第22回青年対策交流集会に参加して(参加者感想)

第22回青年対策交流集会に参加して
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関東地方横浜支部関東港運分会 山本 弥

 

2019年6月1日から6月3日、福島県いわき市にある小名浜オーシャンホテルにて開催された青年対策交流集会に参加しました。3日間の中で2日目に行われた被災地フィールドワークは自分の中での原発に対しての考え方、気持ちが大きく変わった。

ホテルからバスで夜ノ森に行き帰還困難区域と旧避難指示区域の境目を見てきた。その境目にはバリケードがあり警備員が配置されていたが境目がロープで区切られているだけの場所もあった。目で見る限りでは一歩向こう側と今、自分が立っている場所との違いが感じ取れなかった。しかしながら以前ここに住む住人には大きな違いがあった。それは国から支払われる補助金だ。道路一本の差で金額は大きく変わるそうだ。目には見えない放射能の恐怖に住民みんなが同じように避難をして同じような苦しみを感じているが国からの保証の違いがある事に憤りを感じた。

その後、富岡駅陸橋~津島と放射線量が多く検出される場所を見学した。震災の影響で崩れた家や施設は手付かずのまま放置されているものの森は元気な緑色で全国の町と何も変わらない。復興に向けて整備を初めていれば震災前の町にすでに戻っていると思う。しかし人間の姿はそこにはなかった。何故、全国と変わらない町なのに人が居ないのかはすぐに知ることになった。目では確認する事は出来ないがバスの中では放射線量を測る装置から不気味な警告音が何度も鳴った。見えない放射能により復興に向けて整備する事すら出来ていない区域だからだ。地震大国の日本では震災から逃れる事は出来ないだろう、だからこそ壊れた家屋や道路を直して復興させる。だけど原子力発電所がある地域は違う。原発事故が起きて放射能が噴き出せば、救助隊もその場から避難を余儀なくされ助けられる命すら助けられずに避難をしなくてはならない。その後も助けられなかった人達の捜索も復興に向けての整備も進めたいがその区域への立ち入りが禁止される。日本が持ち込みを許し、人間の手で作り上げた原発のせいで震災の被害はより大きくなる。そしてそれは人災と呼べる。福島の現状を見る限り、日本はもちろん世界のどの国も原発を安全に扱う事は出来ないと思う。これ以上、福島と同じような人災が二度と起こらぬように日本から原発を無くしていくことが大切だと感じた。

今回の青対に参加して全国に同じ気持ちを持つ仲間が多くいる事を確認出来た。今回の青対の経験を一人でも多くの人へ伝え全港湾青年部、日本に住む一人の人間として僕は脱原発を訴え続けようと思う。最後になりますが、今回の青年対策交流会を開催し貴重な経験をさせてくれた東北地方の方々に感謝致します。青年対策交流会へ参加させてくださいました横浜支部並びに関東港運分会の皆様に感謝致します。

 

 

関西地方青年部部長   南谷尚孝

 

今回、全国青対に参加して、普段、体験できない体験をさせてくれた東北地方青年部に、感謝します。原発について関西地方として勉強会は、していましたが、現地を視察するというのは、勉強会で、学んだことよりもリアルに体感でき、話だけでは、伝わないモノを感じ取れました。 フィールドワークでは、線量の低い所から高い所えと移動するにつれて、目に見えない放射線というものの恐怖感が、湧いてきて、いきなりなる検知器の音が、より一層の恐怖を覚えさせました。

帰宅困難区域の前では、このガードレールの向こう側と私達がいる側で、帰れない、補償内容も違うと聞くと、この道路1本で、何が違うのかと言う疑問と補償は、手厚くと思ってしまいました。帰宅困難者のやるせなさと、帰宅困難区域のスグ手前で、生活を送る人達の理不尽な気持ちを考えると、国は、一体どこを見て、この決断を下したのであろうかと疑問に思わされました。

慰霊碑の前で黙祷を出来たのは、良かった。内容も、原発事故のせいで、避難を余儀なくされ捜索活動も中止せざるおえない状況は、捜索隊は、とても悔しかったのではないかと感じた、時間がアレば助けることの出来た命は、あったのでは、ないかと考えてしまう。タラレバは、良くないが、原発事故がなかったらと、考えてかしまうことを禁じ得ない。114号線を走り出したら、線量は、安定して1.2以上を指していた。基準値から考えても、日常では、考えれない数値で、あると聞くと、ホントに帰って来れない場所であるとみんなが思ったんでは、ないであろうか。途中下車し、路側帯より少し入った所で、線量を、測ると5.2を指していた、除染作業を、していないと、こんなにも高いのかと、驚かされた。道中、山の中を車で走っている景色は、ホントに綺麗で、川も森も何事もない顔であったが、検知器を見ると、とんでもない数値がでるという事実は、真実であり、人間が、やってしまった過ちであると考えてしまう。この過ちを日本政府は、原発再稼働をして繰り返して行くのだろうか?また、大規模震災が、来て「想定外だった」とでも、言って許しをこうのであろうか、こんな事は、二度とは、あっては、ならない事であると、思えない現日本政府は、再稼働という発想を直ちに帰る必要性を、大きく感じた。

今回、参加出来て大きく考え方が、変わる大きな出来事でありました。「論より証拠」実際に現場に来てみる重要性を強く感じ、関西地方でも、何か出来ることは、ないかと考えながら、まずは、家族・職場・友人たちに体験した事を話して、フクシマの現状を理解してもらえるように話して見たいと思います。

 

 

関東地方鹿島港支部 高木 涼

 

6月1日から3日で東北地方いわき市で行われた青年対策交流集会に参加させてもらいました。議題で原子力発電についてグループ討論・フィールドワークを行ないました。メディア等で情報として知っていたつもりでしたが、実際に見たら道にバリケードがあり未だ帰還困難区域で入れない場所、自分たちの所と何も変わらない景色の中の放射線量の高さ、震災後何も工事が進まない場所を見て言葉を失うほどの衝撃を受けました。二度と繰り返させないためにも小さいことでも行動していきたいと思います。最後になりますが、受け入れてくれた東北地方の皆さんありがとうございました。

 

 

関東地方横浜支部 鶴岡勇輔

 

お疲れ様です。関東地方横浜支部で青年部副部長をやらせて貰ってます鶴岡です。6月1日から6月3日に行われた第22回青年対策交流集会に参加させて頂きました。まず初めに受け入れて下さった東北地方の皆さん、細部にまで渡る配慮と事前準備、運営とご苦労様でした。そして、全国の仲間との密度の濃いかけがえのない時間を創り出して頂き本当にありがとうございました。日程としては1日目の分散会、2日目のフィールドワーク、分散会、3日目の分散会発表、中央本部総括という流れでした。

2日目のフィールドワークは1、2号車と地方ごとに便を分け、同じルートを辿りました。同じ便には東北地方青年部部長の井坂さん、小名浜支部青年部部長の矢内さん、ひたち支部青年部部長の古内さん、中央の鈴木副委員長と福島キャラバン経験者が同乗しており、道中沢山の話をして頂きました。フィールドワークを通して放射能の怖さ、被災地の現状、その現状が天災ではなく人災だと身をもって体感しました。今回はその道中での貴重な話と感じた事について報告させて頂きます。

ホテルを出て高速に乗るまでにいわきオールという会社がありました。福島原発の現場作業を行う会社で直近6ヶ月の残業が100時間を超える労働環境の中労働者が過労死されたとの話がありました。裁判中との事ですが風化と言うかメディアに取り上げられなくなった現在でもまだまだ事態は収束せず、見えない所でたたかってる人が居るんだな、と痛感しました。

高速を降りて富岡町、大熊町の境にある夜ノ森にて降車しました。ゴーストタウンという表現が相応しいガイガーカウンターの数値が激しく上下する地域でした。帰還困難区域の境界線があり、大気中の線量に変わりは無いのに住める住めないが区別され補助金の有無があることに疑問を感じました。また、そんな地域でも子育てをされてる世帯を見ましたが、道中一時避難してる町役場の方が「こっちに戻ってこないなら通勤手当を削る」等圧力を掛けられてる話もあり、何故あの世帯がこの街で子育てをしてるのか?地元愛からか?身内の事情からか?金銭的理由からか?憶測の域を出ませんが明らかな理不尽に晒されてる人の存在を知り強い憤りを覚えました。

道中、アトムと名の付く店を何軒か目にした時です。井坂部長から「鉄腕アトムは原発誘致のためイメージアップとして作られたんだよ」との話を聞きました。調べてみると同様にドラえもんも原子力で動いており、今現在は別のエネルギーに置き換えられたり原子力というワードが消されたりと、当時はプラスなイメージとして国民的アニメを利用して発信されてた事実を知りました。

プラスなイメージというと、双葉町に「原子力 明るい未来のエネルギー」という標語の看板があります。当時小学生だった大沼さんという方の案だそうです。現在は帰還困難区域になってる双葉町ですが、大沼さんは震災後この看板を負の遺産として残す運動を行っていると聞きました。看板を掲げる事が安全面への配慮から取り外され、ならば別の場所で保管してくれ、と諦める事なく働きかける姿は私たちの労働運動と何ら変わりがないと共感したと共に、私達が生まれた時には既にあった原発がこの様に日本に生まれたのだなと知りました。

その後、富岡駅陸橋から第二原発を遠巻きに視察し、請戸小学校、慰霊碑を訪れそこで黙祷を捧げました。

請戸小学校は海に近い立地ですが、児童が先頭に立ち、野山を駆け上がり全員が津波を免れた奇跡の小学校と称される小学校です。あの日、人々が逃げて来たであろう丘に慰霊碑はありました。丘からの眺めは新たに造られた防波堤と、今後何十年もかけ育つ防砂林を囲う柵、あとは周囲に1つも建物のない景色でした。

慰霊碑には住人182名の名前が刻まれており、福島原発の爆発後、救助捜索が打ち切られた悲劇の地だと聞きました。裏には沢山の方の名前が刻まれてましたが浪江町が勤務先だったと思われる方も何名か居ましたが大半が家族で、きっとまだ助かる筈なのに津波に襲われ救える筈の命が失われた悲惨さに表現しようのない悲しみを覚えました。又、多くの人が人災によって命を奪われたと憤りを覚えました。

富岡駅陸橋からも、慰霊碑の丘からも新しい防波堤が見えましたが「あの防波堤があの日あれば逃げれた人はもっと居たのではないか?」と思いました。東京五輪開催で政府は東北の現状に蓋をし、風化を促し、また、汚染土を県内で再利用させ地中に隠してしまおうと、それを被災された地域に押し付けようとしてると聞きました。

南海トラフ地震が危険視されてる中、風化が故に東北以外ではこの様な防災対策はされてないのでは?と思い調べてみました。すると災害対策基本法というのがこの国にはあり、平成24、25年に改正もされたそうです。この法に基づき各方面整備は進んでるそうですが防災対策は本当に完璧でしょうか?特別強化地域には私達の職場があります。そしてそこには浜岡原発も伊方原発もあります。

原発の立地から読み取れる様に自治体にあえて跨がる様に建設し、助成金や雇用をちらつかせ住民の分断を図る様な狡猾な国策を取る今の政治に身を委ねるだけでは自分達の生活を守れないのでは?と強く思いました。

今回の青対を経て貴重な体験が出来、分会、支部の仲間に伝える事からですが今の時代を生きる大人の責任として、子供達次の世代に元のこの国を取り戻すため、そして残す為に行動して行かなければと熱いモノを頂きました。この様な大切な機会を作って下さりました全ての皆様に感謝し、結びとしたいと思います。本当にありがとうございました。

 

 

大阪支部青年部部長 林 涼史

 

6月1日(土)〜3日(月)全国青年対策交流集会に参加させて頂きました。初日、現地の泉駅に着いたのが早かったので送迎を待たずに会場のホテルまで歩いたのですが、到着早々から違和感を感じました。歩いていると車は少ないながらも走っていたのですが、自転車、歩いている人が全く居ない、大きな公園も子供が全く居ないのにも驚きました。住人が少ないのかタイミングが合わなかったとかかも知れませんが大阪での日常が福島ではこれほどまでに違うのだと感じました。

この後、3日間のグループ討議、フィールドワークで福島の現状を学習しました。原発事故当時より放射能漏れは減っているとは言われているけれども、今も原発から放射能が撒かれ風に乗り降り続け、いつまでたっても家に帰れない人が居る、放射能漏れを止める事も出来ず事故の収束すら出来ていない恐ろしい現状を見ました。この見て感じた現状を持ち帰って大阪から原発反対の声を上げていこうと思いました。参加させて頂きありがとうございました。

 

 

関西地方阪神支部日本包装運輸分会 鈴木暁道

 

2019年6月1日から3日の3日間、福島県いわき市の小名浜オーシャンホテル&ゴルフクラブにおいての第22回全国青年対策交流集会に参加しました。私自身青年部に参加してまだ日が浅いこともあり、良い勉強になるかと思い参加を希望したのですが、想像以上の収穫があったのではないかと実感しています。

まず1日目、ホテルに到着してから各役員のあいさつをいただき、この全国青年対策交流会議の成り立ち、存在意義について学びました。「第〇〇回」とカウントするに至ったエピソードには感銘を受けました。

その後の分散会では各班に分かれて原発について必要か・不必要かを議論しました。ほぼ皆不必要という論調だったのですが、私は当初原発はまだ日本には必要だという考えを持っていたので意見をぶつけるという意味合いも含め、自論を展開しました(日本にはまだまだ資源が不足している、メガソーラーの拡大は自然破壊を伴うなど)。その時に東北地方の皆さんが興味深そうに私の話を聞いていたのが印象に残っています。

そして2日目、マイクロバスに分乗し被災地のフィールドワークが始まりました。私は以前よりこの件には興味があり、現状がどうなっているか自分で調べもしていたのですが百聞は一見に如かず、悲惨な状況を目の当たりにしました。ガードレール、鉄柵などのバリケードで街が分断されているのです。国が指定した帰還困難区域で住民がバラバラにされているのを見て憤りも覚えました。請戸小学校のある浪江町はかつて町があったとはとても思えないような草原がただただ広がっていました。復興などまだまだできていないのです。

2回目の分散会ではフィールドワークをふまえた上での議論になりました。それでも私はまだ迷っていました。確かに福島にこのような現状をもたらした原発はあってはならない、しかしだからと言って急にゼロにするのは可能なことなのか?原発があることで生活ができる人もいる。そんな人たちに対して無責任な発言にならないか?結局はっきりした答えは出ませんでしたが、時間をかけて原発を減らしてゆき、最終的にゼロにできればという結論に落ち着きました。

今回全国青年対策交流会議に参加して、全国の青年部がもっと連携して各地方ごとに情報を共有し、同じ目的に向けて行動することが大切だと感じました。原発のことについてもわれわれが現地で学んだことは、各々が自分の支部で勉強会を開き、知識を深めていかなければ今後の原発ゼロという目標も見えてこないのではないでしょうか。

最後になりましたが、東北地方青年部の皆さん、とても良い機会をご準備いただき本当にありがとうございました。皆さんの熱意には圧倒されっぱなしでした!

 

 

関西地方神戸支部山陽バス分会 木村浩暢

 

2019年6月1日~3日の3日間、福島県で開催された第22回全国青年対策交流集会に参加して参りました。日本全国各地より同世代の多くの仲間達が集まり、全国には活動的な同世代の仲間がいる事に頼もしさを感じました。

1日目は開会の挨拶から始まり、中央本部・東北地方の代表者による挨拶や各地方青年部ごとの活動報告が行われました。その中で中央執行部鈴木誠一氏から「何故、青年対策交流会議はあるのか?」全港湾を立ち上げたのは20代の青年達で、立ち上げた先輩(当時青年)達の意思継承をするためであるという話がありました。この話を聞き、偉大な先輩達の意思を風化させないためにもこの三日間で既に活発に活動している同世代の仲間から出来るだけ多くのことを吸収しようと決めました。

その後、7班編成で分かれ分散会をおこないました。ここでは、原発についてどう思っているか?というのを最終日に班ごとに発表するので現在自分はどうイメージを持っているか各々意見を出し合いました。

2日目はマイクロバス2台に分かれフィールドワークを行いました。8年前に起きた、東日本大震災によって被災した地域や建物を実際に自分の目で見てきました。自分の中では8年経てば少しづつ復興しているのではないかという思いはありました。確かに震災以降に建てられた建物もありましたが、あの日以降何も変わっていない地域がありました。それが、放射線の影響で帰還困難区域と指定された地域です。現在、帰還困難区域と指定されている地域とのそうでない地域の境界地点を見学させていただきましたが、私にはこの境界地点がすごく不思議に見えました。私が自分の眼だけで見ればこの境界というのはなにが違うのか分からないからです。こうして境界地点に居ても、放射線は痛い・熱い・臭いといった生身の人間の五感では感じることができず放射線は見えない恐怖があるとフィールドワークを通して認識させられました。その後、ホテルに戻り一日目と同じく分散会を行いフィールドワーク後どうイメージは変わったか意見を出し合いました。

3日目は分散会で出し合った意見をまとめた発表を各班ごとに行いました。様々な班ごとの意見はありましたが、原発はいらないという意見が多くありました。それには、放射能の恐怖や安全面の確保や現在、原発事故の影響で復興が止まってしまっていること等が理由に挙げられていました。その後、中央執行部鈴木誠一氏より総括があり、東北青年部代表者より閉会のあいさつがあり解散となりました。

私はこの3日間を通し多くの仲間達と交流させていただきました。同世代の仲間達と真剣に一つのテーマに取り組み学び、時には誰一人孤立することなく全員で笑い絆を深める。こうした事が、全国にいる仲間達と出来るのは全国青年対策交流会議という特別な機会があるからこそだと思います。初日の東北青婦部部長 井坂氏のあいさつ冒頭でありました青年対策交流会議は存続が危ぶまれていると仰られていました。この素晴らしい青年対策交流会議を存続する為にも、今回で得たものを地方に持ち帰り労働組合活動の基本である、喋る・行動する・文字を書く事を信念を持って取り組み青年対策交流会議に参加した事を意味のあるものにしていきます。全港湾の皆さん、参加された皆さん、この青年対策交流会議を成功させるために尽力された東北地方の皆さん、本当にありがとうございました。

 

 

関西地方阪神支部青年部長 篠崎謙悟

 

61日から3日にかけて福島県小名浜オーシャンホテルに於いて第22回全国青年対策交流集会が総勢65名で開催されました。私は全国青対には今回が初めての参加でありました。

初日の開会式で鈴木誠一中央副委員長よりご挨拶を頂き、その中で青年部の成り立ちについて触れられ「全港湾を作り上げたのは青年たちであり、その後を継ぐ第3世代第4世代に意思継承していくために青年部ができた。みなさんがこの組織をより良いものにするためにその意思を継承する入口となるのが全国青対であると自覚をしてこの3日間しっかり学んでいただきたい」とお話をされました。

続いて東北地方青年部の井坂部長より「今回の全国青対の開催地に手を上げさせてもらったのは2つの理由がある。1つはこの全国青対は年々開催が危ぶまれるようになってきた。全国青対に参加することですごくいい経験になるし全国に仲間ができる。この様な良い集まりを無くしたくないという思いから手を上げさせていただいた。2つ目は福島の現状はみなさんが思っているほど変わっていないよというのを見ていただきたい。そして皆が地元に帰って伝えてほしい」とご挨拶がありました。

その後の分散会では『組合を抜きにして原発は必要か不必要か』というテーマで各班ごとに討論しました。私の班では7人中6人が不必要、1人が必要という結果でした。出された意見としては「太陽光や風力などの自然エネルギーにシフトするべき」「資源のない日本にとって原子力は夢のエネルギーだと理解はできるがリスクが大きすぎる」「今現在、原発関連の仕事をしているので原発がなくなれば生活が困窮かもしれない」などがありました。

2日目はフィールドワークとして原発事故の被災地を実際に見て回りました。途中の高速道路上に放射線量計が設置されていたり、道路脇に汚染土壌の仮置き場があったりと物々しい雰囲気がありました。

避難指示解除準備区域である富岡町では道路を一本隔てただけで住める地域住めない地域に分けられている現状を目の当たりにしました。また、住める住めないだけではなく補償の有無についても大きな差があると聞き、住人同士の確執すら生んでしまっているのではないかと感じました。

全線開通した国道6号線を北へ走り、延々と続く人が住めなくなった街を通り抜けると、海辺の方向に福島第一原子力発電所が見えてきました。あの小さな場所で爆発事故が起きただけでこんなにも広範囲に影響を及ぼし、人が住むことができなくなったのかと考えると心底恐ろしい気持ちになりました。

その後の分散会では『実際にフィールドワークに参加してどう感じたか、前日と意見は変わったか』をテーマに討論しました。

出された意見として「山や川に放射能が多くあってすごく恐い」「道路一本で区切られていて何が違うのかと疑問を感じた」「テレビなどのメディアでは原発事故は収束した、福島は復興したと良いニュースが多いが実際はまだ何も終わっていなかった」「放射能は目に見えないので恐い」「現状を見たら賛成とは言えない。有るよりかは無いほうがいい。そもそも原発を置いたのが間違いだった」などがあり7人中7人が不必要という結果になりました。

最後に『福島の現状を見て今後の脱原発運動にどう取り組むべきか』というテーマでまとめを行いました。「原発事故は福島だけに限ったことではなく全国どこでも起こりうる事であり、東北地方だけが反対運動を行うのではなく全国の青年部が一丸となって取り組むべき問題である。福島連帯キャラバンに参加するなど、各地方各支部で原発問題に取り組むことで青年部としての底上げに繋がるのではないか」とし、3日目に発表を行いました。

各班の発表の中で「福島連帯キャラバンに参加すること」「選挙に行って政治から変えていこう」という意見が多く出されました。

総括の中で鈴木誠一中央副委員長より「この3日間みなさんを見ていて感じたことがある。それは人として、国民として、全港湾の組合員として1日目よりも格段にスキルアップしている。これを地元に持ち帰って必ず反映して下さい。最後に、脱原発キャラバンは福島に来なくてもできる。全国の青年部が一斉に立ち上がって各地方で福島に連帯する脱原発キャラバンを展開する手もある。一つの目的に向かってみんなで取り組むことが福島を孤立させないことである」とお話があり、脱原発運動や沖縄基地問題など現地に足を運ぶことが一番いい事だと思っていた自分にとって目からウロコでした。

神戸や大阪には原発自体はないが、近隣の県にある原発が事故を起こした場合、甚大な被害を受ける可能性があり、全く他人事ではありません。関西地方青年部としても福島に連帯した取り組みができないか地元に持ち帰り話し合いたいと思います。

3日間を通して非常に貴重なお話や体験ができ、青年部としての存在意義も確認できました。今回の経験を活かせられるように今後の活動に取り組みたいと思います。

最後になりましたが、東北地方青年部の団結力には本当に感銘を受けました。素晴らしい運営をしていただきありがとうございました。

 

 

名古屋支部青年女性部 羽賀達也

 

今回の青年対策交流集会のテーマは「原発」がメインとなっていて、今回の日程の中にあるフィールドワークで「フクシマ連帯キャラバン」でもフィールドワークを行う場所も、視察に向かうということだったので、今年キャラバン隊には参加したのですがフィールドワークには行けなかった自分としては是非参加してみたくて今回の青対に参加させていただきました。

まず、参加しての率直な感想としては、自分の中での原発に対しての見解が変わりました。

今まで青年部の活動に参加してきた中で福島の現状はある程度学んできてはいたのですが、それでもどこか他人事のように思っている自分が居て「それでも必要なものだから」という気持ちが心の中の何処かには有りました。しかし実際に帰還困難区域に指定されている場所に、自分の脚で立って見た時にその空気の異様さを感じ、放射能という見えない物への恐怖を自分の肌で感じ取った結果「これは人間の手には負えない物だ」と心の底から思いました。

福島第一原発の事故からもう8年が経ち、被災した地域以外ではその関心が薄れつつあります。それは私達全港湾青年部の中でも同じことです、ですから私達が率先して原発事故の悲惨さや放射能の恐ろしさを日本中すべての人に伝えていく必要があります。

そんな大切なことを思い出させてくれた全港湾東北地方の青年部の方々、この場を開いてくれた全港湾中央本部に感謝の気持ちを伝えて終わりたいと思います。

 

 

名古屋支部 赤木 敬

 

全港湾名古屋支部の赤木です。第22回青年対策交流会議(以下青対)には2泊3日で参加させて頂きました。

青対への参加は今回が初めてです。今回は開催地が福島で、僕が参加した3月の福島連帯キャラバンでは東北の方々にお世話になったこともあり、参加してみようと思いました。

やはり青年部の若い人が全国から集まるとパワーが凄まじく、初日の交流会では場の空気に圧倒されてしまいました。

青対のテーマが原発ということで福島県にある帰宅困難区域のフィールドワークをしましたが、福島キャラバンの時とは違う場所を見て周ることができました。

その後は、班ごとの発表に向けて意見交換などをして他の支部のメンバーとも交流ができ、2日目の交流会では楽しい時間を過ごすことができました。

初めての青対ということで、たくさん貴重な体験をさせて頂きましたがその中でも特に東北の人たちの団結力を見られたことが大きいと思います。青対の企画、準備から進行など細かなところまで気配りまでされていてとても楽しく参加させてもらえました。

普段働く港が違ったとしてもこういう場所で協力しあい、何かを作り上げていき盛り上げる、そしてその場に新しい人を迎え入れていく。そういった楽しさの中に青年部として出来ることや、青年部の必要性を強く感じました。

名古屋支部でも今後、全国の活動に参加しつつ青年部で活動するメンバーを増やし団結力を高めていくこと、また新しい人が来た時には全港湾の「楽しい」という部分を見せてあげられるよう環境を整えていくことが必要だな、と感じました。

 

 

九州地方長崎県支部 中ノ瀬大志

 

六月一日から三日間に渡って、第二十二回全国青年対策交流集会が福島県いわき市にある小名浜オーシャンホテルで行われました。

初日は開会式が行われ、中央本部鈴木誠一副委員長より青年対策交流集会の成り立ち、意義等の話があり青年部とはどうあるべきか教えて頂きました。初めて青年対策交流会議に参加するにあたり、参加出来る有り難さや、組合員である事を誇りに思い、次世代を担うであろう我々が努力して組合を支えることが出来るようになる為に、この三日間を無駄にしないよう頑張ろうと誓いました。

二日目に被災地フィールドワークを行いました。立入禁止区域のバリケードのある街や福島第一・第二原発、津波が来た地域や慰霊碑等を東北地方の方々のまとめた当時の写真や、エピソード等を聞きながら回りました。そこには目に見えない放射能という恐怖に汚染されて決して人の住める環境ではない土地が広がっていました。これはメディアの報道では決して知り得なかったであろう現状が広がっており、言葉に出来ない衝撃を受けました。確かに原発は多くの雇用を生み、それに携わる土地・人に金銭を生み出すメリットはあると思いますが、人の命・故郷を天秤にかけてまで必要とするものではないという声を聞き、それに感銘を受けどこの原発でも起こり得るこの惨状を決して繰り返してはいけないと思いました。

分散会は七班編成で行われ、課題としては福島の原発事故についてでした。原発が必要かどうか、フィールドワークを行う前と行った後ではどういう心境の変化があったか、またそれに伴いこれから青年部としてどういう活動をして行きたいかというような課題を話し合いました。初日では金銭面、発電効率面から不必要とは言い難いという声が少数ではあるが上がったものの、フィールドワークを終えると意見の変化が見られ、少しずつても減らしていくべきだという声に変わっていきました。原発を無くすためには選挙闘争に参加し、原発反対の政治家を当選させ各地方から少しずつでも原発事故の悲惨さ、現状を全国に発信し、より強い意見を出せるようにしなければならないと考えています。その為に私は同じ被爆県として原子力によりもたらされた恐怖を決して風化させてなるものかという強い意思を持ち続け、反戦・反核の勉強や、脱原発の署名等、多くの活動に積極的に参加して知識を広め、より強い意見を持たせる事も重要であると考えています。

最後に今回初めての参加でしたが、同じ方向を向いている全国の仲間と共に勉強し、議論を交わし、楽しく同じ時を過ごすことが出来ました。このような素晴らしい学びの場に参加出来た事を誇りに思います。また、これほどまでに高い意識を持った仲間達のいる全港湾は素晴らしい組合だと実感しました。これも運営である東北地方始め、運営に携わった皆様、共に学んだ仲間達があってこそだと思います。本当にありがとうございました。この三日間を無駄にしないようこれからの青年部の活動に尽力していきます。

 

 

九州地方博多支部 陳ヶ尾俊

 

まず最初に、東北地方の青年部の方々お疲れ様でした。6月1日から3日間の間、私にとって、とても貴重な経験をさせて頂きました。

今回、テーマを「原発」におき、原発における様々な問題を青年部同士で協議、共有できたこの3日間は、私自身を人として、組合員として成長させてくれました。

2日目に行われたフィールドワークでは、災害から8年経ったとはいえ、未だに爪跡は生々しく残っており、津波の凄惨さを物語っていました。そして、第一原発爆発という「人災」によって奪われた、安心できる生活は今もなお戻ることはなく、不安と心配がのこるフィールドワークでした。帰りのバスの中で、様々な感想や質問がありました。印象に残っているのが、禁止区域が解除された地域住民のライフラインは、人口が何人になったら、普及されるのかという質問です。とても、重要な事だと思いました。実際に体験しましたが、目に見えず、臭くもなく、熱いとか寒い訳でもない、全く何も感じさせない放射能の恐怖のなかで生活をしていかなくてはならない人達の事を想った時に、言葉が思いつきませんでした。その日の分散会では、一人一人が自分の立場として考え、全港湾の青年部としてどうしていくかなど活発な議論ができました。

私はこのような貴重な経験をさせていただき、青年部だけではなく、支部、分会も含め組合員、家族、友人、同僚、1人でも多くの方達に原発の怖さを伝え、脱原発へ向け1人でも多くの人に理解してもらえるように活動していきたいと思います。繰り返しになりますが、東北地方の皆さん本当にお疲れ様でした。

 

 

九州地方苅田支部   濱崎直哉

 

6月1日〜3日までの、第22回青年対策交流集会に参加させて頂きました。青対としては2回目の参加でした。懇親会の場では、個人の悩み、活動の仕方など全国の仲間と交流を深める事が出来ました。2日目のフィールドワークでは、被災、被爆している場所など行き、地震や津波の怖さや凄さなどを肌に実感しました。帰宅困難区域では、被災した当時のままの建物など見ることができ、津波や地震の凄さを目で見て体験する事が出来ました。その後山間に行ったのですが、そこはただ綺麗な景色の山だったのですが、放射線量計のブザーが鳴った時にここでも鳴るのか!?という気持ちに襲われました。目で見てとれない放射線はただの恐怖でしかありません。この恐怖を、支部で広げていければと思います。そして、この恐怖は天災ではなく人災だという事。感じた事を支部で広げ、青年部での活動に繋げていきたいです。分散会では、班長を務めさせてもらいました。班員の様々な意見をまとめ、発表するのは大変でしたが有意義に過ごせたと思います。これからの組合活動に繋げていきたいです。

 

 

東海地方清水支部青年部  髙田祐次

 

今回、初めて青年対策交流集会に参加させてもらいました。今回の開催地が8年前の3月11日に震災があった福島と聞きました。津波や原発事故で被害を受けた所でフィールドワークをすると聞き、同じ原発を持つ県として、今現在どこまで復興出来ているのかを勉強しようという思いで参加しました。初日はグループに分かれて原発の必要性はあるのかという内容で話し合い、自分たちのグループでは原発は怖いが、今の生活を維持して行く為の代わりになるエネルギーはあるのか?必要がある、ないに対し分からないと言う意見が多くありました。

2日目、バスに乗り津波や原発事故で被害を受けた場所に行きました。津波で家を流されてしまった場所はきれいになり新しい建物が出来ている所もありましたが、まだ、工事中の所や被害にあった小学校などはそのまま残っていて、1階はほぼ破壊されており津波の壮絶さを感じました。また、原発事故で放射能を受けた町は今もなお、人が住むことを許されず車、家、全てが8年前と変わらずそのままで人の気配もなく周りには帰還困難区域にバリケード、警備員と監視カメラをセットされている状態でした。1つ道を挟んで通りが違うだけで住むことができる、帰還困難区域に入るか入らないで国からの補助金が出る、出ないがあると聞き、数メートルの差で国の助成が全然違うのは何なのか疑問に思いました。道や畑には今現在も汚染物が入った黒いフレコンにシートがかけられて仮置きされている状態、放射線量が高いため車の通行は許されても窓を開けてはダメ、バイクは走ってはならないという区間があり衝撃を受けました。国道は除染がされていて山や川は除染作業されず今現在も高い数値を出していて目にも見えない、臭いもしない、でも身体に悪影響をもたらすものが飛んでいて恐怖を感じました。現地で説明を受けている時、今この瞬間にも放射能を受けています。という言葉がありました。自然がいっぱいで綺麗な所なのに、ここにはまだ人は住めない、放射能を浴びたこの地で動物がいっぱいいるのに悲しい思いを感じました。現地を見てからのグループワークでの話し合いでは皆、考え方が変わり原発は必要ないと言う意見に変わりました。一人一人が原発という「核」に対し知識を持ち、どう問題意識を持って行くか?また、次の世代へどう繋げて行くのかが大切だと感じました。今回の全国の仲間とコミュニケーションを取りとても楽しく3日間を過ごす事が出来ました。今回、知り合った仲間を大切にして行きたいと思います。貴重な体験をありがとうございました。

 

 

東海地方清水支部青年部 小田島幸佑

 

第22回青年対策集会に参加させていただきました。今回が初めての青年部活動という事で右も左もわからない状態でしたが一緒に参加した先輩や他港の支部の方々に色々と教わり無事に終了できました。

初日は各支部の活動報告を聞き、その後、班ごとに分かれて分散会を行い、福島第1原発についてと8年前の東北の震災について意見交換を行いました。色々な地区の人の意見を聞いて、自分もそうでしたが福島から離れている地域の人ほど実感がなくて知識もなく東北支部の人の実体験を聞いて驚く事ばかりでした。その後懇親会が始まって、普段の会社での宴会とは違う雰囲気の中、はじめはうまく話せませんでしたが色々な方たちが話しかけてくれて各支部の人達と色々な話をして楽しく過ごせました。

2日目はフィールドワークを行い、バスで現地を回りながら原子力発電所がどんな意図で建設されたのか、地域にどんなメリット、デメリットがあったのか等の勉強や東北地震で起きた津波によって起きた福島第1原発での事故やその後の影響を学びました。8年経った今でも放射能の数値が下がらず立ち入りを制限されている地域や、立ち入り禁止区域で人が居なくて荒れ放題の町を目の当たりにして衝撃を受けました。実際に放射能を測定する機械を使って数値を確認すると目に見えない放射能がはっきりと存在している事がわかり、とても恐ろしく感じ原子力の怖さを実感しました。ホテルへ帰って分散会を行い各班で原子力発電所についての意見交換と発表するためのまとめを行いました。初日より意見がたくさん出て、自分の意見も積極的に伝えることが出来て内容の濃い分散会になったと思いました。その後の懇親会では初日よりさらに色々な人達と話ができ、二次会のカラオケでは最後はみんなで肩を組んで歌うほど打ち解けて本当に参加できて良かったと感じました。

最終日の3日目は各班でまとめた意見の発表を行いました。各班で原発に対する様々な意見がありとても勉強になりました。今回の青年対策交流会議に参加して、見て、聞いて、感じた事はすごく自分にとってプラスになったと思います。また体験した事をしっかり清水支部に持ち帰って職場の先輩や後輩に伝えたいと思います。有難うございました。

 

 

東海地方清水支部 堀井大夢

 

第22回青年対策交流集会が福島県で行われました。今回の青年対策交流集会では、原子力発電所や福島第一原子力発電所の事故後の現状などを見てきました。

まず一日目は各地方の活動報告がありました。どの地方も、その地方ごとの問題を解決するために行動していることを聞き、自分達ももっと積極的に行動しないと駄目だなと思いました。活動報告の後は分散会が行われ、色々な地方の人達と「原子力発電所は必要か」という議題について話し合いました。自分達も浜岡原子力発電所が近くにありますが、原子力発電所が本当に必要なのか、もし何か起きた時にどんな事が起きるかなど考えたこともありませんでした。福島の人達の話も聞けてとても勉強になりました。

二日目はフィールドワークがメインでした。福島第一原子力発電所の事故によって放射線が漏れ、住民が避難する事になりました。フィールドワークでは帰還困難区域の境界などを見に行きました。同じ町の中でも道路一本挟んで帰還困難区域のためフェンスで囲われている所と帰還出来るので戻ってきて生活しているような所を見てきました。フェンスで入れないようにされている帰還困難区域は震災当時のままで、今までこんな光景を見たことが無かったので自分の中では衝撃的な光景でした。また、帰還困難区域の道路の反対側では普通の生活を送っている家もありました。道路一本挟んだだけで放射線量がそんなに変わるとは思えません。しかし、帰還困難区域が解除されてしまったため、補償が出ないのでしょうがなく戻って来ている人達もいるという事でした。次に帰還困難区域の中を通っている道を走りながら放射線量を測定しました。風向きなどによって変わったりすると言っていましたが、車で走っている間も放射線測定器の警報が鳴っていました。途中、車から降り道路と道端の草むらで放射線量を測定しました。道路は除染されているので警報は鳴りませんでした。ですが、草むらで測定した時は警報が鳴りっぱなしでした。警報は鳴っていても目には見えないし臭いも無いので、放射線測定器がなければ何も分からず草むらに入って被爆してしまう事になります。福島の人達はこんな状況の中で生活しているのだと思うと考えさせられる事が多いです。そのあとホテルに戻り分散会をしました。フィールドワークで福島の現状を目の当たりにした後に再び「原子力発電所は必要か」という事を考えると原子力発電所はいらないのではないかと思いました。今回福島に行かせてもらって、福島第一原子力発電所の事故の現状を見てきて原子力発電所の恐ろしさを知りました。この事を色々な人達に伝え、行動していかなくてはいけないなと思いました。

 

 

 

 

 

 


第42回沖縄平和行進に参加して(参加者感想)

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沖縄地方青年女性部部長 金城雄介

 

五月十六日に三単産全国の仲間が沖縄入りし、県立武道館にて五・一五全国結団式が行われました。今年も南部戦跡コースの副団長を全港湾が担い、全国結団式で沖縄地方青年女性部部長金城雄介が「南部戦跡コースの副団長として安全にコースを引っ張って行く」と決意表明を行いました。全国結団式終了後、琉球サンロイヤルホテルに移動して三単産・結団式を行いました。三単産の団長に全港湾東北地方の矢内誠也、副団長に全港湾関東地方の寶納雅行、全国一般の南守、全日建の晋山邦弘を選任し「平和行進に向け一致団結して頑張っていきましょう」と声をあげました。終了後の平和学習会では、講師に沖縄タイムス記者の阿部岳氏をむかえ、今の沖縄の辺野古新基地・高江ヘリパットの現状等を勉強しました。

初日は、県民広場から出発し自衛隊基地前を通り西崎運動公園で昼食をとりました。午後のコースは、西崎運動公園から糸満ロータリー向けに歩き、真栄里入り口に入りました。真栄里入り口前では、二〇分程、妨害に遭い行進する事も出来ませんでした。真栄里に入り、南部戦跡コース団長・高教祖の金城比呂子先生のアナウンスで、慰霊碑などの説明を聞きながら給水ポイントに向かいました。給水ポイントから、到着地点のひめゆりの塔までの妨害はあったものの、沖縄の気温より熱い行進団の熱いシュプレヒコールをしながら無事にゴールしました。

二日目は、平和祈念公園から昼食場所である南城市中央公民館に向かいました。出発式では、国籍を問わず沖縄戦で亡くなった二四万余の全ての戦没者に弔いの意を込めて黙祷を掲げました。当日のコースは道幅も狭く、雨も降っていて足元が悪いままの出発でした。ですが、行進団の熱い思いが、雨も止ませ昼食地点では、すっかり晴れてとても暑かったです。午後は、南風原町役場まで歩きました。二日目のコースは、起状が激しいコースで、到着時間も少し遅れてはいましたが無事にゴールしました。

三日目は、宜野湾市役所から出発し、南ウイングコース・北ウイングコースに分かれ、米軍普天間基地を囲うように宜野湾市海浜公園に向かいました。最終日でもある三日目は、行進団の疲れも感じないほどシュプレヒコールが続きました。南ウイングコースは、信号機右折が多く大変ではありましたが、無事に宜野湾市海浜公園につくことができました。午後からの県民大会では、約二、〇〇〇人が参加され、辺野古新基地建設反対、基地のない平和な沖縄をつくろうと声を上げました。

最後になりますが、平和行進に参加された三単産の皆様、街宣車を派遣した横浜支部、先導車を担当した横浜支部の新井さん、アンプ調整をして下さりました中央本部、青年部をサポートして下さりました沖縄地本の皆様、本当にありがとうございました。この熱い思いを胸に、これからも平和活動、組合活動を頑張っていきます。

 

 

神戸支部青年部長 吉村 知

 

2019沖縄平和行進に参加してきました。日程は5日間、初参加でしたので、当初は不安な気持ちでした。沖縄に到着すると、現地は梅雨入りという事もあり、雨天の中全国結団式の会場である県立武道館アリーナに向かいました。そこで各組織のこの度の活動の意気込みを発表し、一人一人、意識を確実に高める事が出来ました。そしてホテルに戻ると三単産による結団式を始め、続く平和学習会においては、パワーポイントを使い沖縄の現地の活動家による目線でより深くリアルな内容に、沖縄が受け続けている深刻な爪痕の深さを認識しました。その後は沖縄の青年部主宰の食事会が催され、楽しいコミュニケーションがとれました。

2日目は初日行進で、20km先のひめゆりの塔を目指しました。レンジャーを志願した私は、独特の緊張感と責任感がありましたが、全国の300人以上の仲間と共に一歩一歩力強く行進しました。午前中から数台の右翼による妨害行為や誹謗中傷等がありましたが、シュプレヒコールと団結という武器の前に、私達を一歩も止める事が出来ませんでした。そうして無事到着したひめゆり資料館を見学して、語り部の方々のお話を伺い、生きたくても死んでしまった、この悲しい犠牲の上に存在する憲法第9条の意味を理解するだけに終わらず、後世にまで存続させられる活動を今後も携わっていきたいと思いました。

3日目は行進2日目、平和祈念公園から19km先の南風原町役場に向かいました。この日は前日と180度変わり、右翼が全く見られず少々面を食らった部分がありましたが、それでも最前列で横断幕を持ち、時には宣伝カーからシュプレヒコールを叫ぶと、後ろから返ってくる声の熱量に、頼もしさを感じました。その後の交流会では沖縄の方々が地本を上げてBBQ交流会を開催してくれました。そこでは過去に共に活動、学習、そして呑み明かした仲間がいて、更に覚えていてくれて、風化していかない仲間の絆の深さに、活動の素晴らしさを再認識しました。

4日目、行進も最終日は快晴の中、宜野湾市役所から8km先の海浜公園を目標に、総勢600名以上の仲間と共に行進しました。この日は行進開始と共に右翼の団体による妨害がありました。非常に激しかったのですが、県道から手を振ってくれる地域住民の方々や、すれ違う車の窓から笑顔をくれた子ども達に力をもらい、欠ける事なくこの3日間歩く事が出来ました。そしてホテルに戻った後夕食の懇親会があり、そこでは民謡が演奏され、会場全体仲間たちと舞い踊り、この4日間を労いました。

私はこの4日間を通して、仲間達との絆と、前進する行動力を身につける事が出来ました。しかしこれで完結ではなく、邁進し続ける事により、一人でも多く影響を与える事の出来る組合員になりたいと思います。最後に、この度の沖縄平和行進が無事に終われるよう尽力してくださった沖縄支部の皆様はじめ、中央執行委員の方々、そして先導の沖縄支部の金城さん、団長の小名浜支部の矢内さん、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。

 

 

横浜支部上組名古屋分会 假宿 真也

 

5月16日から20日まで初めて5.15沖縄平和行進に参加させて頂きました!16日には全国結団式、三単産結団式、平和学習会が行われました!様々な方の話を聞いて沖縄の歴史や現状など学びましたが、僕の中ではこれが日本の中で起こっていることなのかと信じれませんでした。

行進1日目は県民広場からひめゆりの塔まで「辺野古新基地建設をとめるぞ」、「安倍政治を許さないぞ」などシュプレヒコールを上げながら歩きました。ひめゆりの塔に到着後ひめゆり資料館を見学しました。今の自分より一回り違う子達が「解散命令」の名の下で米軍包囲網の中に放り出されて命を落としたと知り、その無念さを思うと胸が痛みました。

行進2日目と3日目はレンジャーを担当しました!最後尾から先頭までの行進団の隊列整理や車の交通整理など他のレンジャーと連携をとりながら取り組みました。体力的にも辛かったが、行進団の中には障がい者や子供達が声を上げている姿をみて元気をもらいました。

3日目のゴール地点宜野湾海浜公園では県民大会が行われ約2千人が集結しガンバロー三唱で平和への思いを1つにしました。沖縄平和行進で学んだ事や経験したことを1人でも多くの人に伝えて興味を持ってもらいたいと思います。そして1日でも早く沖縄に基地がなくなる日を願っています。

 

 

横浜支部上組東京分会  岩本  拡

 

私は、5月17日から20日にかけて3日間、5・15沖縄平和行進に参加しました。私は昨年に引き続き2回目の参加でした。今年は去年より一週遅かったため沖縄で梅雨入りしてからの平和行進となり雨での行進を覚悟していました。しかし3日間雨も降らず快適に行進することができました。

今年は初日の一発目のシュプレヒコールをやらせてもらい気合を入れて元気にやることができました。行進団に戻った際よかったよ!と言ってもらいとても励みになりました。

行進2日目は日差しがとても強く体調を崩す人もいましたが、地元の応援してくれる方々や手を振ってくれる子どもたちに元気をもらい歩ききることができました。

行進3日目はコースは短いコースでしたが最終日ということもありシュプレヒコールもみんな力強く一体となって素晴らしい行進となりました。

去年に引き続き今回の平和行進でも沖縄の方の話を聞いたり、沖縄の現状を見たり、聞いたりして今まで自分がいかに沖縄の基地問題について無関心で無知であったかを痛感させられました。平和行進に参加することで、戦争反対や基地反対を訴えること以外に、参加者全員が地元に帰ってこの貴重な経験を家族や仲間に伝えることが重要な役割だと思います。そして、いつか沖縄の基地問題が解決しこの平和行進がなくなることを心から願っています。最後に今年も我々を受け入れて下さいました沖縄地本の皆さん、本当にありがとうございました。

 

 

大阪支部  青年部部長  林 涼史

 

2019年5月16日(木)〜20日(月) 沖縄平和行進に参加させて頂きました。自分自身沖縄平和行進の事前学習会に何度か参加してましたが、沖縄平和行進自体は初めての参加でした。行進に参加して、自分の中でイメージしていた以上に悲惨な現状を見て感じました、沖縄県という狭い島にだだっ広く広がる米軍基地、日本にある米軍基地の70パーセントがここにあると聞きました、そして基地がある事によりヘリの墜落事故、暴行事件等々起き、起こした米軍基地の兵隊は日米地位協定に守られてほぼ捕まる事がなく、やりたい放題の現状に憤りを感じました。この現状を変えて行く為にも今後も行進は続け、米軍基地を沖縄から切り離す方法を考えていかないといけない問題だと思いました。貴重な経験させて頂きありがとうございました。

 

 

関西地方大阪支部 河村崇人

 

今回、沖縄平和行進に初めて参加して学ぶ事も多く本当に貴重な経験が出来ました。勉強不足でのスタートでしたが、考えさせられる事、感じた事も多く、先輩から「1度は経験しておくべき」という言葉の意味がわかりました。3日間の行進では炎天下の中、約45キロを歩きました。全国から多くの団体が結集して、皆同じ目的を持って行進している姿を見て、「これが団結か!」と実感しました。実際に参加しないとわからない、言葉では表現できない事だと思いました。

平和行進後、5月20日(月)には2014年から辺野古基地建設の反対運動をしている方に現地案内をして頂きました。ゲート前に座り込み工事車両を止めようとする約50名の人達が、機動隊に強制排除されている光景を目の当たりにし「同じ日本なのに沖縄では大きな問題がある」と色々考えさせられ複雑な気持ちになりました。また1日、朝、昼、夕方の計3回工事車両の出入りがあり、朝には沖縄平和行進から流れてくる人が多く約300名もの人が集まり工事車両の出入りを阻止できたそうです。数の力の凄さを知った反面、なぜもっと人が集まらないのかと疑問を抱きました。

自分や家族、身近な人の問題なら動こうとする人は多いはず。しかし、沖縄の人口145万人に比べるとあまりにも少ないと思い、関心がある人が少ないのかと感じました。5日間でたくさん学び、感じ、考えさせられ一生忘れられない経験が出来ました。

 

 

東海地方清水支部青年部 後藤 允

 

私は、今回の沖縄平和行進で、初めて他の地方の組合員の方達と交流を持つ事が出来ました。色々と話をする中で、様々な問題を抱えながらも、仲間たちと協力し合って、解決に向けて団結して進んでいく姿を感じる事が出来ました。全国に沢山の熱い気持ちを持った仲間がいる事を知り、大変感動しました。以前の職場では、組合も無く、経営者側の一方的な要求で、賃金をカットされるという、憂き目にあうことがありました。なす術も無く、悔しい思いをしました。しかし、今の職場に転職した時は、強い組合がある事を知り、非常に安心した記憶があります。その時の気持ちを今一度思い出し、組合の素晴らしさ、団結する事の意義、たたかう事の意義を、新しく入社した若い世代に伝えて続けていきたいと思います。

今回は、メンバーの一人として参加させて頂き、本当にありがとうございました。沖縄滞在中に、見て、聞いて、感じた事は一生忘れずに、平和への気持ちを熟成し続けていきたいと思います。

 

 

東海地方清水支部青年部 大西 健悟

 

今回初参加となった沖縄平和行進で、右も左もわからない状態でした。沖縄が返還されてから、47年という年月が経った今でも、色々な問題がある事を知りました。辺野古の新基地建設やオスプレイなど、自分たちの住むところではない問題があり、とても良い勉強になり、良い経験となりました。デモ行進をしている時には、温かい声援で出迎えてくれる人も居れば、妨害をしてくる方も居ましたが、温かい声援のおかげで頑張って歩く事が出来ました。また、今回デモ行進をする事によりドローンの禁止が認められたと聞いて、参加した甲斐があったと感じました。まだまだ沖縄には沢山の問題が残っているため、今回だけではなく参加できる機会があれば、積極的に参加をしていきたいと思います。

 

 

東海地方清水支部青年部 副部長 竹田昇平

 

今回、初めて沖縄平和行進に参加するので事前に沖縄の歴史の資料を見てから行きましたが、実際に米軍基地があるせいで、オスプレイの部品が小学校の校庭に落ちてきたり、昼夜問わず米軍が飛行訓練をしている為にうるさくて迷惑していたりと、初日に行った結団式と平和学習会で沖縄のいろんな問題を知って驚く事ばかりでした。

行進1日目、県民ひろばからひめゆりの塔まで一歩一歩沖縄の事を思いながら歩きました。途中、右翼による行進の邪魔がはいりましたが、無事に到着する事が出来ました。2日目は途中の邪魔が入らず、行進終了後に沖縄青年部によるBBQ交流会が開かれ、他の地方の人と楽しく交流する事が出来ました。3日目、右翼の妨害を受けながらも目的地の海浜公園まで到着する事が出来ました。そこに集まった人の数を見てこれだけの人達が全国から沖縄のために1つになって歩いていたんだと思って驚きました。

今回の沖縄平和行進に参加してみて、最初は右翼の妨害や行進による渋滞を見て沖縄のためになっているのかと思いましたが、車から手を振ってくれたり、頑張ってと声を掛けてくれたりする住民もいたので行って良かったと思えました。今年の平和行進は終わりましたが、沖縄の問題が解決したわけではないので、これから沖縄に目を向けて沖縄に対して何が出来るかを考えていこうと思いました。

 

 

東海地方清水支部青年部 八木拓海

 

今回の沖縄で僕は勉強してきた以外の色々なことを学ぶことができました。今まで歩いてきた所が戦争の時アメリカ兵から逃げてきた場所で、ものすごく胸が苦しくなる思いになりました。特に1日目のひめゆりの塔で見てきた戦後の物資と戦争を味わった人の話を聞いて、自分は本当にいい環境で育ってきて恵まれているんだなと実感しました。

沖縄平和行進をやる理由を身近で味わう事ができて、今までの歴史を振り返ると復帰して47年も経過しているにも関わらず、アメリカに沖縄を支配されているように感じました。今回のこの活動を通して沖縄の問題が少しではありますが伝わりました。本当にいい勉強にもなりましたし、これからこの気持ちこの悲惨だった沖縄を身近の人に伝えていき、もっと共感を与えられるようにしていきたいと思います。

 

 

関東地方鹿島港支部 山本恭平

 

2019年5月16日から5月20日の日程で開催された5・15沖縄平和行進に参加させていただきました。予報では三日間雨という事だったのですが、沖縄県民の思い・全国の人たちの思いが天に届いたのか三日間雨は少ししか降らず、思い切ってシュプレヒコールをしながら行進することが出来ました。

三日間行進を行っていく中で思うことがたくさんありました。一番気になったのが、「辺野古新基地建設の問題」です。ジュゴンをはじめ、絶滅危惧種262種を含む5,800種以上の生物が確認されている辺野古・大浦湾の豊かな海が今まさに破壊されつつある。

世界的にも希なこの美ら海を破壊してまで、米・日両政府が建設を強行しようとしている新基地こそは、V字滑走路と軍港、オスプレイやステルス戦闘機F35Bの駐機場、弾薬搭載エリアを有する最新鋭の巨大な軍事基地にほかならない。しかも、辺野古弾薬庫には、使える核兵器の配備が計画されている。このようにアメリカはやりたいことをやる。それを許していいのだろうか。沖縄の人たちの思いを無視し、自由にさせている。このような事はあってはいけないと思いました。

沖縄の為に何が出来るか。自分は感じたこと・沖縄で思ったことを地元に持ち帰り仲間たちに伝えていき、沖縄の事を一つでも知ってもらえるよう活動していきたいです。良い経験が出来ました。本当にありがとうございました。

 

 

関東地方鹿島港支部 高木 涼

 

5月16日から20日の5日間で5.15沖縄平和行進に参加しました。行進前には沖縄タイムスの阿部 岳さんに沖縄の基地問題の現状を教えてもらいました。辺野古新基地・高江ヘリパッドを作ることでジュゴンが住む海、ヤンバルクイナが住む森の破壊や豊富なサンゴ群落などの色々な生物が住む沖縄の海を壊している。さらには、国が先頭に立ってそれを行い沖縄の人たちの民意を無視しているという現状を聞きました。

行進が始まり、僕たちは南部・戦跡コースを行進しました。南部コースでは、ひめゆりの塔・平和記念公園など戦争に関わる所も通りました。途中、妨害の車や人たちがたくさん来て「何しに来てるんだ?」「お前らがやってるのは平和運動とは言わない」という声を聞いて、再度自分たちの行動・運動に対する気持ちを確認することが出来ました。

沖縄の自然破壊、民意を無視した政治は許せないし、これからも戦争なんて起こさせないように小さいことでも行動して次の世代の人たちにも伝えていくことが大事だと思いました。最後になりますが、受け入れて下さった沖縄地本の方々本当にありがとうございました。

 

 

関西地方阪神支部内外フォワーディング分会 古川泰礼

 

2019年度沖縄平和行進に初めて参加させて頂きました。事前に平和行進学習会に臨み、同平和行進に参加しましたが、全日程を終え、少し時間が経つにつれ思うことは、沖縄について、あまりに無知な状態で参加してしまったという事です。沖縄の歴史、米軍基地問題をしっかり勉強し、把握してから参加すべきだったと後悔しております。「基地の無い平和な沖縄」を訴え、平和行進に参加したのですが、人は、自分の身に降りかかってこない事だと他人事であったり、自分には無関係な事と捉えがちになると痛感しました。ただ、平和行進を終え、無事に帰路に着くことができたのは、行進に携わった方々の協力・尽力によるものだと感謝しております。

 

 

関西地方本部築港支部商船港運分会 平山敬仁

 

5月16日(木)から5月20日(月)までの5日間の沖縄平和行進に今回初めて参加させて頂きました。当初は率直に申し上げて右も左も分からない中での行動に多少の不安と緊張感を感じておりました。

16日沖縄到着日に沖縄地方本部の方に頂き、初めて他地方の方にお会いする瞬間でしたが、すごく優しそうな方に出迎えて頂き良かったです。また、空港からホテルまでの送迎の際に私と日本海支部の方2名でホテルまで送迎され、2名で行動できるのが羨ましく思っている中でその方々から昼食のお誘いを受けた際は非常に嬉しかった事を覚えております。

同日の夕方、沖縄タイムスの記者を招き辺野古移設に関する問題や日本政府と米軍との関係性の実態など様々な事を学ばせて頂きました。私はその話の中で地元民は当然の事ながら渦中の末端で働いている従業員の方々はこの問題についてどのように思われて責務に従事しているのだろう、政府や会社から受けて使命に心底同意しながらこの件に関わっているのだろうかと疑問を持ち、記者の方に尋ねるとやはりこの件に反対の気持ちを持ちながらも上層部からの指示であり、自身の仕事に関わる問題なので致し方なく自身の気持ちを押し殺しながらこの件に関わっている方もいると伺いました。私はそれを聞いたときにその方々に同情を覚え、すごく辛いだろうなと思い、この1件にはそのような方々の気持ちも背負って行進を頑張らないといけないなと改めて気持ちを引き締め頑張ろうと思いました。

翌日から3日間、天気は梅雨入りを宣言された中、雨が降りそれほど暑くはないだろうと油断しておりましたが、1日目から曇りでも突き刺さるような日射と紫外線に見舞われながら行進がスタートしました。

暑い中ではありましたが、初めは意気揚々と歩き始め、皆と共にシュプレヒコールを行い、時には沖縄の実態や景色に目を向ける余裕も持ちながら行進をしておりました。行進を続けていく内にその余裕がなくなり、徐々に気持ちが折れそうになっておりましたが、行進中に沿道で声を掛けてくださる住人、マンションなどの建物内から手を振ってくれる子供、応援の意味を込めたクラクションを鳴らしてくれる運転手などの様々な応援を受ける事で気持ちを継続させることができました。行進中、歩いて疲れ果てながらも沖縄の現状を目の当たりにして、私個人としては沖縄のこの和やかな環境を壊すような米軍基地はこの地に必要があるのかを考えておりました。私個人としては必要ないのではと思います。この沖縄平和行進で米軍基地がある事で安全、安心な生活よりむしろ性的暴行や騒音問題など被害を受けて恐怖の中で生活を送る事の方が多いのではないかと思いました。これからも沖縄平和行進は必要不可欠なものであるなと再度認識させられました。

最後となりますが、これからも沖縄平和行進を引き続き行われ、沖縄の未来が明るいものとなるよう祈る中でこれからの活動に私も頑張って生きたいと思います。この度はこのような貴重な経験をさせて頂き有難うございました。

 

 

関西地本築港支部 須藤裕之

 

今回の平和行進に参加し、率直な感想を言うと本当にきつかった。しかし、今までは平和行進というものは知っていたものの何のための行動なのかを知らず、今回参加したことでその意義や実際に行進が行われる時期は辺野古への土砂搬入がstopされている事からその重要性を知る事が出来ました。

沖縄には大半の米軍基地が集中しており、今も尚、県民の方々が多くの不自由を抱えながら生活している。米軍ヘリが小学校の上空を飛行する事が許され、罪の無い子供たちがヘリ飛行時にはシェルターへ避難するという不合理な事実には非常に驚かされました。

参加した各々が何を思って今回の行進に挑んだのかはそれぞれ違うかもしれないが、沖縄を守りたい、その気持ちは今回参加した1,200名に共通したものだと考えます。しかし、自分一人で今回の行進に参加していたらやり遂げる事は出来ていなかったかもしれない。周りに同じ意志を持ってあるく仲間たちがいたからこそ3日に渡り闊歩を続ける事が出来たと思います。この経験をもとに、今後の組合活動をより良いものとしていきたい。

 

 

四国地方徳島支部 近藤貴麿

 

5月16日~20日の5日間で第46回5.15沖縄平和行進に参加させて頂きました。到着した初日に県立武道館アリーナにて全国結団式が行われ、平和行進を皆さんと共にやり遂げようという気持ちになりました。その後ホテルへ移動し、三単産の団結式と平和学習会がありました。講師は沖縄タイムスの阿部岳氏で、沖縄の基地の現状を報告してもらい学習しました。日々の過酷な取材と労力に驚きました。

全港湾は南部戦跡コースへ行進しました。1日目は県民広場からひめゆりの塔へ行進しました。沖縄戦の時と同じルートで南へ行進し、鈴木誠一副委員長の「祈りながら歩いて欲しい」という言葉が胸に響きました。当時の状況や戦争の恐怖を自分でも感じながら日本軍や一般市民がいかに追い詰められて悲惨な状況下にいたのかを思い知りました。一歩一歩祈りを込め、踏み締めて歩きました。

2日目は平和祈念公園から南風原町役場への行進にて青レンジャーもさせて頂きました。体力の消耗は激しかったですが集まった全国の仲間達と居ると、自分も少しでも何か協力をしたいと思い頑張りました。大変いい経験になりました。

3日目は宜野湾市役所から海浜公園へと行進しました。この日は普天間周辺の現状を見ながら行進し、地元沖縄の方々の行進団への応援の声もありシュプレヒコールも掲げる事が出来ました。行進の途中にお年寄りから子供まで手を降ってくれたりして嬉しさともっと頑張ろうという気持ちになりました。沖縄の様々な問題や基地の状況、自分が実際に来なければ感じる事の出来なかった多くの事がありました。やはり1人でも多くの人に力強く関心を持ってもらう事が重要である事と、一人一人が団結する事の大切さを学びました。この行進を地元に持ち帰ってみんなにしっかり伝えていこうと思います。

最後にお世話になった沖縄地本の方々、全国の三単産の皆様本当にありがとうございました。沖縄に平和な未来が来る事を信じます。

 

 

四国地方香川県支部 枦山茂隆

 

今回、初めて沖縄平和行進に参加させて頂きました。行進では沖縄戦の中で一番の激戦区であった、南コースを歩きました。また、最も過酷な戦いが行われた場所ということを聞いていましたが、今はとてものどかで自然が綺麗でした。しかし、戦時中に負傷兵を最後まで看護をしていた女学生達がいたというひめゆりの塔では、住人たちが集団自決したガマなどを見て戦争の残酷さを知る事で、自分達が今歩いているこの場所では、悲惨な歴史があったのだと考えさせられました。
また、平和祈念資料館を見学して、戦時中に多くの無関係な人々が、戦争に巻き込まれ、米兵に見つかれば殺されてしまうと感じ、捕まるくらいなら死んだほうがマシだと集団自殺を考えてしまうほど悲惨な状況であった。そのような中で看護をしている女学生達は毎日、負傷兵の手術に追われ麻酔なしでの手術で骨を鋸で切断していたと知り、とても胸が痛くなりました。戦争をしても何も生まれなく、家族も友達も自然も何もかも失ってしまうと感じる中で、私は戦争の重みを受け止め平和な暮らしを守ることを第一に考えていくことが大切だと思いました。そのためには米軍基地の撤去はどうしても必要であり、平和行進への意気込みが強くなっていきました。
行進の初日はわからない事が多く、不安な気持ちでスタートしましたが、行進経験者の仲間や沖縄の方々の応援等に助けられ無事に三日間の行進をすることができました。特に印象に残っているのは全港湾の仲間の熱いシュプレヒコールと沖縄の人達が手を振ってくれたり、『頑張って』と声をかけてくれたりしたことです。
最後に、これまでの自分これからの自分について考えました。沖縄の基地問題・戦争という悲惨な歴史を繰り返さないことや本土と沖縄の人たちとの温度差があるということは事実であり、沖縄で感じた事や学んだ事などを沖縄の人達の気持ちをできるだけ沢山の人に伝えていかなければいけないと思いました。そして一日でも早く基地問題が解決し、綺麗な海と自然がいつまでも守られ、県民の方々が静かな沖縄で暮らせる事を願います。

 

四国地方松山支部 宮内 渉

 

5月16日から20日までの5日間、沖縄平和行進に初めて参加しました。不安や緊張がある中でも、精一杯活動に取り組みたいと思い出発しました。

初日は移動や全国団結式、三単産団結式、平和学習会がありました。全国団結式は県立武道館アリーナで行われ、平和行進に参加する人達が集結、予想以上の人数と熱気の中、皆が一致団結できる全国団結式となりました。三単産団結式では、一人ずつ自己紹介を含め平和行進の意気込みを発表し合いました。一人一人がしっかりと自分の考えを持ち、その意気込み聞くことによって自分も頑張ろうと思えました。平和学習会では、講師に沖縄タイムス編集員の阿部岳さんに来ていただきました。学習会では沖縄の現状や歴史、沖縄戦の悲惨さ、そして今沖縄が抱える様々な問題を再確認することができました。

二日目は行進初日となり、県民広場で出陣式終了後、距離も長く歩けるか心配もありましたが、戦争中にどの様な気持ちで沖縄の人々が逃げていったのか、一歩一歩感じて行こうと思いスタートしました。行進の途中、右翼団体による妨害がありとても攻撃的で正直怖かったです。緊張して言葉はかんでしまいましたが、精一杯の声を出しシュプレヒコールをしました。真剣に取り組んでいるとあっという間に、ひめゆりの塔についていました。

しっかり歩きとてもしんどかったですが、戦時中降りそそぐ砲弾、迫りくる米兵、食料や飲み水も満足にとれず常に死と隣り合わせの中、逃げなければならなかった人達のことを思えばしんどいとも思えなくなりました。

行進二日目は記念公園を出発して、南風原町役場を目指しての行進でしたが雨予報の中、天気は晴天でとても暑かったです。歩くのに必死で余裕はなく、周りの風景を見ることで今の沖縄を知りたいと思っていましたがとても残念でした。平和行進二日目も無事に怪我無く、だれも欠けることなく終えられて良かったです。

行進最終日は宜野湾市役所を出発し、南ウイングコースを歩き海浜公園を目指しました。最終日という事もあり、行進団にも力が入りシュプレヒコールの声も大きく一致団結できていると感じる瞬間でした。沢山の人達の思いが一つになり、平和行進をできたことは非常に意味ある行動だと学ぶことができました。海浜公園到着後、県民大会がありました。県民大会では平和、人権、環境について考えることができとても良い経験となりました。

平和行進最終日の夜は、三単産夕食懇親会がありました。三日間、共に歩き一致団結して一つの行動を無事に終わらせる事ができた仲間達との懇親会はとても楽しく有意義な時間でした。平和行進の感想を発表する時間があり、一人一人が学んだことや感じたことを聞けて良かったです。

平和行進を終えて感じたことや学んだことは沢山ありますが、沖縄の現状や歴史、自分自身勉強不足でわからないこともあります。これからもしっかり勉強して、今後の組合活動に活かしていきたいと思います。参加された皆さん、本当にありがとうございました。

 

 

四国地方新居浜支部 松田聖貴

 

私は、今回、五月十六日から十九日までの五日間、平和行進に参加させて頂きました。そこで、私は、聞くだけでは分からない沖縄の現状を目の当たりにしました。
一日目、私達は、平和行進全国結団式に参加させて頂きました。これから行われる平和行進に向けて、参加者の方々の行進に対する熱い思いを受け、自分自身も頑張ろうと硬く決意しました。
次の日から、平和行進が始まりました。三日間で合計で約42㎞ほどの道程を歩かせて頂き、道中では、シュプレヒコールをさせて頂きました。熱い思いを声に乗せて、シュプレヒコールを行いました。
一日目の行進後には、ひめゆり平和祈念資料館の見学をさせて頂きました。そこでは、沖縄戦での悲惨な爪痕を証言映像という形でしたが、戦時中の実際の様子を聞き、見ることが出来、私は、もうこのような戦争を起こさないよう、活動していかなければならないと、強く思いました。
私は、この平和行進で平和の尊さ、この平和を守っていくために何をしていくべきか深く考えさせて頂きました。この経験をこれからの活動に生かし、頑張っていこうと思います。

 

九州地方関門支部 宮前尚命

 

今回、初めて沖縄平和行進に参加させて頂きました。初日、県立武道館アリーナにて全国結団式を行ない、ホテルに戻って三単産結団式、平和学習会をしました。今までは、戦争のこと、沖縄の歴史、基地問題など客観的な感覚でした。しかし、結団式での高良鉄美さんの話、平和学習会での阿部岳さんの話を聞いて戦争は悲しみしか生まないと初めて心から思えました。そのために自分たちが沖縄県に来て平和行進をやるこ事の意味を知りました。

行進初日は曇りで風もあり歩きやすい天候でした。沖縄県庁からスタートし、ひめゆりの塔へ行進。私は普段運動不足おせいか足腰が痛くなり、めげそうになりましたが皆の熱い気持ちや地元の温かな応援のおかげでなんとか完歩することができました。

2日目は、平和祈念公園から南風原町役場までの行進でした。沖縄は梅雨入りしたにもかかわらず晴天になりました。沖縄の日差しと暑さはものすごいものでしたが体が行進になれたのか初日より楽に行進できました。

3日目は宜野湾市役所から宜野湾海浜公園までの行進、そして県民大会でした。3日目の行進は午前中だけでしたがシュプレヒコールのも力が入り参加者全員が一体となって平和を訴えました。

4日間を通して、沖縄の歴史、沖縄が抱えている問題を知り感じることができました。このことを身内や地元の仲間、次の世代の人達に伝えていかなければならないと思いました。また全国の組合員と交流を深めることができ、とてもいい4日間をすごすことができました。ありがとうございました。

 

 

九州地方関門支部 宮里 勉

 

5月16日から20日までの日程で、第42回5・15沖縄平和行進に参加してきました。初日は、県立武道館アリーナで全国結団式が行われ、各代表の方々から挨拶をいいただき、最後に平和運動センターの山城博治議長のガンバロー三唱で4日間の平和行進が始まりました。終了後、ホテルで三単産・結団式が行われ、平和学習会では講師の阿部岳さん(沖縄タイムス記者)に沖縄の現状について学び、初日は終了しました。

行進1日目は、南部・戦跡コースに参加し、県庁前の県民ひろばからひめゆりの塔まで約19kmを歩きました。このコースには、戦時中日本軍が本島南部に後退する時に通った場所がありました。そこでは、南部へ逃れようとする住民と撤退する部隊が混在し、米軍の標的になり、無差別な攻撃で多くの住民が命を奪われ犠牲になったそうです。沖縄戦による死者は約20万人と言われています。ひめゆりの塔では、平和祈念資料館を見学しました。そこには看護要員として動員された学徒隊が突然の解散命令で戦場に放り出され沢山の方が亡くなった事が記されていました。館内には沢山の遺影が掛けられており、戦時中の悲惨さを改めて思い知らされました。

行進2日目は、平和祈念公園から南風原町役場まで約17kmを歩きました。道中には所々に戦争で受けた痕跡があり、戦闘の凄まじさを感じました。いつどこから銃弾や砲弾が飛んでくるか分からない中、飢えや怪我で苦しんでいる人がこの地に多勢いた、その状況を思うとやるせない気持ちになりました。

行進最終日は、普天間基地包囲南ウィングコースを宜野湾市役所から宜野湾海浜公園まで約9kmを歩きました。ゴール地では「平和とくらしを守る県民大会」が開催され約2000人が集まり、参加者全員のガンバロー三唱で4日間の平和行進は終了しました。

沖縄では、復帰して47年経った現在も様々な問題を抱えています。基地の建設、基地による騒音、事故、米兵による凶悪犯罪など、沖縄に米軍基地がある限りこの問題に解決はありません。1日でも早く平和な島沖縄を取り戻す為にこれからも県民と全国の仲間が一丸となって闘い続けなければならないと思いました。

 

 

九州地方関門支部 戸田政茂

 

5/16九州支部の方々と本土復帰47年5・15沖縄平和行進のため沖縄県へ行きました。沖縄県は梅雨入りし小雨の中移動し、全国から集まった仲間達と5・15沖縄平和行進のための結団式を行い、団結頑張ろうで締めホテルにて三単産・結団式をし、平和学習会では講師『阿部 岳』さんが、沖縄の現状について説明してくださり、沖縄の地がどれだけ危険で迷惑しているなど勉強になりました。平和行進初日は沖縄県庁前に集まりレンジャーとして参加し、ひめゆりの塔まで当時歩いたとされている道のりを歩きました。途中右翼に激しく邪魔され止まったりしましたがシュプレヒコールを上げて負けることなく一歩一歩沖縄の地を歩きました。歩いていると高齢者の方々や親子連れの人達から励ましや感謝言葉をもらいました。

二日目は平和祈念公園から南風原町役場まで、終わってからは沖縄地本でバーベキューをして全国の仲間と交流を深めました。準備等をしてくださった沖縄支部の皆様には感謝しています。ありがとうございました。

最終日は晴天の中、地元では味わえないような沖縄の暑さに驚愕し、宜野湾市から海浜公園、基地の周りを歩きました。午後からは海浜公園野外ステージにて県民大会がありガンバロー三唱で沖縄平和行進が終了しました。

この歩いた三日間、平和行進で各所を歩き当時の事や現状を思うと胸が痛くなり、これからの子供達に戦争を体験させてはいけない。危険な基地の撤退。沖縄本土の平和を願う気持ちが一層強くなりました。今回、戦闘機など飛んでいる所は確認できなかったがオスプレイ事故、新基地建設、騒音被害などで恐怖や不安の中で生活している沖縄の人を思うと1日でも早く現状を変えて、平和な沖縄を目指し平和行進をしなくていい日が来るように団結して頑張ってもらいたいです。

今回沖縄平和行進に参加し貴重な体験ができ、これからの沖縄のために少し貢献できたのかなと思いました。これから多くの事に積極的に参加し勉強し伝えていこうと思います。そして今回参加された方お疲れ様でした。ありがとうございました。

 

 

九州地方博多支部 園田大輔

 

1日目那覇空港に到着した時に戦闘機が配備されていてこれが沖縄なんだなと改めて感じました。ホテルチェックイン後すぐに徒歩で全国結団式の会場県立武道館アリーナへ移動、移動中にも自衛隊の車両と数台すれ違いました。全国結団式には様々な団体総勢500人が参加しており、平和運動センターの山城議長が「一致団結して平和を守る戦争の道は許さないという声を上げていきましょう。」と挨拶されていました。全国結団式終了後三単産結団式、平和学習会を行いました。学習会では沖縄タイムスの阿部岳記者から講話があり、辺野古新基地問題、高江ヘリパッド建設問題、オスプレイ墜落問題について話をしていただきました。中でも印象に残った話が米軍のヘリコプターの窓枠が宜野湾市立普天間第二小学校に落下し男児1人が落下物の影響で飛んだ石が手に当たり怪我を負うという事件でした。その後も保育園に米軍機の部品が落下する事件もおきているにも関わらず政府が取った行動は同小学校にシェルターを設置するというものでした。避難回数は年間600回を越えており、一日約三回から四回避難しているそうです。その話を聞いて今回の平和行進の大切さを感じました。

平和行進1日目 行進は中北部、基地コース、南部戦跡コースに分かれ私達三単産は南部戦跡コースを行進しました。出発式を県民広場で行い~泉崎交差点~R58~軍港前~自衛隊基地前~高良あおぞら公園~R33豊見城バイパス~豊崎~沖水高前~川尻橋~R331~糸満ロータリー~真栄里入口~真壁~伊原~ひめゆりの塔まで行進しました。ひめゆりの塔到着後ひめゆり平和祈念資料館を見学しました。施設の中には当時の資料や身に付けていた所持品などが展示されており見学する中で沖縄地上戦終盤は若い女の子ですら機関銃や手榴弾などの使い方を訓練し当時の教育の天皇のためお国のためという教えに何も疑問を抱かず当たり前に受け入れられていたという今の時代では信じられない話に言葉が出ませんでした。またこういう時代を繰り返さないためにも今を生きる人もたくさんの事を勉強し学んでいかないといけないと強く感じました。

行進2日目 平和記念公園平和の火を出発しR331~具志頭交差点~南の駅やえせ~向陽高校前~奥武入口~県道48号線~稲峰交差点~県道77号線~大里農村改善センター~仲間入口~喜屋武交差点~南風原陸軍病院壕前~南風原町役場まで行進しました。行進中は初日より沿道、民家から手を振ってくれる方、ありがとうと言ってくれる方も多く、3日間の行進を通して思った事は長時間の道路封鎖や交互通行などにもほとんどの方が文句も言わずに応援してもらってとても意味のある行進なんだなと感じました。行進終了後は沖縄地本にてBBQ交流会に参加し沖縄支部の青年部の方たちとも交流しました。

行進最終日 最終日は2コース合同で出発式をして宜野湾市役所を出発し南コースは長田交差点~沖国大前~真栄原GATE~真栄原交番前~上大謝名~森川公園~宜野湾海浜公園まで行進しました。最終日はレンジャーをさせてもらい、行進の誘導、交差点の封鎖しました。最終日ということもあり右翼団体の妨害も激しかったです。宜野湾海浜公園到着後野外劇場にて「平和とくらしを守る県民大会」が行われ北コース、南コース合わせて1000人を超える方が参加しました。3日間の行進を悪天候にも右翼団体の妨害にも負けずシュプレヒコールをしながら一致団結し歩ききることができました。普段テレビでしか見ることの無い現実を間近で感じて団体で何かを訴える力強さを実感しました。各地方の方とも親交を深めることができ、仕事や組合活動の話など多くのことを学ぶことができました。中々体験できないことを目で見て、耳で聞いて、肌で感じてとてもいい経験になった5日間でした。この経験をこれから先に活かせるように頑張りたいと思います。

 

 

九州地方博多支部 武田巧也

 

5月17日から5月19日にかけて「第42回5・15平和行進」が行われ、博多支部から2名参加しました。72年5月15日に沖縄が本土に復帰して47年が経過し、78年から毎年5月15日前後に平和行進が行われ、今回が42回目となりました。

1日目はホテルチェックイン後、県立武道館アリーナへ移動し全国結団式が行われ全国から多くの団体が参加しており平和行進の規模の大きさに驚きました。全国結団式では平和運動センターの山城議長を始め海外からの参加者の方からの挨拶があり全国結団式終了後、三単産結団式が行われ2日目から始まる平和行進に向け団結を深めることが出来ました。

その後、沖縄タイムス編集員の阿部さんを講師に向かえ平和学習会をしました。学習会では記者の人にしか体験できないような講和を聞くことが出来、機動隊が一般の人にきつい言葉を言ったり、米軍が事故を隠蔽したりなどの話を聞き私達が新聞を見ても分からないリアルな現実を知ることが出来ました。また、小学校に米軍ヘリの窓枠が落下、その後も保育園に米軍機の部品が落下という事件を受け政府はシェルターを設置するだけという杜撰な対応は許されるものでなく平和行進を通し「基地撤去、新基地建設反対」と強く発言していこうと思いました。

行進1日目は県民広場で出発式を行い泉崎交差点~R58~軍港前~自衛隊基地前~高良あおぞら公園~R33豊見城バイパス~豊崎~沖水高前~川尻橋~R331~糸満ロータリー~真栄里入口~白梅の塔~真壁~伊原~ひめゆりの塔までの約19kmを「命どう宝」、命こそ宝という意味の言葉をスローガンに掲げ行進し、途中、行進の最前列を歩きながらシュプレヒコールをさせてもらい行進の一体感を感じながら1日目を完歩しました。ひめゆりの塔に到着し、ひめゆり資料館を見学。資料館ではガマと呼ばれる洞窟のレプリカが展示されていて、この中で約140人の人が避難していたと書いてありました。ガマの中は暗く声を出すと米軍に見つかってしまうという恐怖に怯えながら避難していたそうです。他にも戦争を経験した人の話が冊子で残されていて当時の恐ろしい体験を読ませてもらい、二度と同じことを繰り返してはいけないと改めて感じました。

行進2日目は平和祈念公園~R331~具志頭交差点~南の駅やえせ~向陽高校前~奥武入口~県道48号線~稲嶺交差点~県道77号線~大里農村改善センター~仲間入口~喜屋武交差点~南風原陸軍病院壕前~南風原町役場までの約15kmを行進しました。2日目はレンジャーをさせてもらい、行進の安全と一般車両の交通整理をして1日目では分からなかったレンジャーの大切さを感じ、責任感のある役割を体験できました。行進終了後、沖縄地本にてバーべキュー交流会をし沖縄地方の青年部の方々と交流を深めることができました。

行進3日目は宜野湾市役所から宜野湾市海浜公園を北ウイング、南ウイングと二手に分かれ私は南ウイングを約7km行進しました。南ウイングは宜野湾市役所~長田交差点~沖国大前~真栄原GATE~真栄原交番前~上大謝名~森川公園~宜野湾市海浜公園を目指すコースで道中、一般の方からの「がんばれ!」「ありがとう!」など声援や拍手をたくさんの方から頂き基地のない平和な沖縄を作りたい気持ちや辺野古新基地建設をを止めたい気持ちが強く伝わりました。その後、「5・15平和とくらしを守る県民大会」が宜野湾海浜公園屋外劇場にて行われました。大会参加者は1000人を超え平和運動センター幹事、大城由美子さんから基地建設の現状を聞き「辺野古新基地建設NO」という沖縄の圧倒的な民意を無視し絶滅危惧種のジュゴンや豊富なサンゴ群落などの生物多様性の美ら海を埋め立てることは観光立県沖縄の未来を崩壊させる暴挙であると感じました。

この3日間を通したくさんの妨害や罵声を受けましたが、参加者全員が毅然とした態度で行進を行い、また、各休憩場でお茶や塩アメ、休憩のための敷地を提供してくれた多くの方々の協力があり3日間無事に完歩することが出来ました。最後に、私はこの平和行進をいずれやめなければいけないと思います。なぜなら、世界的に平和を実現できればこの平和行進を行う必要がなくなると思うからです。しかし、これにはとても時間がかかるはずです。ですから職場の人や家族、友人などに今回体験した貴重な体験、平和の大切さ、戦争の愚かさを伝えていくことが私に出来る平和活動であることと信じ今後5・15沖縄平和行進に参加できる機会があれば、是非参加していきたいです。

 

 

九州地方長崎県支部  桑原将太

 

2019年5月16日〜5月20日私は、今回初めて5.15沖縄平和行進に長崎県支部として参加し、南部〜戦跡コースを三日間、シュプレヒコールを掲げ行進しました。平和行進前日には、平和学習会が行われ、沖縄の米軍基地問題、嘉手納基地、普天間基地、辺野古新基地建設問題と、様々な問題を抱えているという沖縄の現状を知ることができました。その後は、三単産の結団式を行いました。

行進1日目は、ひめゆりの塔を目指し県民ひろばから行進しました。今回歩いた南部〜戦跡コースは、沖縄本土戦の中でも激戦地で当時の沖縄の人々が逃げ歩いた土地で、山道を歩いてる山の中にまだ戦時中に亡くなられた方が埋まっているかも知れないと聞き、ものすごく心が痛みました。1日目のゴールであるひめゆりの塔では、ひめゆり平和祈念資料館を見学し、子供達がひめゆり学徒隊として、戦争に参加させられていた事知りし衝撃を受けました。

行進2日目は、平和祈念公園で出発式を行いスタートし、南風原町役場までシュプレヒコールをあげながら行進しているとお年寄りや、子供達から手を振ってくれたりしてくて、疲れていても頑張らなければという気持ちになりました。夜は、沖縄地本にて青年部・BBQ交流会があり、他の支部の方達ととてもいい交流ができました。

行進3日目は、宜野湾市役所で出発式を行い普天間基地を取り込むように南ウイングと北ウイングコースで分かれて行進しました。最終目的地である宜野湾海浜公園では、県民大会に参加し大勢の方達との団結ガンバローは、凄かったです。

3日間の行進で、右翼の妨害もありましたが、みんなが全力を出しきれたのも、コース各所に給水所を設置してくださった地元自治体の皆さんのおかげで無事に完歩できたと思います。それと、全国の仲間と目標に向かって行動することの、素晴らしさを学びました。今回、初めて平和行進に参加し不安がありましたが、仲間達と励ましながら完歩する事ができ、そして、この平和行進をやり遂げた全港湾の仲間との絆をこれからも大切にしたいと思いました。最後に、沖縄と同様に私が住んでいる佐世保にも米軍基地があります。このような問題を解決するために、行動し声を上げていかなければならないと強く思いました。今後このような活動や運動には、積極的に参加し、周りに伝えて行こうと思います。

 

 

九州地方長崎県支部 馬場祐一郎

 

5月17日から19日にかけて第31回5.15平和行進が行われました。72年5月15日に沖縄が本土復帰して47年が経過し今回が42回目。今年は、中北部・基地コースと南部・戦跡コースの2コースに分かれて行進しました。三単産、全港湾・全国一般全国協・全日建連帯の団としての参加で自分は南部・戦跡コースを行進しました。南部・戦跡コースの出発式は那覇市の県民広場で開かれ、沖縄平和運動センターの比嘉京子副議長が「戦争でもって平和が訪れることはない。沖縄の現状を皆さんと一緒に考えていけたら」とあいさつ。その出発前日の飲み会の時にレンジャーにならないか、と誘われ何もわからなかったがこれも経験あるのみと思いレンジャーへ。レンジャーの仕事内容的には行進団の保護と交通整理が主にと聞いてそこまできつくないだろうと思っていました。しかしいざやってみると歩き走り歩き走りの連続に加え右翼との激しい戦闘が・・・。少し甘く見過ぎた所もあったかと思えました。

行進初日、雨予報だったものの天候にも恵まれ暑い陽射しの中、沖縄県庁からスタートし、ひめゆりの塔へと行進を始めました。慣れない日差しや暑さに負けそうになりましたが、皆の熱い気持ちや地元の温かな応援のおかげで自分の気持ちを奮い立たせて完歩することが出来ました。

2日目は、右の方の反対運動もなく平和の火から南風原町役場までのゴールを目指しました。平和の火の前で出発式を始める前に、国籍や軍人、民間人を問わず沖縄戦で亡くなった約24万人の方に黙祷をし、戦争をしてはいけないと心に誓いました。

シュプレヒコールも体験でき声は枯れませんでしたが大声で訴えられたかなと思います。

平和行進最終日はレンジャーをしながらのシュプレヒコールを行いました。本当に暑い中でしたが、みんなで一生懸命声を出し、最後まで頑張ることが出来たと思います。最終ゴール地点に着いたときは、今までの活動の中で一番の達成感を味わうことが出来ました。

今回の活動を経験し他にも様々な活動に参加したいと思いました。とても貴重な経験が出来、又、良い勉強となった事で今後の自分のためになりました。本当にありがとうございました。また機会があれば是非参加したいと思います。

 

 

九州地方苅田支部 久冨神聖

 

この度、第42回 5.15 平和行進に初めて参加させてもらいました。初めての参加だったので不安と緊張でいっぱいでしたが各支部の方々に支えて頂きました。
行進初日では梅雨入り予報が嘘のように雨が降ることなく天候にも恵まれ、県民ひろばで出発式を終え、ひめゆりの塔に向けてスタートしました。なれない暑さの中約19キロの道のりを歩く中何度も心が折れそうになりましたが、皆さんと共に大きな声でシュプレヒコールをする中、地元の方々の「頑張って」や「ありがとう」など、温かな声援や拍手を頂き事で折れそうな心が復活し完歩することができました。ひめゆりの塔に着くと少しの時間ですがひめゆり平和祈念資料館を見学することができました。中に入って資料を見るたびに鳥肌が立ったのを覚えています。240名のひめゆり学徒隊は約3カ月間で136名もが犠牲になり、この犠牲者の中には、突然の解散命令で取り残されて逃げる事も出来ずに亡くなった人や負傷した友達を助けるために逃げ遅れて亡くなった人や自決した人も多くいたのをしり、この様な惨劇を二度と繰り返さないよう強い気持ちで行進したいと思い初日が無事に終えることができました。
行進二日目ではホテルからバスで移動をし、平和祈念公園から南風原町役場を目指しスタートしました。初日に感じた事を活かし大きな声で行進することができました。
夜には、沖縄地本の方々とバーベキューをし、最終日に向けて親睦を深め2日目を終えました。
行進最終日では出発後すぐにシュプレヒコールをかけさせてもらいました。噛んでしまったとこもありますが大きな声でかける事が出来ました。これも、色々な方々の話を聞く中で自分の反戦の気持ちが強くなったからだと思いました。そして宜野湾海浜公園屋外劇場につき「平和とくらしを守る県民大会」が開催され無事に終了しました。今回参加させてもらい感じた平和の思いや、戦争の悲惨さを多くの人に伝えて行きたいです。最後になりますが沖縄地本の皆さん受け入れ、準備等ありがとうございました。

 

 

東北地方ひたち支部青年女性部 花枝寛朗

 

私は今回、初めて沖縄平和行進に参加させていただきました。沖縄に向かう途中、現地はどのような状況なのか、全国の方々とうまく会話ができるかなど不安を感じながら向かいました。現地入りすると、全国結団式を行いました。自分の予想をはるかに超えた人数が集結し驚きを感じたとともに、精一杯この活動に取り組みたいと感じました。 その後は、ホテルで三単産結団式・平和学習会がありました。

学習会では、沖縄の抱える問題・現状など様々なお話をいただきました。そのお話の中で、基地があることにより昼夜問わずヘリや戦闘機が上空を飛び、その部品などが小学校に落ちてくることもあると聞きました。自分では想像もしたこともない日常です。基地があることで毎日不安を抱えて生活をしている方々がいることに心が痛くなりました。

行進は、南部・戦地後コースを行進しました。初日は、県民広場からひめゆりの塔までの19キロの行進でした。気温が高い中の行進でしたが、みんなでシュプレヒコールをあげながら行進をしました。自分もシュプレヒコールをさせていただき、緊張しつつも大きな声でゴールできたと思います。行進していると、多くの方々が手を振ってくれたり、「暑いけど頑張って!」と声をかけてくれたりして下さる方がいました。長距離の行進に正直きついと思っていた自分がいましたが、このような温かい心を持った方々の為にも頑張らなくてはいけないと気持ちを強く持つことができました。行進を続けていくとガマがあり、戦争の爪痕を見て感じました。ガマの中で恐怖心を持ち、身を隠し生活をしていた当時のことを考えると、今の平和な生活にありがたみが込み上げてきました。ひめゆりの塔では、当時の遺品や写真、記録があり戦争の実態、犠牲者の悲しみ・叫びが自分の胸の中に深く刻み込まれました。

2日目は、平和記念公園から南風原町役場への道のりでした。平和記念公園の平和の礎には、国籍や軍人、民間人の区別なく沖縄戦の戦没者の氏名が刻銘されており、沖縄の歴史の中で培われた平和の尊さを感じました。コースは、登り坂が多く大変な道のりでしたが他の支部の方たちとの会話や旗の持ち合いをし、良い雰囲気で行進しきることができ、団結感が増したと感じました。この日の夜はバーベキューが行われ、みんなとのコミュニケーションをとることができ、とても楽しく過ごせました。料理を振舞ってくださった沖縄地本の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。

平和行進最終日もシュプレヒコールをしながらの行進でした。3日目ということもあり、緊張もほぐれ良い雰囲気の中、行進をすることができました。途中右翼による妨害もありましたが、妨害に屈さない大きな声でのシュプレヒコールをしながらなんとかゴールすることができました。安ど感もありましたが、それ以上の達成感を味わうことができました。自分たちが貫徹することができたのは、応援の声、給水して下さった各支部の多くの方々の支えがあったからです。自分たちの取り組みに手を差し伸べてくださった人たちへの感謝の気持ちを忘れず持っていたいと思います。

実際に沖縄平和行進に参加し、米軍基地の存在に反対な方もいれば、賛成な方もいて様々な意見を目で見て肌で感じました。この問題は、双方の意見を尊重しあい力ではなく、何らかの方法を見つけ解決しなければならない問題だと思います。そして、二度と同じ過ちを繰り返してはいけないと強く感じました。

今回、沖縄で暮らす方々の声、全国の仲間の声を聞き、たくさん得られるものがありました。全国の仲間と交流・団結できたことや沖縄の現状を直接体感でき、とてもK長で追い経験ができました。今後戦争の教訓を忘れず平和なことを当たり前だと思わず生活していく必要があると感じました。

 

東北地方ひたち支部青年女性部 栗原拓哉

 

沖縄平和行進は初参加なので期待と不安の中で当日を迎えました。初日の平和学習会で沖縄タイムス記者の阿部氏より沖縄の現状報告を聞く機会がありました。そこで辺野古新基地建設に対する県民投票の結果、賛成19%、反対72%、どちらでもないが9%と約7割の方が反対という話を聞き、しっかりと活動しなくてはならないと思いました。平和行進がスタートし、初日から長距離を歩き大変ではありましたが、沿道からたくさんの方の声援をいただき、最後まで元気に更新することが出来ました。

しかし、自分たちと同じ世代の人達からの応援の声は少ないと感じました。そこには家庭の事情等たくさんの理由があり、声をあげられない人たちもいると思います。しかし、この問題に関して無関心な人も数多くいると思います。これは、地元茨城で行っているJCO臨界事故集会に参加したときにも同様な感想を持ったことを覚えているからです。自分を含めてですが、もっと自分の地域で起こっていることにアンテナを張って、自分の思いや考えを伝えたり、周りの人と意見交換したりするような、アクションを起こしていかなければいけないと感じました。

沖縄県民、日本国民が納得できる結果を勝ち取り、沖縄平和行進を良き思い出として語れる日が一日でも早く訪れる日を心から祈っています。それまで私も共に闘っていきたいと思います。

 

 

東北地方ひたち支部青年女性部 進藤光夫

 

今回が初めての沖縄平和行進参加となり、正直不安もありましたが、初日の結団式で地元の方々から沖縄の現状や問題のお話を聞いているうちに、不安が消えて平和行進へのやる気がどんどん満ち溢れてきました。ホテルに戻ってからの平和学習会では沖縄の現状や基地の歴史、新基地建設問題などを詳しく知ることが出来ました。

平和行進初日はレンジャーをやらせていただき、妨害もすごかったですが、みんなでひるむことなく行進することが出来、団結の力は本当にすごいなと思いました。そして、沖縄県庁前の県民広場からひめゆりの塔まで約19㎞の道のりを更新し、無事レンジャーの役目を果たすことが出来ました。ひめゆり資料館では、戦争によって亡くなった方々の写真などがあり、本当に胸が苦しくなりました。もう絶対に戦争など起きてはならないと強く思いました。平和行進2日目は平和祈念公園から南風原町役場まで焼く15㎞の道のりを行進しました。行進中は現地の方々が手を振りながら「頑張れ!」と励ましてくださり、小さい子供たちからも「バイバイ、頑張ってね」と言葉を掛けられ、一日でも早く平和な沖縄になってほしいと心から願いました。平和行進最終日は米軍の普天間基地を囲むようなコースを約8㎞行進し、最終日だけあって、行進もより一丸となって行進しているのを感じました。そして、ゴールである宜野湾市海浜公園に到着した時の達成感は一生忘れられない経験になりました。その後の県民大会で現地の方からの日本政府への思いや訴えを改めて聞いて、これからの沖縄、そして日本を危険のない平和な国になっていくよう活動していきたいと思いました。今回、貴重な経験をさせていただき、本当にありがとうございました。この経験を若い人たちにもしっかりと伝えていきたいと思います。

 

 

東北地方塩竈支部塩竈分会 清野泰広

 

16日から20日までの5日間で行われた、沖縄平和行進に参加しました。16日、15時から県立武道館アリーナで、全国結団式をしました。そこでは、平和行進をやろうと思ったきっかけや、行進するにあたっての団長の注意事項などを確認しました。17時からは、全港湾、全日建、全国一般の団体で結団式を行い、その後平和学習会に参加し、沖縄の歴史について学ぶことができました。

17日、9時から県民広場で出発式をやりました。多くの人が行進に参加し沖縄を変えようという思いを強く感じました。初日はひめゆりの塔に到着した後、ひめゆり資料館を見学し、ひめゆり学徒が戦時中どんな思いをしていたのかを学び、また戦争の傷痕があり心が痛くなりました。

18日、9時から平和祈念公園で出発式を行いましたが初日より参加者が多くいました。この日の懇親会は、沖縄地方青年部がBBQを準備していただき、各地方、青年部の仲がより一層深まったと感じました。

19日、最終日は9時から宜野湾市役所で出発式をやりました。最終日は沖縄で学んだことや沖縄の方の気持ちを聞いたからこそ、シュプレヒコールも大声で訴えることが出来ました。目的地である海浜公園に到着後は県民大会に参加しました。沖縄の市長や、議員、団長の話を聞き、反戦平和や基地問題について改めて考えていきたいと思いました。

今回私は、初めて沖縄平和行進に参加しました。本当に貴重な体験をさせて頂きました。この体験した経験を生かし、自分の地方でも広め未来をより良くしていきたいと強く思います。

 

 

東北地方塩竈支部塩竈分会 木村拓哉

 

今回、初めて沖縄平和行進に参加させていただきました。正直、自分の中で理解できていない部分もあったので、事前に勉強会を開いていただいてから参加しました。教わった事を踏まえて現地に行き、たくさん思う事がありました。

全港湾は、実際に戦場であった南部コースを行進しました。何の罪もない人々が次々と死をつげている場であり、実際に平和祈念公園で20万人余りの人の名前が刻んであり、心が痛くなりました。行進中には、元気に手を振って応援してくれる子供達、年配の方を目にして絶対に戦争を阻止しなければいけないと思いました。

3日目に、普天間基地の周りを行進しました。沖縄の約10%を占める米軍基地、街づくりなどの地域開発にも大きな障害になっていると聞きました。航空機の騒音、ヘリコプターの墜落、米軍による少女暴行など、大きな不安を抱えて生活している県民の為にも早く撤去しなければいけないと思いました。基地従業員の人件費、光熱水料、基地の建設費を日本が負担している事も、全く理解できませんでした。

辺野古の新基地建設に関しても、ジュゴンが住む美ら海、サンゴを失っては、いけない  ただ県民の不安が多くなるだけなので絶対にダメだと思いました。その他にも、たくさんの問題がありますが、沖縄の問題でなく、日本の問題として国民一人一人が考えていかなければいけないと思いました。行進をしていて応援してくれる人もいれば、興味もなさそうに見ている人もいて残念だなと思う部分もありました。

生きたくても戦場で失われた数多くの尊い命を忘れず、平和な未来を作る為にも、実際に見た沖縄の現状、感じた事を、支部の仲間、身近な人、友人など多くの人に伝えて一日でも早く沖縄、日本の平和の力になれる様活動していきたいと思いました。

 

 

東北地方酒田支部 後藤真太郎

 

5月16日〜19日、5.15沖縄平和行進に参加させていただきました。今回初めての参加でしたが、基地問題や戦時中の事を事前に調べて平和行進に望みました。

16日は全国結団式とホテルで三単産結団式と学習会がありました。沖縄は現在も日本の法律が通用しないという話を聞き憤りと何とかしたいという気持ちになりました。

17日県民広場で出発式をし、自分達は南部·戦跡コースを回る事となりました。県民広場からひめゆりの塔までの行進でした。ひめゆり資料館では戦争の悲惨さを強く感じました。

18日平和行進2日目は、祈念公園から南風町役場まで行進しました。住宅地を通って行きましたが、通っている所は全て戦争の傷跡が残っていて、まだ不発弾もあるということで自分達がこうして行進する事で何か変わっていけばいいと思いました。

19日行進最終日、3日間集大成として全体が普天間基地を囲うように歩く事となりました。妨害もありましたが、皆が声を出し全力を出し無事にゴールする事が出来ました。

今回、沖縄平和行進に初めて参加して、自分が今まで聞いていた話と現地で聞く話とは違いがあり、戦争の残酷さなどを子供たちにそんな思いをさせてはいけない。日本を戦争が出来るようにしてはいけないという事を強く思いました。沖縄の綺麗な自然を破壊する基地建設、昼夜問わず飛び交う米軍ヘリ、そして住民が安心して生活出来ない米軍基地は沖縄だけの問題ではなく日本の問題だと感じました。沖縄での活動を通して政府に訴え、そして自分が地元に持ち帰りみんなに訴えることが大事だと思いました。

 

 

東北地方酒田支部 菅原啓資

 

今回、第46回沖縄平和行進に参加させていただきました。私自身初めての参加でしたので実際に現地での活動をしっかりと経験して来ようと思っていました。ホテルで行われた三単産の学習会では、沖縄タイムズ記者  阿部岳さんを迎えて基地設立での自然破壊やオスプレイの爆音問題などの話を聞きました。

行進初日は日差しも強くなく雨雲はあるも、土砂降りにはならず丁度良い天気で初行進となりました。戦争跡地を行進し、現地の住民の方々から手を振って応援していただいたりもしました。

行進2日目の朝は小雨が降っていましたが昼には快晴となり、強い日差しの中南風原町役場を目指しました。初日の疲れも残っていましたが、現地の方々の応援もありこの日も最後まで行進することができました。

行進3日目は最後の行進を終えた後、県民大会に参加しました。会場では基地問題や自衛隊の増強問題など1日でも早い解決を望む人ばかりでした。

今回初めて平和行進に参加して、自衛隊、オスプレイ、自然破壊、爆音問題など人が住む場所にはあってはならないことだと思いました。1日でも早く問題が解決して平和行進などなくなるような沖縄になってほしいと思いました。

 

 

東北地方小名浜支部 矢内誠也

 

5月16日から20日の5日間5.15沖縄平和行進へ参加しました。私は今回3単産の団長として活動させていただきました。

初日県立武道館アリーナで行われた、全国結団式へ参加し、平和運動センター議長の山城さん、平和フォーラム共同代表の藤本さんをはじめ、現在の沖縄の現状また、行進へ向けての意気込みなどを聞き、気持ちが高まりました。ホテルへ戻り3単産の結団式を行いました。隠れて参加者の自己紹介や意気込みを聞きました。今回はほとんどの方が初めての参加ということだったのですが、全員が強い気持ちを持って行進をしようと思いました。その後平和学習として、新聞記者の方を講師に招いていただき、現状の沖縄や過去の米軍関連の事故、事件の話を聞きました。数年前から参加をさせていただいておりますが、この間にも新たな事故も増え続けていることに怒りを覚えました。

そして行進1日目、県民ひろばからひめゆりの塔までの約17キロの道のりを歩きました。スタートしてから多くの仲間がシュプレヒコールをあげるため街宣車へ来てくれました。早い段階から妨害行為をする車が来ており、例年よりも多く粘り強く着いてきた印象でした。そんな妨害にも負けることなく17キロ歩き抜くことができました。

翌2日目は平和記念公園から南風原町役場までの約12キロ。前日の疲労、またアップダウンの激しいコースのため疲れは見られたものの、強い気持ちで足を進めました。1日目とは違い、妨害行為などはほとんどなく、スムーズに進むことができました。

最終3日目は宜野湾市役所から宜野湾市海浜公園までの約7キロのコースでした。スタート地点には南コースと中北部コースの2コースがそろって、スタートをするためかなりの人数で出発式を行いました。最終日も妨害行為は南コースには少なかったが、中北部コースはとても大変だったと聞きました。4日間を通して、全国各地の仲間とともに活動をし、大きなケガもなく、夜には楽しく島酒を飲み交わせたことを財産とし、今後も頑張っていきたいと思いました。

 

 

東北地方小名浜支部 齋藤正樹

 

本土復帰47周年5.15沖縄平和行進に参加させて頂きました。私は今回が初めての参加で今までに参加してきた仲間達からの色んな体験を聞いて考えさせられてきた中での参加でした。行進前日に行われた5.15全国結団式の講演では平和憲法の意義として基本的人権の重要性や日本の憲法が世界を意識していること、沖縄と憲法の関係性について教わりました。その後、三単産・結団式の平和学習会では復帰47年の沖縄基地現状報告を沖縄タイムス記者の阿部岳さんから教えていただきました。写真や動画を交えての講演はどれも衝撃を受けるものばかりで平和行進への意欲がより一層湧きました。

行進初日、右翼団体の妨害行為が例年よりも激しく数も多く面食らう部分もありましたが前日聞いた沖縄の歴史、現状が頭の中に過ぎり妨害行為に負けないようにシュプレヒコールを上げました。

行進2日目は南部.戦跡コースでレンジャーをさせて頂きました。初めての行進でのレンジャーには不安がありましたが、行進団やほかのレンジャーの皆様の協力のおかげですごく達成感のある行進ができました。

行進3日目は中北部.基地コースと南部.戦跡コースで米軍普天間飛行場を包囲するようなコースで歩き辺野古の新基地建設反対や普天間の返還平和憲法の維持を求めて、戦地の跡を当時の思いを馳せながら完歩する事ができました。その後宜野湾市海浜公園で行われた「平和とくらしを守る県民大会」に参加しました。

今回、沖縄平和行進に参加して、今までに聞いていた話と実際に聞いた話、触れたものとでは誤差があり戦争の辛さや残酷さ命の尊さに触れ、二度と戦争のできる国にしてはいけない、沿道から笑顔で「頑張れ」と笑顔で手を振ってくれた子供達にそんな思いをさせてはならない闘いをしなければいけないと感じました。そして、沖縄の自然を破壊する新基地建設、危険な戦闘機が昼夜飛び交い県民が安心して生活が送れない米軍基地は沖縄.日本にいらないと政府に訴えていかなければならないと強く思いました。この経験を広げていき、次の世代に受け継げるように活動していきたいと思います。

 

 

東北地方小名浜支部 齋藤直道

 

本土復帰47周年5・15沖縄平和行進に参加させて頂きました。今回初参加で、参加した方々から教えて頂いたことを踏まえて、この沖縄の問題が本当に悪いことなのか、いいことなのか自分の目で確かめようと思い参加しました。

5月16日の5・15全国結団式では、現在の沖縄の状況や「沖縄には沖縄の、日本には日本の民主主義がある」これが安倍首相の民主主義の在り方であるとか、基本的人権の重要性、選挙の大事さなどを教わり、全国の仲間で、沖縄を平和にと強い意志を持って結団式が行われました。

全国結団式が終わり三単産での学習会では、「沖縄タイムズ記者  安倍 岳さん」を講師に学習会を行いました。学習会の内容は、戦争当時の沖縄の悲惨さや、現在の沖縄の問題、米軍戦闘機墜落の証拠隠滅、メディアの役割、沖縄問題は本土問題、本土は無責任など、私が考えたことがない内容ばかりで、さまざまな問題があり平和行進を風化させてはならないと意欲がより一層湧きました。

行進初日は南部・戦跡コースで県民ひろばからひめゆりの塔へ約20km行進しました。行進している途中、一般の小さい子や大人の方々が手を振ってくれたり、頑張ってなど声を頂き、命を無駄にする戦争は二度としてはいけないものだと再確認にしました。

行進2日目は、平和祈念公園から南風原町役場まで約17Km行進しました。初日より300人多い約650人で行進し、途中上空をヘリなどが飛び交いこんなものがいつ落ちてくるかもわからない、落ちたらひとたまりもないなど思いながら行進しました。

行進最終日は、宜野湾市役所から宜野湾市海浜公園まで約7Km行進しました。初めてのレンジャーをやらせて頂き、最初はわからないことがあったんですが周りの方々にサポートしてもらい充実したレンジャーを務めさせていただきました。その後、県民集会に参加しました。

今回、沖縄平和行進に参加して、戦争の辛さや戦争で亡くなった多くの命の尊さを改めて感じ、二度と戦争をしてはいけない、国は軍事力を所持してはいけない、子供達にそんな思いをさせてはならない、沖縄の問題を国民に知って欲しい絶対に風化してはいけないと感じました。そして、沖縄の自然を破壊する新基地建設、危険な戦闘機が昼夜飛び交い、県民が安心して生活が送れない米軍基地は、沖縄・日本にはいらないと強く思い、政府に訴えていかなければならないと強く思いました。最後になりましたが受け入れ等、沖縄地本の皆様ありがとうございました。そして行進団との団結が出来た事に感謝致します。この経験を広げていき、地域ごとにも原発問題などさまざまな問題を風化させないように私の周りの方々から伝え受け継げるように活動していきたいと思います。

 

 

東京支部浪速通運分会 山本勝広

 

第42回5.15沖縄平和行進に参加する機会を得ました。右翼の激しい妨害活動にあいながらも、レンジャー隊の活躍も有り最終日に抜けるような青空の元、宜野湾海浜公園に到着することが出来た。全港湾だけを見れば最年長といえる私が三日間の厳しい工程を貫徹出来たのは、若い仲間達の迸るエネルギーと、沿道から我々に手を振ってくれた沖縄県民の笑顔で有ることは他ならない。観光地としての沖縄しか考えたことのない私。今回平和行進に参加し、沖縄の現状を肌に感じ、もっと知りたい、もっと、もっと勉強しなければとそんな気持ちにさせられた。新基地建設反対と唱える一方で、基地と共に発展してきた沖縄、基地建設による自然破壊で、基地が有るが故に地元企業による乱開発が抑制されていると言う識者もいる。知れば知るほど分からなくなる沖縄の問題。右翼のやり方は暴力的で反社会的であるが、本土から来てガタガタ騒ぐな!と言う言葉が、勉強不足のままこの地にやって来た私には多少考えさせられた。また、それを決定づけたのは、最後の夕食時に起きた出来事だった。

平和行進を貫徹し、歓喜の酒を酌み交わす私達に、挨拶に立つ壇上の女性から、この後皆さんは、夜の平和行進だと連日歓楽街に繰り出して行きますが、私は女性の立場で戦後の沖縄を勉強してきました。あまり知られていない事実ですが、戦後沖縄では米軍による沖縄女性陵辱事件が多発しました。それを解決するために政府は安易に、韓国や朝鮮、本土等から慰安婦として多くの女性を連れて来ました。皆さんも労働問題、戦後の沖縄問題を勉強し、考えてくれるならば当然夜の平和行進などとおおっぴらに騒ぎ立てることは慎むべきだと…。正直この一喝に私は頭をガツンと叩かれたような衝撃を受けた。正直自分の活動の意義に迷いも感じた。そんな私に、沖縄本土最北端に立つ、祖国復帰闘争碑の一文が勇気と力、仲間が団結し繰り返し声を上げ続ける意義と必要性を教えてくれた。

「沖縄の祖国復帰は実現した。しかし県民の平和への願いは叶えられず、日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された。しかるが故に、この碑は喜びを表明するためにあるのでもなく、増して勝利を記念するためにあるのでもない。闘いを振り返り、大衆が信じ合い自らの力を確かめ合い、決意を新たにし合うためにこそありと」

 

 

関東地方横浜支部青年部長 寳納雅行

 

沖縄が本土復帰して47年第42回「5・15平和行進」が今年も沖縄の地で5月16日から20日に開催された。関東地方からはオブ参加者も含め7名で参加しました。全国結団式が県立武道館アリーナで行われ沖縄平和運動センター山城議長より明日から始まる平和行進で声をあげ国民主権を取り戻そうと団結した。戦跡コースの副団長を全港湾沖縄地本の金城雄介青年部長が担い力強いスピーチをしました。その後ホテルにて全港湾、全国一般、全日建連帯の三単産結団式、平和学習会が行われた。学習会では、講師に沖縄タイムス記者の阿部岳氏をお招きして、沖縄の現状報告やメディアの役割や存在意義など今の政府の在り方を問題定義し非難されました。三単産の団長に東北地方の矢内誠也さんが選出され団を引っ張りました。デモコースは沖縄戦でもっとも激戦が行われた「南部・戦跡コース」です。

初日は県民広場からひめゆりの塔を目指し(約18㎞)昼食を西崎運動公園にて2日目は平和記念公園から南風原役場まで(約15㎞)昼食を南城市中央公民館にて最終日は宜野湾市役所から宜野湾海浜公園まで(約7㎞)3日間をトータル(約40㎞)皆で完歩しました。梅雨入りしたはずの沖縄は晴天に恵まれ行進にも力が入り皆で反戦、反基地の声をあげ平和運動をしました。午後から県民大会が開催され平和な沖縄を!基地のない沖縄を!平和行進の総括がされました。まとめとしまして、私自身三単産副団長を立候補して行進団に声掛や団長、レンジャー、行進団の皆に負担の掛からぬよう努力したつもりではありますが至らないところもあったと思いますが、皆の力で団結して乗り越えたと思います。県民の民意を無視した今の政府の在り方にノーの声をこれからも反戦、反基地に声をあげていこうと思います。最後になりますがバーベキューや平和行進の準備をして迎えて下さった沖縄地本の皆様ありがとうございました。交通整理をして下さったレンジャーの皆様、行進団で声を枯らせシュプレヒコールをした仲間に感謝します。これからも共に頑張ろう!!

 

 

名古屋支部 高山文彦

 

今回で沖縄平和行進の参加も3回目となりました。全国の青年部の仲間と会える事は喜ばしい反面、もし基地が自分の近くに来た場合を想像すると嫌だなと思う中、沖縄県民に大きな負担をかけている事から、罪悪感と共に少しでも負担軽減に向けて、協力出来ればと思いながらの参加でした。

行進1日目に自分の中では過去最大の右のお友達の妨害を受けましたが、改めて考えると彼らこそ、県民投票の結果を受けて焦っているかなと思います。

今回、講師に来て頂いた阿部さんから紹介して頂いた基地の引き取り運動や「新しい提案」のような取り組みは素晴らしいと、思うのですが結局は沖縄の過去の歴史と今の現状を知ってもらい、関心を持って貰う事がスタートで、沖縄地本の山口委員長のお言葉にもあったように沖縄から基地が無くなり沖縄平和行進自体が無くなる事がベストだと思うので、今後も地元での運動を続けたいと思います。

阿部さんから紹介頂いたマルティン・ニーメラー牧師の言葉「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。彼らが私を攻撃したとき、私の為に声をあげる者は、誰一人残っていなかった。」との言葉が刺さりました。全日建が弾圧を受けていますが、全港湾もターゲットになり兼ねません。今後も正しい事は正しい、間違っている事は間違っていると主張し続けて行きたいと思います。

最後になりましたが、苦楽を共にした行進団の仲間と、受け入れてくれた沖縄地本の皆さんに本当にありがとうございました。

 

 

名古屋支部 青年部部長 太田 光

 

今回、2019年の第42回沖縄平和行進に参加して私は4回目の参加となりました。初めての平和行進は全港湾に加入して3年目に、一昨年には2回目の参加とし副団長、去年には団長を務め、そして今年も沖縄の地へと参りました。

今回の平和行進では視察がありませんでしたが、戦争の悲惨さ、基地の危険性、学習会で学ぶ度にいつも同じ感情が芽生え、やはり平和というものは自然に訪れないものなのだと思いました。

基地のない平和な島を実現させるために、国民の自由を奪われないために沖縄県民のみならず日本国民全体で重要だと改めて痛感しました。

最後になりましたが、一緒に行進した全国の皆さん。そして、今年も細部まで気に掛けて我々を受け入れて下さいました沖縄地本の皆さん。本当にありがとうございました。

 

 

日本海地方直江津支部  内山真治

 

今回、本土復帰47周年となる沖縄の「5・15沖縄平和行進」に参加し、最も激戦地であったと言われる糸満市や南風原町などの南部・戦跡コースの行進をしました。

行進の前日には全国団結式と平和学習会が行われましたが、辺野古新基地建設や高江ヘリパッドの影響からジュゴンやヤンバルクイナがすむ海と森の破壊、オスプレイ墜落等の今の沖縄の現状を聞き、ニュースだけでは知り得ない事を多く学びました。そして、沖縄だけの問題ではなく私たち日本国民全員の問題であることを実感し、私たちが今なにをしなければいけないのかを考えさせられました。

行進初日の最後には、ひめゆりの塔で当時の医療器具や生徒が戦場で携えていた品々があり、壁面には犠牲者の遺影、生存者の証言ビデオなどを見て、この時の悲劇を痛感しました。3日間行進をしていて時折、窓や外に出て「頑張れー!」と声があり、「戦争反対」「憲法改悪反対」などのパネルを持った地元の方々がいて、沖縄県民の声を実際に聞いて不安、怒りなどの気持ちを感じました。そして、今後平和行進に参加する後輩たちに今回の平和行進で感じた事や考えさせられた事、今の沖縄の現状を伝えていきたいです。

最後に、私たちの受け入れ体制をされた沖縄地本、行進中の車両の誘導をしたレンジャーの方々のおかげで無事に行進を行うことが出来ました。この様な貴重な体験をさせていただきありがとうございました。

 

 

日本海地方舞鶴支部 合林真吾

 

私は、今回「5.15 沖縄平和行進」に舞鶴支部代表として参加してきました。この活動に参加し沖縄の現状に反対、阻止に少しでも力になれたらと思いました。全港湾・全日建・全国一般の三単産で、南コースの先頭をがっちりと固め、シュプレヒコールを絶やすことなく続け、3日間の44kmの行進を全員でやり遂げることが出来ました。

今まで平和活動に参加したことはありますが、1日の活動であまり深く考える事は正直ありませんでした。今回、3日間の長い期間の活動は初めてで、今までにないことを感じ、考えることが出来ました。戦争は起こさせてはならない。沖縄の歴史を知り、戦争で亡くなられた人達の為にも、米軍基地はなくすべきである。米軍基地反対という考えになりました。また、行進をしている時に、車の運転手やすれ違う人達が手を振ってくれたこと、直接「頑張って」と声を掛けてくれたこと、頑張って行進しなければならないという気持ちに、その時はなりました。しかし、そうだろうか?実際に頑張らなければならないのは、その人達なのではないか。平和行進を終えた今、そう思います。勉強不足なのかもしれないが、その人達はこの活動に参加したのか?行進・県民大会にどれくらいの沖縄県民が参加していたのか?自分と同年代の沖縄県民がこの問題に興味を持っているのか?たくさんの疑問が自分の中にありました。行進中に妨害もあったが、その人達の言っていることも、正直理解出来なくはない。

毎年行われている平和行進を続けていくことは、とても大切なことだと思います。3日間の行進をやり遂げた達成感はありました。毎年、平和行進には全国から人が集まってくる。活動とはそういうものなのかもしれないが、毎年同じことをしていてもあまり意味のない気がする。興味のない人にどう興味をもってもらうか、活動にどうすれば参加してもらえるのか、沖縄全体でどう闘ってくのか、色々と考えさせられました。これからこの活動を今よりさらにいい活動に変えていってほしいと思います。この3日間は、自分にとってとても貴重な経験になりました。ありがとうございました。いつの日か「5.15 沖縄平和行進」なくなり、みんなが平和に暮らせる、そんな日が来ることを願っています。

 

 

日本海地方境港支部 井上 海

 

今回、初めて沖縄平和行進に参加して、戦争鵜を経験していない私ですが、戦争を身近に感じることができました。今、沖縄で起きている騒音問題、基地建設、自然破壊など様々な問題を目の当たりにして、沖縄だけの話ではないと思いました。また、新しく基地ができてしまえば、軍備強化に大金がさかれ、オスプレなどが空を飛び交い事故の確率が上がり、基地建設のために自然が壊されていく、市民が反対しても強行されていく工事、このままではいずれまた戦争がおきてしまい、また数えきれない人が死んでいってしまいます。全国民が手を取り合い、この事態を止めなければこの先明るい未来はありません。一人でも多くの人に、今回学んだ事を伝えていき少しでも何か出来ることがあれば、行動を起こし多くの輪を広めていきたいです。

今回、お世話になりました沖縄地本の皆さん、全港湾のみなさん、行進で共に歩いてくださった皆さん本当にありがとうございました。平和行進に限らず、参加できる事があれば積極的に参加していき、勉強をして今後の活動に役立てていこうと思います、四日間という少ない時間でしたが、ありがとうございました。

 

 

日本海地方新潟支部臨港分会 相馬健人

 

5月16日~19日の日程で沖縄平和行進に始めて参加してきました。不安と心配の中沖縄に到着し、5・15全国結団式に参加しました。結団式を終えホテルに戻り、三単産の平和学習会がありました。学習会では、沖縄の歴史や基地問題の話がされ、自分自身の戦争や平和への関心の低さを痛感しました。

行進初日は、県民広場からひめゆりの塔を目指し戦争激戦地の南コースを行進しました。途中右翼の妨害もありましたが、それに負けないシュプレッヒコールをあげ、無事に目的地まで行進する事ができました。

2日目は、平和祈念公園から、南風原町役場を目指し行進しました。初日より上り下りが激しい道のりですごく大変でした。行進が終わってから沖縄支部の方が準備してくれたBBQ交流会があり最終日に向け更に団結しました。

最終日は、県民大会が行われる宜野湾市海浜公園にむけ行進しました。ここでも、右翼の妨害がありましたが、無事に完歩することが出来ました。

今回、この平和行進に参加して自分が見た事、聞いたこと、学んだ事をたくさんの人に伝えて沖縄の問題について少しでも興味をもってもらいたいと思います。この度は普段体験できない機会を与えていただき本当にありがとうございました。

 

 

日本海地方七尾支部 柳川朋之

 

5月16日~19日、沖縄平和行進に初めて参加させていただきました。初日は全国結団式が15時~県民武道館アリーナで行われました。その中で学習会も行われ、今の沖縄の現状を改めて再確認しました。ホテルに移動し、三単産の学習会では講師の阿部岳さんを迎えて、オスプレイの危険性、米軍基地問題について学びました。オスプレイの墜落の写真や着陸の動画もあり、これが町の中に落ちたらと思うと恐くてたまりません。

行進初日は天候にも恵まれました。出発式を終え、ひめゆりの搭へ向かう南部コースを行進し、途中たくさんの妨害もありましたが、地元の人の声援もあり、なんとか行進を続けることができました。

2日目は平和祈念公園から南城市中央公民館へと向かい、到着が南風原町役場へと向かうコースでした。参加人数も600人に増え、さらに気合いの入る行進になりました。

3日目は宜野湾市役所から県民大会が行われる宜野湾海浜公園野外劇場まで行進しました。県民大会では参加人数2000人でした。今回、5・15沖縄平和行進に参加し、実際に沖縄の歴史を見て、そして触れることができました。沖縄の歴史を忘れてはいけない、そして繰り返してはいけないためにも、若い次の世代の人たちに伝えていかないと改めて強く思いました。平和行進に参加された皆様、応援してくださった現地の皆様、本当にありがとうございました。

 

 

新潟支部日本海倉庫分会 渡辺正樹

 

5月16日から5月20日まで沖縄平和行進に参加してきました。初日那覇空港に着くと雨が降っていて、その日梅雨入りの発表がされました。その後県立武道館アリーナに移り、全国結団式でおおよそ1,000人規模の中で山城議長から、沖縄の現状と平和行進の意義を聞くことが出来ました。その後ホテルでは三単産結団式を行い、全港湾の仲間と共に頑張る決意を固めました。平和学習では沖縄タイムスの記者である阿部さんから、復帰47年沖縄の基地の現状報告を聞き、沖縄への理解を深めました。

一日目に私達が歩くのは南部戦跡コースと言われ、戦時中アメリカ軍が沖縄に上陸した際、沖縄の人々が南に逃げていく足跡をたどるコースを歩きます。県民広場に集まり出発式を行い、蒸し暑い中行進が始まりました。この日は行進中に右翼の妨害を受けましたが、大きな声でシュプレヒコールを上げ、団結して歩きぬきました。ゴールのひめゆりの塔では、戦時中の生活や戦争の悲惨さを学ぶ事ができました。

二日目、小雨の降る中で平和祈念公園からの出発となりました。

行進が始まると雨も上がり、蒸し暑い中サトウキビ畑の周りや自然豊な沖縄の原風景の中を歩くことができました。沿道を歩いている時、年老いたおばあさんが手を振ってくれているのがとても心強く感じました。途中、給水所で迎えてくれる沖縄県民の方にも親切にされ、感謝し二日目も行進が終わりました。

最終日の三日目は普天間基地包囲コースで宜野湾市役所からのスタートでとても大きい列になりました。この日も右翼の妨害を受けながら、ゴールの宜野湾海浜公園を目指しました。そこでは平和と暮らしを守る県民大会を行い、大会宣言を採択し無事に三日間を歩ききる事ができました。体力的には大変な行進でしたが、沖縄の皆さんや三単産の仲間に励まされ、とてもいい経験ができました。

 

 

敦賀支部 久保田隆吾

 

僕は、5月16日から5月20日までの5日間の日程で5.15沖縄平和行進に参加させていただきました。

初日は、県立武道館アリーナにて、全国団結式が行われました。その後ホテルにて三単産結団式、平和学習会が行われました。平和学習会では、沖縄タイムズの記者である阿部岳さんにより、沖縄にある米軍基地の歴史や現状、安倍政権にて行われている事などについて学びました。

17日よりいよいよ3日間の行進が始まりました。1日目は県民広場にて出発式を行い、その後ひめゆりの塔を目指し約19キロを行進しました。僕たちは沖縄戦の激戦区であり最も犠牲者が出た南部コースを行進しました。この日僕は行進を安全に行うためのレンジャーという役をさせていただきました。かなりの大役で大きな不安もありましたが、周りのレンジャーの方々と連携を取り無事に初日の行進を終えることができました。

2日目は平和記念公園を出発し、南風原町役場を目指し約17キロを行進しました。初日には出来なかったシュプレヒコールを精一杯唱え、反戦・平和を訴えながら行進しました。

最終日は、宜野湾市役所を出発し、海浜公園を目指して行進した後、5.15平和と暮らしを守る県民大会に参加しました。県民大会では、沖縄返還47年目の沖縄の基地の問題や沖縄県民の大きな不安。また各団体の様々な取り組みについて、話を聞くことが出来ました。

この5日間沖縄平和行進に参加させていただき、改めて戦争の恐ろしさと平和の大切さ感じることが出来ました。日本が今後二度と戦争をせず、平和な暮らしを維持するために、世間を騒がせている憲法9条の改正を止めなくてはいけないと、強く思いました。この度は、このような貴重な体験・経験をさせていただきありがとうございました。

 

 

沖縄地方青年女性部書記次長 稲嶺昂太

 

5月17日(金) 平和行進 初日。心配でした。10数キロ歩くのなんて未経験でしたから。そして、人の多さに驚きました。こんな多人数を少数のレンジャーで どうやって守るのかと疑問に思っていましたが、やってみると皆で助け合って情報を共有しあって

やればできるものだなと思いました。その日は、右翼団体もたくさん いろんな場所から出没して妨害行為!これも、アメリカ軍基地があるから日本のトップが、代表が 、しっかり国民のことを考えてないからだと考えさせられました。

5月18日(土) 平和行進 2日目。この日は糸満 平和祈念公園からスタートし、ほとんど片側1車線の狭い道でした。そして、行進団の長い行列。沖縄の暑い太陽の下を大声で訴えながら長い道のりを淡々と歩く。体調を崩す人に気を配り一般者、車に気をつけながら安全に完歩しようと団結できるのは全港湾以外の団体が これをこなすことができるはずがない!全港湾 凄いと思いました。

5月19日(日) 平和行進3日目。この日は、宜野湾市役所から宜野湾海浜公園までの道のりでした。その日も右翼団体は現れ、特に沖縄国際大学付近に頻繁に現れ 同じ日本人なのにアメリカ軍の飛行機事故があったにも関わらず 反対抗議を続けてくる。少しでも同じ想いは無いのか不思議で仕方ありません。そして、無事に完歩し 沖縄の基地、平和のことを しっかり考え想い行動して下さっている方 平和行進に携わる方々のスピーチを聞き この平和行進の歴史を止め、後世に伝えていきたいと思いました!

 

 

沖縄地方青年女性部琉球港運分会 河野貴博

 

5月17日〜19日の3日間3単産の皆さん平和行進お疲れ様でした。今年初めて黒服のアンカーさせていただきました。皆様のお陰で行進団も何事も無く平和行進を終える事が出来ました。ありがとうございます。まだまだ勉強不足だと感じさせられました。沖縄の若い人達に何故平和行進をしているのか?何故、辺野古移設問題で反対なのかと質問された時上手く説明する事が出来ませんでした。青年女性部としても個人としても勉強し若い世代達に伝えていきたいと思います。そして横浜支部の皆様毎年宣伝車を貸していただきありがとうございました。

 

 

沖縄地方青年女性部琉球港運分会 高安  淳

 

私は地元ながら初めて平和行進に参加しました。初日は県庁前からひめゆりの塔まで、約20kmレンジャーとして行進団を誘導させて頂

きました。最初に思ったのが県外からもこんなに沖縄の辺野古や基地問題に関心を持ち沖縄の歴史を勉強して参加している方々が居るという事でした。私もこれを機に自分の生まれ育った沖縄の歴史をもっと調べてみようと思います。

2日目雨が降っていました。いざ出発って時には雨も上がり沖縄特有のムシムシした湿度の高い蒸し暑くなり、慣れてない方には辛い1日になったと思いますが、先導車から聴こえるシュプレヒコールを行進団全員で復唱し団結を感じました。

最終日およそ8kmと3日間では短めでした。沿道や車から手を振って応援してもらいゴール地点の宜野湾コンベンションセンターに着きました。この3日間で平和とは何か改めて考えさせてもらい団結の素晴らしさ1人では微々たるチカラも大勢の仲間との団結力で自分達の子や孫の次の世代に今より素晴らしい沖縄に変えていけたらと思います。

 

 

沖縄地方青年女性部副部長 徳里 優

 

今年初めて3日通しで黒服をしました。初日年号も代わったからか右翼さんたちも活発でした。レンジャーをしているときはうるさい奴らだなと思っていたけどよくよく考えると右の人たちも自分達の意見を言っているだけなのかと疑問に思いました。二日目、三日目も通行車などにクラクションを鳴らされたり睨まれたりしました。中

には応援や手を振ってくれる人もいました。手を振る人や応援してくれる人がだんだん増えているような気がしました。早く基地がなくなればと思っている人が増えているのかな?と思った今年の平和行進でした。

 

 

沖縄地方青年女性部沖縄港運分会 崎間晃司

 

今回初めてレンジャーとして5.15平和行進に3日間参加させていただきました。暑さと足の痛さで大変でしたが団結して何かを成し遂げるということの楽しさ、大切さ、色々なことを学ばせていただきました。この経験を生かしてこれからも青年部活動に積極的に参加していきたいと思います。

 

 

沖縄地方青年女性部マルエー物流分会 伊藤健一

 

5月17日から5月19日の3日間の日程で平和行進に参加させて頂きました。今回初めての参加で、行進の初日は不安やプレッシャーもありながらのスタートでしたが、同じ青年女性部のサポートもあり、3日間レンジャーとして行進団と共に無事に完歩する事が出来喜ばしく思います。この経験を無駄にはせず、これからも戦争反対、辺野古基地建設反対等を組合員皆んなで訴えていきたいと思います。最後に平和行進参加された皆様、レンジャーの皆様、地本の皆様ご協力ありがとうございました。そしてお疲れ様でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


フクシマ連帯キャラバン参加者感想文集

3月14日から21日にかけて「2019フクシマ連帯キャラバン(第6回目)」が実施されましたが、参加者より感想が寄せられましたので、ここに全文掲載をさせていただきます。(順不同)

 

 

 

ひたち支部青年女性部 古内厚志

今年もフクシマ連帯キャラバンや地元団体の仲間とともに、茨城県において東海第二原発再稼働阻止のため自治体への要請を行いました。東海第二原発の稼働は今まで茨城県と東海村のみが同意権を持っていましたが、昨年4月に周辺5市にも事前了解権を拡大しました。そんな中、昨年11月に規制に適合したとして、廃炉ムードから一転、運転認可がなされました。日本原電は勢いに乗り、地元同意を得ていないにも関わらず2023年には再稼働を目指すことを表明しています。電力供給というライフラインや従業員の雇用を盾に反対意見を封じ、利益を優先し住民の生命や財産のことは二の次とする日本原電の姿勢は無責任かつ傲慢であり、生活を支えるインフラ事業に関わる資格はありません。また、福島第一原発事故の収束も先が見えず、未だに多くの人が故郷を追われている中で補償の打ち切りをし、被害者を切り捨てる東京電力を中心に再稼働に向けた安全対策工事費などに約3000億円の融資をするなどという電力会社の暴挙は許せません。

東海第二原発の半径30kmには約96万人の住民がいます。自治体が策定を急いでいる広域避難計画は住民の被爆が前提にある上、避難にかかる時間、避難困難者への対応、避難誘導統制など多くの問題を抱え、もはや実行できる避難計画など誰にも作れないことは明白です。また、簡単に避難と言いますが、計画にある1か月という避難期間は生活基盤を破壊するには十分な期間です。住民を長期間避難させる要因が、自然災害ではなく人が創り出した原発であることがそもそも受け入れられません。大企業や一部の人間が利益を享受するために、原発の周辺で暮らす住民の生命が担保とされることは人道に反します。日本国憲法で保護されている個人の生命・財産が政府や大企業により脅かされている現実に、全港湾、フクシマ連帯キャラバン、地元の人間として、仲間と連帯し断固として闘い抜いていこうと思います。

ひたち支部青年女性部 薄井栄人

3月14日からスタートしたフクシマ連帯キャラバン隊の茨城行動とさようなら原発全国集会へ参加しました。

茨城行動ではキャラバン隊とは別のコースの県民会議要請コースに参加し、茨城平和擁護県民会議、自治労、全港湾で笠間市・小美玉市・鉾田市・茨城町・大洗町の5市町へ要請行動を行いました。東海第二原発は原子力規制委員会による20年運転期間延長審査に適合し再稼働への動きが強まる一方、UPZ圏内の15自治体では広域避難計画策定も難航している状態が続いています。今年の要請行動も3つの自治体が広域避難計画の策定ができたと公表していますが、話を聞く限り現実性のある避難計画は程遠い内容となっていました。

日本が所有する原発の中で一番古く、UPZ圏内の人口が96万人と一番多い東海第二発は半径5キロのPAZ圏内の人々が避難するまで30時間以上かかるとも言われ、避難計画の策定は現実的に不可能に近くこのような中で、原発を再稼働させることは絶対にあってはいけないと思います。

今回で6回目となる茨城行動は再稼働反対と公表している自治体も出てきて、これまで毎年要請行動を行ってきたことが一つの結果として繋がったと思います。しかし事前了解の権限を持つ6市村はいまだに再稼働に関して言葉を濁しています。再稼働させないためにも今後のキャラバン行動と地元の脱原発に関する活動に積極的に参加して闘っていきたいと思います。

さようなら原発全国集会では、1万人の原発反対と声を上げる人たちが集まり、キャラバン隊も多くの人に認知されてきてステージに登壇したときは歓声が聞こえました。武田団長がスピーチした中で「核と人間は共存できない、命を守るためにみんなで家族や友達に伝えていきましょう」という発言は多くの人たちにと届いたと思います。原発の恐ろしさをしらない人たちへ1人でも多く伝えていき反対の声が国に聞こえ、日本から原発がなくなるまで頑張って活動していきたいと思います。

ひたち支部青年女性部 木村貴弘

今回初めて、フクシマ連隊キャラバンの全日程に参加させていただきました。私は、キャラバン活動を通して福島の現状を学び、原発は要らないと改めて感じました。印象に残ったのは、帰宅困難区域にある浪江中学校の生徒会の言葉です。中学校の昇降口に書いてあったその言葉は「世界一安心して楽しく遊べる学校」という言葉でした。それを見て私は、原発に対しての怒りが込み上げてきました。なぜ子供たちは安心できないのか。なぜ楽しく遊べないのか。原発事故さえなければ…原発があるから子供たちにそう思わせるような悲劇が起きるのだと思いました。人の暮らしを奪っていくのが原発事故です。私たちはこのような原発事故を決して許してはいけません。しかし国や電力会社は原発再稼働を推し進めています。このようなことは許せません。私は、全ての原発が廃炉になるまで、一致団結して闘っていかなければならないと思いました。

いわき駅と福島駅で原発に賛成か反対かのアンケートを行いました。そこで、ある中学生にこう言われました。「原発ってなに?」福島に住みながら原発の存在すら知らない子供たちがいます。私は、これだけ悲惨な事故を起こした原発について子に教える親や先生が減ってきていると感じました。原発事故から8年が過ぎた今、原発事故が風化しつつあると思います。私たちは、あの事故をもう起こさせてはなりません。そのために私たちは、子供たちや周りの人に原発は危険なものだと教えていかなくてはなりません。そうしなければ、次の世代を担っていく子供たちは、原発の恐ろしさを知らないまま大人になってしまいます。そしてまた、原発事故の悲劇が繰り返されることになりかねません。

私たちの世代で原発再稼働にストップをかけ、全ての原発廃炉に向けて、頑張っていかなくてはならないと思いました。団結の力で安心して楽しく暮らせる日本を作っていきましょう!

東北地方酒田支部 田中 俊介

16日から18日の3日間、フクシマ連帯キャラバンに参加しました。

16日、福島市で行われた県民大集会に参加し、その後「原発は必要ですか?」という内容で、福島駅前で街宣行動と街頭アンケートを行いました。アンケートでは地元の方々のたくさんの意見が聞けました。まず、必要という意見では「身内が働いているから、他の発電にしわ寄せが来る」などの意見があげられ、不必要という意見では「あの事故は二度と起こしてはいけない、被害者をこれ以上増やしてはいけない」という意見が多く聞けました。しかし、どちらでもないという意見も2割ほどあり、去年と比べると徐々に風化しているのではないかと感じました。

17日は、被災地の現地視察を行い浪江町、富岡町などに行きました。帰還困難区域の空間放射線量が3〜4μ㏜に対し、除染がされていない山道では5倍くらいの15μ㏜という放射線量の高さに驚きました。

18日は、福島県庁へ要請行動をした後、新潟市にある柏崎刈羽原発差し止め訴訟の裁判を傍聴しました。原告側は、問題点を指摘した準備書面や、福島原発事故後、世界では安全システムへの転換が進み、安全を確保できるような対策が導入されているのにも関わらず、柏崎刈羽では基本的な安全対策の転換なく再稼働を認めることは許されないと主張されていました。しかし東京電力からは、原告側の敷地の液状化問題に対する反論の準備書面が陳述されたが、その内容は、これから実施する工事計画認可段階で対応することになり現時点で対策ができていないからと非難する原告側の主張は失当だというものだという東京電力の態度に、怒りを覚えました。

今回キャラバンに参加し感じたことは、まず原発とは何かを知ってもらうことが大事だと感じました。放射性廃棄物が仮置き場に山積し、まだまだ考えて行かなくてはいけない課題がたくさんあると思います。また、原発事故の話をしっかりと家族に伝え、全国の原発が廃炉になるように活動していきたいと思います。

東北地方青年婦人部小名浜支部 武田陽介

3月14日から21日の8日間、フクシマ連帯キャラバンに団長として参加しました。6年目となる今年も各労働組合、民主団体の青年層が中心となり、福島、茨城、新潟、東京で現地視察、自治体要請、東電への申し入れや省庁要請を行ってきました。

14日は結団式を行い、15日は福島県いわき市の放射能市民測定室「たらちね」を訪問し、いわき駅前で街宣行動及び街頭アンケートを行いました。この施設は2011年に開所され、放射能から子供や家族を守るために作られた事の説明を受けました。スタッフの方から「目に見えない、臭わない、感じないからこそ、これからも可視化して子供の安全、安心を守っていきたい。」との話もありました。いわき市は福島第一原発から直線距離で30km圏外から60km圏内に位置しています。国が指定してない地域でも、まだ放射能の危険性に恐れている人たちがいる事を知り、やはり原発事故がもたらした代償は8年経った今でも大きいと感じました。

16日は、「福島2019原発のない福島を!県民大集会」への参加、福島駅前で街宣行動及び街頭アンケートを行いました。集会の中で、高校生平和大使の「今も、これからも原発事故について考えて行かなくてはいけない。」との言葉を聞き、廃炉が確定していても、保障の問題や、中間貯蔵施設などの問題がまだまだ山積していると改めて感じました。

2日間の街頭アンケートでは「原発は必要だと思いますか?」という内容で、延べ320名のアンケートを取り組みました。いわき駅前も福島駅前も昨年より原発について「わからない」と言う方が増えた印象でした。当時小学生や中学生だった子供たちが「原発はどんなものなのか」を、事故を経験した大人たちがしっかりと伝えなかったからこその結果だと思います。

17日は、双葉町出身の方の案内により、浪江、富岡と現地視察してきました。帰還困難区域は震災時と何も変わっていませんでした。安倍政権は、原発事故が無かったかのようにし、保障の打ち切りや帰還困難区域の解除を進め、避難している人たちや、住民を苦しめている実態があることを忘れてはなりません。

18日、19日、茨城班は「東海第二原発30km周辺自治体への要請」、新潟班は「福島県庁要請・柏崎刈羽原発見学」の2班に分かれました。私は茨城行動に参加し、周辺自治体へ「再稼働・広域避難計画」についての要請書提出をしてきました。しかし、県や市町村が考えている避難計画には、福島原発事故の教訓が生かされているとは感じず、もっと住民を第一に考え計画を策定してほしいと感じました。

20日は、東電、省庁申し入れを行いました。被災地を見たからこそ、話を聞けたからこその想いを意見する事が出来ましたが、各省庁はマニュアル通りで国民の事を本当に考えているのかわからない回答でした。しかし、同世代の内閣府原子力防災担当の方は、「原発は動いていても、止まっていてもリスクを伴う発電所なので、しっかりと安全について考えていきたい。」と意見を聞いた時は、国もしっかりと考えてくれていると感じましたが、経産省の方に「脱原発を求める声が半数を超えていますが?」と質問に対しては、「例え、10割が反対しても廃炉になるという問題でもないし、7割が賛成しても再稼働をするのかといってもまた難しい問題」との回答に、自分たちの声が国に届いていない事の悔しさと、これからもっと行動を起こさなくてはいけないという気持ちになりました。

最終日は「3.21さようなら原発全国集会」に参加し、フクシマ連帯キャラバン隊の経過報告、想いをステージで話す事が出来ました。

最後に、この8日間を経験して、やはり「人と核は共存できない」と改めて感じることが出来ました。「福島県は復興した。」と言われていますが、実際、除染土や放射性廃棄物は、まだ福島県の中間貯蔵施設に保管されています。廃炉が決まったからと言って、これから考えて行かなければならない問題がたくさんあります。

私は福島県いわき市の出身で福島第一原発から50キロ圏内の場所に住んでいますが、市には避難者と呼ばれる方がまだ帰れずに住んでいます。帰れない人がいるという事は福島の現状は何も変わっていません。国は帰還困難区域を解除し、避難者への保障の打ち切りなど、国は原発事故を無かった事にしようとしています。脱原発社会を実現する為には、労働組合として国に訴えることが一番大事かと思いますが、私自身、まずは一番身近にいる家族、友達に「自分が原発に対してどんな思いで、どんな考えなのか。キャラバンで何をしてきたのか。」をしっかりと伝えることが大事なのではないかと感じました。やれる事はたくさんあります。全国の原発の再稼働を阻止し、廃炉になるまでキャラバン行動は続けていきたいです。

日本海地方新潟支部 松田祐樹

3月14日から18日の日程でフクシマ連帯キャラバンに参加しました。今まで部分的に参加した事はありましたが、今回は初めてキャラバン隊として参加しました。

現地に行って、見て聞いてたくさん感じるものがありました。被害にあった東北地方青婦部の話の中で、「未だに何も変わっていない」その言葉がとても胸に残っています。表向きには復興が進んでいるとか、放射能の被害もほとんど無いと国は言っているが、未だに地元の人達は苦しんでいました。

いわき放射能市民測定室「たらちね」という施設を訪問した際、説明してくれた方が「3・11の震災について報道はあまりされていないが、私達にとっては毎日が3・11です」と言っていました。目に見えない放射能と日々生活している。子供達を自由に遊ばせたい。でも汚染されている実態があるなか抵抗があるけど、コミュニティで行くとなると行かなければならない。危ないと分かっていても周りに言うこともできない。親世代が当たり前にやっていたことができない。海にも入れないし、砂遊びもさせてやれないと言っていました。私も子供がいます。天気がよければ普通に外で遊ばせているし、砂遊びもさせます。夏になれば海に行くし川にも行きます。そんな当たり前のことができない。それが原発事故。絶対に子供世代に残す事はできないと再認識しました。

いわき駅前と福島駅前で街宣行動とシールアンケートを実施しました。街宣行動では事故を風化させないことを強くアピールしました。シールアンケートでは「原発は必要ですか?不必要ですか?どちらでもない。」という内容でアンケートを実施しました。私がこの行動で感じたのは、事故が現に起きた福島の人でも原発が必要だといっていたこと。また2割の人がどちらでもないと答えていた事。そもそも原発がなにかわからないという青年層がいる事に衝撃でした。若い子に伝えられるぐらい自分自身も勉強しなくてはと強く思いました。

フィールドワークでは、被災地や帰還困難区域を視察しました。いたる所にバリケードがされ、とても異様な雰囲気でした。人1人歩いていない状態に違和感を覚えたのが正直なところです。町が死んでいました。帰還困難区域を抜けてちょっとした所では人が普通に生活をしていました。ほんの数百メートルで変わるのか疑問でした。

新潟の行動では、柏崎刈羽原発再稼動差止訴訟を傍聴し、その後報告集会にも参加しました。地元新潟での行動には今後積極的に参加をしていきたいと改めて思いました。

14日から18日の行動で多くの事を知り、また感じることができとても勉強になりました。福島の事故を絶対に風化させない事、全国にある原発の稼動を許さない事。今後の活動に繋げていきたいです。

日本海地方新潟支部 那須野智広

3月14日(木)~21日(木)の日程で行われた、フクシマ連帯キャラバンに18日(月)の新潟の行動から参加しました。新潟柏崎刈羽原発の視察や東電の申し入れ、経産省への申し入れを行いましたが、総じて思ったことは、国は確かに福島の原発事故を無かったことにしている。しかし、福島のいわき駅前、福島駅前で行われたシール投票(必要、不必要、分からない)の結果を見たときに、分からないという意見が昨年より増えているという現状にこの事故が福島県内でも非常に風化しているという現状に驚きました。

このキャラバンの目的は、確かに原発の再稼働を阻止し、廃炉にするのはもちろんですが、分からないという意見を少なくし、福島の事故を風化させない事。1人でも多くの人に「原発は危険なのだ」というのを知ってもらう事だと思います。

故郷に帰りたくても帰れない人がまだまだ多くいる現状。自主避難者に対する国の対応。原発事故後、貧困や格差が進み、家族がバラバラになり、避難先で様々な嫌がらせをされ自己嫌悪になり、自らで命を絶つという悲惨な現状を知りました。

この事故は福島で起きましたが、全国には多くの原発があります。どこでこの悲惨な現状が起こっても不思議ではありません。「人間と核は共存できない」その事を多くの人に知ってもらいたい。国は専門的な言葉を使い、何が本当で嘘なのか言わず、原発は「安全で必要」としか言いません。この先、原発の何が危険で、事故を起こすとどうなるのかを誰が聞いても分かるよう伝え「わからない」という人がいなくなる様取り組み、キャラバンもそういった取り組みをしてもらいたいと思いました。

最後になりましたが、今回キャラバン隊に参加した仲間と運動が出来たことに感謝し、

被害にあわれた人全員が1日でも早く元の生活に戻る事が出来るよう微力ながら取り組んでいきます。

日本海地方直江津支部青年部 渡辺敬介

私は3月18日から21日にかけて、フクシマ連帯キャラバンに後半部隊として参加しました。

新潟県にある東京電力柏崎刈羽原子力発電所のPR館で、東電から福島原発事故の教訓をふまえた対策について説明がありました。東電に、「現状電力は足りているのだから原発を再稼働する必要ないじゃないですか」と伝えたら、「今メインで稼働している火力発電に頼るとCO2の排出により、地球温暖化が進む」と言われ、環境を気にしているのなら、まず福島を気にしろと思いました。約7000億円かけて、原発再稼働を進めようとしています。東電から「福島原発事故の教訓をもとに、さまざまな対策をして頑張っています」と言われ、その予算があるのなら避難者への補償や原発廃炉、再生可能エネルギーの導入に使ってもらいたいと思います。

原発事故から8年が経ちましたが、未だに福島原発の廃炉にむけたスケジュールや工法も定かではありません。そんな中、原発を再稼働させようとしている東電に被災地を見て、被災者の声を聞いてもらいたいと思いました。

いわき駅前と福島駅前での「原発は必要か、不必要か、わからない」との問いのシールアンケートの結果を見て、とても驚きました。「わからない」と答えた人が約25%もいて、わからないと答えた人の意見で「興味がない」というものがありました。わからないと答えた人の多くが、震災当時、小学生や中学生という年代が多く、原発のおそろしさ、被災地の現状を理解していないのを感じました。これが風化につながっていくと思います。

避難者への補償や原発事故の収束、原発再稼働反対、脱原発社会の実現のために、まず地元で行動し、そして風化させないために、たくさんの人に原発のおそろしさを伝えていきたいです。

東北地方八戸通運支部 今堀尚樹

3月14日から16日の3日間、初めてフクシマ連帯キャラバンに参加しました。初めての参加で何も分からない状態でしたが、団長含め先輩方が指導してくれたおかげで3日間の活動をする事が出来ました。

福島原発事故については、ニュースで聞いた事がある程度でしたが、キャラバンを通して、原発や放射能の恐ろしさ、現地の現状を知る事など多くの事を学ぶことが出来ました。いわき市の「たらちね」を訪問した際、避難区域と避難解除区域が道路1つで区切られていると聞き、放射能は恐ろしいものなのに国のざっくりした感じに驚きました。また、子供を外でなるべく遊ばせたくないという気持ちや、海や山に連れて行ってあげられない事と、子供の「遊びたい」という気持ちに葛藤したという話を聞かせてもらい、自分がその立場だったらどれが正解なのか悩みました。現地に行ったからこそ、地元の方の悩みや問題がわかったので貴重な経験になりました。

いわき市で街宣活動をした時に、シールによる原発は必要か不必要かのアンケートを行い様々な意見があり驚きました。てっきり皆がみんな原発は不必要だと言ってくれるのかと思っていました。しかし、必要という声もあり、理由としては電力が足りなくなると不安がっていました。また、不必要という人は被害にあった方が多く、まだ自分の家に帰れていないと聞いた時に、放射能の恐ろしさや原発はいらないと強く感じる事が出来ました。

震災から8年たった今でも事故収束の目途がたたず、汚染水や放射性廃棄物の問題も増え続けているので、国はもっと深刻な問題として動かなければいけないと思います。キャラバンを通して、原発を再稼働させたくないと強く感じましたし、この活動を通して普段接することない人達と一緒に活動や話をする事が出来、自分にとってすごく貴重な経験になりました。

東北地方八戸通運支部 松川 豊

私は今回、フクシマ連帯キャラバンに参加して、今の福島の現状を改めて知ることが出来ました。政府は「復興は進んでいる」と言っていますが、何も変わっていないという事です。さらには被災者に対する補償金も打ち切るという話がでているので、今回の活動が少しでも国に影響を与え、国が国民一人一人の事を考えてくれるように願っています。今後も全国の仲間と共に協力して頑張っていきたいと思います。

東北地方八戸通運支部 石鉢雄哉

今回の福島キャラバンでは、自分がいかに無知であるかを痛感しました。初日に訪ねた、いわき市の「たらちね」では、食べ物の汚染状態を検査や、自身の汚染状態などを検査してもらえる設備を見学させていただきました。とても高価な設備を使用しているのにもかかわらず、汚染に苦しんでいる人のために営利を目的とせず、費用を最小限におさえる努力をしているとの事でした。自分達の食べる物が安心して食べられるものだと思ってもらいたいと考えているので低コストで続けているとの事でした。それは被災者の方達の事を本当に案じているからこそできるのではないかと思います。

また、午後からはいわき駅前にて街宣活動を行いました。このような経験は初めてでしたが、実際に被災者の方の経験を聞くことができ、貴重な意見が聞けた事を嬉しく思います。アンケートの結果を見てもやはり反対意見が多いように感じました。震災当時に恐ろしい思いをしたから、また事故が起きるのではないかと思うと怖いから等、多数の意見を聞けました。その中で自分が今まで思いもしなかった様な意見も多く、自分の勉強不足を感じるとともに、「やはりこのままではまずい。原発を直ちに廃炉にするべきだ」という考えを改めて強く抱きました。

翌日は福島市で県民集会に参加しました。そこでは予想以上の人が会場に集まっている事に驚きました。それこそ被災者の方達の原発に対する反対意識が強いのだろうと感じました。それぞれの方達のスピーチを聞いて、この会場に集まっている方達とこれからも脱原発運動を続けていきたいと思いました。

自分が参加した3日間でたくさんの貴重な意見や話を聞くことができ、良い経験をさせていただきました。この経験を無駄にせずより良い活動が出来るように頑張っていこうと思います。

八戸通運支部 滝本春仁

今回初めて福島連帯キャラバンに参加しました。被災された方の生の声を聞いて、あの時どれだけの恐怖や不安があったのか、自分の想像をはるかに超える経験をしていた事を聞いて言葉を失いました。それなのに国は、福島で起こった事故を無かった事にしようとし、復興支援の打ち切りや柏崎刈羽原発の再稼働など同じことを繰り返そうとしています。その話を聞いてとても怒りがこみ上げてきました。

最終日、代々木公園で行われた、さよなら原発全国集会の中で、団長が話した「核と人は共存出来ない」という言葉がとても印象に残りました。これからは、自分に出来る事は少ないかも知れませんが、若い人達に自分が経験した話をし、福島の原発事故を忘れないように、また1日でも早く原発を廃炉にするために、これからも活動を続けていきたいと思いました。

名古屋支部青年女性部 羽賀達也

今回が初参加だったのですが個人的な理由で初日から3日間しか参加できなかったことがすごく心残りでしたが、3日間という短い期間でも大変貴重な経験が出来ました。

初日に東京の連合会館前で集合したときに同じようにキャラバンに参加する人を平和フォーラムの人達が見送りと激励に来てくれたところから始まりました。今回が初参加だったので少々心細さはあったのですが、同じように全港湾から参加してきた青年部の方々の中に知っている人が何人かいたのと、平和フォーラムの方々の応援にとても勇気付けられました。

また、結団式でも、全国各地から様々な単組の人達が一つの部屋に集まり、自己紹介を入れながら交流を深め、最後に今回のキャラバン隊の団長である武田さんから締めのお言葉を頂き、キャラバン隊としての団結を深めました。その後の懇親会では皆打ち解けた形でしっかりと交流を深めました。

2日目の午前中に訪れたいわき市にある「いわき放射能市民測定室 たらちね」で職員の方から聞いた「子供たちに食べさせる食品が本当に安全な物か知りたい」という言葉は未だに覚えていて、子供を想う親の気持ち、そして何より放射能という見えない恐怖と未だにたたかっているいわき市の人達の現状を改めて思い知りました。他にもいわき駅や福島駅で行った街宣活動ではシール投票も行い、ビラを配るだけではなく、様々な人たちの意見を聞くことも行いました。「やはり再稼働は怖いから早く廃炉にしてほしい」、「もうあんな恐怖は味わいたくない」等否定的な意見が多かった中、高校生や若い世代の方からは「よくわからない」、「難しい」等といった意見が大変多く、今後どんどん事故を忘れていく世代が増えていくことを実感し、これからも運動を続けていくことが大切だと思いました。

最後に3日間という短い期間でしたがキャラバン隊に参加できたこと、サポートしてくれた方々への感謝の言葉と共に感想としたいと思います。

名古屋支部 赤木 敬

今回の福島連帯キャラバンには全日程参加させて頂きました。参加した動機は「福島連帯キャラバンとは何か?」を知りたかったからです。キャラバンに参加する前の僕の原発に対する考えは「よく分からないけどやればいいんじゃないの?」というものでした。愛知県には原発がないのであまり話題になることはないのです。ただ、今回のキャラバンでの活動で帰宅困難区域の視察や、各自治体への要請行動を経験して原発事故の恐ろしさや、事故後の影響を目の当たりにして、やはり原発は一刻も早く廃炉にすべきだと感じました。

いわき市、福島市での街宣行動では原発についてのアンケート調査をしましたが福島県民の方でも「必要かどうかわからない」という回答が多く驚きました。やはり事故から時間が経つにつれ人々は無関心になっていくし、こういう現実があるから東海第二原発での再稼働に向けたなし崩し的な工事が行われたりするのかなと感じました。

茨城県内での各自治体への要請行動や東京での各省庁への質疑応答でも「調査中、検討中、〜のようにしようと思ってます」という回答が多く、実のある答えはほんの一部だったように感じました。

原発に関する問題はとても複雑で賛成したから増えていったり、反対したからすぐ廃炉になるというものではないです。

ただ、キャラバンのような活動は、原発問題を野放しにしないためにも必要だと感じましたし、事故の現実を風化させないためにも続けるべきだと思います。大切なのは自分たち大人が原発に対して正しい認識をして判断すること、そして周りの人や次の世代の人たちへ伝えていくことなんだと思いました。キャラバンでは別組織との交流を含め、貴重な体験をさせて頂きました。

最初から最後まで通しで参加して本当によかったと思います。機会があればまた参加したいと思いますし、周りの人にも参加することをお勧めしたいと思います。ありがとうございました。

以 上

 


第21回 青年対策交流集会に参加して

第21回 青年対策交流集会に参加して

6月23日から25日にかけて、愛知県豊橋市・シーパレスにおいて第21回青年対策交流集会が開催されました。参加者の感想文が寄せられましたので掲載します(掲載は到着順)。

 

 

 

神戸支部青年部長 吉村 知

 

6月23日から25日の3日間、豊橋のシーパレスで開催された青年対策交流集会に参加して参りました。各地方から多くの仲間達が集まり、志の高い同世代と一緒に組合活動が出来る頼もしさを感じました。

初日は中央執行部の鈴木誠一さんの挨拶に始まり、各地方活動報告があって、普段の取り組みや地域活動の内容の濃密さに感銘を受けました。そして2日目の中執の講義は、我々青年部に対し丁寧に噛み砕いて説明していただき、非常に有意義な内容でした。その後の分散会では、テーマに対しそれぞれの考えを意見交換でき、活発な議論と同時に新発見や、今後挑んでいきたいビジョンも見えました。3日目は松本委員長の挨拶があり、これからの青年部に期待してくださってる事に、益々頑張っていこうと思いました。

そして2日間の夜の懇親会では、全国の仲間とのコミュニケーションができ、この繋がりこそ最大の成果だと思います。この3日間、真剣に仲間と学び、大声で仲間と笑い、改めて全港湾の仲間の大切さを再認識出来ました。ありがとうございました。

 

 

関東地方横浜支部関東港運分会 山本 弥

 

2018年6月23日~6月25日の3日間、愛知県豊橋市にあるシーパレスリゾート日港福で開催された第21回全港湾青年対策交流集会(青対)に参加させていただきました。今回が初参加となる青対でしたので、不安や緊張がありましたが、会場に到着すると以前に参加した活動で出会った全国の仲間も参加しており不安は無くなりました。

鈴木勝也中央執行委員の開会挨拶から始まり地方の活動報告がありました。各地方ごとに異なる活動をしていて自分の地方では取り組んでいない良い活動がありましたので持ち帰り、提案から行動まで自分達の地方でも出来る限り活動して行きたいと思います。同時に他の地方の方々にも関東地方のあの活動を取り入れたいと思って頂けるような活動展開をして行けるよう努力します。初参加者も多数居る中での懇親会でしたが同じ全港湾青年部の仲間として3日間という短く貴重な時間を仲間と共有し楽しく有意義に過ごそうという気持ちが溢れていると感じました。

2日目、鈴木誠一中央副執行委員長の講義ではこれまでの歴史から日本国憲法まで多くの話を聞かせて頂けました。労働組合結成期から今日までの歴史に関しては今後とも自分自身学んでいきたいと感じさせて頂けた講義でした。港湾労働法に関しては全港湾のすべてと言われてる事もあり、今後も時代の流れに負けずに守り抜き港湾労働法をもとに闘い続けようと思いました。現状直面しているターミナルの自動化と雇用、残業時間や働き方改革と多くの問題が今後も立ちはだかると思いますが臆することなく闘い続けて行きたいと自分自身微力ながら思います。

講義後の分散会は青年部主体となり①青年部のあり方、今後の活動、②全国青年部創設について。①②のテーマを中心に7つの項目について話し合いが行われました。6大港と地方港の違いや各地方毎に問題や悩みは違いますが、青年部として今後取り組んで行く課題と目標が明確になりとても良い勉強になりました。

3日目、松本耕三中央執行委員長の挨拶から講演をして頂けました。日本労働組合総評議会から連合と全港湾や労働金庫と全労済など多くの歴史的背景を学べた講演でした。学ぶ事と同時に感じるのは、結成当時には青年部という年代的層もない中で現在の自分と同じ歳の頃には先代方が0から仲間を集め、多くの事を考えて行動を起こし闘い続けてきた歴史を後世に引き継ぎ続けて今まさに自分達にその意志や思考が受け継がれようとしている。全港湾青年部と言われるこの貴重な時間を生きる労働者としてただ仕事をするのではなく、次の世代へ今より働きやすく良い環境を引き継いでいかなければならないと感じました。2日目の懇親会が終わる頃には鈴木誠一中央副執行委員長は【先生】と呼ばれ、松本耕三中央執行委員長は【校長】と呼ばれる本当に学舎のような雰囲気の中、第21回青対に参加出来た事を感謝します。

最後になりますが準備をして迎えて頂いた運営委員の皆様、仲間として一緒に学んで頂いた青年部の皆様、講義講演をしてくださった先生と校長の皆様、この機会を与えてくれた横浜支部関東港運分会の皆様、本当にありがとうございました。

 

 

関東地方 横浜支部   鎌田 徹

 

全国青年対策交流集会が終わり、帰路につき、今回の青対は自分にどんな影響を与えたのかを考えてみました。自分に影響を与えた事はたくさんありましたが、一番は全港湾の歴史でした。1946年に全日本港湾労働組合同盟が結成され、そこから何十年、多くの人が汗水流して今の自分達があるのだと知り、その流し方は尋常ではないと講義中に受け止めました。短い時間でしたので歴史ついてほんの触り程度しか聞く時間はありませんでしてが、自分の考えは甘すぎると感じました。全港湾の組合員は減る一方です。しかし、それでは過去の歴史が無駄になってしまいます。全港湾を立ち上げた方々、またそれを今日まで支えてくれた方々、そしてこの先の若い世代のためにも、何を出来るか考えていかなくてはなりません。しかし、まだ自分の中では具体的なプランはなく、口先だけの組合員です。今後、先輩方の話を聞き、また同世代、後輩と討論を重ねる事により何をすれば良いのか見えてくるはずです。それを一致団結で実行に移します。最後になりますが、今回の青対準備に携わってくれた方々、ありがとうございました。

 

 

関東地方横浜支部名古屋分会 水口雅雄

 

お疲れ様です。今回、愛知県のシーパレスで行われた青年対策交流集会に初めて参加させて頂きました。全港湾に加入して以来、青年部の集会に参加するのも初めての事で非常に良い経験となりました。また、中々交流することの無い各地の方々との交流もでき、参考になる話しなど色々と勉強させて頂きました。今後、この経験を活かしてまずは自身の分会へと広げ、今後の活動に参加してもらえるよう自分なりに仲間へと伝えて行きたいと思います。

 

 

関東地方横浜支部 堀吉成

 

初めての青対参加で何を取り組めばいいのか、どんな発言をすればいいのか不安を抱えて挑みました。テーマに沿って班別に議論を行った分散会では活発な意見が途切れることなく続き、何度も休憩を挟みながら濃厚な議論を行う青年部の熱意に影響されいつの間にか熱弁してしまいました。鈴木中央副委員長による講義では全港湾の歴史等からPORT2030等への課題、自民党の憲法改正草案から読み取る改憲の危険性を学び考えさせられ、次の時代を担う青年部層の今後の取り組みや活動に大きな責任と使命感を感じ、この全国青年対策交流集会に参加して得た知識や仲間との交流は今後の組合活動を取り組むうえで重要な経験となりました。そしてこの集会を開催するにあたり準備や運営に携わった方々、本当にお疲れ様でした。この場をお借りして感謝を致します。ありがとうございました。

 

 

関西地方青年部築港支部部長 南谷尚孝

 

今回、全国青年対策交流集会に参加して、感想をのべたいと思います。鈴木勝也さんからの挨拶で大阪の震災に触れていただき、西日本における大震災の危惧、来る南海トラフ地震の港湾としての対応を問われ、すぐに答えが出ず課題が、露呈し関西に持って帰って、議論する必要を感じました。時代は、確実に便利な方向へと動いており企業自体もプール金をつくるより、ITへの設備投資へ移っていると聞き、これからの人手不足を自動化や合理化で、港湾の労働人口を減らしていくのでは、という懸念に対しても、絶対反対という態度を私たちの前で見せてくれるのは、組合として心の支えにもなります。守られていると感じました。鈴木誠一副委員長から、もっと平和について考えてほしという言葉に、23日に沖縄慰霊の日に皆は知っていたかと問われ、たまたま、行きの新幹線でWEBニュースで出ていたので知りましたが、意識をしていないと、スルーしてしまう自分もあったはずです。平和に対する意識をもっと高めていかなければならないと感じました。

2日目、鈴木誠一副委員長からの講義は、働く者たちの組合として始まった全港湾労働組合同盟から始まった全港湾の歴史、世代交代を果たしていく中で、元来の理念が変わっていない芯の強さ、この全国青対で、意識の高い組合員を作ることの重要性、組合の創設を全国に促したのは、実はGHQだった事実、バブル時代に迎えた組合にとっての逆風など、知らない話を聞けて、ためになりました。すすむ自動化に対しても「労働の原点は、働くこと」働くことに意義があると思いました。

3日目の松本委員長の講義は、歴史を学ぶ意味をまず説いてくださいました。「歴史を学ぶ事は、同じ失敗をしないため」と言われ「労働運動200年先輩の積み上げてきた物を無駄にしない」積み上げるという事の難しさを痛感している自分が今いる中で歴史学ぶ重要性を感じました。働き方改革についても、派遣法と同じ手口で、規制をズルズル下げて、行くと言われ政治も昔から変わってないと感じ、労働者に不利な法案を通そうとする事に、怖さを覚えます。

交流の方も各地方の考えや現状を知り若い年層も、悩みが尽きないと感じ、問題を乗り越える力の必要性を痛感しました。今回の講義や交流を糧にこれからの活動を頑張っていきたいと思いまして、全国青年対策交流会の感想とさせていただきます。ありがとうございました。

 

 

関西地方阪神支部 坪井雄志

 

6月23日から25日にかけて第21回全国青年対策交流集会に参加しました。各地方活動報告では青年部独自の活動として「フクシマキャラバン」、「エコキャップ運動」、「辺野古キャンプシュワブ座り込み」、「選挙活動」等々、各地方、各支部様々な活動に取り組んでいることが伺えたと同時に自分の支部は「レクリエーション活動ばかりで遊んでばっかり」と痛感させられました。

2日目「日本国憲法を読んだことがありますか?」と題し、鈴木誠一中央副委員長からの講義がありました。権力者側は憲法を変えたいと思っていますが私たちからすると「今の憲法のおかげでつらい思いをした、ひどい目にあった」とかは聞いたことがありません。世界に誇れる現行の憲法を守っていくことがこれからも必要だと感じました。また、「組織を作っていくのは人であり、人によって良くも悪くも変わってくる」という言葉も印象に残っています。私自身、支部青年部長もしながら支部執行委員もやっています。そういうこともあって分会員にも注目されている部分もありますので周りの人間に偉そうにしたり、されたりしないように行動しなければならないと思いました。

5つの班に分かれ「青年部の在り方、今後の活動」、「全国青年部創設について」の2つのテーマを中心に分散会が行われましたが、皆さんは青年層の組合員に積極的に声をかけ、飲み会に連れて行ったり、地区港湾の運動会に一緒に参加したりして青年部の存続、拡大に力を入れていることがわかりました。

3日目は松本中央執行委員長から参加者に対し、あいさつがありました。冒頭松本委員長は「なぜ歴史を学ぶか?」と参加者に問いかけ、「歴史を学ぶ理由は今後何かに挑戦するときに失敗しないためである」と説明されました。また、派遣労働、働き方改革の問題にも触れ「良心的なメディアの報道もあるが一部政権寄りの報道をするメディアも存在する。そういう物に私たちは騙されてはいけない」と呼びかけられました。このあいさつを聞いて「メディアに騙されないようにするにはどうすればよいか?」と自分なりに考えた結果、日常的に「色々なテレビを注意深く見る」、「色々な新聞を見る」、たまには「気になる現地に足を運ぶ」、一番大事なのは「周りの人たちとの会話」なんだと思います。

私自身全国青対は何回も参加していますが地方、支部同様、青年部も世代交代が進んでいるように見えました。また、中執の方々のお話もいい刺激になりましたが分散会、懇親会を通じて、全国の青年部とのつながりの大切さを再認識させられた3日間でした。

 

日本海地方青年部部長 小堀一彦

 

6月23日~25日で開催された第21回全港湾青年交流集会に参加しました。

1日目、中央執行委員青年対策担当の鈴木氏より開会の挨拶と自動化の問題についての講義がありました。数年の間に自動車の自動運転が開発されることによって、港湾でも将来的に人手不足により機械の自動化になると言われていました。

又、労働運動の基本路線の考え方は変わらないが、これから先あきらめることなく、解決していかなければならないと考えさせられる内容でした。

2日目、中央副執行委員長青年対策担当鈴木氏より全港湾の成り立ちについての講義で、労働組合は一人一人が作るものであり、考え方が変われば労働組合の組織も変わって行くことと、働くことは自分を守るためや家族を守るためでもあると話がありました。

この講義をもとに分散会を行い、僕の班は9人で3つの課題を議論しました。

「青年部のあり方、今後の活動」「全国青年部創設について」「組合離れの対策」で他方の取り組みや意見を聞き、これからの全港湾を守っていくためには大きな課題であることを実感しました。

3日目、中央執行委員長の松本氏より講義がありました。労働を守るためには地域との関係が大切であり、自分達だけが良ければ良いと思うものではなく、常に全体を考え、視野を広げていかなければならないと言うことでした。その后、分散会の発表では他の班から色々な考えや意見を聞くことで大変充実した講義でした。

最後に本部総括で松本団長のガンバローの一言で、3日間の青年対策交流集会が終わりました。

僕は3回目の参加で全国の仲間達と交流したり、色々な話を聞いて、自分自身も組合活動を頑張っていくことを改めて強く実感しました。今回学んだことを組合活動にいかしていきたいと思いました。このような貴重な経験をさせて頂きありがとうございました。

 

 

日本海地方七尾支部 沢田祐磨

 

6/23~25の3日間を通して、多くの青年部と交流し、沢山の経験をさせて頂きました。初日は、鈴木勝也中執によるあいさつがありました。港湾作業に関しての作業方法や安全、労働不足、自動化についてお話して頂きました。コンテナの話は、自分達の港で取り扱っていないため、とても勉強になりました。また、各地方活動報告では、それぞれ地域特有の活動が多く、青年部の活動に対する熱い思いを知る、とても良い機会を得ることができました。

2日目には鈴木誠一中執による講義がありました。青年部担当であるため、青年部活動報告は、はっきりと言ってほしいと叱咤激励をして頂き、もっと積極的になってほしいとおっしゃいました。そして、本題である全港湾の成り立ちを抗議して頂きました。長い歴史を知ることにより、受け継いでいくものと変えていかなければならいないものを考えさせられました。分散会では、他の支部と班を作ってテーマに沿って議論しました。それぞれの地域によっての考え方があるので、思いもよらない意見が出ることもありました。

3日目(最終日)には、松本耕三委員長によるあいさつがありました。近年、20代、30代は新聞等を読まずに、自民党に票を入れる。(もしくは投票しない。)人間は猿とは違い、先輩方が残してきたものを守っていく等を考えて行動していくべき。他には、残業代ゼロ法案に関係して、労働者派遣法・港湾運送事業法・港湾労働法も絡めて話して頂きました。話しを聞いていて、多くの情報を得て、視野を広げ、全体を見通して物事を考えて行かなければいけないと考えさせられました。

最後に、分散会発表、年間スローガン発表、青対の在り方等について話がありました。今回の第21回全国青年対策交流会議と通して、全国の青年部と有意義な議論と交流ができ、とても良い経験になりました。ありがとうございました。

 

 

日本海地方直江津支部 高橋竜児

 

6月23日~25日の3日間、豊橋市シーパレスリゾートで行われた青年対策交流会議に参加してきました。3回目の参加だけあり、横のつながりが増えてきたと感じた3日間でした。全港湾の歴史、日本国憲法の話など自分にとっては難しい事ばかりでしたが勉強になることばかりでしたので有意義な時間を過ごすことができました。分散会では、5班に分かれ色々な議題に沿って話し合いました。組合離れの対策など、色々と参考になるような話が聞けたので、支部の青年部で抱えてる悩みを少しでも解決できるようにしていきたいと思います。この3日間、全港湾の歴史、日本国憲法と内容の濃い話でしたが勉強になりましたし色々な地方の青年部員の話が聞けて他では味わえないような経験ができました。この3日間で味わったことを生かし青年部を盛り上げると共に、今後の活動に活かしていきたいと思います。

 

 

日本海地方境港支部 安部宅造

 

まず初めに今回中央執行部、ならびに、各地方支部の貴重な財源で青年対策交流会議を開いていただきありがとうございました。今回、二回目という事で全体の流れ、雰囲気はつかめていたと思います。しかし部長たちでも色々な問題をかかえており、組合員との意識の違いがあるといっていました。今後は青年部全体で底上げしていかなければいけないと個人的に思いました。親のケツをたたくくらいの意識でやるという話も出ており、もし、本当に青年部がそのような意識で取り組めば相乗して全港湾がよくなると思います。なのでこれからも青対を通じて意見交換をしてモチベーションをあげ知識をつけ、全港湾を盛り上げていきたいです。ありがとうございました。

 

鹿島港支部 高木涼

 

青年対策交流会議には2回目の参加となりました。

まず、中執の方々から組合の歴史や現状などの講義をして頂きました。当たり前のことですが、生きるためには働かないといけないが、不当な条件では安全に作業ができず危険に繋がってしまう。そこで経営側と対等に話をするための労働組合であり、地区、地域の問題にも寄り添うことができる組織であることを強く感じました。グループ討論では青年部としての在り方が議題としてあって、青年部は次の世代の組織づくりとして勉強をしたり、経験をする場所。また、平和運動、地域での様々な活動に参加することで全国の仲間たちと意見交換など繋がりを持てるこが青年部としての強みなのではないかと思いました。

今回学んだことを支部に持ち帰りしっかり伝えていきたいと思います。最後になりますが、今回の運営、事前協議などの準備をして下さった皆様ありがとうございました。

 

 

東北地方ひたち支部 川崎広太

 

今回の青年対策交流集会(以下、青対)は初めての参加でした。青対に参加しての感想は、自らの知識向上、そして、全国からの皆さんからすごくパワーをもらえた大変有意義な青対に参加できたと感じました。初参加の為、今回の青対で自分がどのようなことが出来るのか、学べるのか楽しみとともに緊張感がありました。

まずは、各地方の活動報告がおこなわれ、簡単ではあったが、各地方と交流していく中で自分たちの地方ではおこなっていない取り組みなどを知ることができました。

鈴木誠一副委員長からの講義では、組合の歴史をかみ砕いて、さらに分かりやすく教示していただきました。1946年の発足から組合への成り立ち、1971年のはしけ闘争や合理化の闘い、労働組合の組織や労働戦線の再編、その他多くの歴史を教えていただきました。抗議冒頭にあった「人間の言葉をかえして、次の世代に繋いできた」との言葉には、大変重みを感じ、一日単位ではとても知ることはできない、歴代の方々の壮大な歴史を感じました。全港湾は一人でも加入できる労働組合。仲間を通してみんなで団結して頑張ることや、歴史以外のたくさんの熱い気持ちで言葉をいただけました。歴史等をすべて覚えることは難しいが、鈴木誠一副委員長の気持ちを、しっかりと持ち帰りたいと強く思いました。

分散会では、全員が同じ姿勢で真剣に取り組むことができ、時間いっぱいたくさんの意見を出し合いながら、テーマに沿って語り合うことができました。「やる時はやる」メリハリのある人たちが集まり、とても居心地の良いグループでした。また、発表の場でも自分たちの想いをはっきり伝えることができ、気持ちのこもった分散会でした。

仲間との交流の場では、みんなの思いは一つで、労働組合のあり方を肌で感じることができ、とても良い経験になりました。全国の最高の仲間と出会えることができ、とても活動意義のある青対でした。

 

 

東北地方塩竈支部塩竈分会 小國巧美

 

6月23日から25日までの3日間、豊橋で行われた第21回全港湾青年対策交流集会に参加しました。初日はホテル到着後に受付を済ませ、15時からの集会に参加しました。各地方の活動報告と3日間の日程確認後に代表者会議が行われました。

二日目は、9時から講義が行われ、講師として鈴木副委員長が全日本港湾労働組合の成り立ち、全港湾青年部の結成、これからの全港湾などの内容で話をしていただきました。普段聞いたことのある内容の中でも、とてもわかりやすく説明していただきました。

昼食後、13時から分散会に参加しました。まず、五つに班分けし、各班三つから四つのテーマについて話し合いました。自分の班は最初から決まっていたテーマの青年部のあり方と今後の活動、全国青年部創設についての他に組合離れの対策を選び話し合いました。

話し合いでは、若い世代のスキルアップを目的とした活動をもっと増やして行くべきという意見や、各地方で密に連絡を取り合い各地方の活動に参加して繋がりを強化して行こうという意見など活動に対する積極的な意見がとても多く出ました。積極的な意見とは逆に、各地方に悩みもあり、呼び掛けに対して組合活動や行事に人の集まりが悪くどうしたら良いかといった意見も多く出ました。その対策として現在自分の支部で行っている行動を教え、意見交換をし、今後の自分達の支部で行う活動に役立つ話し合いになりました。

最終日は9時から松本委員長のあいさつから始まり、前日の分散会の各班の意見発表と青対年間スローガン発表がありました。分散会の意見発表では、意見の違いはあってもほとんど地方で同じ悩み同じ考えを持った仲間だと改めて感じることができました。

今回初めて青対に参加させてもらい、他の支部の悩みや問題だけでなく、自分の支部の問題をみんなで話し合うことができました。各地方の活動に対する方向性なども確認でき、今後の自分の支部の活動に活かせる内容になりました。今回の内容をこれからの活動に活かして積極的に取り組みたいと思います。

 

 

東北地方塩竈支部塩竈分会 内田 光

 

初日は、北海道から沖縄まで全国様々な支部なので、仕事や環境の違い地域それぞれの問題等を含めて話し交流を深めようという話を聞きました。初めての青対の参加なので積極的に交流していきたいと思いました。懇親会では各地方にあいさつをして楽しく過ごすことが出来ました。自分の部屋割りでは東北、関東、東海、関西、四国の年齢もバラバラの5人となり、最初は少し遠慮していましたが、各地方でしか聞けない話、自分の地方での問題や考え方さまざまな意見の交換ができとても充実した時間を過ごせました。

2日目の分散会では各地方の意見交換をしながら考えをまとめていきましたが、まだまだ自分の考えや経験が足りなく周りの意見に関心や驚くことが多かったです。自分が青年部である限りもっとたくさんの知識をつけ経験を積んで分散会などで意見を言えるようになりたいと思いました。

最終日、はじめに松本委員長からのあいさつで労金や労働組合の話、港湾の仕事と法律に関わる話を聞きました。自分が知らないことばかりで関心や驚くことしか出来ませんでしたが、松本委員長が言った先輩達が築いてきた歴史を大切に、次に引き継いでいくという言葉に「今度は自分達の番」と思い、もっと知識を高めて行きたいと思いました。

分散会の発表ではやはり同じ意見が多かったですが、観点の違いさらに深く追求しているなど違う意見が聞けたのが勉強になりました。

この3日間を通して自分が思ったのが、自分の知識の足りなさと発表などの際の会話力や発言力などをもっと磨きたいと思いました。交流の際もはじめてだったので緊張した場面もあったので、もっと積極的に交流すればよかったと後悔しました。

次回も参加できるのであれば、今回の参加をいかしてもっと交流を深めたり、多くの意見が出せるようにもっと組合のことについて知っていきたいと思いました。

 

 

東北地方小名浜支部 鵜沼宏弥

 

初日は、各地方活動報告、懇親会があり全国の地方の方々と交流をしました。2日目は、鈴木副委員長による講義で、全港湾の歴史について学びました。全港湾は戦後とともに結成してきた。また労働組合はなぜ必要なのか、経営側と労働側があり、労働側は団体で団結し、経営側と対等し、賃金や労働条件の交渉するためである。また組合は人によって、良くも悪くも変わり、指導者でも変わる、日本の港の数は93港あり、六大港は一種、地方港は二種、三種、非指定港と分けられていることも学びました。

分散会ではA〜E班にグループに分かれ、全国各地の青年部と交流し意見を出し合いました。主に青年部のあり方、今後の活動と全国青年部創設について、を議題にして話し合いました。他にも災害や震災に備えた対策、組合離れについて、この2つの議題もあがりました。青年部のあり方、今後の活動について問題点が多く上がったのは、執行部以外の若い人がもっと交流をする、役員と一般員の温度差がある、この2点はどこの地方も一緒の問題でした。対策として、全国的なレクリエーションを行うこと、分会の中で(一般員など)教育をする時間も限られるので、執行部が個人的にコミュニケーションをとり興味をもたせることでした。

全国青年部創設については、代表者会議に重みをつける、また問題として組合費プラス、全国青年部でまたお金を集めることになり負担がかかる。お金に関した問題点が多かった。現状なくてもやっていけているので作らなくてもいい方向にまとまりました。次に組合離れの対策は、初めに六大港と地方港で組合離れの意味が違うことがわかりました。六大港は会社自体をやめること、地方港は組合活動に参加する人が少ないことでした。この議題は青年部のあり方、今後の活動につながっている部分が多く、対策としてレクリエーションやBBQとコミュニケーションをとっていくことが大事とまとまりました。

災害や震災に備えた対策は、当時者からの生の声を聞き災害、震災の危機感をもち、避難訓練や避難場所の確認をすること、それらの対策を地元にもっていき伝えていくとなりました。

最終日は、松本委員長の講義の中で選挙と法律の問題について学びました。選挙については、若い人が政治に興味がない、投票をしない、政治に興味がない人は自民党に入れている現状。法律の問題は港湾には、派遣社員はこない(港湾運送事業法)法律できまっている。六大港(港湾労働法)規定によそい作業ができる。

今回初めて青対に参加して、全国の方々と交流し意見や、各地方の問題、問題解決の仕方を聞けたこと、それらをもとに今後の活動に役立てていきたいと思いました。

 

 

東北地方青年婦人部小名浜支部 武田陽介

 

6月23日から3日間に渡り、第21回青年対策交流集会(以下、青対)が愛知県豊橋市にあるホテルシーパレスでおこなわれました。

鈴木勝也中執からは開会の挨拶の中で、平和運動についてこれから先たくさんの活動があるがあきらめることなく続けてほしいと話があり、また自動化については雇用や職域を保つためには反対するべきだが、やはり将来的に考え今の青年層がしっかりと考えていかなくてはいけないと感じました。

諸見書記次長からは青対をどのように作っていくのか、今回の運営委員会方式の開催は、これからの第一歩になったのではないかという話がありました。

中執挨拶の後、地方活動報告と自己紹介が行われ、各地方青年部がどんな活動をしているのかを知ることができ、自分達も出来ることがあれば積極的に取り入れていきたいと思いました。

2日目の午前中は鈴木誠一副委員長の講義が行われ、全港湾の歴史、労働組合の大切さ、6大港と地方港の違いなどわかりやすく教えていただきました。印象として一番残っているのは全港湾の歴史の中で、先代の方々は今の青年部と同じ年代の時に労働組合を作り、第一線で闘ってきたと聞きました。「なぜ青年部ができたのか」という話を聞き、近い将来、自分達が先頭に立って活動をしていく為にも、意識の甘さなどを改めもっと知識をつけ職場を守っていけるよう今の活動を精一杯おこなっていきたいと思いました。

分散会は5班編成で行われ、課題として「青年部のあり方、今後の活動」、班ごと自由にテーマを決め議論をしました。分散会まとめ発表では、各支部、各地方でコミュニケーションを図りながら活動することが一番大事とし、全国での情報の共有など、青年部として横のつながりを強化していかなければならないという意見になりました。

最終日は松本委員長の講義の中で、「なぜ歴史を学ばなくてはいけないのか?」という講義の中で、「歴史を学ぶということは同じ失敗をしないということ。」という話がありました。全港湾の歴史の中で、先輩方が闘ってきたことや、守ってきたものをしっかりと学び、その中で何事にも挑戦していきたいと思いました。

スローガン選考では「時代を担う仲間と共に、二度ないこの時を!全港湾青年部」が選ばれました。青対や平和行進を通して出会った仲間と、全国の港を守っていく為に今やるべき事を考え、反核運動や平和運動についても横のつながりをさらに強化し、今の活動に対して仲間と共に精一杯頑張っていきたいと思いました。

最後に今年で4回目の参加となりましたが、改めて全港湾は本当に素晴らしい労働組合だと実感することができました。一つの問題に対し真剣に考え議論し、仲間意識が強く全国の仲間と楽しい3日間を過ごす事が出来ました。今回参加して、各地方の仲間の言葉を聞いたからこそ、さらに地元でも平和運動や地域活動に取り組んでいきたいと思います。

 

 

東北地方小名浜支部 矢内誠也

 

6月23日から25日にかけて愛知県豊橋市にあるシーパレスで行われた、第21回青年対策交流集会に参加しました。

私自身はじめての青対参加で不安な気持ちがあったのですが、全国各地から集まった青年部の仲間とともに3日間とても楽しく、交流や意見交換をすることができました。

初日、まずは中執の方々からの挨拶をいただき、自己紹介と共に各地方活動報告をしました。自地方だけでなく、他の地方の活動報告を聞き、「様々な活動に各地方積極的に取り組んでいるな。」と思い大変参考になりました。

2日目は鈴木副委員長による、全港湾結成の歴史や青年部の歴史、また今後の全港湾についてのレジメで講義をしていただきました。まだまだ自分の知らない過去の全港湾の歴史や戦いなど、とても勉強になるお話でした。支部に戻っても運動史の書籍を見てみたいと思いました。

また、これから自動化とどのように向き合っていくのか、どのようなメリットがありデメリットがあるのか理解をし、しっかりと反対をしていきたいと感じました。

その後グループに分かれて分散会を行いました。テーマは青年部のあり方、全国青年部の設立について、をメインとし様々なテーマに沿って意見交換を行いました。各地方の考えや、起こっている事に対しての向き合い方や考え方、それぞれの想いや考えを聞くことができ、とても参考になり勉強になりました。

3日目は本部松本委員長の講義を聞いた後に、前日の分散会の発表となりました。各グループそれぞれの考えや意見を発表し、グループそれぞれの色がでている良い発表になっていたのではないかと感じました。

2日間の夜には懇親会として、多くの方々とお酒を酌み交わし、それぞれ違う地方の仲間と色々な話をすることができました。大変勉強になり、交流を深めることができた3日間だと思いました。

全国の青年部の仲間と集まるチャンスは、沖縄の平和行進、そしてこの青年部対策交流集会の2つとなっていますが、今後もこの機会を大切にし、支部の組合活動に精進していきたいなと感じました。

 

東海地方清水支部   橋本直樹

 

第21回青年対策交流集会に参加させて頂きました。今回が初めての青年対策交流集会で、右も左も分からない状態でしたが、清水支部の先輩方、他港の支部の方々に色々教えて頂き無事に終了できました。ありがとうございます。

初日に鈴木勝也 東海地方執行委員長の開会の挨拶、地方活動報告、日程確認などがありました。全国の支部の皆様には初めてお会いして凄く緊張しました。

二日目は鈴木誠一副執行委員長の講習を聞いたのですが、話が凄く難しかったのですが、わかり易い話し方で、とても勉強になりました。難しい法律や、制度、6大港と地方港の違いが少しは勉強出来たかと思います。分散会では、自分の意見をしっかり言えなかったので、もっと勉強して、次回また参加できた時にはたくさん意見を言えるようにします。

最終日 松本耕三執行委員長の話があり、とても勉強になりました。3日間は長いようでとても短い時間でしたが、他港の青年部の方々と交流できたので、会社の後輩に伝えていけたらいいと思います。

 

 

東海地方 清水支部   松下綾太

 

今回初めて参加させていただきました。青対でどんなことをしていうるかもわからなく、全港湾の歴史、組合としての活動などさまざまなことを勉強できました。また、なによりも全港湾青年部のみんなと交流をして親交を深めれたことが一番の収穫だと思います。今回学んだこと、思ったことを無駄にしないためにもまず自分の所属する清水支部で伝え、積極的に活動していきたいと思います。ひとつひとつですが、コツコツと仲間を大切にしてやっていきたいです。また参加したいと思います、ありがとうございました。

 

 

東海地方清水支部青年部副部長     新庄 巧

 

6月23日〜25日まで全港湾第21回青年対策交流集会に参加しました。自分は昨年と今年で、2年連続参加したんですけど、昨年会った人達と久々に会ってお互いに『お久しぶりですね。』って声掛け合って1年たっても忘れないもんだなぁって思いました。

初日は活動報告をして、日程確認をしました。その後、代表者会議を始めて参加させてもらい次回の開催場所と持ち回りをどうするのか?話し合いましたが、時間が足りなくなかなか上手く決まらず懇親会の時間になってしまいました。懇親会では、自分は横の繋がりを良くするためにいろんな人と話したり、また清水支部から自分も含め5名が今回の青対に参加したので、他の地方・支部の人と仲良くやってくれればいいなって思っていました。

2日目は鈴木副委員長の講義があり、歴史を学ぶってことを言われました。昔にやっていたことを今もやっているって言っていて、時代は変わってもやっている事が変わっていないんだなぁって思いました。また分散会ではテーマをもらいそのテーマについて色んな地方・支部の人達と話し合いました。青年部のあり方とか、組合離れの対策とか、簡単そうに見えて難しいテーマでした。

自分1人では全然答えなんか出なかったのに各地方・支部の人達の意見を聞いてこういう考えもあるんだって納得する部分がたくさんありました。皆で考えて、意見とか言い合い、色んな答えが出てくるのがすごいなっておもいました。意見の言い合える仲間達がいるっていいなぁってつくづく思いました。夜は、その分散会のメンバーと一緒に飯を食べて、いつも以上に絆が深まったと自分は思いました。

3日目は松本委員長の講義があり、そこでも歴史を学ぶ、新聞をみる、地域運動、残業規制の話とか色々してもらいました。自分にはちょっと難しい話だなぁって思いました。それでも少しでも若い世代にわかってもらいたく、清水支部に持ち帰ってこのことを伝えて行きたいと思います。また全国の地方・支部の仲間を大事にして行きたいと思います。

 

 

東海地方清水支部  大高直樹

 

今回、自分は青年対策交流会議に初めて参加させてもらいました。青年部に所属している。という事しか分かっておらず、地方に出かけて一体何をしてるんだろうな?と思い今回参加させてもらいました。今回、参加させてもらって一番印象に残ってる話は、「残業を減らす。でも賃金が減ってしまわないように頑張っていかなければならない」という話でした。正直なところ、そんな事が可能なのか?現実的ではないんじゃないかと思って聞いていました。ですが帰りの車の中でふと思った事は、同じ会社で一緒に汗を流してる仲間、この3日間で出会った全国の仲間と共に、頑張って行けば本気で変えれるんじゃないかと感じさせられました。そしてそれが団結という事なのではないか。そう思えました。3日間という短い時間ではありましたが、ありがとうございました。また機会がありましたらよろしくお願いします。

 

 

東海地方清水支部 稲葉健人

 

今回、初めて青年対策交流会に参加させてもらいました。最初に声をかけてもらったときは、そういう場はあまり得意ではないし、できれば避けたいという気持ちが本音でした。しかし、港湾で働きはじめて8年目を迎え、今までこういったことから逃げていた自分を変えたいと思い参加させていただきました。

1日目は各地方の方の活動報告を聞きました。その後、宴会が始まりました。普段の同じ職場の人との宴会とは違う雰囲気の中、積極的に話かけ、また色々な方が話しかけてくれました。すぐに打ち解けることができとても楽しい宴となり、夜遅くまで仲間と酒を酌み交わしました。

2日目、午前中は鈴木誠一中執による講義でした。講義を聞いて、今まではただただ港湾の仕事を何も考えずにやっているだけでしたが、港の在り方、青年部としての在り方など自分の中に今までなかった気持ちに気づかせていただき、色々なきっかけになることは間違いないと思います。午後はグループに分かれ分散会をしました。みんなさまざまな思いを熱く熱く語り、とても刺激になり、自分も意見することができ良かったです。

最終日となった3日目は松本委員長の講義からはじまりました。政治のお話や働くことの意味やこれからの青年部の在り方について予定時間を超えるほど熱いお話が聞け、2日目の鈴木誠一中執のお話同様、明日にでも行動したくなる様な気持ちになりました。その後、前日分散会でまとまったテーマの発表でした。書記を任され皆さんの前で発表させていただき、下手くそながらも自分の言葉で話し少しでも伝えられたのかなと思いました。

3日間を通して自分の中に今までなかった気持ちに気付くことができ、また色々な行動に繋がるきっかけに間違いなくなったと思います。また、この日を迎えるにあたり大会前から活動していただいた運営の方にも感謝します。ありがとうございました。

 

関東地方横浜支部 青年部副部長  鶴岡勇輔

6月23日から25日に豊橋のシーパレスで開催された第21回青年対策交流集会に参加させて頂きました。中央本部合わせ総勢50名が集い、鈴木勝也中執の挨拶で開会されました。

二日目の鈴木副委員長の講義と午後の分散会、三日目の松本中央執行委員長の講演と分散会発表、ととても中身の濃い三日間となりました。特に二日目の鈴木副委員長の講義で使われてた「世代」と言う言葉は凄い胸に響きました。戦時中も次の政権交代を見据え、水面下で着々と準備を進めていた先輩方。戦後、港の荒くれ者をまとめ一から労働組合を作って来た先輩方。そんな世界を今日まで、そして今日も守って下さってる先輩方。今の自分達青年層が「世代」として何代目かはわかりませんが、バトンが回って来た時に港の自動化や少子化から来る労働力不足の問題もきっとセットで来ると思うので、分散会で話した組合離れ対策の取り組みを自分達の支部でもっと話し合わなければな、と思いました。

最後になりましたが開催するにあたり受け入れて下さった名古屋支部の皆さん、事前準備から取り組んで下さった運営委員会の皆さん、そして今しかない時を共に作ってくれた全国の皆さん、本当にありがとうございました。

 

東北地方ひたち支部 井坂雄太

今回の青年対策交流集会(以下、青対)は、青対の歴史上初のシーパレスでの開催となり、運営委員会の中心が名古屋支部、講義内容を各地方、支部の代表者が持ち寄った案を講師として本部青年担当の鈴木誠一副委員長と鈴木勝也中執にしていただきました。

今回の講義の内容は前回の北海道青対後に代表者全員で1年間しっかりと考えたものを本部に依頼し、実施していただいた内容でとても興味深いものとなりました。

青対の空いた時間には代表者会議を交え、各地方の代表者と、今後の青対の運営について中心に話し合いをしました。どの地方も、青対を続けていくことの大切さは同じ気持ちで、残していかなくてはならない努力を皆でする気持ちで今後進んでいきたいと思っています。

今回の青対で自分は、富山と北海道、今回のシーパレスと、3年間連続での参加となりました。各年毎にとても刺激的な内容となりましたが、今回の各地方の参加者はとても濃いメンバーで今までにないくらい各地方の壁を超えて盛り上がり、交流が深められたと思います。

青対を通して、全国の仲間と同じ内容を学び、分散会では色々な意見を言い合えたこと、夜はお酒を呑みながら皆で盛り上がって深い交流ができたこと、すべてが自分の宝になりました。この宝を自分の地方、支部に持ち帰って伝える運動をしっかりしていきたいと思います。今回関わってくれた皆さん、本当にありがとうございました。最高でした。

 

沖縄地方琉球港運分会 松村正人

 

6月23日(土)~25日(月)の3日間始めての青対に参加しました。1日目の鈴木 勝也中執の開会のあいさつに始まり、各地方の活動報告で年間の各地方の行事がさまざまある事が資料でわかりました。そのあと18時~懇親会では各地方の方と交流を深めいろいろと意見交換が出来ました。

2日目は鈴木 誠一副執行委員長の講義では港湾労働組合の結成、沖縄平和運動の取り組み、これからの全港湾といろいろと歴史やこれからの全港湾の取り組みについて貴重な話しが聞けました。13時~5つの班に別れて分散会があり自分はB班で9名の各地方の方と議論しました。組合離れの対策では各地方のさまざまな意見で青年部層の年齢の引き上げなどさまざまな議論をしました。2日目の慰労会では松本耕三執行委員長の乾杯で始まり、分散会の班に別れて交流をしました。

3日間最終日は松本耕三執行委員長のあいさつでいろいろと全港湾の組織の話し歴史

について話しが聞けました。分散会の発表では.各班の議論した発表があり青年部の課題でもある組合離れの対策などこれから各地方いろいろな行動をして組合離れを対策していこうとなりました。青年対策交流会議に参加して全国の青年部の皆さんとの交流、意見交換など貴重な経験をさせていただきました。ありがとうございました。全国青年部の皆さん今後とも団結して組合活動頑張っていきましょう。

 

 

沖縄地方本部琉球港運分会 野原久誠

 

愛知県シーパレスリゾート日港福にて、6月23日から25日の3日間参加させていただきました。沖縄からは、4名参加し、自分は、初参加だったので、とても緊張して会場入りしました。

1日目は、開会のあいさつを鈴木勝也中執の挨拶で始まり、交流会議の歴史やその意義等、とてもためになる話を聞き勉強になりました。次に、各地方活動報告をおこないました。自分は、各地方の活動に興味があり、配られた資料と地方代表の報告を聞いてました。各地方それぞれ地方の色を出した活動をしてる事を知り勉強になりました。報告終了後は、夕食会となり、各自各々自己紹介をし、各地方の方と直接情報交換、意見交換ができステキな夕食会でした。

2日日は、午前中鈴木誠一中央副委員長の講義があり、全港湾の歴史、法律、港湾のあり方などの講義がありました。話の内容を砕いてわかりやすく説明していただきとても勉強になりました。全港湾の素晴らしさがとても伝わりました。午後からは、分散会を行い7つの議題を各地方の方々と意見討論をおこないました。青年部のあり方など、今後の対策や活動をどのように行うか、どのように全港湾を守っていくか、その他にも色々テーマについて話しました。やはり歳も近いこともあり、色々な意見などを聞けとても刺激を受けました。この意見を様々取り入れ沖縄でも活動していきたいと思いました。

最終日、松本委員長の講義を受けました。2日日の鈴木誠一副委員長とは、また角度の違う講義を受け全港湾の奥深さを感じました。本当に勉強不足だと身にしみてわかりました。次に、年間スローガンの発表もあり「時代を担う仲間と共に二度とないこの時を! 全港湾青年部」と決まりました。その後に分散会の報告会を行い各班の発表をしました。感じた事は、同じテーマで話し合いをしたのに各班視点や意見など違いとても勉強になりました。この発表会を終了後に全体で記念撮影をし、3日間の日程を終了しました。3日間を通して感じた事は、全国各地方の悩みや活動を直接聞け考え深いか対策会議だったと思います。沖縄に持ち帰り参加できなかった方々に伝え青年部でもう一度考えないといけないと思いました。また夜の親睦会で様々な横の繋がりができステキな仲間だと思いまし。団結の意識が高まったと思います。最後になりますが、今回「第21回青年対策交流集会」を開催するにあたって全面的にご協力いただいた地元、運営委員、執行部の方々本当にありがとうございました。

 

沖縄地方本部青年女性部書記長 金城雄介

 

第21回全港湾青年対策交流会議が、6月23日から6月25日まで、名古屋の豊橋シーパレスで開催されました。開催に携わった名古屋支部の皆様、運営委員の皆様ありがとうございました。

初日は、中執挨拶として、鈴木勝也中執の自己紹介と挨拶で始まり、各地方青年部活動報告をしました。それぞれ活動報告書を参考にし、各地方重要な所を発表しました。その後、懇親会をホテルのレストランで行いました。懇親会では、初めて見る人も含め、参加者全員が挨拶回りをして仲良くお酒を飲みました。

2日目は、中執による講義ということで、鈴木誠一副委員長のお話がありました。今年はお話を簡単にして下さり、全港湾の歴史、労働組合の重要性等、組合に入っての一歩目をお話しして下さいました。その中で、私が興味を持ったのが、日本のナショナルセンターという言葉でした。午後からは分散会で班を作り、テーマに沿って話し合いました。私は、A班の書記(発表)を務めました。A班では、「①青年部のあり方、②全国青年部創設について、③組合離れの対策」の3つのテーマについて話し合いました。若い世代のスキルアップをしていく中で、中心となって活動をしている人が負担にならない様にしていくことが、大事なのかなと思いました。

3日目は、松本耕三委員長の挨拶がありました。その中で、同じ失敗をしない、何が必要か考えるという言葉に感銘を受けました。私は、視野が狭く何が必要かまでは考えていませんでした。これからは、視野を広げ考えて行動していこうと思います。最後に分散会の発表をし、写真撮影をして解散しました。今回私は、沖縄地本青年女性部の代表として、各地方の仲間達と語り合い、勇気を貰いました。そこで、私に何が必要なのかを考え、周りの意見を取り入れながら前に進みたいと思います。

 

沖縄地方本部青年女性部書記次長 河野貴博

 

今回初めて青年対策交流集会を名古屋シーパレスにて3日間参加させていただききま

した。運営委員の東海地方名古屋支部の皆様ありがとうございました。

初日は全港湾中央執行委員の鈴木勝也氏による挨拶を頂き、各地方青年部の活動報告、全国の仲間達の活動を知り沢山の集会や交流会をしている事に驚き勉強させて貰いました。懇親会にて仲間達と交流して仲を深めました。

2日目に全港湾中央副執行委員長鈴木誠一氏による講義を聴き、全日本労働組合の結成の話や6大港と地方港の話これからの全港湾についてなど沢山の話を聞き、そして分かりやすく解釈された日本国憲法の資料をいただき勉強させていただきました。午後から分散会にて班に分かれ各テーマについて話をおこない、1人づつ話しを聞き最終日の発表に向けてまとめました。

3日目の最終日には全港湾中央執行委員長松本耕三氏による挨拶、講義を受けました。分散会でまとめた事を発表会にて発表し各班の意見を聞けた事、考え方など大変勉強になり学んだ事を持って帰り伝えて行きたいと思います。

 

関西地方大阪支部青年部事務局長 市川佳介

 

6月23日〜25日の3日間、大阪支部青年部から2018年全国青年対策交流集会に参加してきました。今年は豊橋シーパレスリゾートでの開催で3日間ではありましたが色々な事を学び、持ち帰ってきました。

1日目は、鈴木勝也中央執行委員の挨拶から始まり、地震対策の話や各港での色々な問題、青年部の意識、立ち位置等についての講義を受けました。その後に各地方での活動報告を受けました。他の地方の活動を聞くと自分達が出来ていない事や、やっていかないといけない事が見えてきました。懇親会では全国の青年部の仲間たちと熱い話や、そうでない話も沢山して団結が固まりました。

二日目は、鈴木誠一中央副執行委員長の講義から始まりました。内容は全港湾創設からの歴史、港湾事業に係る法令や協定という港で働く人間なら当たり前にわかってないといけない事を解かり易く噛み砕いて講義を進めていただきましたので、勉強不足の為言葉の意味も分からない僕でも理解できる内容でした。港の自動化の問題についても講義を受けました。自動化による合理化での労働者の人員減少は自分に降りかかることかもしれないし、働く人間が減少していくということは組合員の減少にもつながることである。しかし、技術革新に反対するべきなのか、そしてこの少子化が進んでいる時代にこの先の労働者の減少も見えている現状があるのでとても難しい話であると感じました。

その後は、分散会をしました。テーマは「青年部のあり方、今後の活動」「全国青年部創設について」「組合離れの対策」「全国で起こりうる震災、災害について我々が考え取り組むこと」の四項目を話し合いました。各地方、各支部で色々考え方が違い抱えている問題も違いましたが、やはりどこでも組合離れは深刻な問題でした。仕事優先になるのはわかるが、その仕事や自分や仲間の生活を守る為にやっていることを理解してもらえないのが歯がゆいという意見があり、やはり勉強会や職場での付き合いがとても重要だと結論付きました。

三日目は、松本耕三中央執行委員長の講義を受けました。講義の内容は全港湾の歴史、全港湾の闘い、政治に対しての労働運動の大切さ等の内容でした。難しい事は言わず簡単に解かりやすく講義を進めていただいたので理解して自分でも考えることが出来る講義でした。中央本部総括としてもっと前のめりに活動していこう。間違ってもいいからということでこれからの全港湾を担っていかないといけないぞと尻を叩いていただきました。

3日間という短い期間であったのですが、全港湾の歴史、現状そしてこれからを考えさせられる素晴らしい青対でした。各地方、全国に仲間が出来て皆で皆を助け合い闘い続ける労働組合という事を再確認し熱い思いで帰って来ました。これからも青対は続いていくので是非、皆さんに参加していただきたいと思います。立ち上がれ青年部!!

 

関東地方東京支部東海運分会 中山

 

去る6月23日から25日の3日間で豊橋シーパレスにて第21回青年対策交流集会に出席しました。先ず運営に携わって下さり滞りなく無事に終わることが出来たのは名古屋支部の皆様のお陰だと思います、有り難うございました。

私は昨年に引き続き二回目の参加でしたが初めて会う方も沢山いて又、新しい仲間が出来たことを嬉しく思います、全国から44名の皆と同じ時間を過ごしてきました、

初日は中執の挨拶から始まり各地方の活動報告を行い活動報告書を受け取り青年部がない東京支部としてとては刺激を受ける事になりました。

二日目は鈴木誠一中央副委員長により講義を聞きました、逐一全ては書ききれない程興味深い話でそもそも労働組合は必要か?や、日本人として日本国憲法を読んだことがあるか?や、今後の意志継承、発足当時から綱領が変わらないこと、港湾労働法は前回の青対でも講義を受けましたが英国から持ち帰った等より深くおさらいが出来ました。

青年部発足の歴史等は私より断然若い方々が発足した話にはとても 胸を打たれました。

その後は分散会にて各テーマについて班ごとに意見交換しました、最初は皆遠慮がちでしたが少しずつ時が経つにつれどんどん意見が出て早く終わらせてゆっくりしようと最初はそんな会話からスタートしましたがある程度決まり後は班長と書記でまとめるだけになった時も誰も席を立とうとせず皆が熱くなっていた瞬間がそこにあったのではないかと思います。

そして三日目は松本委員長の講義です、今の若者の新聞離れによる政治的な偏りが冒頭に語られ今から30年前の総評から連合になった話や地区労の減少による労働組合の組織率低下等はとても興味深く労金、全労済の話になりお金を借りれなかった労働者の味方になり、又、夕張炭鉱閉鎖時に危機を迎えた時にはこちら側から手を差し伸べ共存している話はとても温かみを感じました。

他、秋田であった新規参入による職域を守るたたかいをしてきた話や今もとても問題になっている労働者派遣法、それにより困っている労働者の話など色々考えさせられる話を聞くことが出来ました、いつも色々な角度から分かりやすく話して下さりとても勉強になりました。

そして分散会の発表で5つのグループによって発表し今後の青年部の在り方についてやそれぞれのテーマに添って考えしっかり話し合ったその内容を発言し最後は松本委員長の団結がんばろーで閉会を迎えました、今後のスローガンもひたち支部の古内さんの『時代を担う仲間と共に二度とないこの時を!全港湾青年部』に決まりました、私は年齢的に最後の参加になりますがこの熱い気持ちを忘れずに今後の組合活動を頑張って行きたいと思います。

 


フクシマ連帯キャラバン活動報告

3月14日から21日にかけて今回で5回目となる「フクシマ連帯キャラバン」を実施しました。キャラバン隊は新潟から出発し、福島、茨城、東京と移動しながら各地で脱原発を呼びかけ、最終日の21日、東京・代々木公園にゴールしました。全港湾、全国一般、全日建連帯、自治労、日教組、国労から総勢26名が参加しました。参加者からのレポートを掲載します。

 

2018フクシマ連帯キャラバンで団長を務めさせていただきました。キャラバン行動も今年で5回目となりより多くの人が参加する運動になりました。まず新潟で結団式を行い、柏崎刈羽原発について学習しました。事故を起こした福島第一原発とは違う原子炉をだから安全と言いますが、そもそも原子力発電は暴走すれば人の手に負えず安全ではありません。それでも安全と言いきることに不安を感じ、福島第一原発事故の教訓は活かされているのか疑問に感じました。巻原発建設阻止運動の中心だった中村さんの講演では、今こういった行動力が求められていると考えさせられました。16日には福島県の復興庁に要請書を提出しました。原発事故があり苦労している福島県は、被災者支援や避難生活を強いられている方々への補償など、最後まで先頭に立ってやるべきです。福島県楢葉町での県民集会では、帰還困難区域に指定されている浪江町津島地区の方からの悲痛な訴えに心が痛みました。この地区沿いの国道114号線は、車内に置いた線量計の警報が鳴り止まず、未だに線量が高い場所がいくつもあります。事故後除染もできず人が住める状態ではないですが、ここが故郷という方がたくさんいます。帰りたくても帰れない人を生み出した原発許せません。茨城では3班に分かれ自治体へ要請行動をしました。原発は止まっていても危険があり、一刻も早い実行可能な避難計画策定を求めますが大変困難な状況です。東京では経団連、東電、省庁に要請書と共に自分たちの訴えと福島の現状を訴えてきました。そして最終日にさよなら原発全国集会でキャラバンの活動報告をさせていただきました。この他に各地で行ったシール投票では、たくさんの反対意見がありました。小さい頃外で遊べなかった、特別扱いやいじめが起きるから。若い世代の人たちにこんなにも苦労をかけているのです。福島県民として、この世から原発を無くすために運動の先頭に立ち続けます。キャラバン行動は早朝から寒い中で街宣など大変でしたが、力を合わせやり遂げられたことを誇りに思います。この活動をさらに大きな運動にしていくためにも今後も頑張っていきます。(キャラバン隊団長 東北地方小名浜支部 丹野泰希)

2018フクシマ連帯キャラバンに3日間参加しました。17日に福島県民集会で原発事故により避難された方からの訴えを聞き、18日は避難指示が解除された地域のフィールドワークを行いました。最初の飯舘村は一部が帰還困難区域になっており、許可が無ければ入れない場所があります。線量計を確認すると、あちこちで警告音が鳴り響いており、たった数十cmの間に、境界線があるという事に疑問を感じました。次に川俣町から国道114号線を通り、浪江町に向かいました。昨年9月に通行止めが解除となりましたが、道の両側にはバリケードが張り巡らされており入ることはできません。道中に「帰還困難区域内につき長時間の停車はご遠慮ください」と書かれた看板がありました。正直、それを言うなら通行止め解除そのものが間違っているだろうと思います。請戸に着くと震災当時のまま墓石は倒れ、建物は損壊したままの状態でした。小学校は津波での死者を出さずに済みましたが、請戸では原発事故により被災者の救助に立ち入れない事態が起こり、多くの方が亡くなりました。大平山霊園にある慰霊碑に刻まれた犠牲者の名前から当時の無念さ伝わりとても胸が痛みました。富岡町は昨年3月に一部を除き避難指示解除になりましたが、住民の多くは帰還せず、復興も進んでいるようには見えません。富岡駅付近は立派な建物が出来ていても、道路の周りはやはりバリケードがあり、人が住めるような場所ではないと感じます。放射能は目には見えず、風が吹けば拡散します。本来は線を引いて避難区域を決めるような代物ではないのです。政府はしきりに復興は進んでいると言いますが、自分の目には震災から7年経過しても変わっていないと映りました。東京オリンピックで新しい物を建設する前に、福島や被災地の復興が大切なはずです。今回学んだことや感じたことを活かし、さらには仲間と団結し、これからの脱原発運動、震災を風化させない取り組みを強化していきたいと思います。(東北地方青年婦人部部長 井坂雄太)

第5回フクシマ連帯キャラバンは新潟で始まりました。今回は昨年参加者を中心に実行委員会を組織し、改善点を議論し修正や新たな取組みが盛り込まれた内容です。まず新潟での柏崎刈羽原発や巻町原発闘争の学習では、運動とはどういうものか考える機会となり、我々にとって非常に大きな収穫がありました。また、新たに街宣に併せてシール投票を各地で行いました。多くの市民の生の声が集められ、8割が原発再稼働反対という結果は我々を勢いづけるものとなりました。福島では県民集会や福島第一原発周辺の視察で原発事故がもたらしたものを再確認しました。この惨状を国や東電はどう見ているか、疑問と憤り、悔しさと悲しみが湧き上がり、福島で何が起き、どうなっているかを国民に知らせることが必要と感じました。茨城では17自治体に対し、東海第二原発に関する要請を行いました。当原発は廃炉基準の運転開始40年を迎えますが、原電は20年延長運転を企てています。茨城は多くの原子力関連施設と日立製作所を抱え、強力な原子力事業の地盤があり、黙っていれば原発推進に向かうのは必至です。東京での経団連、東電、経産省との意見交換においても、自分達がいかに大きな相手と闘っているかということを実感しつつ、経済優先を謳い原発を推進する姿勢にはもはや狂気を感じました。しかし、我々はそれに屈することなく、市民の先頭に立ち粘り強く、確固たる信念を持って闘い続ける使命があります。最後にキャラバンで多くの方と出会い、語り、共に行動し人間として成長できたこと、やり通せたことは私の誇りであります。仲間との絆は切れないものであり、必要不可欠な連帯です。脱原発社会の実現は地域から運動を盛り上げ、成果を結集することが近道と信じています。仲間と再会の日をみんなが胸を張って迎えられるよう、離れていても心は一つ、共に頑張っていきましょう!(東北地方ひたち支部青年女性部部長 古内厚志)

フクシマ連帯キャラバンに参加させて頂き新潟、福島、茨城、東京の各地でフィールドワークや地元の方々との交流、街頭宣伝、福島県民大集会参加、茨城県の各自治体や東電、経産省への要請行動、さようなら原発院内集会、さようなら原発全国集会参加という8日間の日程でした。20日の行動では水戸を出発し経団連前行動の予定でしたが渋滞に遭い到着が遅れ、団長によるキャラバン報告のみで終わりました。その後東京電力に対し、福島第一原発事故の早期収束、柏崎刈羽原発の廃炉、被災者への補償継続などの申し入れと意見交換を行いました。回答は火力発電がトラブル続きで安定しないため、原発は電力供給に必要ということでした。被災者への補償については一人一人の状況を確認し補償を継続していくとの事でした。次に経産省、厚労省と意見の交換を行いました。汚染土の処理など検討中の事が多く、未だ線量の高い場所へ帰還するのを推進していることの指摘に言葉を詰まらせ、返答に困るなど対策も出来ていないのが現状でした。さようなら原発院内集会では韓国での原発事情について講演を聞きました。21日のさようなら原発全国集会では悪天候によりデモ行進は中止になりましたが沢山の方々が集まりました。キャラバン中は移動先の方々からのサポートもあり、とてもスムーズに行動出来たと思います。反省として、意見交換は前もって質問事項などをみんなで話し合う場を設ければよかったと思いました。シール投票の結果を見ても、原発反対が多いのに政府や東電が再稼働に動いているのはどうかと思います。民主主義とは何なのかを考えさせられます。日本は広島、長崎で原爆被害を受け、福島で原発事故を起こしました。原子力の被害を三度も受けながら、利権と保身に目が眩んだ政府や企業のために国が間違った方向へ進んで行くのは許せません。日本こそ原発を廃し世界に向けて脱原発、核廃絶を主導していかなければなりません。そしてさようなら原発全国集会のステージ上で見た沢山の傘が集っている景色は感動しました。ずっと忘れません。(東北地方八戸支部青年婦人部 佐々木聖也)

昨年は郡山市で行われた県民集会だけの参加でした。今年はメディアで報道されていない事や活動を通じ、様々な人との交流の中でより深い話を知りたいと思い参加しました。14日新潟での結団式で事務局の朴さんからスタートを新潟にした理由は巻原発建設を住民投票で白紙にした事、3・11の震災以降、新潟県が柏崎刈羽原発の再稼働に慎重な動きを見せている事などがあったためとの事でした。自己紹介の後、副団長に全国一般川口さん、全日建橋本さん、団長には全港湾丹野さんが選出され、団長による団結ガンバロー!で結団式は終了しました。15日は柏崎刈羽原発PR館見学と、地元団体の方のお話を伺いました。東電は震災を教訓に地元住民の避難計画をしっかりと立てていると思っていました。しかし、現状は自治体に計画を丸投げしており、防潮堤も液状化現象が起きた場合は役目を果たさない恐れがある事を知りました。16日は新潟市で街宣とシール投票を行いました。反対70、賛成3、どちらとでもない6という結果でした。反対意見は「怖い」「政府は自分達の方針の事ばかりで住民の事を考えていない」等、賛成は「地元が潤う」等の意見が出ました。新潟は世界一の原発がある県だと聞きましたが、原発は廃炉にすべきと思う人が多いことがわかりました。投票していただいた中高生の中にはどちらでもないの回答が多く、その大半は「わからない・興味がない」という理由でした。そういった意見を通し、学生にも興味を持ってもらえるような活動をすることが課題ではないかと思いました。今後は若い世代に興味を持ってもらえるような機会を作って知識にしてもらい、福島第一原発事故を後世に伝えてもらえるような活動を出来たらと思いました。行動を通して巻原発建設計画を住民が行政と闘い、住民投票で計画を白紙にさせた事がとても印象に残りました。色々な支部、団体との交流で多くの事を聞く事ができ、この経験はこれからの糧になると思いました。(東北地方酒田支部青年婦人部 田中俊介)

今回初めてキャラバン隊に参加しました。漠然と反核を訴えるのではなく、様々な人の話を聞き、知識を深め、自分の声で「原発はいらない」としっかりと言えるようになりたいと思いキャラバンに臨みました。14日から17日までの参加でしたが、丹野団長を中心に団結を深め、新潟で柏崎刈羽原発見学、巻原発住民投票の講演、地元団体の方と交流、新潟市内での街宣活動を経て福島県に移動しました。16日福島では最初に復興庁を訪れ県知事への要望書の提出を行いました。15分と短い時間の中、要請書提出と川口・橋本副団長、丹野団長の訴えで終了となりました。県側から特に回答はなく行政との温度差も感じました。その後行われた交流集会では地元労組や高校生平和大使OBの講演を聞きました。その中で「微力だけど無力じゃない」という平和大使のスローガンが特に印象に残りました。前日に聞いた巻原発住民投票も同じで個々の力は小さくとも、それは意味のある大きなものである事を表していると思いました。17日は福島県民集会に向かう前に福島駅前で街宣を行いました。私は新潟での街宣まで経験が無く、いざ現場に出るとなかなか声が出ず、思ったように意見を聞くこともできなかったのが自分の課題として残りました。街宣で行ったシールアンケートには約80人の方から貴重な意見をいただきました。福島県民大集会では3300人が集まり被災者のため、そして未来のために原発はいらないと改めて感じさせるものとなりました。今後の課題として脱原発を訴える中で一般の方にもより深い意識を持ってもらう事が必要と感じました。賛成・反対に関わらず幅広い層に意識づけできるようなワークショップや学校で学習の機会があればと思います。今後は自分自身の声でこの経験を多くの人に伝え、意識をしてもらえるような活動を行いたいです。そしてフクシマ連帯キャラバンに一般の方を巻き込むことで、運動がさらに広がり発展していけると感じました。(東北地方酒田支部青年婦人部 本多紘二)

 


第39回沖縄平和行進に参加して

第39回沖縄平和行進に参加して

関西地方阪神支部青年部員 松本宏樹

5月12日~16日の5日間の日程で5・15沖縄平和行進に参加させて頂きました。5月12日は久茂地市民劇場での全国結団式、ホテルに戻り、三単産・全造船機械結団式、平和学習会が行われました。平和学習会では講師として、沖縄県マスコミ労協議長の与儀さんの話しを聞き、沖縄の現状、基地の歴史、新基地問題など詳しく知る事が出来ました。
13日から3日間の行進がスタートします、僕達は南コースという事で出発式は南城市陸上競技場で行い、ひめゆりの塔を目指して歩きました。南コースは沖縄の戦時の中で一番の激戦区であり、もの凄く心が痛みました。
14日の行進は糸満市役所から東風平運動公園競技場まで午前中を行進し、昼食をとり午後は、ひめゆりの塔と平和記念資料館を視察しました。
15日の行進は奥武山運動公園のびのび芝生広場から国道58号線を北上し新都心公園を目指し歩きました。この日はレンジャーという行進を安全に行う為の警備部隊を任されまして、行進団とは別に感じるものがあり、皆さんが声を出し、意気揚々と行進している姿を見て、自分も最後まで頑張れました。その後新都心公園に東、西、南コース約2500名が集まり、集会をしてその後、ホテルまで移動し三単産・全造船機械の方々と懇親会をし、3日間本当にお疲れ様でしたと握手を交わしました。
初めての沖縄平和行進はとても貴重な経験ができました。この実際に目で見て肌で感じたことを一人でも多くの人に伝え、行動し沖縄に米軍基地がなくなるまで頑張っていきたいと思います。

第39回沖縄平和行進に参加して

関西地方大阪支部青年部副部長 横山 貴安基

自分自身初めての平和行進でした。貫徹できるのか不安でいっぱいでした。しかし仲間の励ましによって貫徹することが出来ました。特に2日目の視察の後、色々考えさせられて、今までの沖縄の歴史や人々の思いをしっかり背負って行進する事で自分が少しでも沖縄の平和に貢献出来るのかと思いました。そして最終日の3日目に精一杯出し切る事が出来たと思います。また自信にもなりました。解散後大阪支部として辺野古へ行き、会場視察と座り込み行動を経験しました。
辺野古の現状を目の当たりにして、更に平和運動に取り組む決意を新たに頑張らないといけない。現地での行動には中々参加出来ませんが、大阪に持ち帰り自分に何が出来るのかを再度考えたいと思います。そして自分の経験を周りに伝え、今まで以上の行動を仲間と一緒に団結して頑張っていきます。今の日本を守るのは我々青年層である、そういう思いを全国の仲間と共有し闘っていきたいと思います。皆さん大変お疲れ様でした。また、ありがとうございました。

第39回沖縄平和行進に参加して

関東地方横浜支部 山本 弥

僕の人生の中で初めて沖縄に行かせていただくことになったのが今回の沖縄平和行進でした。沖縄にもつイメージはリゾート地で観光客が沢山居て賑やかで華やかな場所だと思っていました。もちろん今回、僕たちが滞在した那覇市より北に行けばイメージ通りのリゾート地はあるのでしょ。しかしながら僕が沖縄南コース行進で経験した事は決して忘れない忘れてはならない語り継がなければならない現状でした。
初日の結団式には480人の仲間が集まり安部政権に負けずに頑張ろうと全員が決意を胸に沖縄平和行進は始まりました。正直な所、沖縄に来ることも初めてで普段、横浜で暮らしている僕には注意をしなければなかなか沖縄のニュースや現状は目や耳に入ってきませんでした。その中で沖縄でのモチベーション向上は目の前にいる沖縄の仲間と同じ方向に視野を広げ同じ方向を見ることから始まりました。地元の方の熱い言葉を耳にして韓国平和団体の言葉を聞きそして山城実行委員長の熱い魂の言葉を胸に刻みながら行進をスタートしました。関東の5月とは比べ物にならないほど暑く、日焼け止めを塗っていても日差しに肌を焼かれ一日目にして顔が赤々としてしまいました。ここ何年間も出していない大声を張り上げ全員が同じ訴えを掲げて歩きました。39回目の行進という事もあり沿道では手を振る地元の人々、幼稚園の子供が応援をしてくれてこの人々の為に、この子供達の未来の為にと恥ずかしながら行進の中で一つ一つ自分が行進をしている意味を積み重ねていきました。右翼との衝突もありながら炎天下の中、怪我人も出ずに無事に初日を終えた達成感が僕の脳を刺激しました。運動をしない僕の足には水ぶくれができていましたが痛みや疲労は寝る前になってようやく体に伝わってきました。良いことなのかそれほど歩いている時は脳が刺激を受けて覚醒していたのだと思います。
二日目の行進も炎天下の中でのスタートとなり前日から積み重ねてきた行進の意味を胸に刻み歩きました。南コースの僕は糸満市役所を出発して南風原町役場がゴールとなります。そこへ向かう道中には残酷な過去があり、シュフレヒコールも止めて歩いているとここで起きた悲惨な出来事の大きさが伝わってきました。午後になり僕は【ひめゆりの塔】【平和祈念資料館】を視察に行きました。この視察こそが僕の胸に衝撃を与え、本当の意味での行進の意味を知る事になりました。資料館の中に入ると僕が今まで訪れた資料館とは違っていました。中に展示されている資料や写真は戦争の恐ろしさや残虐性の強さを訴える物ばかりでした。テレビでは決して写ることない焼け焦げた戦死者の写真、体が真っ二つに引き裂かれた犠牲者の写真。見渡す限り目を背けたくなる資料が沢山展示されていました。そこには伝えていかなければならない戦争の実態、犠牲者の悲しみ、怒り、叫びが僕の胸の中に深く刻まれました。ここまで行進中の僕は【暑い 日差しで肌が焼かれる 足の水ぶくれが痛い 疲れた 喉が乾いた】などさまざまな愚痴が頭を駆け巡っていましたが火炎機で人体を丸々焼かれ、逃げ回る中で治療も出来ずに足は膿み、見つかれば殺されるという環境の中で数多くの犠牲者が感じていた恐怖や痛み、なにものにも例えられない感情に比べたら僕の今までの感情はあまりにも小さな事で頭に浮かんでいた事すら恥じるべきだと感じました。改めて自分の現状がどれだけ恵まれていてどれだけ自分が幸福だと感じたのと同時に政治的な事は深く分からないですが、僕が沖縄にきてやっている行動の意味は頭と体でしっかりと理解ができました。今回の活動内容について自分自身、心から活動や行動に責任を持つことの意味を気づくのが遅いですが心から感じる事が出来ました。これから僕は何をしていくのか何を伝えていくのか、本当の意味で行動にうつせるのはこれからだと思います。今回の経験は僕の人生観が変わる大事な活動だった事は確かです。貴重な経験が出来たこと心から感謝します。
あまり詳しく話せる内容は感想文には書ききれませんが全国の仲間との交流も沢山出来て、団結力の強さを感じる事が出来ました。帰宅後、残念な事に茨城県を拠点に大きな地震がありましたが今回の活動で出会った茨城県に住む仲間とお互いに連絡を取り合い【無事だよ】と報告しあったり全国の仲間から【大丈夫ですか?】と連絡が来て本当に嬉しかったです。

第39回沖縄平和行進に参加して

関東地方横浜支部 山本拓矢

今回の平和行進で感じた事は本当に参加して良かったと感じてます。全国の仲間との交流をし絆を深め情報を交換しあい良い関係を気づきあえました。地元に帰り後輩達に感想を伝え機会があれば参加してもらうよう述べたいと思います。また参加した事により今後の動員やその他の活動をする上での良い経験になりました。

第39回沖縄平和行進に参加して

関東地方横浜支部東分会 鎌田 徹

私はこの感想文を書くにあたって沖縄の事をどう伝えるか迷いましたが、文では伝わらないと思いました。それは沖縄に行った者にしかわからない事、それを肌で感じないとわからないからだと思ったからです。そのくらい沖縄平和行進に参加している人達の気持ちは熱く、そして強い気持ちを持っていたからです。今回は3日間で県外参加者1200人余りを含むのべ約4500人が平和という二文字を願い沖縄の熱い日差しにも負けず行進しました。
私はこの人数のシュプレヒコールに鳥肌が立ち、また同時に武者震いがしました。このような経験は初めてで、自分はこれからすごい事に参加するのだと改めて実感しました。
1日目、2日目が終わり3日目の朝、身体は相当疲れているはずなのに、その疲れは殆ど感じず、むしろ調子が良いくらいでした。3日目の最終目的地、新都心公園直前での最高潮に達したシュプレヒコールは本当に力強く、最高の団結だと感じました。
この平和行進の合間に私は「沖縄県平和祈念資料館」と「ひめゆりの塔」を視察に行かせてもらいました。ここで見た光景に我が目を疑いました。これが現実に起きた事だとは信じられませんでした。しかし全てが沖縄で起き、そしてたくさんの人の命を奪った事だと知り、この悲しい現実を突きつけられ目頭が熱くなりました。私はこの日本で、この世界でこのような事は絶対に起こしてはいけないと思い、その為にこれから自分は何をしなくてはならないのか考えました。
この移動日を含む5日間でたくさんの仲間との出会いがありました。初めはなかなか打ち解けず話をするまでに時間はかかりましたが、お酒も少し入り一人一人と話すと個々が持つ熱い気持ちに深く感動を受けました。沖縄で見て、感じた事は冒頭で話した通り行った者しかわかりませんが、しかしそれで済ませるのではなく、自分なりの言葉に変え伝えたいと思います。また、伝えるだけではなく行動で示します。

第39回沖縄平和行進に参加して

横浜支部上組名古屋分会 堀

お疲れ様です。沖縄平和行進参加にあたり、お世話してくださった沖縄地方本部ならびに各地方の参加者の方々、暑い中本当にお疲れ様でした。初めての平和行進参加の中で日を重ねるごとに各地方の交流も深まり、また行進を重ねるごとに沖縄の歴史と悲惨な戦争の爪痕、そして今沖縄が抱える現状等、身をもって感じることができた貴重な時間でした。この経験を持ち帰り、忘れかけている戦争の卑劣さや辺野古新基地問題を初めとする数々の米軍に関する問題、九条改憲を柱とする憲法改悪を推し進めようとする安倍政権の企み等、地方、支部、分会だけに留まらず家族や友達等幅広く伝え広めて今後の活動の発展に繋げていきたいと思います。

第39回沖縄平和行進に参加して

関東地本横浜支部  河西通雄

今回、二回目の参加となる沖縄平和行進でしたが、三日間天気も良く暑い中での行進となりました。横浜支部から宣伝カーを出すということで、1日前入りして12日は参加者を空港からホテルへ折り返し送迎しました。13日からの行進では南部コース、沖縄戦で多くの犠牲者が出たところです。看護学生のほとんどが10代で南部へ逃げる中、怪我や病気で動けない人を置き去りにしなければならない、そして最後は自らも命を絶った人達の気持ちを思うと心の底から悲しくなり、痛ましく思いあらためて同じ過ちをしてはならないと強く思いました。
横浜支部の執行委員をさせていただいている事もあり、中央本部の動員によく行く事もあるのですが、これから自分が出来る事は、反戦平和運動、国民的諸課題などの動員に積極的に参加し、一人でも多くの人達に伝え、広めて行く事が大事だと改めて思いました。 沖縄や神奈川から基地が無くなるまで自分は生きているかわかりませんが、諦めずに続けていきます。

第39回沖縄平和行進に参加して

北海道地方留萌支部   指田大介

5月12日から15日までの日程で沖縄平和行進に参加して来ました。北海道からの参加だったので日差しの強さ、温度差にまず驚きを感じました。5月12日に北海道を立ち、到着後の団結式、決起集会、平和学習会、三単産・全造船機械交流会を経て13日、14日の平和行進並びに15日の県民集会に参加させて頂きました。12日の平和学習会では、沖縄県マスコミ労協議長の与儀武秀氏より、沖縄の基地の歴史や沖縄の今の現状などについての講義をして頂きました。その中でも、辺野古への新基地建設、日本全体の米軍施設の専用面積の内、沖縄の米軍基地の面積が75%近くあるなど、それらのたとえ話として「甚大な被害を被った福島に、もう一度原発を作る事が出来るか?」「47人の学級。1人が35人分のランドセルを背負い続けてるとしたら?」と言うのが特に耳に残り、とても考えさせられた。今の沖縄の現状を少しでも理解するのに分かりやすい言葉だった。
13日からいよいよ行進に入りました。今回初めての沖縄平和行進参加、また、北海道からは1名の参加という事で緊張と不安でいっぱいの中、更に副団長を任せて頂き、緊張が一気に高まりオドオドしていたのを思い出します。行進中はシュプレヒコールを切らせてはいけないと、声を掛けて歩きましたが、皆心良く引き受けて下さり、次第に皆率先してシュプレヒコールしてくれるようになりました。また今回団長を務めてくださった、日本海地方 直江津支部の稲井太一さんが行進団をとても強く引っ張ってくれた事、全国の仲間が一致団結して行進できた事、ケガ人、リタイアが出る事もなく3日間行進できた事に感謝と共に、とても誇りに思います。今回の経験で、今までより少しは胸を張れるようになったのかなと感じています。また受け入れして下さった沖縄地本の皆さん、共に行進した全国の皆さん、ありがとうございました。そして大変お疲れ様でした。そして基地の無い平和な沖縄を目指して全港湾一致団結して頑張りましょう!

第39回沖縄平和行進に参加して

全港湾日本海地方直江津支部 稲井太一

「島唄よ、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい」
この詞はみなさんも知っている「島唄」の一節の本来の意味だと、今回の沖縄平和行進の2日目の視察の時に教えて頂きました。
私はこの歌詞を教えて頂いた時に、私たちがこの平和行進に参加する意味、そして、この行進で学び、経験した事をどうするのかと言うことを強く突きつけられ、考えさせられました。
沖縄は日本で最も凄惨な地上戦が行われた事は知っている人も多くいると思いますが、私たちが行進した南コースは最も激戦地であった糸満市や、南風原町等を行進し、大戦当時の沖縄の住民たちが、悲しみ、苦しみながら逃げ歩いた土地を当時を思いながら歩きました。
戦争法案が可決された今、このような出来事は決して過去の出来事ではなく、これからも起こり得る時代になってしまった今、我々平和行進参加者がすべき事は、沖縄の悲しみを、冒頭の唄の一節のように本土に届けなくてはならないのではないかと、考えました。
我々青年層に出来ることは声を上げ反戦平和を訴えることの他にも、自分で見て学んだ事を更に追求し、地元に持ち帰り、学んだ事を広め、そして仲間達を鼓舞する事なのではないかと思います。
それを私はこの行進を終えて考え悩み、実行出来るように邁進したいと思いました。
最後になりましたが、このような貴重な体験をさせて頂きました関係各所の皆様、受け入れ体制を取ってくださった沖縄地本の皆様、我々行進団を無事に貫徹させてくださったレンジャーの皆様、そして、私のような団長についてきてくださった三単産及び全造船機械の行進団の皆様本当にありがとうございました。

第39回沖縄平和行進に参加して

沖縄地本青年女性部部長 下條智史

5月12日~15日にかけて5・15平和行進に参加しました。12日は、本土参加者の受け入れ全港湾61名全国一般11名全日建連帯4名全造船機械9名、計85名で那覇市にあるパレット市民劇場にて全国結団式に参加しました。全国結団式には、全国各地から500名の参加者で冒頭に沖縄平和センター議長の山城博治議長が挨拶で戦争をさせない国にしていくために、沖縄の平和に対する思いの強さを行進を通して全国に発信していくと東コース・西コース・南コースの5・15平和行進がスタートしました。また、ホテルにもどり、3単産・全造船機械結団式を行い本土団長には、日本海地方直江津支部の稲井太一さん副団長には、北海道地方留萌支部の指田大介さん全国一般は、松井一貴さん全日建連帯は、磯谷紘平さん全造船機械は、山口俊輝さんに決まり団長の団結ガンバローで結団式を終え学習会にはいりました。学習会の講師としてマスコミ労協力議長の与儀武秀さんから、米軍基地の問題を知ってもらえるように米軍基地の歴史や今の現状の話をしてもらい初日を終えました。
1日目の平和行進南コースの出発は、南城市陸上競技場~ひめゆりの塔まで16㌔の車道の広く平坦なコースで沖縄の海や空を眺めながら無事ひめゆりの塔に到着し2日目の出発は、糸満市市役所広場~南風原町役場まで17,5㌔の道幅が狭くアップダウンなコースで糸満市は、沖縄戦の激戦区で71年前に、この地をたくさんの人が逃げ回り戦争の犠牲者がいたことを思うと二度と同じ過ちを犯さないよう行進団ひとりひとりの思いを踏みしめて行進をしました。3日目は、奥武山運動公園広場~天久新都心公園まで6㌔と午前中のコースで新都心は、米軍基地が返還された、まだ新しい土地でたくさんのデパートや住宅地、飲食店が多くたくさんの観光客が訪れることで、米軍基地が返還されれば沖縄の雇用は、増え観光客も増える事を目に見える形にした町なので平和行進をしめくくるには最も適した場所なので平和行進、参加者に沖縄の現状を見てもらえて良かったです。また午後から新都心公園で5・15平和とくらしを守る県民大会に東コース・西コース・南コースに別れていた行進団が集結し無事に第44回5・15平和行進を貫徹しました。

第39回沖縄平和行進に参加して

関東地本横浜支部  鶴岡勇輔

お疲れ様です。この度沖縄平和行進に参加させて頂きました鶴岡です。初参加が決まった当初は無知な私でしたが沖縄の歴史や置かれてる現状を学ぶにつれ事前学習会の決意表明の時には「今の時代を生きる我々大人が、自分の子供達の世代に平和な世界を残したい」という漠然な感情が芽生えるに至りました。
平和行進の2日目の午後、視察で平和祈念資料館とひめゆり平和祈念資料館に訪れ凄惨な戦争の事実を学ばせて頂きました。目を伏せたくなる様な写真が多々ありましたが、一番心が痛かったのはガイドさんから聞かされた慶良間列島での集団死の話です。愛が故に捕虜になる前に我が子を、兄弟を、妻を、、、そんな曲がった愛情を強いる戦争が本当に怖いと思いました。
今日、安保法が可決され様々な場所で緊張が高まってますが我々大人がやる事は決まってると私は思います。また、今回初の平和行進を貫徹して実感しました。応援してくれる一人。嫌な顔する人。激しく嫌な顔をし、騒ぐ人。でも全国から同じ意志で集まり、日に日に支え合える仲間が増えること。その全ての人が居て汗かいて、初めて今年も平和行進を次に繋ぐ事が出来たんやなと。
身の丈に合わない大それた事を言いましたが、貴重な経験をさせて頂いた全国の仲間への感謝と、沖縄から基地が無くなるその日までたたかい続ける仲間の意志を確認し、この言葉を持って終わりとしたいと思います。本当にありがとうございました。

第39回沖縄平和行進に参加して

阪神支部 松田直樹

5月12日から16日にかけて、沖縄平和行進に参加させて頂きました。その中で、全港湾青年部として南コースを行進しました。南コースは沖縄戦があった中で一番戦火の激しかった地域を巡るコースでした。そのコースを平和を訴えながら歩いて、それだけでも沖縄の暑さを感じてしんどかったですが、当時の沖縄の被災した方々は飢えや苦しみ、恐怖の中でこの暑さに耐えながら、南へと下って行ったのかと思うとやはり二度と戦争など繰り返してはならないと身を持って感じました。
今回、平和行進に参加してシュプレヒコールを初めて経験する事もできたし、全国の青年部の仲間と交流する事もでき、いい経験をする事が出来ました。

第39回沖縄平和行進に参加して

東海地方清水支部青年部部長 山崎圭祐

今年もみなさんの貴重な部費で平和行進に参加させていただき本当にありがとうございました。自分は今回の参加で去年に引き続き2回目の参加になります。今年は部長としての参加になり去年よりさらに熱い思いできました。初日の団結式でさらに熱くなり二日目からの行進に気合いが入りました。
行進初日は行進団として参加しシュプレヒコールでは一番後列まで聞こえるくらい大きな声をはりました。天気もよく、火傷するくらいの日差しの中でしたけどみんなの団結力が強く、暑さに負けない行進でした。二日目の行進ではレンジャーとして参加しました。初めてのレンジャーで不安でいっぱいでしたけどみなさんに教えてもらいみんなと協力して大きな問題もなく無事帰ってこれて夕方元気に交流ができてうれしく思いました。若い力の団結力というものはすごいと思います。
バーベキューでは沖縄地本の方々本当にありがとうございました。焼いてくれた肉で三日目、最終日の行進に気合いが入りました。最終日では二日目に引き続きレンジャーとして参加し、これまでの行進と違い妨害も半端なかったです。道をとめていれば罵声をあび、右の人達の妨害、それを耐えられたのは地元の人達の熱い声援、子供達のガンバレーと言う声があの妨害がうるさいなかでも耳に入ってきたのでがんばれました。行進が終わりレンジャーとしてみんなの安全の確保、無事に帰ってこれて感動しました。最後の夜の懇親会もみんなの団結が目に見えてわかりとても感動しました。みなさんありがとうございました!交流はとてもいいものですけど、こういった平和活動は1日でも早くなくなり平和な生活ができればと思います。来年もあるならば清水からも1人でも多く参加してがんばって活動したいと思います。平和行進おつかれさまでした。ありがとうございました。

第39回沖縄平和行進に参加して

東海地方清水支部   新庄 巧

初めての平和行進12日~15日までドキドキしながら初日を迎えました。12日は5,15全国結団式をやりました。会場についていきなり『労働組合出て行け』って言っている沖縄の人達がいました。あれ?俺たち歓迎されてないの?とかちょっと思ったりしました。
結団式が終わり夜は3単産、全造船機械の結団式がホテルで行われました。初めて平和行進に参加した自分は周りが知らない人だらけで黙って座っていました。終わった後は沖縄地方の方が交流の場を用意してくれて他の支部の人達とちょっと話すことができました。
13日は朝早く起きスタート地点までバスで行きました。出発式が行われ清水支部の青年部長が先頭のほう行くぞと言って先頭のほうに並びました。気候も朝は風があってこれなら大丈夫だと思っていたら昼前には日差しが強く汗だくになりました。声を出して歩いていると地元のおじいちゃん、おばあちゃんたちが『ありがとね』と言って拍手してくれたり、幼稚園の前を歩いたときは、子供が『がんばれ』と応援してくれました。自分たちがやっていることは無駄じゃないんだ。応援してくれている人もいるんだって、気持ちになりました。そんなこともあり行進初日は歩き抜くことができました。
14日は糸満市役所を出発しました。みんなシュプレヒコールやっている中自分はやろうかやらないかモジモジしていました。全港湾の団長がやってきなと言ってくれて初日にできなかったシュプレヒコールをやらさせてもらいました。思ったより緊張もなく読めました。行進は午前で終わり午後は平和記念公園の資料館を見学したり、ひめゆりの塔にいきました。そこで自分はこんなすごいことがあったんだと知ることになりました。
資料館では沖縄戦争のときの写真とかありました。壕の中におびえながら隠れている人、隠れていても見つかって米兵に射殺されている人、燃やされている人、もう死んじゃって虫がたかっている子供の写真とか見ていて言葉が出てきませんでした。ひめゆりの塔でもこんなに狭いとこで治療していたり、隠れていたんだなって今じゃ考えられないことが起きてたんだと悲しく複雑な気持ちになりました。
15日は奥武山運動公園を出発し最終日ってこともありみんなで一致団結して声を出しました。
自分はまだまだ勉強不足で沖縄のことを知らないしどんな現状かもまだまだわかりません。まだ見たことないとこも行ってみたいって気持ちになりました。この平和行進では色々学んだ部分もあり考えさせられました。この学んだとこをいろんな人達に伝えて行きこれからどうするのか考えて行きたいと思います。ありがとうございました。

第39回沖縄平和行進に参加して

東海地本清水支部      松下綾太

今回初めて沖縄平和行進に参加させて頂きました。沖縄へ行くのは3回目でした。今までは旅行で行き、きれいな空きれいな海の観光地で華やかなイメージがありました。しかし、平和行進のために集まった全国からの仲間の熱い思い、沖縄の人達の悲しみや平和への強い思いに心打たれて、この平和行進で自分ができることを精一杯出し切る決意をしました。
行進で歩いた南コースの激戦地、ひめゆりの塔、平和祈念資料館では沖縄の歴史を知り衝撃を受けました。そして行進中に沿道で応援をしてくれるおばあさんや保育園児が手を振って「頑張れ」と応援してくれる子供を見て感じた想いを地元へ持ち帰り、周りに発信することがこれから自分達がやっていかなくてはならないことだと強く感じました。
最後に受け入れをして下さった沖縄地本の皆様、全港湾をはじめに全国から行進のために集まった皆さんありがとうございました。

第39回沖縄平和行進に参加して

東海地方清水支部   野口寛敏

今回初めて沖縄平和行進に参加させて頂きました。沖縄到着後団結式に参加し皆さんの行進に対するパワーを感じました。私は南コースを行進する事になり1日目は南城市からひめゆりの塔までを歩く道でした。団長の稲井さんや副団長の指田さんを中心に皆でシュプレヒコールをし子供達や地元の方も応援してくださり歩きながら行進をする事の意味を実感していきました。
2日目は糸満市役所から東風平運動公園まで午前中歩きました。激戦の地を通る時は、シュプレヒコールをしないと聞きました。シュプレヒコールをしない時間が長ければ長い程戦争の悲惨さを身にしみて感じました。
午後には平和祈念資料館・ひめゆりの塔を視察に行かせて頂きどちらも戦争の悲惨さがわかるものばかりで実際に起きた事なのにその現実を受け入れるのに時間がかかりました。 その時行進を行う意味を更に強く感じました。限られた時間の中だったので今度は個人で訪れてゆっくり見たいです。最終日3コース全部が集まり無事安全に行進・県民集会を終える事が出来た事により少しかもしれませんが成長出来たように思います。
最後の懇親会の時の話しで今村さんだったと思いますが来年はこの平和行進が無くなると良いと思いますと言いました。行進が無くなると言うことは私達の訴えてきた基地の無い平和な沖縄が実現された事になる、そんな日が1日でも早くきてほしいです。最後ですが中央本部の鈴木誠一さんが皆で一つの事に向かってまとまって下さい!一致団結して下さいと!
この3日間本当に一致団結して一つの目標に向かって行進し大きな力を感じる事が出来ました。この中にいれて経験出来た事が自分にとっての宝です。皆さん今回本当にありがとうございました。

第39回 沖縄平和行進に参加して

東海地方田子の浦支部  原 洋貴

5月12日~16日の5日間、5.15沖縄平和行進に参加させて頂きました。自分自身初めての平和行進に参加して、沖縄の現状や歴史、新基地問題など、自分の知らなかったことをたくさん学ぶことができ、充実した5日間でした。
自分が特に印象に残ったのは、2日目の午後に行ったひめゆりの塔」、「平和祈念資料館」の視察でした。資料館の中には、戦争の恐ろしさや残虐性の強さを訴えるものばかりで、戦争の怖さや犠牲者の悲しみ、叫びが自分の胸の中に深く刻まれました。それと同時に沖縄に来て自分たちがやっている行動の意味を理解することができました。
今回学んだ経験を周りに伝えていきながら、平和に関してより一層意識を高めていきたいと思います。今回貴重な経験をさせて頂きありがとうございました。

第39回 沖縄平和行進に参加して

東海地方田子の浦支部  土井 康裕

5月12日~15日にかけて、5・15沖縄平和行進に参加させていただきました。自分は沖縄に行くまで、沖縄の歴史や、置かれている状況を全く知りませんでした。今回南コースを行進する事になりました。南コースは沖縄戦で米軍に追い詰められた最後の激戦地でした。南コース行進中、家族全員が戦争で亡くなり、住む人がいなくなった家の跡が今もなお所々にあることに驚きました。そして平和祈念資料館・ひめゆりの塔を視察し、犠牲者の写真や遺品を目の前に愕然と立ち尽くし、当時のあまりに悲惨な戦争だったことを思い知らされました。
平和行進中、自分たちに向かって声援や手を振ってくれる年配の方達がいました。戦争当時の事を知る年配方達の事を考えると、何度も心が打たれる気持ちになり、一層平和を願うシュプレヒコールへの思いが高まりました。
沖縄戦が終了して71年、本土に復帰をして44年を経た現在でも本土に届かない情報が多々あり、現地に居なければ知らなかった事を今回の平和行進で学ばせていただきました。自分の役目は沖縄の現状、戦争の残酷さ、戦争は2度と起こしてはいけない事を周りに伝えていくことです。今回平和行進に参加して、一生忘れることのできない貴重な経験をさせていただき、本当にありがとうございました。

第39回沖縄平和行進に参加して

関西地方建設支部 田村勇樹

近年もいま現在も沖縄では様々な問題が起こっています。周囲に住宅地が密集している普天間基地、辺野古への移設、日常的な不発弾処理、オスプレイの事故や米兵の犯罪の問題です。つい先日にも沖縄県うるま市の女性会社員が元米兵によって殺害されました。私自身も浦添市の不発弾撤去の交通規制にあい、このような問題を身に染みて感じました。
沖縄平和行進で思った事は実際に行進してみて、地元からの住民の皆様から手を振って応援してくださった事です。嬉しかったです。地元の方から応援があればこの活動に意味があるのだと実感しました。行進三日間は晴れて厳しい暑さでしたが、完歩出来て良かったです。
今回の平和行進では南コースを歩きました。1日目は南城市中央公民館からひめゆりの塔まで。2日目は糸満市役所から東風平運動公園まで、昼からはひめゆりの塔、平和祈念資料館の視察に行き、3日目は奥武山運動公園から那覇市の新都心公園まで歩きました。
特に、ひめゆりの塔、平和祈念資料館の視察で沖縄の歴史・戦争の悲惨さを学び、平和行進中は長閑(のどか)なさとうきび畑を歩いて思った事は、この悲惨な戦争の歴史を忘れてはならないと感じました。
非常に充実した3日間でした。この度は沖縄平和行進に参加させて頂きまして本当にありがとうございました!

第39回沖縄平和行進に参加して

関西地方  大阪支部  松崎翔

今年初めて沖縄平和行進に参加して、全国の港湾組合の人達100人弱と3日間歩いてきました。中には気合いの入ってる人、初めてで戸惑ってる人、様々な人がいてました。
歩くのはほとんど田舎道だったので、大阪市内で行われるデモに比べたら、交通量も圧倒的に少ないので、そんなにしんどくないだろうと、なめてました。案の定、初日に両足に水膨れができ、後の2日間は本当にキツかったです。人通りの少ない、田舎道ばかり歩いて、どれだけの影響力があるのか、わからないですが、こんな活動もあるんだなと、思いました。

第39回沖縄平和行進に参加して

関西地本阪神支部 坪井雄志

私は今回の沖縄平和行進は2回目の参加でした。結団式ではたくさんの人々が集結し、「戦争しない国にするために沖縄の平和に対する強い思いを行進を通じて全国に発信したい。天気が心配ではあるが雨にも負けずアベにも負けずに頑張ろう」と力説した沖縄平和運動センター山城博冶実行委員長には迫力があり、びっくりさせられました。その後、全港湾を含む、4単産(全国一般労働組合全国協議会、全日本建設運輸連帯労働組合、全日本造船機械労働組合)でも結団式が行われ、行進に向けての事前学習会として与儀武秀沖縄県マスコミ労協議長(沖縄タイムス記者)を講師として招き「沖縄/基地問題を考えるために」が行われました。
与儀講師が「あるところに47人学級の小学校があってなんでも頼みやすい使いパシリの子が1人いて毎日35人分のランドセルを背負い登下校しているとしたらあなたはどう思いますか?」というたとえ話が非常にわかりやすかったのですが非常に悲しい気持ちになりました。
13日から15日の行進はキャンプ・シュワブゲート前を出発し、キャンプ・ハンセンゲートを経由する東コースなど、三つのコースに分かれて行われました。4単産は南コースの先頭を全港湾の宣伝カーと共に「辺野古新基地建設反対」、「米兵の犯罪糾弾」、「日米地位協定を見直せ」等々のシュプレッヒコールを力強く、訴えながら歩を進め、行進団全体を盛り上げました。
3日間の行進はとても日差しの強い中行われ、恥かしながらしんどくて吐き気がしました。しかし、そのような中でも周りの参加者やレンジャーの方々に励まされ何とか最後までやり遂げました。
行進最終日には米軍関係施設跡地の新都心公園で県民大会が行われました。「私たちは、平和行進と本大会の成功をともに確認し、日米両政府によって推し進められる米軍基地の強化、拡大に強く反対することを表明する。さらに続発する米兵による凶悪犯罪を糾弾し、日米地位協定の抜本的改正を強く要求する。戦争への道を踏み出そうとする政府の戦争政策、憲法改悪に抗し、わが国とアジア近隣諸国、そして世界平和のために闘い抜く。このことを本大会で宣言する。」(一部抜粋)の大会宣言案が採択され、最後は参加者全員で「沖縄を返せ」を熱唱し、大会を締めくくりました。
私はこの行進に参加して「沖縄の米軍基地は、県民にとって危険で、沖縄経済に対しての最大の阻害要因である」ということが強く伝わってきました。沖縄が本土に復帰してから44年が経っていますが未だに米軍基地が存在しています。辺野古新基地建設阻止を始め、沖縄からのすべての基地を撤去しなければならないと改めて感じました。

第39回沖縄平和行進に参加して

関西地方築港支部 吉田充宏

昨年に続いて2回目の参加となった沖縄平和行進。早い段階で喉が壊れてしまったため、仲間たちが次々と勢いよくシュプレッヒコールをする中、シュプレッヒコールが出来ずに悔しい思いをしました。しかしながら、今年は昨年と違い、辛い状況で仲間を鼓舞したり、皆の疲れを吹っ飛ばすために場を盛り上げたりと、自分に出来ること「役割」を意識しながら全体の成功のために行動できました。ただしこれは自分だけで成し遂げたのではなく、沖縄地本の皆さんや今回団長を勤め上げた稲井くん、竹仲くん、大野さん、鎌田さん、山田さんなどの下支えがあってこそのものでありました。この場をお借りして再会と新しい出会いに感謝申し上げます。
さて、話しは変わりますが、沖縄に行くと深く感じることがあります。それは「表」と「裏」がハッキリしているということです。海や山、自然の全てが綺麗に見える素敵な場所ですが、そのような場所で決して繰り返してはいけない過去があったと思うと感慨深い気持ちになりました。激戦区となった場所を沖縄の有名な歌「童神」を聞きながら歩いた時は、本当に本当に心の奥底から悲しい気持ちになりました。それまで平和に暮らしてきた全く戦争に関係の無い一般人が生きるか死ぬかの選択をさせられる。生があれば死があることは当然ですが、自分が殺めることを選ばなければいけないという状況は本当に残酷であり人としての道理に反した行為です。
このように、沖縄には他府県では見ることができない豊かな自然と残酷な過去があります。私は今回の沖縄平和行進を通して、人としての「道徳観」というものを改めて考えさせられました。ただし答えは簡単です。私はこれから「徳を積む」ことをします。自分のことばかりを気にして生きている人たちが多数を占める現代において、まずは自分自身を戒めながら人の役に立つことを積極的にしていきます。そして、自分の人生をもっと笑顔で楽しいものにしていきます。
最後に、沖縄の地で学んだ多くのことを無駄にしないためにも必ず地元で還元したいと思います。最高の仲間たちとの日々、成長させてくれた皆様に心より感謝致します。本当にありがとうございました。

第39回沖縄平和行進に参加して

沖縄地方青年女性部副部長 知念裕太

普天間基地返還合意から20年たちますが、いまだに基地は変わらずあります。その間に米軍による凶悪な事件、事故があるたびに怒りが込みあげ、いつになれば沖縄に平和が来るのか?と考えたりします。私にも家族、子供ができて以前よりもより一層平和への思いが強くなりました。沖縄、日本から基地がなくなり、平和になるまで全港湾一致団結して頑張りましょう!

第39回沖縄平和行進に参加して

沖縄地本青年女性部書記次長 金城雄介

今年の南コースは、毎年歩いてるコースとはまったく違うコースでした。距離も少し長めで、正直完歩できるか心配でした。
1日目は、学校などが多くシュプレヒコールがなかったりと行進に参加された方にはもの足りなかったと思います。
2日目は、距離も長くアップダウンが激しかったです。ですが、参加者の熱い思いがシュプレヒコールに現れてました!皆、疲れていると思っていましたが、声がかれるまで声を大にして訴えていたと思います。
3日目は、新都心公園に着くまで、シュプレヒコールがやむことはなく、邪魔が入っても負けてませんでした。これには、とても感動しました。また、今年も赤レンジャーとして、班長をしました。毎年、参加者の交通安全の為に体を張って、声を上げれることに感謝します!これから、辺野古移設反対、軍事基地撤去のためにさらに力を入れて頑張って行きたいと思います。

第39回沖縄平和行進に参加して

沖縄地本青年女性部全検分会 義元勇多

自分は、初めて平和行進に参加してレンジャーの班長やらしてもらいました。最初は何をやるのか解らなかったけど周りの人にサポートしてもらい3日間無事終えることができました。後、この3日間で色んな人と話すことが出来てとても良い体験ができました。皆さんお疲れ様でした。

第39回沖縄平和行進に参加して

沖縄地本青年女性部会計監査 河野貴博

横浜支部の皆さん宣伝カーを出してくださりありがとうございました。3単産、全造船機会さん4日間大変暑い中、平和行進お疲れ様でした。今年も怪我や事故も無く完結出来た事皆さんの力のお陰です。沖縄青年分もまだまだ勉強不足ですが、少しずつ勉強していき原発問題、反戦反基地問題、全国の仲間達と団結して頑張って行きましょう。4日間大変お疲れ様でした。

第39回沖縄平和行進に参加して

沖縄地本青年女性部書記長 與儀泰寛

今年の5・15平和行進は猛暑の中での行進でした。今回の平和行進で私は行進団のサポートに徹しました。行進団の中には年配の方や小さな子供まで参加していたので昼食時間の際に沖縄地本青年女性部として、行進団の疲労を少しでも和らげてもらおうと思い、かき氷を提供させていただきました。やはり、暑い中での行進だったので喜んでもらえて何よりでした。来年以降も参加者の皆様にはより良い平和行進をして頂けるようサポートしていきたいと思います。
今、沖縄には米軍基地があるが故に基地の近隣住民のみならず沖縄県民にとって騒音問題や凶悪事件など、生活環境に影響を及ぼしています。教養施設等の真上を戦闘機やオスプレイが飛行する度に園児や子供達は両手で耳を塞ぎその恐怖に怯えているのが現状です。さらに、軍用機による夜間飛行訓練の時間帯も夜分遅くまで実施されているのである。県民の民意を無視して訓練している米軍には憤りが募るばかりです。昨年の戦争法案の可決により、戦地に派遣される恐れのある徴兵制のようなj法案を断じて許してはいけない。次世代を担う子供たちにとって決してあってはいけないのである。これからも平和行進を通じて基地撤廃、平和な生活を送れるよう民意を主張していきたいと思います。

第39回沖縄平和行進に参加して

沖縄地本青年女性部副部長 山城 隼

今年で2回目となる南コースの交通責任者のアンカーを務めました。今年も初日から3日間気温も上がりかなりの暑さになる予報となってましたので行進団の皆さんの体調なども気にかけながらの交通誘導をしました。また、平和行進前に行われた交通責任者会議で今年も初日から右翼団体の妨害があるとの話がありこれまで以上に気を引きして行進しました。予想通りに初日から最終日まで気温も上がりかなりの暑さになり、また右翼団体の妨害などもあり大変でしたが無事に3日間行進団の皆さんを事故、怪我もなく完結する事ができました。今年は初日から最終日までずっと右翼団体の暴言妨害などもあり行進に影響を受けましたが行進団と交通責任者との団結で大成功する事ができました。また3日間の本土参加者との懇親会でも大いに盛り上りとても楽しかったです。これからも、未来の子供たちのために沖縄の平和の為に沖縄地本青年女性部としても全基地撤去目指してしつこく諦めず最後まで戦っていきたいと思います。

第39回沖縄平和行進に参加して

日本海地方伏木支部 田中光春

今回、初めて沖縄平和行進に参加させて頂き、沖縄の現状や問題を感じることができ大変良い経験をすることができました。沖縄での行進のコースはもっとも激戦が行われた南コースを行進しました。
1日目、南城市中央公民館で出発式が行われ、「基地の県内移設に反対しよう」「辺野古への新基地建設反対」とシュプレヒコールを上げながら、ひめゆりの塔まで行進が行われました。2日目、午前中に糸満市役所を出発し、東風平運動公園まで行進が行われた。この地域には、未だ沢山の戦没者が眠っているため、シュプレヒコールを控えての行進でしたが、妨害があったため、中央本部鈴木副委員長自ら、迫力あるシュプレヒコールを上げる場面もありました。午後からは、平和記念資料館、ひめゆりの塔などを視察しました。中へ入り資料や話を聞くと、沖縄戦の悲劇、無残さを痛感させられました。3日目、奥武山運動公園を出発し新都心公園での「5・15平和とくらしを守る県民大会」に参加しました。道中大変厳しい妨害もありましたが、行進団の迫力あるシュプレヒコールにより無事、県民大会に参加できました。
総勢2500人、3日間で4500人が平和への願いを込めて歩みを進めました。最後の懇親会では、歌と踊りで盛り上がるなか、中央本部諸見書記次長が昔を思い出し涙を流す場面もありました。最後に中央本部鈴木副委員長より「一致団結し強大な力に声を上げて行きましょう」とお話があり日本海地方直江津支部総団長稲井君のガンバロウ三唱で、全日程を終えた。復帰44年、未だ沖縄県民、日本国民の声は届いていない。「基地の無い平和な沖縄」この熱い気持ちをこれからも声に出し訴え続けていかなければならない。

第39回沖縄平和行進に参加して

日本海地方伏木支部 石原良樹

5.15沖縄平和行進に初めて参加させて頂きました。沖縄といえば観光地という漠然としたイメージしかなく、沖縄の現状についてはほとんど知らない状態での参加でした。しかし、沖縄は戦争の悲惨さを生々しく伝えてくれる場所でもありました。
3日間での行進は炎天下の中、体力的に非常に辛いものでしたがみんなの励ましや、地元の方たちからの差し入れなどもあり無事に完歩することができました。シュプレヒコールも何度かさせていただき、とてもいい経験になりました。この3日間の行進で戦争と平和について深く考えることができるいい機会になりました。沖縄で起こった惨状を風化させる事なく次世代に伝えていくのが私たちの役目だと思います。

第39回沖縄平和行進に参加して

日本海地方敦賀支部 竹仲 健人

5月12日から行われた5.15沖縄平和行進に参加してきました。今回で2回目の参加でしたが、日本海地方の団長として行進することができました。  初日は、まず全国結団式が行われ、各コースの団長、副団長、本土代表が紹介されました。全港湾から南コース副団長として沖縄地本の下條さんが出て、熱い決意も聞くことができました。その後に三単産、全造船機械の結団式があり、団長として日本海地方の稲井さんがやることになり、同じ日本海地方の仲間として支えていこうと思いました。その後が学習会があり、講師として報道の方に来ていただき、昔の沖縄の話しや、今の沖縄の問題などを聞くことができ、とてもためになりました。
2日目は、朝9時から南コースの出発式が行われ行進しました。シュプレヒコールをし、元気に行進できました。沿道から小さな子ども達からの声援があり、この子ども達のためにも沖縄から基地をなくし安心して生きていってほしいと思いました。
3日目は、糸満市役所を出発し、過去に悲惨な戦争があった地を歩き、シュプレヒコールをせずに歩くことで、いろんなことを考えさせられる行進となりました。午後からは視察で平和祈念資料館とひめゆりの塔に行き、2回目ではあったのですが何度行っても考えさせられます。もう絶対このようなことはあってはならないと思いました。
最終日は、奥武山運動公園を出発し、国道58号を歩きました、昼の県民大会に向けて元気よく歩いたのですが、右翼からの妨害がありどうなるかと思いましたが無事、新都心公園に到着することができました。県民大会には総勢約2500人が集まり、3日間の平和行進は終了しました。
39回沖縄平和行進は終わりましたが、これで終わりにせずに、みんなにこの経験を伝えていき、これからもこの運動を続けていこうと思います。沖縄地本の皆様、受け入れ準備など、本当にありがとうございました。

第39回沖縄平和行進に参加して

日本海地方新潟支部 平岩 良

5月12日~16日の5日間5.15沖縄平和行進に参加してしました。初日は、パレット市民劇場で全国団結式に参加しました。北は北海道、南は鹿児島、そして今年は、韓国の人たちも参加し、5.15平和行進に向けて全国の仲間が沖縄の地に集結し、団結を深めました。その後、ホテルに移動し、沖縄県マスコミ労協議長の与議武秀さんを講師に平和学習会が行われました。そこでは、「沖縄基地の歴史」「辺野古問題」「沖縄基地と抑止力」についての説明がされました。漠然と参加していた私にとって、自分自身の気持ちを変えることができる学習会になったと思います。
行進初日、バスで南城市陸上競技場に移動し、出発式の後、行進がスタートしました。行進は、東、西、南の3つのコースに分かれ、私たちは、南コースの行進に参加し、シュプレヒコールをしながらひめゆりの塔を目指しました。
2日目は、午前と午後に分かれ、平和祈念資料館、ひめゆりの塔の視察に行き、沖縄戦、そして戦争の恐ろしさを痛感しました。
最終日は、東、西、南それぞれ新都心公園に集まり、5.15平和と暮らしを守る県民大会が行われました。行進、視察を終え、全てにおいていい経験になりました。2度と戦争はおこしてはいけない、「1人1人が立ち上がり、声に出し戦わなければいけない!」と強く感じた4日間でした。普段では体験することが出来ない貴重な経験をさせて頂きありがとうございました。

第39回沖縄平和行進に参加して

日本海地方新潟支部リンコー運輸分会 前田 正明

5月12日に新潟を発ち、到着後すぐにパレット久茂地市民劇場において5・15全国結団式が開催されました。会場には約500人が集結し沖縄平和センター議長の山城 博治氏の熱い挨拶に、自分自身も士気が高まりました。終了後、ホテルに移動し南コースをともに歩く三単産・全造船機械結団式を行い、その後、沖縄県マスコミ労協議長の与儀 武秀氏による学習会が開催されました。学習会では沖縄の現状、基地の歴史、辺野古新基地問題など事前学習で学んだこと以上に詳しく知ることが出来ました。
5月13日から南城市陸上競技場に移動し出発式の後スタートしました。途中、沿道からは小さい子供からお年寄りまでたくさんの声援をいただき無事に平和記念公園を経てひめゆりの塔まで到着しました。
5月14日は糸満市役所で出発式を行いました。この日は半日行進、半日視察という日程ではありましたが、行進の道中では悲劇の戦場の場もありシュプレヒコールを止め、静寂の行進の場が多数ありました。我々は昼から平和記念公園とひめゆりの塔へ視察に行きました。どちらの資料館も目で見るには耐え難い写真や展示物があり、心打たれるものがたくさんありました。
5月15日奥武山運動公園で出発式を行い、国道を北に向け3日間で一番大きなシュプレヒコールを挙げながら行進し県民大会の行われる新都心公園を目指しました。公園には南コースの団が1番に到着しましたが、すぐに残りのコースも合流し、総勢約2500人の集会が開催されました。安部政権の辺野古新基地建設に反対し、安保法制を強行採決しアジアでもっとも危険な国になろうとしていることを再確認し、また、原発の再稼動を許さず、脱原発の社会の実現を確認し団結ガンバローをして閉幕しました。
この度は沖縄平和行進に参加させて頂きありがとうございました。最初は不安がいっぱいで貫徹できるか心配でしたが、無事に暑い3日間ではありましたが、周りの励ましもあり怪我もなく3日間やり遂げることが出来ました。現地に行かなければわからない事がたくさんあり、勉強になりました。この経験を少しでも多くの人に伝え、関心を持ってもらうようにしたいと思います。また、沖縄の基地問題が早期に解決することを願いたいです。

第39回沖縄平和行進に参加して

日本海地方舞鶴支部 島崎 雷

私は、今回初めて沖縄平和行進に全港湾舞鶴支部代表として参加させていただきました。沖縄平和行進には初めて参加するので、これまでに参加されたことがある舞鶴支部の青年部の人達と執行部の方とで事前学習会をし、今の沖縄の抱える問題をDVDや話を聞いて、現地でどのように活動するのかを勉強してから、今年度の沖縄平和行進に参加してきました。
5月12日に現地入りし、三単産と全造船機械の方達と平和学習会をし、13日から15日の3日間で平和行進と県民大会という日程でした。
平和学習会では、沖縄の基地の歴史や、辺野古新基地問題、沖縄の基地と抑止力について学びました。沖縄タイムスの記者の方も来ていただき、話をしていただいて改めて沖縄の様々な問題を再認識し、沖縄に対する気持ちが大きく変わりました。
平和行進では、およそ2000人もの人達が行進に参加したそうです。これだけ多くの人達が団結し、沖縄の基地問題についてシュプレヒコールで訴えました。2000人もの人達の中でシュプレヒコールをした時は凄く緊張しましたが、とても良い経験になりました。平和行進で学んだ事や体験した事を、もっと多くの様々な人達に伝えていきたいです。もう二度とあんな悲惨な戦争をおこしてはなりません。また、いつかこの沖縄平和行進をしなくてもいい日が来ることを願ってこれからも闘っていきたいと思います。

第39回沖縄平和行進に参加して

日本海地方七尾支部 大野 悟

5月12日から16日に、2016年5.15沖縄平和行進に参加しました。今回初めて沖縄平和行進に参加しました。今年は日本海地本直江津支部の稲井さんが団長をするという事もあり、同じ日本海地本として、わからないなりに精一杯活動に取り組み、少しでもサポートできればと思い平和行進にのぞみました。
5月12日にパレット市民劇場で「5.15全国団結式」が行われました。地元の人達の言葉から、体験した悲惨さと戦争への憤りが伝わってきました。そして、平和行進にかける意気込みと熱意に圧倒されました。
平和行進は初日から3日間とも天気に恵まれました。今回、南コースとして行進する事になり、初日はシュプレヒコールをしながら全国の人達と共に一致団結して、5.15沖縄平和行進に取り組みました。2日目、3日目はレンジャーとして参加し、行進の人達の誘導や交通整理のため通行を止めたりして、どれも大変な作業でした。
今回、初めて平和行進の参加であり、行進の心構え、沖縄の方々の平和への意識など、参加しなければわからない事が沢山ありました。平和行進に対する思いが低かった事、そして勉強不足など反省点は多かったですが、平和行進に参加して良かったです。

第39回沖縄平和行進に参加して

日本海地方境港支部青年部 安部宅造

5月13日から5月15日、沖縄平和行進に参加させていただきました。参加前の正直な思いは、歩くのが大変そうだなとか、訴えかけている内容や現地でどのような問題があるのか、人の話やニュースなどでしか把握していないのが現状でした。しかし、行進が始まると現地の人の思いや懸命さを知り、次第に若い世代に広めていきたいと強く思うようになりました。この強い思いを若い世代に積極的に訴えかけ、団結して頑張れば平和な沖縄、基地のない安心して生活していける沖縄が絶対に取り返せると思います。
しかし、沖縄の戦争の傷跡は深く、傷つき、悩んでいる人はたくさんいると肌で感じました。絶対に同じ過ちを繰り返さないためにも自分なりに出来ることをコツコツやっていき、これからの組合活動を増やしいろいろな世代に行進で学んだことを広めていきたいです。これからも全港湾一致団結して頑張っていきましょう。最後に皆さんの組合費を使って沖縄平和行進に参加させていただき、ありがとうございました。

第39回沖縄平和行進に参加して

日本海地方新潟支部 小鍛冶 司

5月12日~16日の5日間の日程で第39回5.15沖縄平和行進に参加させて頂きました。実際に平和行進がスタートしたのは翌日の、5月13日からでしたが、沖縄に着いた当日の12日は、久茂地市民劇場での全国団結式、夜には三単産、全造船機結団式、平和学習会が行われ参加しました。
私たちは、沖縄平和行進の中でも1番ハードだと言われている南コースを行進しました。最初に「南コースはつらいよ~」と言われた時は、3日間無事に貫徹できるだろうかと少し不安になりました。
行進初日、南コースのスタート地点、南城市陸上競技場で出発式を行い、その日のゴールであるひめゆりの塔を目指して、2016沖縄平和行進が始まりました。途中平和祈念公園で昼食を取り、無事にひめゆりの塔へ到着することが出来ました。
2日目の行進は、糸満市役所から東風平運動公園を目指しての行進でした。このコースは沖縄戦の中でも1番の激戦区であり、なんの罪のない多くの人々が逃げ回り、犠牲になった人々のおこつが、今も土の中に沢山埋まっているという地域でした。道が細くアップダウンも激しかったですが、時々、山と山との間から見えるとてもキレイな海を見た時、本当にこんなに景色がキレイなこの島で、戦争が行われていたのだろうかと思い、胸が痛み、今回の行進の必要性、意味を再確認させられました。
3日目の5月15日、5.15沖縄県民集会当日の行進は、奥武山運動公園から会場となる新都心公園を目指しての行進でした。平和行進最終日ということもあり、右翼の妨害行動も激しさを増していました。ここで自分が感じた事は行進団の団結力です。激しい妨害に負ける事なく、全員で団結して阻止できた事に改めて、“団結”という意味を思い知った場面でした。3日間の行進を1人のリタイアも出す事無く、無事に貫徹できた事は、行進団全員の団結力があったから出来た事だと実感しました。今回、沖縄平和行進で学んだ過去、現在の現状、これらを持ち帰り自分の身の回りの人達に伝えていきたいと思います。
最後になりますが、日常生活では体験できない貴重な経験をさせて頂きありがとうございました。そして、沖縄地方本部の皆さん、各地方の参加者の方々本当にありがとうございました。

第39回沖縄平和行進に参加して

日本海地方直江津支部 稲井 太一

私は今回の沖縄平和行進に全港湾、全日建、全国一搬、全造船機械の団長とゆう立場で参加をさせて頂きました。私自身2度目の沖縄平和行進の参加だったのですが、三単産及び全造船機械の団長とゆう事で、色々な思いを胸に今回は参加させて頂きました。沖縄は梅雨前とは思えないぐらいのカラッとした陽射しが強く暑い日が続いていました。その暑い沖縄に5月13日から3日間の間、全国からの仲間が結集し沖縄を守ろう、歴史を学び本土へ届けようとゆう熱い思いのこもったシュプレヒコールが絶える事なく響き渡りました。
私は二度目の参加ではありましたが、改めて沖縄の歴史、米軍基地がある恐怖を目の当たりにしました。子供たちが戦闘機等の騒音の中勉強する事が当たり前になってしまっている事実。大戦時、日本で唯一凄惨な内陸戦が起こり、沢山の尊い命が奪われてしまったとゆう事実。どちらの事も本土で暮らしている私たちには想像も出来ない事実と歴史。それを身近に感じ、学び、訴え、それで終わりでは無く、沖縄で学んだ事、経験は地元に持ち帰り更に突き詰め、広めて行く事が大事ではないかと考えました。そして、団長とゆう立場で参加させて頂いた事で、人間としても沢山学ばせて頂きました。
参加する前までは、しっかりやらなきゃ、みんなをまとめなきゃとゆう思いで頭が一杯でしたが、参加して1日1日が過ぎていく中で、きちんと示せば仲間はついて来てくれる。団長だからと気張りすぎるのでは無く、一緒に頑張っている仲間を信じて鼓舞していく事で盛り上げる道もあるとゆうこと。  私は今回の平和行進で沢山の事を学び経験し、そして、仲間との絆を得て帰ってくる事ができました。私も地元で、平和への願いを追求し広めて行くことを約束し、感想に変えさせて頂きます。最後になりますが、貴重な経験を積ませて頂き、ありがとうございました。

第39回沖縄平和行進に参加して

日本海地方直江津支部 丸山謙太

今回、平和行進に参加して様々な問題を抱える沖縄の姿を知る事が出来ました。「沖縄問題」と一言で言っても様々でありますが強く訴えるのは、戦争反対と米軍問題です。
3日間シュプレヒコールを含め、平和を訴え行進してきましたが、途中妨害される事も多くありました。そのような中、保育施設の前を通った時、幼い子供達が「頑張れ~」と声援してくれる姿にとても強く胸を打たれました。私も2人の子供を持つ父親ですが、米兵による犯罪、基地の爆音、オスプレイ等と日々この様な問題に直面され、毎日何が起こるか分からないその様な中で、子供達は安心して暮らして行けるのかと考えた時、とても恐ろしく感じました。また、戦争の恐ろしさも平和祈念資料館やひめゆりの塔など、途中様々な所で改めて思い知る事が出来ました。亡くなった子供の写真など、生々しい当時の様子を観て、やりきれない思いに涙が出ました。将来子供達が戦争の被害にあう様な事は、何があっても許される事ではないのです。
この様な問題は決して沖縄だけの問題ではなく、日本全体の大きな問題として捉え考えていくべきです。この沖縄の様々な美しい場所も、米軍によって奪われていく事はとても許しがたい事であり、静かな平和な沖縄になって欲しいと、心からそう願っています。この様な事を一人でも多くの人に伝え、知ってもらう事が今の私の役目だと考えています。今回は貴重な経験をさせて頂き、ありがとうございました。

第39回沖縄平和行進に参加して

四国地方松山支部 竹政 良一

第39回沖縄平和行進に初めて参加させて頂きました。事前学習で資料を読み、沖縄が日本で初めて起こった地上戦であり、そして10万人以上もの人々が亡くなったことを知り、現地に行って沖縄の歴史をもっと知り学んで帰りたいという思いを胸に参加をしました。
早速到着するとパレット久茂地市民劇場にて平和行進団結式があり、その後ホテルに戻り三単産・全造船機会結団式をしてから平和学習会が行われ、基地があることで起きる問題が分かり早く基地の無い沖縄になってほしいと、この活動に対し改めて身が引き締まる思いを感じました。
行進1日目、南城市中央公民館からひめゆりの塔まで行進をしました。街宣車に乗り緊張したけどシュプレヒコールを上げることができ、初日ということで大変でしたが、とても良い経験をすることができたと思います。
2日目は視察班と行進団に分かれての行動ということで、午前中は南部視察でひめゆりの塔と平和祈念資料館を見学しました。写真や資料を見ていると命の重さが身に染みてこれからも戦争のない暮らしが読いてほしいと思いました。午後からは東風平運動公園陸上競技場から南風原町役場を行進で、レンジャーをさせて頂きました。行進中一般車両にはクラクションを鳴らされ、怒鳴られ辛かったけれど、手を振って応援してくれる現地の方もいてこの活動は最後まで精一杯やり遂げたいと改めて思いました。その夜は沖縄地本の職場で青年部BBQ交流会を開いて頂き、各地方の青年部員の皆様と親しくなり連絡先を交換し合い繋がりが出来てとても良かったです。これからもこの広い繋がりを他の活動にも生かして行きたいと思いました。
3日目最終日は約2500人もの行進団が集まったということでした。奥武山運動公園から出発し、この日もレンジャーをさせていただき、大勢の行進団の交通整理には不安もありましたが、同じレンジャーの仲間や行進団の皆様、現地の皆様から応援をもらえたことにより、無事に新都心公園に到着し行進を終えることができました。この夜は最終日ということでホテルにて中央本部副委員長の鈴木誠一さん、書記次長の諸見力さんも参加されての懇親会が盛大に行われました。沖縄の歌を歌い盛り上がり、青年部員の方々との交流もさらに深めることができ日程が終了しました。
最後になりますが全港湾という組合は各地方から集まり、繋がりがあることを改めて知り、学ぶこともできても良い経験をすることがでたと思います。平和行進に参加された皆様、交流会を受け入れて下さった沖縄地本の皆様本当にありがとうございました。

第39回沖縄平和行進に参加して

四国地方新居浜支部浜栄分会 井上

5月12日から16日の5日間の日程で5・15沖縄平和行進に参加させて頂きました。12日は久茂地市民劇場で全国結団式、ホテルに戻って、三単産、全造船機械結団式、平和学習会がありました。平和学習会では与儀さんの話しを聞き沖縄の現状を知る事ができました。13日、南コースを行進することになり、私たちが行進した南コースは最も激戦地でした。沖縄の住民たちが、悲しみ、苦しみながら逃げ歩いた土地を思いながら歩きました。
視察で、ひめゆりの塔、平和祈念資料館にいきました。資料館では沖縄戦争のときの写真がありました。米兵に射殺されている人や、燃やされている人、死んでる子供に虫がたかっている写真とか見てたら戦争の恐ろしさや、残酷さ、犠牲者の悲しみが自分の中に刻まれました。今回平和行進に参加して、一生忘れることのできない貴重な経験をさせていただきました。沖縄地本の皆さん、一緒に行進した全国の皆さん、ありがとうございました。

第39回沖縄平和行進に参加して

四国地方徳島支部共正陸運分会 藤本 浩二

5月12日から15日にかけ、沖縄平和行進に初めて参加させていただきました。四国地方からに参加は、私を含め4名の参加者で松山空港で合流し沖縄へ向かいました。着いた初日は、久茂地市民劇場にて結団式をし、ホテルに戻りそこで平和学習会をしました。事前学習会をしてきましたが、学習会では沖縄の生々しい現状などの話を聞くことが出来ました。
2日目は、行進が始まりました。私たち4単産は南コースを担当し大勢の仲間と一緒に行進しました。コースは、南城市陸上競技場から出発しひめゆりの塔を目指しました。途中シュプレヒコールをさせてもらったのですが、参加者との団結力には感動を覚えました。
3日目には、午前中視察をしました。平和記念資料館では、戦争の痛ましさばかりを感じる資料に胸が痛み、平和のありがたみを改めて痛感させられました。戦争の怖さは忘れてはいけない。次世代に残す重要な資料だと思いました。
最終日は、出発式を終え奥武山運動公園から新都心公園までのコースを行進しました。最終日の行進では、非常にたくさんの人が集まり行進団の長い列と共に行進しました。たくさんの人の想いが1つになり行動し「一致団結」できたことは非常に意味のある事だと思います。5.15沖縄平和行進を通じ、私は沖縄の歴史に見て触れることができました。ここで感じ取った事を忘れず、平和の意味を考えていきたいと思います。

第39回沖縄平和行進に参加して

四国地方香川県支部 大谷 徹

2016年第39回5・15沖縄平和行進」に初めて参加させて頂きました。今年も全造船機械労働組合が加わっての四単組で行動することになりました。宿泊ホテルに到着後、パレット市民劇場へ移動し、「5・15平和行進全国結団式」、ホテル会場にて「平和学習会」に参加しました。学習会では沖縄県マスコミ労使議長の与儀武秀氏の「沖縄/基地問題を考えるために」のお話しを聞き、その中の「沖縄の基地の歴史」で日本の国土の0.6%の面積しかない沖縄県が日本の在日米軍施設の73.8%を負担している事や「沖縄の基地と抑止力」では駐留米軍の部隊で最も規模が大きい沖縄海兵隊について学ぶ事が出来ました。
平和行進初日、南城市陸上競技場で出発式を行い、行進をスタートしました。行進してから間もなく沿道から住民の皆様が「暑いけど頑張って下さいね」と声を掛けて頂いたり、保育園の前を通ると園児たちが「頑張ってね」と手を振ってくれました。住民の皆様の暖かい御声援を聞いて改めて身が引き締まる思いになりました。
平和行進2日目、2班での行動となった為、全員揃っての行進ではありませんでしたが私の班は午前中、ひめゆりの塔・平和祈念公園を視察しました。ひめゆりの塔では、沖縄戦末期に陸軍病院第三外科が置かれた壕の前で説明を聞き、奥にある「ひめゆり平和祈念資料館」を見学しました。資料館には戦前から戦後までの彼女たちの生活、そして戦地での彼女たちの役割などが詳しく写真などを基に紹介されていました。まだ十代半ばでの彼女たちの生き方を見て、2度と戦争はしてはいけないと強く思い、今まで以上に戦争について真剣に考えなければいけないという思いが込み上げてきました。次に向かった平和祈念公園の中にある「摩文仁の丘慰霊塔」で最後の沖縄戦の司令部として使われていた壕を視察しました。この地へ命懸けで逃げてきた多くの住民がこの丘から身を投じて集団自決を図った事をガイドさんから聞いた時、胸が熱くなりました。その後、資料館では第二次大戦から終戦までの資料などがありました。印象に残ったのが住民や軍人が殺されてそのまま放置されている写真があり今では考えられないような当時の惨状を目の当たりにし、一瞬目を背けたくなるような気分になりました。がしかし、家族や友人に伝えなければという思いから端から端まで見学しました。午後は東風平運動公園陸上競技場から行進しました。行進の途中、現地の子供が一緒になって横断幕を持ってくれて南風原町役場を目指して行進しました。
平和行進3日目、奥武山運動公園から歩いている途中、反対する団体に道を塞がれる妨害を受けましたが行進の隊列を乱す事なく、大きな声でシュプレヒコールを上げてゴール地点である新都心公園まで歩きました。県民大会では総勢2500人が集まり、辺野古新基地建設反対や平和な島沖縄を返せと訴えました。平和行進を終えてまずこの思いを自分の身内や友達等に伝えて一緒に考えていける場を設け、職場でも組合でもこの貴重な経験を生かしていけるようにしたいと思います。
最後になりますが行動を共にした四単組の皆様をはじめ、現地でお世話になりました沖縄地本の仲間の皆様暑い中、本当にお世話になりました。

第39回沖縄平和行進に参加して

鹿島港支部青年部部長 栗俣和夫

今回、2016年5・15沖縄平和行進に参加させていただきました。自分は今回で三回目でしたが初参加の方が多い中で一人も脱落者も怪我人も出さず最終日夕食懇親会では中央本部から「今回、最高のメンバーでした」の一言をいただき、今回行進できたことをとても誇らしく思います。
現在、沖縄では基地に対して無関心な人が増えてきているという話を聞きました。しかし、過去の戦争の悲惨を語り継ぐ人たちが未来を担う子供達が安心して暮らせる為にも「基地は無くさなければならない」と強く言い続けなければと再確認でき本当に良かったです。最後に参加された四単産の皆様三日間本当にお疲れ様でした。

第39回沖縄平和行進に参加して

鹿島港支部 坂本真彦

今回、沖縄平和行進に参加させていただき、とても貴重な体験が出来ました。ニュース等で普天間、嘉手納基地の問題、辺野古基地移設問題をより詳しく知れたことがとても勉強になりました。とても天候に恵まれて、子供たちやお年寄りの声援を受けながら行進できたのはとても嬉しかったです。沖縄の暑い日差しに負けず最後まで行進ができたのは地元の人の声援があったからだと思います。最後に受け入れて下さった沖縄支部の皆さん、ありがとうございました。

第39回沖縄平和行進に参加して

九州地方苅田支部 佐藤仁志

2016年5月12日私は5.15沖縄平和行進に参加するために沖縄にむかいました。那覇空港には沖縄地本の青年部の方が出迎えてくれホテルまで送迎をしてくれました。ホテルに着くと全港湾中央本部の鈴木副委員長、諸見書記次長に出迎えて頂き、「お疲れ様、一緒に頑張ろう」と有り難い声まで掛けて頂き、沖縄平和行進を向かえるに当たっての覚悟や自覚を強く感じました。  その後5.15全国結団式に参加するためにパレット久茂地市民劇場に移動しました。結団式の会場には入りきれない程の人が集結しており遠くは韓国より参加している人達もおり沖縄平和行進の偉大さを実感しました。そして色々な人達の話を聞き、今まで知らなかった沖縄の現状、沖縄の方々の思い、強い叫びを知りました。強い気持ちを持ちこの平和行進をやり遂げようと心に誓い会場を後にし、次の三単産、全造船機械結団式の会場である琉球サンロイヤルホテルに移動しました。
結団式では各代表者が自己紹介、決意を述べ団結を固めました。その後、平和学習会が行われ、沖縄/基地問題を考えるために、という題名で講師であるマスコミ労協議長である与儀武秀氏による学習会が行われました。沖縄の基地の歴史や辺野古新基地問題、沖縄の基地と抑止力について分かりやすく話をして頂きました。一番衝撃的だったのは日本全体の米軍施設専用面積のうち、沖縄の米軍基地の面積がおよそ74%にも及ぶという事です。1972年に沖縄の施政権が米国より日本に移り日本復帰となったはずが、基地負担は変わっておらず、沖縄県民の望んだ「復帰」はまだ実現していないという事でした。何故、沖縄じゃなければいけないのか、沖縄にそしてこの日本に米軍基地はいらないと私は思い沖縄の初日を終えました。
そして沖縄2日目、沖縄平和行進の始まりです。出発式のある南城市陸上競技場にバスで移動し、出発式を迎えました、私はあらかじめレンジャーに志願していたためにレンジャーとして平和行進がスタートしました。最初は何をしていいかもわからずレンジャー経験者や責任者の方達にアドバイスをもらいながら平和行進の隊列を守りながらの行進をしました。途中右翼の妨害もありましたが平和行進を行っている仲間達は強い信念を持ち堂々と行進をし、力強いシュプレヒコールで街のかたに訴えを行っており平和行進の一体感を肌で感じ感動の連続でした。特に心に残ったのはお住まいの方々や仕事中の方々などがわざわざ沿道まで出て来て頂き、手を降り応援をしてくれた事です。レンジャーをしながら地元の方々の応援を受けることにより絶対に沖縄平和行進を成功させよう、もっと声をあげて訴えて行こうと気持ちが益々高ぶりました。。昼からもとても暑くみんな汗だくでしたが、とても力強いシュプレヒコールに駆り立てられみんな力強く行進を行っていました。この日のゴールはひめゆりの塔だったのですが、修学旅行生などがバスの窓から手を振ってくれて強い応援となり無事ひめゆりの塔に着く事が出来ました。
5月14日平和行進二日目は私達は午前中は視察班という事でひめゆりの塔~平和祈念資料館に視察に行きました。ひめゆりの塔では当時、病院として使われていた洞窟、そして資料館での展示物を見て衝撃を受けました。病院と言われていた施設も今見れば只の洞窟、そしてその洞窟の中でひめゆり学徒隊と言われる16歳位の少女達が看護活動をしていた事、きっとその当時は選択の余地はなく、与えられた命令を当たり前のように受け入れるしかなかった状況だったのではないかと私は思います。そう考えると戦争の恐ろしさ、むごさを感じ、二度とそのような事があってはならない、してはならないと強く感じ戦没された方々のご冥福を祈りました。  午前中の視察を終え、午後からは二日目の平和行進の再開です。午後からの行進という事もあり気温も高かったのですが、沖縄の方々の思いや自分達の未来の平和を強く願い、高々とシュプレヒコールを上げ一丸となり平和行進を行いこの日のゴールである南風原町役場に無事に到着する事ができました。  その後はホテルに戻り一旦休憩をし、夜は沖縄地本の方々の計らいでBBQ交流会を開催して頂きました。沖縄地本の方々、お忙しい中、段取りや片付けと本当にありがとうございました。
そして5月15日平和行進最終日の始まりです。徒歩にて奥武山運動公園に移動し、出発式をむかえました。この日が5.15沖縄平和行進の最終日という事もあり、参加人数は私達、南コースだけでも780人程になっており沖縄の平和、日本の平和を一緒に訴えれる仲間がいるという事が凄く心強く感じました。行進がスタートして間もなくしてから右翼団体による妨害もありましたが、中央本部鈴木副委員長、諸見書記次長が先頭に立ち、盾となり身を呈して平和行進の隊列を守ってくれました。その姿を見て信念の強さ、背負っている物の重みを感じ、先輩方に負けられない、今日の姿を心に焼き付け今後の活動に役立てようと心に誓いました。そして行進中には私も街宣車に乗りシュプレヒコールを上げさせてもらいました。みんなに訴えをする事、声をあげる事は、何事に関しても大切な事だと思い大変、貴重な体験をさせて頂いた事を深く感謝します。
皆様の協力もあり無事、県民大会の会場である新都心公園に到着し、県民大会を迎える事が出来ました。県民大会には2500人程の参加があり、色々な地本の色々な団体が参加しておりました。普天間基地移設による、辺野古への新基地建設、地位協定の見直し、そして一番歌われていた「沖縄をかえせ」どれも深く考えさせられるものばかりでした。沖縄の人々が沖縄をかえせと訴える、最初はよく理解出来ませんでしたが色々な話を聞くうちに理解できた気がします。自分の住んでいる場所で昔あった忌まわしい悲惨な出来事に、結びつく不安材料があればそれは安心した平和な暮らしなんて、送れるはずがないのです。戦闘機が飛び回り米軍施設施設があらゆるところに点在する沖縄が日本に返還されたと言えるのでしょうか?戦争をしない日本に米軍がいるのでしょうか?子供達の未来のため、そして今を生きる私達のために政府はもっと考えなければいけないことがあるのではないでしょうか、私は今回沖縄平和行進に参加させて頂き今までに見れなかった角度から物事が見れ、今まで気がつく事ができ無かった事にも少しは気づけるようになったのではないかと思っています。人は体験しないとわからない事沢山あると思いますが、わからない人に対してきっかけとなるように少しでも伝える事は必要だと思います。この様な貴重な体験を皆様の力を借り身をもって体験が出来たという事に心から感謝をし今後の組合活動、私生活に活用させていただこうと思います。
最後に今回の5.15沖縄平和行進にあたり盛大な受け入れから色々な心遣いをして頂いた沖縄地本の方々、そして色々な面で手本となり道標となって頂いた全港湾中央本部鈴木副委員長、諸見書記次長、そして、今回沖縄平和行進に快く送り出してくれた苅田支部白濱委員長を始め組合員の仲間達、皆さのお陰でこの様な素晴らしい体験が出来たことを本当に有り難く思い、レポートの締めとさせて頂きます。皆様本当に有り難うございました。

第39回沖縄平和行進に参加して

関門支部青女部 今村なおみ

5月13日~15日の三日間にわたって行われた「第39回沖縄平和行進」に参加させて頂きました。5月12日那覇空港に到着後「5.15全国団結式」会場へ、平和運動センターの山城博治議長(実行委員長)の「辺野古新基地建設を絶対再開させない。必ずや、そのままの状態で中止の判断を求める」「ここ沖縄から基地をなくすこと、憲法九条を守り戦争法案を許さない、私達は、最後の最後まで戦い抜こう」と挨拶を受け、明日から行われる平和行進の各コースの代表者からの決意表明があり、最後に議長の力強い団結頑張ろうで全員が平和行進の完歩を誓い終了しました。
その後、三単産・全造船機械団結式と平和学習会が行われ、講師から「復帰44年になるが、基地がある限り県民の望んだ復帰まだ実現していない。沖縄に基地があることは、東アジアに対する抑止力、地理的理由による中国、北朝鮮の脅威から沖縄に基地が集中していると言われているが、何の根拠もないでたらめである。なぜなら沖縄に駐屯している米兵は2600人で、内7割が海兵隊であり軍事的には沖縄でなくてもよい訳である。沖縄の基地集中は、政治的に沖縄が最適であって「軍事的」「地理的」理由ではなく「政治的」理由だけである」とのことを聞き、私は、辺野古新基地建設再開を阻止し、75%もの基地を沖縄に押し付けるのではなく本土も受け入れて、沖縄県民の問題ではなく全国民の課題として取り組み沖縄の基地負担を軽減しなくてはいけないと思いました。
13日から三日間かけ、涙の南部と呼ばれている南コースを全港湾は団の先頭で行進を行いました。
「基地のない沖縄に」を訴えながら、地上戦のすえ戦火の中を逃げ南へと追い込まれた市民の犠牲者が多数いる南コースを「二度と戦争という過ちを繰り返さない」ことを誓い、最終日15日の「5.15平和とくらしを守る県民集会」が開催される新都心公園会場まで完歩しました。会場には、各コースの行進参加者ら約2500人が集結(延べ4500人が行進)し県民大会が開催されました。
大会登壇者からは、基地問題・参議院選勝利等の訴えがあり、特に平和センター山城議長から「辺野古新基地建設を絶対再開させない。必ずそのままの状態で中止の判断を求める」「この国を主権者である私たちが、闘い抜き変えていこうと」と力強い訴えがありました。
最後に「戦争へと踏み出そうとする政府の戦争政策、憲法改悪に反対し、世界平和のために闘い抜く」との大会宣言を採択し終了しました。
私は、この沖縄平和行進を通して「戦争をするのも人間ですが、戦争をしない事ができるのも人間です」今後も平和運動に積極的に参加し、戦争の悲惨さを語り継ぎ、二度と過ちを繰り返さないこと・命の大切さを子供達に教えていきたいと思いました。

第39回沖縄平和行進に参加して

関門支部 山田憲司 

2016年5月12日から16日沖縄県那覇市で「5.15沖縄平和行進」が開催された。関門支部より4名の参加をさせて頂き全国の仲間と行動を行なって来ました。初日には、「5.15平和行進全国結団式」に参加をしました。結団式では、沖縄平和センター山城博治議長より新基地建設反対運動の取り組み状況や次期参議院選挙をオール沖縄で安倍政権に立ち向かい本当の意味での本土復帰を果たしていく決意を述べられていました。私は、山城議長の話を聞き今日から始まる平和行進の取り組みに対して、「本気でやれば何でもできる、やらなければ何にもできない」ように、基地建設反対等に本気になってやらないと行けないと感じました。その後、三単産・全造船機械団結式に参加をし(沖縄県マスコミ労協)与儀武秀議長より「沖縄基地を考えるために」を題材に沖縄の基地の歴史・辺野古新基地問題・沖縄の基地と抑止力について学習をしました。その中でも気付いたことは、沖縄県の米軍基地の面積の割合は74%も占有しており県民が望んだ復帰はまだ実現していない事やなぜ、沖縄に基地がなければならないのか地理的・軍事的に考えても必ずしも当てはまらない、単に政治的に見て沖縄が最適の地域である理由について深く考えるべきだと思いました。結団式に参加をして学んだ事を胸に平和行進をしっかり歩んで行く事を自分自身また参加をした仲間と確認をしました。
私たちの行進は南コースでありました。沖縄の南では戦争の最終激戦地域でもあり悲惨な地域になっていました。初日は(南城市陸上競技場)から(平和記念公園)を経て最終地(ひめゆりの塔)まで沖縄を照らす激しい日差しではありましたがシュプレヒコールを行ない歩きました。ホテルでの懇親会では自己紹介を行ない親睦を深めることが出来ました。
二日目では、午前中に(ひめゆりの塔)と(平和記念公園)に視察に行き戦争の爪痕を見て学習をし、午後から(東風平運動公園陸上競技場)から(南風原町役場)までシュプレヒコールを行ない歩きました。夕食交流会では、沖縄地本の方がBBQを振る舞って頂き大変お世話になりました。
三日目は、沖縄本土復帰記念日であり出発地の(奥武山運動公園)に「沖縄平和センター」山城博治議長が来られ平和の大切さを力強く声をあげ最後まで完歩して行く決意を述べられ全体で団結しスタートしました。最終地の(新都心公園)では、「5.15平和とくらしを守る県民大会」が開催され全体の総括と大会決意案を採択し県民大会参加者2,500名と平和行進延べ4,500名の参加についても確認され終了しました。
沖縄平和行進に参加して学習と全国の仲間と交流をさせて頂き有難うございました。今後の取り組みの糧とさせて頂き平和運動を進めます。

第39回沖縄平和行進に参加して

関門支部門港船内分会 小原拓也

2016年5月12日から16日まで、5・15沖縄平和行進に参加させてもらいました。空港から降りて沖縄に到着したら、沖縄地本の方に迎えて頂きました。ホテルで荷物を降ろした後、5・15全国結団式の会場のパレット市民劇場に移動しました。会場では講師の琉球大学法科大学院教授の高良鉄美氏から、「沖縄を返せ」に込められた民族の怒りの事や、昔あった米軍のB52墜落事故で、万が一にも核が搭載されなくて良かったなど、聞かせてもらいました。全国結団式には、同じく米軍基地のある韓国からの参加者もいました。最後は、センター議長の山城博治氏の団結ガンバローで閉会しました。
ホテルに戻ってからは、三単産・全造船機械結団式から平和学習会まで行われました。講師の沖縄県マスコミ労協議長の与儀武秀氏から、日本全体の米軍施設専用面積のうち、沖縄の米軍基地の面積は約74%や、辺野古新基地問題で、仮に普天間飛行場が全面返還されても、沖縄の基地負担は、たったの2%しか減らないなど、知らないばかりでした。何より一番驚いたのは、沖縄の基地集中は「軍事的」「地理的」な理由ではなく、「政治的」な理由という事でした。最後に与儀氏は「福島にもう一度原発を作れるのか?47人の学級1人に35人分のランドセルを背負い続けているとしたら?」と二つの例え話をなげかけると、会場に重い空気が流れていたのを覚えています。
次の日、いよいよ平和行進が始まりました。出発式を終えた後、約20キロの道程をシュプレヒコールをしながら歩きました。シュプレヒコールでマイクを持たせていただいた時は緊張しましたが、やり始めたら、自分でも気付かないうちに気持ちがこもって、大きな声を出せていました。最後までコースを歩ききれるか不安でしたが、道中の沖縄の人達の声援や差し入れなどで、助けられ歩ききる事が出来ました。
14日午前中は、ひめゆりの塔、平和祈念資料館を見学してまわり、戦争当時の人達の写真や行動が、事細かに残されている事に、驚くとともに、陰鬱な気持ちになりました。午後の平和行進からレンジャーをさせて頂き、交通整理や隊列の誘導、声かけなどの御手伝いをさせて頂きました。夜には沖縄地本の方達が、バーベキュー交流会を設けてくれて楽しかったです。
15日、5・15平和とくらしを守る県民大会に向けて平和行進が始まると、レンジャーに慣れてきた事もあり、初日からレンジャーに参加出来なかった事を残念に思うくらいになりました。県民大会が始まると、皆の熱気がひしひしと伝わり、改めて気持ちが引き締まりました。最後は会場皆で「沖縄を返せ」を大合唱して締めくくりました。沖縄での最後の夕食は、三単産・全造船機械夕食懇親会が行われました皆で歌ったり踊ったりして楽しかったです。
今回の平和行進を振り返って、沖縄の人達の現状や素直な気持ちを肌で感じる事が出来、この活動がいかに大切なのかを、身をもって知る事が出来ました。この気持ちを少しでも福岡の人達と共有出来るように広められたらいいなと思いました。御世話になった沖縄の人達、ありがとうございました。

第39回沖縄平和行進に参加して

門港船内分会 西川朋由樹

2016年5月12日(木)~16(月)まで「5・15沖縄平和行進」に九州からは7名参加してきました。沖縄に着いてから、すぐに「5・15全国結団式」に向かいました。沖縄平和運動センター実行委員長の山城博治議長より熱い言葉、沖縄のこれまでの歴史の話を聞きこれからの沖縄、米軍基地移設の問題、などの話しを聞きました。次に韓国から海外ゲストとして平澤平和センター幹事カンミ氏の挨拶などがありました。みなさんの決意を知り明日からの平和行進に向けて自分自身もしっかりと決意を固め歩く事を心に誓いました。その後ホテルに移動し三単産・全造船機械結団式をおこないました。
13日(金)には南城市陸上競技場にて出発式をおこない行進がスタートしました。皆で列を組みシュプレヒコールをおこないながら、戦争中もっとも激しかったと言われる南コースを歩きました。普段は見ないサトウキビ畑やキレイな海、こんなに美しい島で、あまりにも悲惨な戦争、大変な犠牲、にもかかわらず今の沖縄の現状、色々な事を考えながら皆で声をきらさず一日中歩きました。
14日(土)は朝から南部地方視察に行きました。ひめゆりの塔→平和祈念資料館を見学しました。午後からは東風平運動公園陸上競技場から平和行進をおこないました。
15日(日)いよいよ最後の行進、皆で最後の力をふりしぼり、声を上げゴールの新都心公園に、その後、5・15平和とくらしを守る県民大会に参加し3日に及ぶ5・15沖縄平和行進を終了しました。その後ホテルにて三単産・全造船機械夕食懇親会をおこないました。北海道~沖縄までの仲間1人ずつ自分が感じた今回の平和行進について感想を発表し今回の5・15沖縄平和行進の幕が下りました。
今回、はじめて参加させていただいて、平和がどれほど大事か沖縄の問題は、日本全体の問題であり、もっと真剣に向き合わなければならないと思いました。自分の家族、子供、また会社の皆に自分が経験したこと、感じた事を伝えたいとおもいます。貴重な体験をありがとうございました。
命どう宝。

第39回沖縄平和行進に参加して

長崎県支部 佐々木 清人

戦後71年…復帰44年、第二次世界大戦最後の本土決戦の地、沖縄…あの忌まわしく、そして悲しい戦争を二度と繰り返してはならない…今年も熱い戦いの日が来た…。今回の沖縄平和行進全日程は快晴に恵まれ、5・15本集会は参加人数4000人を数えた大集会になった。私は来年、定年退職を迎える私にとって最初で最後の平和行進になるだろう。そして意義ある貴重な体験となりました。
私も戦争を知らない世代の1人です、生まれて今日まで当たり前のような「平和な日」を送って来ましたが、改めて平和の有り難さ、命の尊さを教えられました。テレビ、新聞等マスコミでは終戦後から今日まで、沖縄基地問題、外国人の犯罪等が報道されて来ましたが、正直、あまり深刻に考えたことはありませんでした。しかし、思えば佐世保も同じ基地の街です、沖縄だけの問題ではありません、「第二の沖縄」になり得る可能性は十分考えられます。将来、あってはならない事ですが、日本も戦争に巻き込まれる危機が訪れるかもしれません、再びあのような悲劇を起こさないためにも今、日本国民も基地問題、平和について考える時です、そんな不安を抱いたのは私だけではないと思います。
平和フォーラム、そして学習会での沖縄米軍基地問題、その中での辺野古への基地移転問題、戦前戦後の沖縄の歴史についての講演、学習会は有意義な大変勉強になった会でした。行進中での平和資料館、ひめゆりの搭見学では戦争終決の時、沖縄住民の悲惨な光景、米軍に追い詰められ、死を覚悟し、自らの手で命を絶った若者や住民、何百何千の尊い命が奪われた現実、さぞ無念だったであろう。そのような現実を目の当たりにし、益々戦争の愚かさ、そして命の尊さを改めて感じさせられました。沖縄の問題だけじゃなく日本そして世界の平和問題として受け止め、本当の平和の意味を認識するべきだと思いました。
今回の平和行進参加で自身の勉強不足を痛感したのも事実です。地元沖縄県人の怒りと希望で反基地、反戦の運動が続いて行く事を願っています。本当の「復帰」には、まだまだ時間がかかりそうです。  今後も全国の労組、その中でも全港湾青年部の若い力を中心に全港湾の長い歴史と誇り「戦う全港湾」の志を受け継いで取り組んで行ってくれる事を願っています。子供、孫達の未来のためにも…断じて戦争の道を歩んではいけません。何ものにも代えがたいもの、それは命です。
【命どう宝!】合掌。

第39回沖縄平和行進に参加して

長崎県支部 大平幸弘

2016年5月15日全国結団式が5月12日(木)那覇市の久茂地のパレット市民劇場で行われました。実行委員長を務める沖縄平和運動センターの山城博治議長は「沖縄からあらためて反戦平和を訴えよう。安倍政権が戦争へとまい進する中、沖縄の状況をつぶさに確認し、後悔しないために何をすべきか考えよう」と語られていました。
1日目は、3コースに分かれて、全港湾は南コースで、南城市陸上競技場から出発しました。昼食地点の平和祈念公園では、沖縄戦終焉の地であり、沖縄戦で亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ「平和の礎」、戦没者の鎮魂と永遠の平和を祈る「平和祈念像」、そして摩文仁の丘の上には国立沖縄戦没者墓苑や府県、団体の慰霊塔が50基建立されている。実際に地中に埋まっている不発弾も床がガラスばりで出来ている為に見る事もでしました。
また、広場の中央には「平和の火」が灯されていて、この「平和の火」は、沖縄戦最初の上陸地である座間味村阿嘉島において採取した火と被爆地広島市の「平和の灯」及び長崎市の「誓いの火」から分けていただいた火を合火し、1991年から灯し続けた火を、1995年6月23日の「慰霊の日」にここに移し、灯したものであるそうです。 ひめゆりの塔では、平和祈念資料館で特に印象があったのは、沖縄戦で生き残った教師が犠牲になった学徒隊の黒髪を神棚に上げたり、親族が我が子の黒髪や白骨など必死にかき分けて探してる事が文章で残っていました。
2日目の午前は視察団として1日目に行ったひめゆりの塔、平和祈念資料館へと行きました。午後からは、東風平運動公園陸上競技場で昼食後行進で出発して、陸軍病院壕跡を経由して南風原町役場まで行進しました。夜は沖縄地本にて懇親会の青年・BBQ交流会で自己紹介など他の地方のかたと飲んだり騒いだりしてあっという間に楽しい時間が過ぎとてもいい交流ができました。
3日目は朝から奥武山運動公園で、出発式をしてから途中に休憩ポイントで休憩をして新都心公園まで歩きました。5・15平和とくらしを守る県民大会の会場では、南コース、東コース、西コースの3コースが集まり約2000人が集結しました。3日間での行進は全国から集まり約4500人で、1コース約30~40キロだそうです。
今後このような活動には積極的に参加し、周りに伝えて活動していこうと思います。
『子供の未来を守ろう』

第39回沖縄平和行進に参加して

関西地方神戸支部 魚住 幸一

今回、私が沖縄平和行進に参加するのは初めてで、山陽分会としても初参加でした。 今までに参加した人がいないので沖縄平和行進について話を聞いたりアドバイスを貰う事も出来ず、右も左も分からないまま知らないメンバーと5日間も行動するのは少し不安がありました。 しかし、懇親会を兼ねた勉強会が4月にあったので平和行進とはどのようなものなのか。また、平和とは何かという題材について語り合い、夜には懇親会で交流を深め、平和行進に向けて一致団結しました。 そのお陰で不安もなくなりました。
山陽分会では平和行進で学んだ事を皆に知ってもらおうと思い勉強会も開きます。 今回の経験を活かし来年に平和行進へ参加する人へアドバイスなどをしたいと思います。

第39回沖縄平和行進に参加して

関西地方青年部部長 小林 進

4度目の参加になると文章を考えるのもなかなか大変になると思っていたが今回の平和行進は数年の中で一番に印象深かった。まず、違ったのがコースだ。南コースは歴史を学ぶ道といっていたので目的地はほぼ同じだったが今までとは違うルートを歩くことがなによりも新鮮だった。最終日にいたっては大道路を行進した。それだけ平和行進やこの行進の意味を世間にアピールしようという想いがあったのだろうと感じた。そして今回の平和行進、自分が参加してきたなかでこれほど行進の妨害を受けたことはなかった。これが今の沖縄の現状を表しているような印象を受け、これこらもこの平和行進が続き闘っていくのだろうとも思えた。
初めて参加した5年前からシュプレヒコールの内容は差ほど変わっていないにも関わらず沖縄の今がこれほど激化していくと平和行進の終わりはいつむかえることができるのかと疑問をうかべる時もある。それでも全港湾はきっと最後まで闘い続けることを信じてまた来年も歩くのだろう。そして自分は今後参加するだろ人達の後押しができるようつとめていこと思っている。
この文章を考えている中で再び沖縄で米軍関係の暴行事件がおきている。極論から言えばこの事件も基地がなければ起きることのなかった事件であって。これから沖縄にある米軍基地の抗議活動も増えていくのだろ。来年はさらに激化するだろう平和行進もきっと全国から集まる仲間たちとぶじに終えて、いつか平和行進が勝利とともに終わる日を望んでいる。


第19回青年対策交流会議に参加して

第19回青年対策交流会議 (4)青年活動年間スローガン

「若い力は大きな力 声をあげて一歩前へ 青年部」に決定

 

 

第19回青年対策交流会議に参加して

 日本海地方青年部部長 下地真史

 全国のみなさんこんにちは。皆さん公私ともお忙しい中、日本海に集まっていただきありがとうございました。今回自分が学ばせていただいたこと、みんなで議論したことをご報告させていただきます。
 最初に今回参加された全国の青年の皆さま3日間(4日間の人も)本当にお疲れさまでした。2月の日本海ということで雪の心配をしていましたが天気にも恵まれ総勢六七名もの仲間達が全国から集まってくれました。共に今回の青対を盛り上げて下さり本当に感謝しております。今回は代表者会議と青年対策交流会議がセットになっており、初日の青年対策会議では第19回青年対策交流会議の運営全般・今後の青年代表者会議、青年対策交流会議の開催・脱原発キャラバンについて議論しました。
 冒頭中央本部鈴木誠一副委員長から「青年部は横の繋がりを大事にして元気よく意見を上げてきてほしい」と激励の挨拶をいただきました。2日目から青年対策交流会議となり最初は中央本部松本委員長から「全港湾を取り巻く情勢とこれからの青年部に求められる」というテーマで講座を開いていただき、3日目(午前)は富山県平和運動センター議長・山崎彰氏より「放射線の影響と原発の問題点」というテーマで講座を開いていただき、午後からは「各地方、支部の脱原発運動の取り組みと問題点これからの課題」「全国青年部統一行動について」という二つのテーマについて七つの班に分かれて分散会を行いました。4日目は御二人の講座と仲間達の議論のもと全体討論を行いました。以上が大体のスケジュールになります。
 私は今回の青対で二つのことを皆さんと考えていきたい。と開会の挨拶をさせていただきました。一つは脱原発についてチェルノブイリの事故は30年前に起きているのにいまだに原状回復はできていない、つまり福島第一の事故は30年後も片付いていないこれから私達青年層が一生付き合っていかなければならないということ。二つ目は私達青年層の現状について、私たちは数々の問題を抱えているのにその問題を執行部にお任せしていないでしょうか?ということ私達の労働条件はすべて勝ち取ってきたもの、戦う事を放棄していたらいつかなくなるんじゃないかということ。その思いが通じたのか山崎議長の講座の後の沢山の質疑がありました。30分の時間をとってあったのですが予定時間を超えても手が上がり山崎議長は大変驚いておりました。全体討論も、次回開催地本ついて、各々の職場の問題、全国の青年部の協力の在り方、運動の報告等々たくさんの議論がありました。スローガンについても今年は一つにしぼり一つの目標にむかって全国の青年部がガンバローということで九州地方苅田支部港運分会田中さんの「若い力は 大きな力 声をあげて 一歩前へ 青年部」が採択されました。
 最後になりますが、今回「第19回青年対策交流会議」を開催するにあたって全面的にご協力いただいた地元、伏木支部の皆さん、執行部の大先輩方、本当にありがとうございました。参加者を代表してお礼を申し上げます。

 日本海地方青年部副部長 稲井 太一

  私はこの青年対策交流会議で沢山の事を学び、そして、自分の地本や支部での活動にも活かせるような、強い刺激を受けて帰ることが出来ました。その思いを綴り、開催地本とゆう大役のチャンスを与えてくださった中央本部、そして日本海地方執行部の皆さま、受け入れ態勢を整えてくださった伏木支部の皆さま、全国の青年部員の仲間達への感謝の言葉に代えさせて頂きます。
  私はこの青年対策交流会議で、我々若年層の強み、そして役割を考えさせられたような気がします。会議の冒頭に日本海地方本部鈴木執行委員長の話の中で、「幕末に活躍した者達は皆20代であった」とゆう事を聞かせて頂きました。彼らは私が考えるに、大人達が作って来た日本を時代や周りの諸外国に負けない、更に良い国にするために闘ったんだと思います。私よりも年下だった彼らが奮起し、学び成し得た事が今の日本の礎になってると思うと震えずにはいられません。そう言った話を聞き、私には何が出来るのかと考えた所、青年部ならではの仲間作り、学習、失敗の3点が思いつき、そして会議を通してそれは確信に変わりました。
 全国に沢山の仲間を作り情報共有することにより、自分の地本や支部に帰っても良い刺激を受けたり、与えながら切磋琢磨し、活動に活かせること。知らないことを知らないと恥じずに、知らないからこそ自ら学び、教えを乞う事が出来ること。失敗を恐れず色んな事に興味を持ちチャレンジをし、もっといい事は無いかと突き詰められること。
  我々には我々にしか出来ないことも必ずあると私は信じます。その強みを活かして今後の組合活動、仕事に活かして行けるよう努力していきたいと思います。貴重な経験を積ませて頂いた事に心から感謝致します。

日本海地方青年部書記長 竹仲 健人

 第19回全国青年対策交流会議に参加して、開催地方として、とても貴重な経験をすることが出来ました。今回、日本海地方で青対を開催すると決まってから、いろいろ準備をしてきて、これまで開催していただいた地方の皆さんの大変さを知る事が出来ました。
 まず、松本中央執行委員長から、全港湾のとりまく情勢の話しをしていただき、講座には、富山県平和センターの山崎氏を講師に向かえ、原発の問題について話していただきました。放射能の危険性について詳しく知ることができ、ためになりました。
 分散会では全国の人達と原発の取り組みについての話しをして、他の地方の取り組みなどを聞けたりして今後の活動にいかしていこうと思いました。
 初めは、本当に日本海で出来るのか不安でしたが、無事に3日間が終わったときに、日本海地方で開催できてよかったと思いました。次回の青対は是非、北海道でできるようにサポートして、できることはしていきたいと思いました。

 関東地方横浜支部 鈴木健一

 今回 青対に参加して、改めて感じたのは、労働組合の大切さでした。全国の組合員の方から、会社で、今起きている問題の報告を聴きましたが、これも、組合に入っていなかったら、簡単に解雇されているのではないのかと思う内容でした。毎回、集会で、誰かしらの演説を聴きますが、これも、ただ聴いて満足するだけでなく、鈴木委員長も言っていましたが、自分で掘り下げて、調べて裏を取り、そして、行動し、経験し、知識として、生かしていきたいと思いました。代表者会議にも参加させて頂き、とても、充実した4日間になりました。ありがとうございました。

関西地方大阪支部青年部部長 松下泰士

 第19回全国青年部対策交流会議に今回で4回目の参加でした。1回目、2回目、参加した時は話しの内容がなんとなくしかわからなかったのですが、今回参加して、勉強したなかで、前回、前々回よりも話しの内容、全港湾という組織が、どういうものかが、見えてきました。勉強とは、物事のぎゃくの事を見る(考える)そして調べる。なるほど!と思え、人生においても考えさせられました。こういった会議、勉強会(交流会)は何げないところの話しに大切な事を気付かせてもらえます。

関西地方大阪支部青年部副部長 横山 貴安基

 今回2回目の参加となりましたが、前回と比べて自分自身全国の仲間と深く繋がりがあると感じました。私は今年で青年部から退きますが、これからの青年部はもっと力を付けて様々な問題に団結して立ち向かい、闘って勝ち取る意識を強く持って頑張って貰いたいです。自分も今迄以上に頑張っていきます。ありがとうございました。

東海地方清水支部 山崎

 青年対策交流会議に初めて参加しました。参加してたくさんの人と話して思った事はどこの支部でもいろいろな問題を抱えていてそれについて考えて活動しています。清水でもいろんな問題がこれからもでてくると思うのでみんなと話し合ったりちょっとの事でもしっかりと考えて行動していけたらと思います。講座では放射能の影響がどれだけのものなのか、どれだけ恐いものなのかを改めて知り静岡も浜岡原発があるので、もっと知る必要があると思います。近くにあるにも関わらず、ニュースとかでやってる程度しか知らない自分が恥ずかしかったです。東京で脱原発集会に参加しましたが、ほかのデモ行進もあれば積極的に参加したいと思いました。分散会では原発の事についてどういった活動をしているか、各支部や地本での統一行動などの時間では支部でのいろいろな活動を聞けてとても参考になり清水に持ち帰り報告してみんなに伝えていきたいと思います。みんなの部費で行かせてもらい、ありがとうございました。これからもがんばりましょう!

九州地方関門支部 伊東俊介

  2016年2月13日~15日(土~月)の14時から富山県射水市にあるホテル第一イン新湊にて第19回全港湾青年対策交流会議が総数68名にて開催されました。始めに日本海地方青女部部長の下地さんから開会の挨拶があり、議長団選出では日本海地方の小島さんと川端さんが選出されました。 
 日本海地方委員長挨拶では鈴木龍一さんから「青年部活動は中央、地方ではなく地域、支部、職場で行ってほしい・先輩達にもおかしい事はおかしいと言ってほしい」とアドバイスをして頂きました。中央本部青年部担当挨拶では鈴木誠一さんから「全国の仲間達としっかりと情報交換をしてほしい」とのお願いをうけました。講座『全港湾を取り巻く情勢とこれからの青年部に求められるもの』では全港湾中央執行委員長の松本さんに講師をして頂きました。講座の内容は、団結とは何か・世の中の考え方・社会の力関係でかわる法律解釈・安倍政権の政策・これからの課題というものでした。様々な内容の中でも、最後の『これからの課題』というのが自分の中でとても勉強になることばかりでした。その後の質疑応答では「仲間が原発関連で働いている場合は」「産業別統一闘争とは」などの質疑があげられました。14日(日)には講座『放射線の影響と原発の問題点』を富山県平和運動センター議長の山崎さんに講師をして頂きました。講座の中の『放射能の半減期』という項目で半減期が短いものでは数日、長いものでは141億年という年月がかかるというのにはとても驚き勉強になりました。分散会『各地方支部の脱原発運動の取り組みと問題点・これからの課題』では7つの班に分かれて議論をしあいました。取り組みでは、デモ行進・原水禁への参加・住民へのビラ配りなどがあげられ、問題点では、参加メンバーの固定化・関心がない・意識が低いことなどがあげられました。これからの課題では、家族や身内などから取り組む・学校での教育・分かりやすい内容の学習会を開催するなどがあげられました。統一行動については、港のゴミ拾い・フラッシュモブ・千羽鶴を広島や長崎に送る・原発の署名運動・活動を同じ色の服で行うなどがあげられました。統一行動だけでなく、日頃の活動から全港湾全体で色を決めて、同じ色の服装で活動を行えば参加者全員の団結と意識向上・マナーアップ・全港湾の宣伝・組織拡大などに繋がりそうだと感じました。 
 15日(月)には全体討論(職場の問題・支部や地本の問題・今回の青年対策交流会議について等、なんでも自由な議論を)が行われました。その中では、5.15沖縄平和行進で後ろの人はシュプレヒコールが聞こえない・職場問題で仲間が去った・次回青年対策交流会議を北海道で開催したいなど様々な発言がありました。特に印象に残ったのは、会社に未払金を請求したら職場の移動や出勤停止などの嫌がらせをうけている仲間がいることでした。その仲間は嫌がらせをうけながらも「負けないで闘う」と現在も闘っています。アドバイスをしてあげられない自分の勉強不足をとても強く感じました。中央本部青年部担当からのまとめ、感想では鈴木誠一さんから「行動して経験して実になる、自分・家族・会社・労働組合の4つを大切にしてほしい」などの話しを聞かせて頂きました。年間スローガン選考/採択では自分たち九州地方からのスローガン『若い力は大きな力 声をあげて一歩前へ 青年部』が選ばれました。最後に団結がんばろうを次回青年対策交流会議開催予定地の北海道地方の今野さんの楽しい団結がんばろうで第19回全港湾青年対策交流会議は終了となりました。今回参加させてもらってたくさんの事を勉強することができました。仲間が困っている時にアドバイスができるように、自分なりに実例などを調べてみたりして勉強していきたいと思います。夕食の懇親会では年に数回しか会えない仲間達と食べて飲んで楽しい時間を過ごすこともできて嬉しかったです。また機会があればぜひ参加させてもらいたいと思います。ありがとうございました。

九州地方博多支部 橋本佑介

 2月13日から15日の3日間、富山県射水市にて行われた第19回青年対策交流会議に参加しました。まず始めに、開催地である日本海地方の皆さん各地方の受け入れ、準備ありがとうございました。私は青年対策交流会議に参加するのは4回目で、全国の仲間と再会することができ横の繋がりが出来てると感じました。横の繋がりとは、自分に対しての財産であると考えており少しでも多くの方々と交流を深めるようこの3日間を望みました。1日目は、日本海地方執行委員長である鈴木委員長のあいさつがあり、青年部の本来の目的、青年部としての行動とは?という問いかけがありました。中央本部からの動員だけが行動ではなく各地方、各支部にて地域の運動への率先しての参加等がこれからの青年部には必要だと話されてました。中央執行委員長の講座では「全港湾を取り巻く情勢とこれからの青年部に求められるもの」についての話がありました。労働者として誇りを持ち、お互いに信頼し合うこと。組合員として言いにくい相手、親しくない相手こそ会話が必要であり、会話することで新しい発見ができ、視野が広がると言われてました。
 2日目は、平和運動センターで議長をしている山崎議長から「放射線の影響と原発の問題点」についての講話がありました。放射線は、匂いや色、味もなく人体に入ってきても分からない。とても危険なものであること。放射線を浴びるということは将来、子供にも影響することを強く言われていました。この日本にも54基の原子力発電所があり危険な状況で生活している方々がいる。このような状況を作ったのも人だし、それを我々は排除していく運動を続けていくことを改めて強く感じました。そして、分散会に入り「原発運動の取り組みと問題点これからの課題」、「全国青年部統一行動について」といった2つの議題に沿って行いました。取り組みについては、各地方、各支部で地域で行われている脱原発運動に参加しており、今までと同じようにこれからも参加していく。問題点としては運動、活動に同じメンバーが参加している現状があり、ローテーションなどで参加していけるようする。その際は各地方、各支部で運動に対しての意味など、事前に知ることによりスムーズに運動、活動に参加できると思いました。全国青年部統一行動については日本海地方が行っているエコキャップ集めを全国で行う、全国の仲間と同じ日に各地方、各支部に集まり学習会を行うという意見が出ました。実現できるよう努力していきたいと思いました。最終日は全体討論と中央本部からのまとめがありました。全体討論の中で名古屋支部にて未払いなど、悲惨な出来事があり、現実を受け止めこれから先、全国の仲間で協力して助け合いたいと思いました。まとめでは、初日から言われていた各地方、各支部が地元にて行動、運動を行うことが大事。それから全国へ発信していくことがすべての運動に繋がっていける。最後にスローガン選考、採択があり「若い力は大きな力声を上げて一歩前へ青年部」に決定し、1年間このスローガンに沿って運動、活動を行っていくことを確認しました。この3日間、短い時間でしたけど全国の仲間と交流ができ各地方、支部の現状を少しでも知ることが出来ました。これから地方、支部に持ち帰り議論していきたいと思いました。参加された皆さん、お疲れ様でした。

九州地方長崎県支部 大平幸弘

 2016年2月13日~15日の日程で、富山県射水市で青年対策交流会議が開催されました。1日目、開催地の日本海地方青年部部長の下地真史さんの開会挨拶で始まりました。そして、日本海地方委員長挨拶と中央本部青年部担当挨拶があり、全港湾中央執行委員長、『全港湾を取り巻く情勢とこれからの青年部に求められるもの』講座があり、その中では集団的自衛権や労働組合、税金の話しがありました。夕方には、各地方の自己紹介で懇親会をして1日目は終わりました。
 2日目は富山県平和運動センター議長の、山崎 彰さんの『放射線の影響と原発の問題点』の講座があり、午後からは、7班に分かれ『原発運動の取り組みと問題点』と『全国青年部統一行動』と言う課題があり、みんなばらばらに班に分かれて議論をしました。私の班のまとめとして、とりあえず身近な人から原発の怖さなどの説明をして少しでも内容を分かってもらう事や政府が問題なら積極的に選挙に力をいれて参加して行こうと決まりました。3日目は、朝から全体討論があり年間スローガンの一本化、香川の職業問題、沖縄平和行進のぽい捨てゴミ問題、福島キャラバン、次回の青対開催地、とくに名古屋の職業問題未払い賃金、労働時間、職場追い出しの現状がある事を聞いてとても大変な状況におかれている事が分かりました。
 年間スローガンは九州地方の苅田支部の『 若い力は大きな力 声を上げて一歩前へ青年部 』北海道のガンバロー三唱で終わりました。この青年対策交流会議に参加して各地方の仲間との交流いろいろな問題について大変勉強になりました。全港湾の仲間は大切だと思いました。

九州地方苅田支部 堀本雄平

 2月13日~2月15日までの3日間富山にある第一イン新湊で第19回全港湾青年対策交流会議に参加してきました。自分は青年対策交流会議は、初めての参加でどんな事をするのか全くわかららないままスタートしました。最初に日本海支部青年部部長の挨拶がありその後、日本海地方委員長の挨拶で「青年部活動とは?中央から言われてやるのではなく自分達から積極的にみずから何をしたらいいか?考えてほしい」と言われ自分はなんでも言われからじゃないと動かないでそのへんを変えていかなければならないと思いました。その後中央本部の鈴木副委員長の挨拶があり講師・全港湾中央執行委員長の松本委員長の講座「全港湾を取り巻く情勢とこれからの青年部に求められるもの」があり1日目は終了しました。
 2日目は、講師富山県平和運動センター議長の山崎彰氏による講座「放射線の影響と原発の問題点」がありその後日本海地方の原発の現状と活動の報告があって分散会「各地方支部の脱原発運動の取り組みと問題点これからの課題」「全国青年部統一行動について」という課題があげられました。自分はc班になり初めて知らない人と議論したりしてすごく緊張しました。そこでは各地方いろいろな取り組みやいろいろな問題など自分の知らない事ばかりで、ほとんどどこの港も親は活動しているが青年部としてはその流れで活動するといったぐらいで実際その活動内容に対して勉強不足な部分があるなどがでました。なのでこれからは少しでも青年部から動きだせるようにしたいです。
 3日目は、全体討論で次の全港湾青年対策交流会議は北海道に案が出てるという事なんで少しでも協力していきたいし、もっともっと組合とはどういう事なのかを勉強して困った時は全国の仲間を助けあっていきたいと思いました。そして年間スローガンは九州地方苅田支部で出した「若い力は大きな力声をあげて一歩前へ青年部」に決まりました。今回学んだ事を少しでもいかせれるように支部にもちかえりもっともっと活躍できるように頑張っていきます。日本海地方のみなさんありがとうございました。

関東地方横浜支部青年副部長 寳納雅行

 第19回青年対策が日本海地方は伏木の地で開催されました。開催地でもあります日本海地方鈴木龍一委員長の挨拶があり青年対策の走り、青年部の声をもっと上に出す、そして上は良い考えをもっと取り入れる!青年部としてもっと元気よく活発に活動して行こうと激励を受けました。松本中央執行委員長による[全港湾を取り巻く情勢とこれからの青年部に求められるもの]と題した講座を開いて戴きました!難しい言葉の真実よりわかりやすいウソがまかり通っている現実!政治・経済、世の中の考え方!富山県平和運動センター議長、山崎氏による原発の問題について講義して戴きました。やはり原発は危ない、共存出来ないと再確認しました!
 分散会では各地方、脱原発運動の取り組みと問題点これからの課題、全国青年部統一行動について議論しました。青対を通して感じた事は、昨今の港における情勢は大変に厳しいものとなっている!全国の仲間は色々な問題を抱えてることに無力さも感じた、考えさせられた!鈴木誠一中央執行副委員長が言われてました、調べて裏を取って行動する!反原発、反基地運動もそうですが知ることから初めてみようと思いました。最後になりますが日本海地方の皆様受け入れて下さりありがとうございました。

関西地方阪神支部 坪井雄志

 私はこの交流会議には今回で5回目の参加でした。松本委員長による講座「全港湾を取り巻く情勢とこれからの青年部に求められるもの」で思ったのは「全港湾の組合員は除外されるだろうが我々国民が政治に無関心だから安倍政権の分かりやすいウソに騙されているのだな」ということでした。この現実を親しい仲間内だけではなく主義思想が違う人たちにも伝えなければならないと感じました。山崎彰富山県平和運動センター議長による講座「放射線の影響と原発の問題点」では放射性物質の半減期が種類によっては「何億年」とか莫大な時間がかかるということにとても驚かされました。分散会では各地方の脱原発運動の活動内容や問題点などが聞けてとても参考になりました。この青対交流会議で学んだことをこれからの運動に活かしていきたいと思います。

関西地本阪神支部 松田直樹

 2月13~15日に行われた全港湾青年対策交流会議に今回初めて参加さして頂きました。その中で、放射線の影響と原発の問題点をテーマに講座が開かれ、話を聞くにつれ、私自身の勉強不足を痛感しました。関西が地元と言う事もあり、そこまで原発について感心を持っている仲間もあまり多くないので、今回知った事を少しでも伝えていきたいとおもいました。また、交流会や分散会の中で、全国の仲間と組合活動への取り組み方等々の話を聞く事ができ、今後の組合活動の参考にしていきたいと思いました。

日本海地方新潟支部 松田祐樹

 2月13日~15日富山県で行われた青年対策交流会議に参加しました。全国規模の会議に参加するのは、始めてだったので不安もありましたが、日本海地方の仲間や沖縄平和行進で共に汗を流した先輩後輩もいたので、不安も一気になくなりました。横のつながりの大切さを始めて実感しました。
 初日は全港湾中央執行委員長の松本委員長から講義を受けました。青年部活動は職場(地元)から。とても印象に残っている言葉です。いかに地元で活動が出来るかだと思うので、頑張りたいと思いました。
 2日目は原発問題について、講師の山崎さんの講義を受けました。高浜原発が再稼働をはじめこれから次々に再稼働に向けて動き始めると思います。原発がなくても、電気が足りなくなることもなく生活できていたのに何故稼働しなきゃいけないのか?動かす意味がわかりません。新潟にも刈羽原発があります。今は稼働していませんが、次期に再稼働という話が出るはずです。その時は、反原発の声をあげ阻止していきたいです。
 講義の後は、各班に別れて分散会を開きました。内容は「各地方支部の脱原発運動の取り組みと問題点これからの課題」と「全国青年部統一行動について」でした。各班様々な意見が出てとても良かったと思います。3日間という時間でしたが、全国の仲間と交流し仲良くなれて良かったです。いろんな話を聞く中で、知識の無さを感じました。勉強したいと思います。いい経験ができました。ここで得た横のつながりを大事にし、これからの組合活動にいかせればと思っています。

 日本海地方青年部副部長 稲井 太一

  私はこの青年対策交流会議で沢山の事を学び、そして、自分の地本や支部での活動にも活かせるような、強い刺激を受けて帰ることが出来ました。その思いを綴り、開催地本とゆう大役のチャンスを与えてくださった中央本部、そして日本海地方執行部の皆さま、受け入れ態勢を整えてくださった伏木支部の皆さま、全国の青年部員の仲間達への感謝の言葉に代えさせて頂きます。
 私はこの青年対策交流会議で、我々若年層の強み、そして役割を考えさせられたような気がします。会議の冒頭に日本海地方本部鈴木執行委員長の話の中で、「幕末に活躍した者達は皆20代であった」とゆう事を聞かせて頂きました。彼らは私が考えるに、大人達が作って来た日本を時代や周りの諸外国に負けない、更に良い国にするために闘ったんだと思います。私よりも年下だった彼らが奮起し、学び成し得た事が今の日本の礎になってると思うと震えずにはいられません。そう言った話を聞き、私には何が出来るのかと考えた所、青年部ならではの仲間作り、学習、失敗の3点が思いつき、そして会議を通してそれは確信に変わりました。
 全国に沢山の仲間を作り情報共有することにより、自分の地本や支部に帰っても良い刺激を受けたり、与えながら切磋琢磨し、活動に活かせること。知らないことを知らないと恥じずに、知らないからこそ自ら学び、教えを乞う事が出来ること。失敗を恐れず色んな事に興味を持ちチャレンジをし、もっといい事は無いかと突き詰められること。
 我々には我々にしか出来ないことも必ずあると私は信じます。その強みを活かして今後の組合活動、仕事に活かして行けるよう努力していきたいと思います。貴重な経験を積ませて頂いた事に心から感謝致します。

 日本海地方直江津支部 高橋

 青年対策交流会議にオブ参加として初めて参加しました。とても勉強になる事が多くて身のある3日間でした。でも自分の知識のなさ、勉強不足を実感した3日間でもありました。今後、このような思いをしない為にも知識を身につけ、勉強していきたいと思います。このような経験ができとても良かったです。

 日本海地方伏木支部 石原

  初めての青年対策交流会議だったので不安もありましたが交流もできいい経験になりました。

 日本海地方伏木支部 岩田

  今回初めて参加して緊張しましたがみんな意識が高くとても勉強になりました。

 日本海地方伏木支部 川岸

  他県の人と交流できとてもいい経験になりました。また機会があれば参加したいと思いました。

 日本海地方伏木支部 増神

  原発の講義を聞いて、解決していない福島の現状や政府がそういう事を報道しないようにしていると聞いて、驚きと恐怖をかんじました。 また、全国の青年部の方のそれぞれの抱える問題やそれに取り組む姿勢を見て、 自分たちは、あまっちょろいところでのうのうと仕事していたんだなと感じました。

 日本海地方伏木支部 末坂

  今回初めて全港湾青年対策交流会議に参加させていただきました。 三日間参加していろいろな講座、分散会などを行なって全国の仲間の青年部の活動や意見交換させていただきとても刺激的な三日間でした。 全体討論の際に各支部の抱えている問題、熱い気持ちなど聞いて、少しでも周りの青年部のみんなに伝えていきたいと思いました。

 日本海地方伏木支部 浜田

  青年対策交流会議で私は初の参加で無知な状態で参加させていただきました。 他県から来られた青年部の人達でも初の参加の人もおられましたがそんな人達は何回も来られてる人達に負けないように意見を出しあっていて正直流石だと思いました。原発や戦争反対、職場の状況など色々な話を集まってしまして元々あまり感心がなかったのですが周りの意見を聞いている内に感心が湧いてきかつ自分の勉強不足に心が痛かったです。次また参加することがあるばきちんと勉強して挑みたいと思いました。

 日本海地方伏木支部 若林

  今回初めて大会に参加させてもらって各地方の方の生の意見を聞いたとき、ニュースで放送されている事はほんの僅かで実際は原発で悩んでいる事が沢山あることが分かりました。この大会を機に自分の出来ることは小さいかも知れないですがこの大会での案を一つでも出来るように努力していきたいと思いました。

 日本海地方伏木支部 藤島

  2日目での分散会で他の地方の方と話す貴重な体験ができました。思ったことが伏木支部青年部の自分達と他の地方の組合員とのモチベーションの温度差を感じました。 それと原発について。富山には原発がないので頭のどこか片隅にでも [ 事故が起こらない ] みたいな考えがあるのかもしれない感じがしました。 話を深め原発の恐さと絶対に原発は無くさないといけないことを再確認しました。 自分では親から言われた活動や動員などできるだけ参加しているつもりだったが自分の未熟さや意識の低さを見つめ直さなくてはいけないと思いました。

 日本海地方伏木支部 見角

  日本海地方青年部では、青対に参加するのは三役まででした。今回は地元富山で開催されることになり、伏木支部青年部長として青対に参加出来て大変良い経験になりました。 会議では、全港湾の松本中央執行委員長の講座、富山県平和運動センター議長の山崎彰さんによる講座、7班に別れての分散会が行われました。松本委員長の講座では、安倍政権の政策に対する問題点や、デモ活動に取り組む上での注意点、そして青年部に求めていることについて分かりやすく話していただきました。山崎議長の講座では、日本海地方が多く抱える、原発問題について話していただきました。原発の危険性、再稼働問題、事故処理についてなど詳しく説明され、富山には原発が無いからと安心するのでは無く、日本の問題であることを強く意識しました。
 分散会では「各地方の脱原発運動への取り組み」と「全国青年部統一行動」について話し合いました。東北地方では、直接現地に赴き、身をもって学習や行動するなど、高い意識が感じられました。その一方で、原発と関わりの薄い地域ではあまり活動が無いなど、地方による温度差が問題点としてあげられました。改善するためにも、青年部同士が連絡を取り合い、積極的に行動していくことが大事になってきます。また支部単位でも、何故その活動をするのかをしっかり伝え、みんなで活動していく環境作りをしていかなければなりません。質疑や全体討論でも、各地方から多くの意見、報告等があり、大変盛り上がった会議になりました。他地方の青年部と交流する機会は貴重で、お互いの地方、支部の状況等の情報交換をしたりと、大会以外でも充実した話し合いが出来たと思います。今回得たものを「良い経験」で終わらさず、地方、支部、分会の青年部活動に活かしていけるよう頑張って行きたいです。

 日本海地方 七尾支部 青年部長 秋元良和

  今回、初めて青対に参加させてもらいました。原発のある県とない県での活動のあり方や温度差などの問題点など、全国の仲間達と情報・意見交換できた事、各地方・各支部での問題など、参加しないと経験できない事ばかりですごく良い経験になりました。
 まず自分達の支部で、そして地方と青年部がもっともっと行動して失敗や挫折をしながらでも、全港湾を盛り上げていきたいと思います。

 日本海地方 七尾支部 小堀一彦

  オブとして初めて青年対策交流会議に出てみて、全国の仲間たちと交流したり、色々な話を聞いて自分も組合活動を頑張っていかないと駄目やと痛感しました。自分にとってこの3日間は、とても良い勉強になりました。

 日本海地方青年部部長 下地真史

  全国のみなさんこんにちは。皆さん公私ともお忙しい中、日本海に集まっていただきありがとうございました。今回自分が学ばせていただいたこと、みんなで議論したことをご報告させていただきます。
 最初に今回参加された全国の青年の皆さま3日間(4日間の人も)本当にお疲れさまでした。2月の日本海ということで雪の心配をしていましたが天気にも恵まれ総勢67名もの仲間達が全国から集まってくれました。共に今回の青対を盛り上げて下さり本当に感謝しております。今回は代表者会議と青年対策交流会議がセットになっており初日の代表者会議では第19回青年対策交流会議の運営全般・今後の青年代表者会議、青年対策交流会議の開催・脱原発キャラバンについて議論しました。冒頭中央本部鈴木誠一副委員長から「青年部は横の繋がりを大事にして元気よく意見を上げてきてほしい」と激励の挨拶をいただきました。二日目から青年対策交流会議となり最初は中央本部松本委員長から「全港湾を取り巻く情勢とこれからの青年部に求められる」というテーマで講座を開いていただき、三日目(午前)は富山県平和運動センター議長 山崎彰氏より「放射線の影響と原発の問題点」というテーマで講座を開いていただき、午後からは「各地方、支部の脱原発運動の取り組みと問題点これからの課題」「全国青年部統一行動について」という二つのテーマについて7つの班に分かれて分散会を行いました。4日目は御二人の講座と仲間達の議論のもと全体討論を行いました。以上が大体のスケジュールになります。
 私は今回の青対で二つのことを皆さんと考えていきたい。と開会の挨拶をさせていただきました。一つは脱原発についてチェルノブイリの事故は30年前に起きているのにいまだに原状回復はできていない、つまり福島第一の事故は30年後も片付いていないこれから私達青年層が一生付き合っていかなければならないということ。二つ目は私達青年層の現状について、私たちは数々の問題を抱えているのにその問題を執行部にお任せしていないでしょうか?ということ私達の労働条件はすべて勝ち取ってきたもの、戦う事を放棄していたらいつかなくなるんじゃないかということ。その思いが通じたのか山崎議長の講座の後の沢山の質疑がありました。30分の時間をとってあったのですが予定時間を超えても手が上がり山崎議長は大変驚いておりました。全体討論も、次回開催地本ついて、各々の職場の問題、全国の青年部の協力の在り方、運動の報告等々たくさんの議論がありました。スローガンについても今年は一つにしぼり一つの目標にむかって全国の青年部がガンバローということで九州地方苅田支部港運分会田中さんの「若い力は 大きな力 声をあげて 一歩前へ 青年部」が採択されました。
 最後になりますが、今回「第19回青年対策交流会議」を開催するにあたって全面的にご協力いただいた地元、伏木支部の皆さん、執行部の大先輩方、本当にありがとうございました。参加者を代表してお礼を申し上げます。

 日本海地方青年部 書記長 竹仲 健人

  第19回全国青年対策交流会議に参加して、開催地方として、とても貴重な経験をすることが出来ました。今回、日本海地方で青対を開催すると決まってから、いろいろ準備をしてきて、これまで開催していただいた地方の皆さんの大変さを知る事が出来ました。
 まず、松本中央執行委員長から、全港湾のとりまく情勢の話しをしていただき、講座には、富山県平和センターの山崎氏を講師に向かえ、原発の問題について話していただきました。放射能の危険性について詳しく知ることができ、ためになりました。
 分散会では全国の人達と原発の取り組みについての話しをして、他の地方の取り組みなどを聞けたりして今後の活動にいかしていこうと思いました。
 初めは、本当に日本海で出来るのか不安でしたが、無事に3日間が終わったときに、日本海地方で開催できてよかったと思いました。次回の青対は是非、北海道でできるようにサポートして、できることはしていきたいと思いました。

日本海地方敦賀支部 森北俊文

  第19回全国青年対策交流会議に初めて参加させていただきました。まず始めに松本中央執行委員長から「全港湾を取り巻く情勢とこれからの青年部に求められる」というテーマでお話をしていただきました。その後、富山県平和センターの山崎さんから「放射能の影響と原発の問題点」についての講座を開いていただきました。放射能がどのようなものかどれほど怖いものかを詳しく説明していただき知らなかった事を知る事が出来ました。
 分散会では、あらかじめ用意されていたグループに分かれて脱原発に対する各地方の取り組み、全国青年部統一行動について意見交換しました。脱原発について各地方がどのような取り組みをしているのか知る事が出来、地元での脱原発についての取り組みに繋げて行きたいと思いました。全国青年部統一行動についてグループの中で一番多く挙がった候補が千羽鶴を折り広島、長崎に贈るというものでした。その他にもエコキャップ運動や海の日の清掃活動などたくさんの候補が挙がりました。1つでも多く全国青年部統一行動として活動することが出来れば、全国との絆、団結力が深まるのではないかと思いました。
 この3日間なにも分からない状況での参加となりましたが、全国の皆さんと意見交換し合う事で見えていなかったものがだんだんと見えるようになり、横の繋がりを作ることも出来たと思っています。この3日間たくさんの事を学ぶ事ができ、本当に内容の濃い3日間になることが出来ました。今回初めて参加させていただきました。松本中央執行委員長をはじめたくさんの先輩方々このような貴重な経験を積ませていいただき感謝しております。本当にありがとうございました。

 舞鶴支部青年部部長 川端 勇志

  今回初めて青年対策交流会議に参加しました。全国の青年部の人達と交流するのは沖縄の平和行進以来で、いったいどんな会議になるのだろうと不安でいっぱいでした。その不安の中で、初めての議長という大役を新潟の小嶋さんとやらせていただきました。つたない進行ではありましたがなんとか無事やり遂げることができ、反省点も多かったのですが、その分達成感もすごく感じました。また「全港湾を取り巻く情勢とこれからの青年部に求められるもの」という議題での講座を中央本部の松本委員長にしていただきましたし、2日目の「放射線の影響と原発の問題点」という議題の講座を富山県平和センター議長の山崎彰さんにしていただきましたが、どちらもすごくわかりやすく、原発の話では日本海だけでなく東北や関東の人達も青年部としてたくさんの活動をしていて感動しましたし、まだまだ自分たちが勉強不足だなと感じました。青年対策交流会議は初めてで最後でしたが、本当に勉強になりましたし、いろんな地方や支部の人達と交流ができたのもいい経験になりました。

舞鶴支部青年部副部長 藤本 一輝

  今回、初めて全港湾青年対策会議に参加させて頂きました。初参加なので、どのようなことをする場なのかが分からず不安でいっぱいでしたが全国の青年部の方たちと交流ができ、お互いの職場のこと、支部のことなどの意見を聞くことができ自分達の支部と他の支部との違いを発見できとても勉強になりました。また、全く自分が知らないことも分かりやすい講義をして下さったお陰で理解することができました。それでもまだまだ自分の知らないことだらけなのでもっと勉強して、組合、青年部についてこれからどうして行けばいいか考えていきたいです。

 日本海地方境港支部 仁井創哉

  今回の全国青年対策交流会議は日本海地方開催となりオブ参加させていただきました。全国的な会議に出席するのは初めてでどのように会議が進んでいくのか、分散会ではどのような話し合いをするのか不安でした。中には難しい話しもあり支部に帰って聞いてみたりもしましたし自分でも勉強をしてみました。支部に帰って思った事はやはり同じ港湾で働く仲間なんだなこれからも団結して頑張って行こうと強く思いました。

四国地方本部青年部事務局長 辻 健一

 今回富山県で開催された青年対策交流会議に参加し、改めて何のための労働組合なのか?という原点に目を向ける事が出来ました。
 今、私達が取り組むべき色々な問題があります。絶対に戦争させない為にも戦争法案を廃案に追い込んでいかなければならないし、私達の生活を全てぶち壊してしまう原子力発電の再稼働も止めなければならないです。そして沖縄の新基地建設にも反対し、沖縄から全ての基地を撤去させなければなりません。原子力発電所や基地で働く人々の雇用問題もあるので慎重な考え方は必要ですが、諸問題を解決しながら前進していかなければなりません。
  しかし、まず見つめ直させなければならないのは私達の足元、つまり生活です。自分自身の為、そして大切な家族の為に仕事をし、日々の生活をしています。その仕事において労働条件をより良くしていく事や守る事が必要です。その為には個人や小数では会社と対等に渡り合っていく事が出来ません。その為に私達港湾労働者の属する労働組合『全港湾』があるのです。労働組合と聞けば(面倒くさい)と思ったり、押し付け感がどうしてもあったりします。しかし私達の生活を守る為にはどうしても必要です。そして先程述べた通り個人の力ではどうすることも出来無い問題ばかりです。
 私の働いている香川県の坂出港に於いても、政府の政策によって私達の仕事が奪われ、生活が脅かされようとしています。この問題に対しても、たたかう労働組合『全港湾』の力を最大限活かし、私達の生活を守っていかなければなりません。全国の仲間からも共にたたかってくれるという力強い言葉を沢山貰いました。
 私自身も、もっともっと知識を身につけ、そして行動しなければならないし、全国の仲間との横のつながりも大切にしながら、各地方問題はそれぞれありますが、問題と真摯に向き合い意識の中でも共にたたかって行けたら嬉しいですし、今回の青対に参加した意義があったと思います。

四国地方徳島支部 伊達健太

 2016年2月13日~15日に富山県射水市にあるホテル第一イン新湊において第19回全港湾青年対策交流会議が総数68名にて開催されました。四国地方から2名が参加しました。 
 1日目は、全港湾中央執行委員長の松本さんを講師に迎えて「全港湾を取り巻く情勢とこれからの青年部に求められるもの」の講座がおこなわれました。講座の中で「難しい言葉の真実」より「わかりやすいウソ」がまかりとおっている現実を私たちがどう理解してどう動いたらいいのかを詳しく教えて頂きました。
 2日目は、富山県平和運動センター議長の山崎さんを講師に迎えて「放射線の影響と原発の問題点」の講座がおこなわれました。講座の中で原子力発電は、何らかの緊急事態には止める・冷やす・閉じ込める事が安全の基本で一つでも出来ないと大事故が起こると教えて頂きました。その後の分散会では、7つの班に分かれて『各地方支部の脱原発運動の取り組みと問題点・これからの課題』について議論をしました。  3日目は、全体討論が行われました。討論の中で年間スローガンの一本化・5.15沖縄平和行進・福島キャラバン・次回青年対策交流会議を北海道で開催したいなど様々な発言がありました。その後の中央本部青年部担当からのまとめでは「自分・家族・会社・労働組合の4つを大切にしてほしい」というアドバイスがありました。年間スローガンは「若い力は大きな力 声をあげて一歩前へ 青年部」に決定しました。最後に、次回青年対策交流会議開催予定地の北海道地方の今野さんの団結がんばろうで、第19回全港湾青年対策交流会議が終わりました。
 最後になりますが、受け入れて頂いた日本海地方の皆さん本当にありがとうございました。今回学んだことを地本・支部に持ち帰り、今後の組合活動に生かして行きたいと思います。

日本地方新潟支部青年部長 小島祐介

 2月13日から15日にかけて富山県射水市にある新湊ホテルで開催された第19回青年対策交流会議に参加してきました。
 今回は日本海地方での開催ということもあり、初めての参加ながらも私が議長を務めさせていただくこととなりました。
 初めに開催の挨拶として、日本海地方執行委員長鈴木龍一さん、中央本部副委員長鈴木誠一さんよりお言葉をいただきました。その後に中央本部松本委員長による「全港湾を取り巻く情勢とこれからの青年部に求められるもの」というテーマに沿って抗議をしていただきました。全港湾の歴史や、青年部ができた生い立ちなどの内容の中でも特に印象ぶかかったのが青年部は各々の職場や地域で活動していくことの重要性を強く感じました。
 2日目の午前中は富山県平和運動センター議長の山崎彰さんより「放射線の影響と原発の問題点」というテーマで講義をしていただきました。東日本大震災があってから今まで、原発の再稼働が進みつつあります。放射線が人体に及ぼす影響は計り知れないほどのものであり、”核と人類は共存できない”人が制御できないものを安倍政権は動かそうとしているなどのお話を聞きました。新潟にも世界最大級の原子力発電所がありますが、再稼働をさせないためにも脱原発運動にこれからも取り組んでいこうと思いました。
 午後は1グループ10人程度に分かれての分散会を行いました。話し合いのテーマとしては「各地方支部の脱原発運動の取り組みと問題点これからの課題」、「全国青年部統一行動について」でした。戦術のテーマについての意見として、学習会を行い、知識を深めるや、デモ行進などの意見が聞かれました。後述については、前日の松本委員長のお話を参考に各支部青年部が同日同時刻にテーマの沿った学習会を開催することや、エコキャップ運動への取り組みなど多くの意見が聞かれました。
 3日目は全体討論ということで、職場の問題や、今回の青年対策交流会議についての意見交換をしました。各々が自由に発言できる場だったため、多くの意見が聞かれました。その後、総括として鈴木誠一さんより、今の全港湾の力が前より落ちているのは事実である。しかし、それを取り戻すのは青年部の役目であると激励のお言葉をいただきました。最後に北海道地方の今野さんの団結ガンバローで締めくくりました。
 今回の交流会議を通して、自分の為、そして家族の為にも今まで以上に活動に力を入れ取り組んでいこうと思うことができました。最後に初参加で初議長という大役を不安と緊張の中やりきることができたのも、”全国の仲間”の協力や多くの意見を出して下さった皆さんのおかげだと考えています。ありがとうございました。

関西地方建設支部太平ビルサービス分会執行委員 田村

 この度は、第19回全港湾青年対策交流会議にお招き頂きましてありがとうございました。今回で二回目となりますが、学んだ事、学習した事があります。それは実際に分散会で役割(今回私は発表役でした)を担当するとより深く学習出来るという事でした。発表の際は、緊張して上手く発表出来たか不安ではありましたがいい経験となりました。特に印象が残ったのは今回のテーマで、『各地方支部の脱原発運動の取り組みと問題点、これからの課題』という課題で分散会の青年部のメンバーで東北地方の方が、実際に原発周辺で仕事をされていて、沢山現場の環境や状況を発信して頂いたので、私もより深く考え込めたと感じます。実際に学習して原発の問題点として定義されたのが管理がずさん、いい加減だという課題で、実際の例として、避難計画住民への周知が出来ていないというのが挙げられました。これは、分散会で話しました内容の一部でありますが原発に関しては私は素人で何もわからない状態でありましたが、分散会や講義を通してしっかり学べたと思いました。次の機会がありましたら是非また多くの事、問題等学んでいきたいです。以上となります、ありがとうございました。

関東地方鹿島港支部青年部部長 栗俣和夫

 今回、日本海地方で開催された第19回全港湾青年対策交流会議に参加させていただきました。初日、講座「全港湾を取り巻く情勢とこれから青年部に求められるもの」、二日目、講座「放射線の影響と原発の問題点」、分散会「各地方支部の脱原発運動の取り組みと問題点これからの課題」、「全国青年部統一行動について」、三日目 全体討論、どれもが意義深い3日間でした。
 国政で労働者が不利にしかならない事。国の意向によって贔屓をされ災害があったにも関わらず、まるで無かったかのように押し進められている。政治を根本から変えなければならないその為に自分達は知識を持って理不尽に対して戦えるようにならなければならないと強く思いました。最後に暖かく迎え入れてくれた日本海地方の皆様ありがとうございました。三日間本当にお疲れ様でした。

関東地方鹿島港支部青年部事務局事務局長 佐々木恭平

 今回、自分にとっては2回目の青年対策会議でした。今回の青年対策会議は原発問題に重点を置いていて、講義では改めて原発の仕組み、放射能の恐ろしさを勉強させていただきました。分散会では、各地方が脱原発に向けて、どのような活動を行っているのかということを知り勉強になったと同時に自分達の支部でも集会に参加するだけでなく、何か行動を起こさないといけないなと感じました。最後になりますが、来年は北海道地方開催を目指すということで、出来ることがあれば協力したいと考えています。この三日間で各地方の近況を知ることが出来、また交流が出来て本当に良かったです。日本海地方の皆さま、お疲れ様でした!ありがとうございました。

沖縄地方青年女性部書記長 與儀泰寛

 青年対策交流会議で色々とお世話になりました日本海地方の皆様お疲れさまでした。今回、日本海地方では初めて開催された青対では個人的に昨年に続き2回目の参加になります。初めてお会いする方々が多かったのですが分散会等をするに至って交流を深めていくことができました。各地方でも様々な問題があり同様な悩みを共感することが多々ありました。組合活動等における組合員青年部の意識低下が何よりの悩みの種だと聞きました。また、東日本大震災がメディアにもあまり取り上げられなくなって風化されつつあり、あまり把握できなかったが、青対に参加されている人から被災地の現状を聞くことができました。書籍・文面では知ることのできない今を知らされて再度原発に対しての憤りを感じました。原発再稼働を推進している現日本政府には同じ過ちを二度と起こしてほしくない、そういう思いで原反対の意思を組合活動を通して意思表示をしていきたいと思います。今年の沖縄での平和行進に参加される人も数多くいると思います。その際にはまたより多くの人と語り合い、分かち合いたいと思います。

 沖縄地方青年女性部琉球港運分会 新里良平

 2月13日から15日までの間、日本海地方で開催された青年対策交流会議に初めて参加させてもらいました。1日目は「全港湾を取り巻く情勢とこれからの青年部に求められるもの」についての講座がありました。安倍政権の動向や、今後の青年部活動での課題など教えてもらいました。2日目は「放射線の影響と原発の問題点」についての講座がありましたが、沖縄には原発がなく、自分自身原発問題についての認識があまりにも低い為、学習会など学ぶ機会をどんどん増やせればと思いました。分散会では各班ごとに分かれ、各地方支部の脱原発運動の取り組みと問題点、これからの課題について議論しました。3日目は全体討論として、自分達の職場環境、支部や地本の問題など、さまざまなテーマで議論がありました。
 この青年対策交流会議を通して、自分は組合活動に関しての知識が浅く、とても勉強不足だと痛感しました。これから活動していくうえで、従うことや、ついていくことだけが組合ではなく、自分達で何を目指すか、何の為の活動なのか、を常に意識し考えることが大事だと思いました。

沖縄地本青年女性部部長 下條 智史

 2月13日~15日第19回青年対策交流会議に参加しました。今回、沖縄から3名、前日の代表者会議から参加しました。代表者会議では、各地方の活動報告や2016年青年部の活動に付いて話をしました。
 青年対策交流会議の初日は松本委員長が全港湾を取り巻く情勢とこらからの青年部に求められるものの講義で全港湾は、港湾規制を守って来た今の安倍政権が続投すると港湾規制に手をつけてくるのは間違いない、港湾で働く者の職を奪われる恐れがあるまた、9月の安保法案は、日本を守る為の改正じゃなくアメリカを守る憲法になるそれを聞いて夏のの参議院選挙で勝利したら憲法を変えると言っている安倍首相は、本当にアメリカと一緒なって戦争の出来る国に進んでいる。全港湾は、それを止めなくてはならないと思った。
 2日目 、富山県平和運動センター議長の山崎彰さんが講師に「放射線の影響と原発の問題点」政府は福島第一原発の事故は、収束しているかのように言っているが目に見えない放射線なので収束に何十年かかるか本当は、解らない。チェルノブイリ事故の時、立入できない基準にもかかわらず日本政府は、勝手に基準下げて安全と言っているだけで事故以来なにも解決してない人と原発は、一緒には、生存出来ないことを改めて確認できました。分散会では、各地方の脱原発運動の取り組みと問題点これからの課題が議題で、各支部ではおこなっいるが全国規模で運動が出来てないのが現状、汚染水が漏れても慣れてしまって震災時に比べたら全然メディアが取り上げてくれないし報道がされなくなった。問題点これからの課題では、今の政権は、原発推進政権で政治家を選ぶのも自分達国民なので、選挙運動をしていかないといけない、与党報道が多いメディアにも集会やデモ行進を行ってメディアに取り上げさせる事できるので参加をして風化させない運動をする福島県民大集会にも各地方青年部が行けるように頑張る事を決めました。
 今回の青年対策交流会議は、前日に代表者会議もあり4日間に渡りいろんな情報交換や今後の青年部の活動に付いて話が出来てとてもいい青年対策交流会議でした。今後の青年部の活動を頑張って若い青年部も引って頑張っていきます。

東海地方名古屋支部青年女性部副部長  上條清隆

 初めに、日本海地方の皆様へ先般は第19回青年対策交流会議を開催していただき深く感謝します。また、名古屋から急な追加人員で一名対応していただき重ねて感謝します。
 初日の代表者会議では各支部、地本の活動報告や今後の青対について会議が行われ、次回の開催地方についても案が出されました。この開催地方の持ち回りについて地元でも話し合いをしましたが、開催する地方によってはそれぞれ問題を抱えてる所もありその上で開催するとなったら大きな負担ではないか?なので今後、各地方で持ち回りを続けるのは難しいと私は思ってました。ですが、今回の青対で一つの答えをみつけました。去年の青対で開催地方候補として持ち帰った日本海地方青年部の方々が今回の青対を開催するにあたってどれだけ本気で取り組んでたか参加して分かりました。そして持ち回りで開催する意味も。青年対策交流会議はその名の通り青年部層主体で運営全般を行うわけですから、自分たちで考え、行動しそれが経験として培われた事は数年、数十年後に今の幹部や先輩組合員が引退したときにはもしかしたら支部や地本それこそ全港湾自体を運営する事に携わっている可能性があり、持ち回りで開催し運営を経験する必要があるからではないかと私は思いました。
 次の日の青年対策交流会議(一日目)では松本委員長の講座がありました。その中で特に考えさせられた事はこれからの青年部に求められるものです。その一つを挙げるのであれば、労働組合としての基本的な学習と経験です。私自身もそうなのですがどちらも足りていません。それを痛感したのは去年の暮れに職場を追い出され、出勤停止処分を食らって追い込まれた時のことです。これは私に限らず誰にでもあることです。いつ企業から攻撃を受けるか分からないので、労働組合として運動をしつつ学習をしながら経験を積み、自分自身を高める必要があるのではないかと私は思いました。そして先輩組合員の方々が全力で闘い、勝ち取った産別協定や地元、職場での労働条件を企業から守り向上していく義務も私たち青年部層は背負っている事を忘れないよう念頭に置いておきます。
 二日目は富山県平和運動センターで議長を務めている山崎氏から放射線の影響と原発の問題点についての講義がありました。私は去年、フクシマ連帯キャラバンに参加して原発の恐ろしさを知りました。それまで原発に対して関心が全くなく他人事だと思っていた私はキャラバンに参加して初めて原発の恐ろしさを理解し、震災や津波、原発事故等の関連で亡くなられた方や未だ避難されている方々へ心を痛めました。未だ電力会社や国の政策は原発の恐ろしさを理解しながらも原発に頼る依存社会を脱却しない事へ強い憤りを覚えました。全国各地にある原発に全部携わる事は困難かもしれないけど自分が出来る精一杯の行動でこれからも原発に対して反対の声を出していきたいです。
 三日目の全体討論では全国の仲間も自分の生活が危ぶまれる深刻な問題や次回の青対についての議論とキャラバンへの質疑等が出る中で私は自身の職場問題を訴え、会社に対して絶対に屈しない事、闘い続ける事を誓いました。
 全体を通して今回の青年対策交流会議は私にとってとても思いれ深いものとなりました。本当に日本海地方の皆さんありがとうございました。そして全国の仲間の皆さん、またどこかで再会しましょう。

 東海地方名古屋支部青年女性部部長 杉本 恒

 第19回青年対策交流会議に参加しまして、まず日本海地方本部そして、伏木支部また、日本海地方青年部の皆様には交流会議の開催準備と全国の青年部の受け入れ、誠にありがとうございました。
 今回、私は東北、関東に続いて3度目の参加となり、久しぶりに会う方や初めてお会いする方といましたが、やっぱり嬉しい!仲間との再会の喜びを握手やタッチ交わし、初めての方とは、「3日間宜しくお願いします。」と若干よそよそしい挨拶。しかし、それが最終日には「来年また会いましょう」と握手で別れる。こんな素晴らしいこと、地元でくすぶっていては絶対に味わえません。これが全港湾という組織の素晴らしさだと改めて思いました。
 今回の青対会議開催にあたり私は一つの目標を持って参加しました。それは第20回を『北海道』で開催することでした。北海道地方青年部の方からすれば突拍子もないことで大変驚かれたと思います。しかし、これは今元気を失いつつある北海道青年部の復活と、今一つ『横の繋がり』が出来ない全国の青年部が一致団結する為に必要だと思い提案させていただきました。実際、鈴木副委員長からも「日本海に対して進捗状況の確認をしていない」等のお叱りを受け、全くもってその通りだと反省しました。しかし、「このままでは終われない。過去の失敗から未来を見据え動き出さなければいけない」そういった気持ちが全員から伝わってきました。2日目の懇親会ではより深い交流が出来、最終日の全体討論では様々な討論がなされ、よりいっそう団結が深まる青年対策交流会議になったと思います。
 最後に『若い力は大きな力 声をあげて一歩前へ 青年部』のスローガンのもと反戦平和・脱原発。安心して暮らせる日本を目指し闘っていきたいと思います。


プルサ-マル反対 いわき集会に参加

プルサ-マル反対 いわき集会に参加

 皆様お疲れ様です。11月10日に平小太郎公園にて行われた「プルサーマルに反対するいわき市民集会、デモ行進」に参加してきました。
 まず初めに小太郎公園で集会が行われました。集会の中の決意表明で言っていたプルサーマルの欠点、原子力発電の安全性、核の恐ろしさなどを話してくれてとても危機感を感じ、家族や友人たち、全ての人たちが安心して生活できる福島県にするために今回行う市民集会、デモ行進を成功させなければならないと強く思いました。 
 次に小太郎公園からいわき駅までデモ行進を行いました。私たち小名浜支部青年部執行委員は行進団を車などから守る交通整理、行進団の誘導を行いました。列に車が入って行進の列を切らないようにとする参加してくれた方たちの思いにも助けられていわき駅までの短い距離でしたが何事もなく無事にやり遂げる事が出来ました。
 最後になりますが今回のプルサーマルに反対するいわき市民集会、デモ行進に参加して色々と考える事や学ぶ事が多くありとても為になりました。プルサーマル、原子力発電とは発電時に地球温暖化の原因とされる二酸化炭素を排出しない、酸性雨や光化学スモッグなど大気汚染の原因となる物を排出しない、発電量当りの単価が安いなどさまざまな利点があるかもしれませんが人的ミスなどで重大事故が発生すると周辺環境に多大な被害を与え、その影響は地球規模に及ぶ。国土の狭い日本において、一旦重大な事故が発生した場合放射性物質による国土の汚染は日本国内の非常に広範囲に及ぶらしくまだ安全性に疑問が残る物です。こんなに怖く未知数なエネルギーを簡単に許してよろしいのでしょうか?この日本という国は世界で唯一核爆弾を使われた国です。世界で核の脅威を身をもって体験しているからこそ私たちはプルサーマル、原子力発電のあり方を考え核をなくす運動をしていくべきだと思いました。今回のように多くの人が集まれば必ず日本の人たちそして世界の人たちを動かせる事が出来ると信じています。(小名浜支部青年部 小泉賀照)

東北地方青年婦人部スローガン
「集え!!若者よ!!青年部の名の下に。」