことが大切だと思うので、まずは家族・友達・会社などで勉強したことを伝えていきたいと思います。ありがとうございました。

 

原水禁広島大会に参加して

九州地本博多支部 橋本 佑介

2016年8月4日から6日まで行われた被爆71周年原水爆禁止世界大会広島大会に5日、6日の2日間参加しました。

5日は、フィールドワークが行われヒバクを許さない集いに参加し、主催者あいさつでは「原発はごめんだ!ヒロシマ市民の会」代表である木原 省治さんより、「数多くの参加者がいて嬉しいが若者が少なく、もっと多くの若者が参加してほしい。そして、後世に伝えていき運動を行ってほしい」と話されました。

退職女性教職員の会で副会長を務めている橘 柳子さんの講演では、東日本大震災があった日から5年経った今も仮設住宅での生活を余儀なくされています。私たちは被災者の悩み、思いを訴えていくことを強く思いました。

森松明希子さんの講演「私たちはなぜ、福島から避難したのか」では、強制避難区域ではなく自主避難区域だったけれど夫は福島に残り、母は子供2人を連れて大阪に避難した。ここ日本で生活していく中で、身の危険に直面したら誰もが逃げるのが当然で、逃げることは簡単にできると思い込んでいます。でも、原発事故を経験して当たり前のことが出来ない状況があると身をもって知らされた。これが現実であり、私たちは日頃から考えて行動しないといけません。生の声を聞くと想像以上に悲惨な出来事があったと強く思いました。

最終日は、平和公園にて広島市主催、平和祈念式典が開催され、会場に行く途中から数多くの参加者がいて、平和への思いは世界共通だと改めて思いました。平和祈念式典終了後には、県民文化センターにてまとめ集会が開催され、参加人数が約600名と数多くの参加がありました。まず、全員にて黙とうを行い、主催者あいさつ、海外代表からのアピール、特別報告がありました。特別報告の中で沖縄辺野古新基地建設問題の話がありました。以前、沖縄平和行進に参加する機会があり、分かりやすく現状を聞くことができました。広島大会まとめ、ヒロシマアピールがあり、最後に全員で「原爆を許すまじ」を歌い閉会となりました。

今回、原水禁広島大会に参加して、平和の大切さ、核はいらないと強く思いました。2日間と短い時間でしたが、一つでも多くのことを学び、これからの生活に生かしていきます。また学んだことを家族、職場、同世代に広げていき、原発事故、戦争について知識をつけこれから先も、風化させずに運動、活動を行っていきます。ありがとうございました。

 

原水禁広島大会に参加して

九州地本長崎県支部 大平幸弘

8月5日、1日目、RCC文化センターでヒバクを許さないつどいPart17(フクシマとヒロシマ、ナガサキを結び、国の責任による被災者の補償をもとめて)に参加しました。

主催者あいさつとして、(ヒロシマ市民の会代表)木原省治さんの挨拶で始まりました。

橘 柳子さんの(退職女性教職員の会)副会長の講演で、福島原発で5年を経た避難者の現状と思いで、橘さんは、福島出身の福島原発の避難者で、帰りたくても帰れない故郷、現在の避難者の悩みを話されてました。

次に、森松明希子さん私たちはなぜ、福島から避難したのか『放射線被ばくから免れ健康を享受する権利』の講話がありました。その中の話しでは、3年たっても5年たっても変わらない所もある事や、国から水に放射性物質があるので子供に水を与えるな、補養システムなどを税金とかでなんとかならないのかと訴えていました。避難者あるある五七五などを紹介され、特に印象にあるのが『尿検査、子の体から、セシウムが…』や『マイホーム、今ではただの、核のゴミ』でした。

建部暹さんの国の年間20ミリシーベルト基準による被害者切り捨ての問題点の講話では、事故発生当時、年間20ミリシーベルト以下の地域には避難指示されず、また避難先も放射能汚染されているなどで、住民は放射能汚染が続く中での生活を余儀なくされ、被ばくさせられてきた。福島だけでも、今なお約9万人が避難生活を余儀なくされている事を話されていました。夜は全国から集まった全港湾の方と懇親会をして盛り上がりました。

2日目は、朝の8時から原爆死没者の霊を慰め、世界の恒久平和を祈念するため、平和記念公園の原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)前において、原爆死没者の遺族をはじめ、市民多数の参加のもとに平和記念式典の中で広島市長によって行われる平和宣言は、世界各国に送られ、核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴えっていました。

また、原爆の投下された8時15分には平和の鐘やサイレンを鳴らして、式典会場では原爆死没者に哀悼の意を表し、あわせて恒久平和の実現を祈り、1分間の黙とうを行いました。

式典の後は、9時30分から被爆71周年原水爆禁止世界大会、広島大会まとめ集会が広島県民文化センターにあり参加しました。集会では、海外代表からのアピールや特別報告として沖縄の辺野古新基地建設問題や愛媛の伊方原発再稼働問題などがありました。そして、集会に集まった600人で最後の項目で、原爆を許すまじの歌を歌い閉会の挨拶で終わりました。今回、この平和学習会で学んだ事や戦争、核兵器の恐ろしさなどを周りの人や子供達に伝えられるようにもっと運動に参加して勉強して行こうと思います。

 

原水禁広島大会に参加して

九州地本苅田支部 田中伸和

2016年8月5日、6日に広島県原水禁に参加させてもらいました。私は原水禁に参加するのは初めてでした。1945年8月6日午前8時15分、71年前広島に原子爆弾投下されました。投下された原子爆弾は、強烈な「熱線」、「爆風」、「放射線」のもと、その年の内に14万人もの命を奪い去りました。その日から71年、「核戦争起こすな、核兵器なくせ」、「ふたたび被爆者をつくるな」と、被爆者は今日まで声の出るかぎりに訴え続けてきてくれました。

被爆者は高齢化し、残された時間で、戦争、被爆を知らない世代と一緒になり伝え続けてくれています。なのにもかかわらず、安倍政権が進める原子力政策では、福島原発事故の反省もなく、国民世論の6割以上が脱原発を求めているにもかかわらず、原発推進政策を打ち出し、強引に進めています。だから今こそ、私たちは被爆者たちが訴え続けているその声を「継承」していく責任、そして世界で唯一被爆した国、日本人として脱核、脱原発を訴え続けていかないといけないと思いました。参加された皆さんお疲れ様でした。ありがとうございました。