全港湾夏季一時金闘争、有額回答出始める

7月1日現在、
速報分会回答額平均 506、736円
闘争分会回答額平均 478、824円

19春闘の影響により夏季一時金の回答も例年より遅れ気味となっていたが、ようやく夏季一時金の回答も出始めた。東北地方、関東地方、東海地方、関西地方、九州地方で有額回答が進んでいる。
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全国港湾が中労委あっせんを取り下げ

全国港湾が中労委あっせんを取り下げ
次のステップに進む準備へ

6月20日、中央労働委員会において港湾産別賃金問題での第4回目のあっせんがおこなわれた。しかし、業側は中央労働委員会が示してきたあっせん案を受諾することはできない旨を繰り返すに留まり、あっせん受諾の見通しが全くつかないことから、全国港湾はあっせんを取り下げた。全国港湾は、今後、次のステップに進む準備をおこなっていくとしている。


第22回青年対策交流集会に参加して(参加者感想)

第22回青年対策交流集会に参加して
(*投稿受付順)

関東地方横浜支部関東港運分会 山本 弥

 

2019年6月1日から6月3日、福島県いわき市にある小名浜オーシャンホテルにて開催された青年対策交流集会に参加しました。3日間の中で2日目に行われた被災地フィールドワークは自分の中での原発に対しての考え方、気持ちが大きく変わった。

ホテルからバスで夜ノ森に行き帰還困難区域と旧避難指示区域の境目を見てきた。その境目にはバリケードがあり警備員が配置されていたが境目がロープで区切られているだけの場所もあった。目で見る限りでは一歩向こう側と今、自分が立っている場所との違いが感じ取れなかった。しかしながら以前ここに住む住人には大きな違いがあった。それは国から支払われる補助金だ。道路一本の差で金額は大きく変わるそうだ。目には見えない放射能の恐怖に住民みんなが同じように避難をして同じような苦しみを感じているが国からの保証の違いがある事に憤りを感じた。

その後、富岡駅陸橋~津島と放射線量が多く検出される場所を見学した。震災の影響で崩れた家や施設は手付かずのまま放置されているものの森は元気な緑色で全国の町と何も変わらない。復興に向けて整備を初めていれば震災前の町にすでに戻っていると思う。しかし人間の姿はそこにはなかった。何故、全国と変わらない町なのに人が居ないのかはすぐに知ることになった。目では確認する事は出来ないがバスの中では放射線量を測る装置から不気味な警告音が何度も鳴った。見えない放射能により復興に向けて整備する事すら出来ていない区域だからだ。地震大国の日本では震災から逃れる事は出来ないだろう、だからこそ壊れた家屋や道路を直して復興させる。だけど原子力発電所がある地域は違う。原発事故が起きて放射能が噴き出せば、救助隊もその場から避難を余儀なくされ助けられる命すら助けられずに避難をしなくてはならない。その後も助けられなかった人達の捜索も復興に向けての整備も進めたいがその区域への立ち入りが禁止される。日本が持ち込みを許し、人間の手で作り上げた原発のせいで震災の被害はより大きくなる。そしてそれは人災と呼べる。福島の現状を見る限り、日本はもちろん世界のどの国も原発を安全に扱う事は出来ないと思う。これ以上、福島と同じような人災が二度と起こらぬように日本から原発を無くしていくことが大切だと感じた。

今回の青対に参加して全国に同じ気持ちを持つ仲間が多くいる事を確認出来た。今回の青対の経験を一人でも多くの人へ伝え全港湾青年部、日本に住む一人の人間として僕は脱原発を訴え続けようと思う。最後になりますが、今回の青年対策交流会を開催し貴重な経験をさせてくれた東北地方の方々に感謝致します。青年対策交流会へ参加させてくださいました横浜支部並びに関東港運分会の皆様に感謝致します。

 

 

関西地方青年部部長   南谷尚孝

 

今回、全国青対に参加して、普段、体験できない体験をさせてくれた東北地方青年部に、感謝します。原発について関西地方として勉強会は、していましたが、現地を視察するというのは、勉強会で、学んだことよりもリアルに体感でき、話だけでは、伝わないモノを感じ取れました。 フィールドワークでは、線量の低い所から高い所えと移動するにつれて、目に見えない放射線というものの恐怖感が、湧いてきて、いきなりなる検知器の音が、より一層の恐怖を覚えさせました。

帰宅困難区域の前では、このガードレールの向こう側と私達がいる側で、帰れない、補償内容も違うと聞くと、この道路1本で、何が違うのかと言う疑問と補償は、手厚くと思ってしまいました。帰宅困難者のやるせなさと、帰宅困難区域のスグ手前で、生活を送る人達の理不尽な気持ちを考えると、国は、一体どこを見て、この決断を下したのであろうかと疑問に思わされました。

慰霊碑の前で黙祷を出来たのは、良かった。内容も、原発事故のせいで、避難を余儀なくされ捜索活動も中止せざるおえない状況は、捜索隊は、とても悔しかったのではないかと感じた、時間がアレば助けることの出来た命は、あったのでは、ないかと考えてしまう。タラレバは、良くないが、原発事故がなかったらと、考えてかしまうことを禁じ得ない。114号線を走り出したら、線量は、安定して1.2以上を指していた。基準値から考えても、日常では、考えれない数値で、あると聞くと、ホントに帰って来れない場所であるとみんなが思ったんでは、ないであろうか。途中下車し、路側帯より少し入った所で、線量を、測ると5.2を指していた、除染作業を、していないと、こんなにも高いのかと、驚かされた。道中、山の中を車で走っている景色は、ホントに綺麗で、川も森も何事もない顔であったが、検知器を見ると、とんでもない数値がでるという事実は、真実であり、人間が、やってしまった過ちであると考えてしまう。この過ちを日本政府は、原発再稼働をして繰り返して行くのだろうか?また、大規模震災が、来て「想定外だった」とでも、言って許しをこうのであろうか、こんな事は、二度とは、あっては、ならない事であると、思えない現日本政府は、再稼働という発想を直ちに帰る必要性を、大きく感じた。

今回、参加出来て大きく考え方が、変わる大きな出来事でありました。「論より証拠」実際に現場に来てみる重要性を強く感じ、関西地方でも、何か出来ることは、ないかと考えながら、まずは、家族・職場・友人たちに体験した事を話して、フクシマの現状を理解してもらえるように話して見たいと思います。

 

 

関東地方鹿島港支部 高木 涼

 

6月1日から3日で東北地方いわき市で行われた青年対策交流集会に参加させてもらいました。議題で原子力発電についてグループ討論・フィールドワークを行ないました。メディア等で情報として知っていたつもりでしたが、実際に見たら道にバリケードがあり未だ帰還困難区域で入れない場所、自分たちの所と何も変わらない景色の中の放射線量の高さ、震災後何も工事が進まない場所を見て言葉を失うほどの衝撃を受けました。二度と繰り返させないためにも小さいことでも行動していきたいと思います。最後になりますが、受け入れてくれた東北地方の皆さんありがとうございました。

 

 

関東地方横浜支部 鶴岡勇輔

 

お疲れ様です。関東地方横浜支部で青年部副部長をやらせて貰ってます鶴岡です。6月1日から6月3日に行われた第22回青年対策交流集会に参加させて頂きました。まず初めに受け入れて下さった東北地方の皆さん、細部にまで渡る配慮と事前準備、運営とご苦労様でした。そして、全国の仲間との密度の濃いかけがえのない時間を創り出して頂き本当にありがとうございました。日程としては1日目の分散会、2日目のフィールドワーク、分散会、3日目の分散会発表、中央本部総括という流れでした。

2日目のフィールドワークは1、2号車と地方ごとに便を分け、同じルートを辿りました。同じ便には東北地方青年部部長の井坂さん、小名浜支部青年部部長の矢内さん、ひたち支部青年部部長の古内さん、中央の鈴木副委員長と福島キャラバン経験者が同乗しており、道中沢山の話をして頂きました。フィールドワークを通して放射能の怖さ、被災地の現状、その現状が天災ではなく人災だと身をもって体感しました。今回はその道中での貴重な話と感じた事について報告させて頂きます。

ホテルを出て高速に乗るまでにいわきオールという会社がありました。福島原発の現場作業を行う会社で直近6ヶ月の残業が100時間を超える労働環境の中労働者が過労死されたとの話がありました。裁判中との事ですが風化と言うかメディアに取り上げられなくなった現在でもまだまだ事態は収束せず、見えない所でたたかってる人が居るんだな、と痛感しました。

高速を降りて富岡町、大熊町の境にある夜ノ森にて降車しました。ゴーストタウンという表現が相応しいガイガーカウンターの数値が激しく上下する地域でした。帰還困難区域の境界線があり、大気中の線量に変わりは無いのに住める住めないが区別され補助金の有無があることに疑問を感じました。また、そんな地域でも子育てをされてる世帯を見ましたが、道中一時避難してる町役場の方が「こっちに戻ってこないなら通勤手当を削る」等圧力を掛けられてる話もあり、何故あの世帯がこの街で子育てをしてるのか?地元愛からか?身内の事情からか?金銭的理由からか?憶測の域を出ませんが明らかな理不尽に晒されてる人の存在を知り強い憤りを覚えました。

道中、アトムと名の付く店を何軒か目にした時です。井坂部長から「鉄腕アトムは原発誘致のためイメージアップとして作られたんだよ」との話を聞きました。調べてみると同様にドラえもんも原子力で動いており、今現在は別のエネルギーに置き換えられたり原子力というワードが消されたりと、当時はプラスなイメージとして国民的アニメを利用して発信されてた事実を知りました。

プラスなイメージというと、双葉町に「原子力 明るい未来のエネルギー」という標語の看板があります。当時小学生だった大沼さんという方の案だそうです。現在は帰還困難区域になってる双葉町ですが、大沼さんは震災後この看板を負の遺産として残す運動を行っていると聞きました。看板を掲げる事が安全面への配慮から取り外され、ならば別の場所で保管してくれ、と諦める事なく働きかける姿は私たちの労働運動と何ら変わりがないと共感したと共に、私達が生まれた時には既にあった原発がこの様に日本に生まれたのだなと知りました。

その後、富岡駅陸橋から第二原発を遠巻きに視察し、請戸小学校、慰霊碑を訪れそこで黙祷を捧げました。

請戸小学校は海に近い立地ですが、児童が先頭に立ち、野山を駆け上がり全員が津波を免れた奇跡の小学校と称される小学校です。あの日、人々が逃げて来たであろう丘に慰霊碑はありました。丘からの眺めは新たに造られた防波堤と、今後何十年もかけ育つ防砂林を囲う柵、あとは周囲に1つも建物のない景色でした。

慰霊碑には住人182名の名前が刻まれており、福島原発の爆発後、救助捜索が打ち切られた悲劇の地だと聞きました。裏には沢山の方の名前が刻まれてましたが浪江町が勤務先だったと思われる方も何名か居ましたが大半が家族で、きっとまだ助かる筈なのに津波に襲われ救える筈の命が失われた悲惨さに表現しようのない悲しみを覚えました。又、多くの人が人災によって命を奪われたと憤りを覚えました。

富岡駅陸橋からも、慰霊碑の丘からも新しい防波堤が見えましたが「あの防波堤があの日あれば逃げれた人はもっと居たのではないか?」と思いました。東京五輪開催で政府は東北の現状に蓋をし、風化を促し、また、汚染土を県内で再利用させ地中に隠してしまおうと、それを被災された地域に押し付けようとしてると聞きました。

南海トラフ地震が危険視されてる中、風化が故に東北以外ではこの様な防災対策はされてないのでは?と思い調べてみました。すると災害対策基本法というのがこの国にはあり、平成24、25年に改正もされたそうです。この法に基づき各方面整備は進んでるそうですが防災対策は本当に完璧でしょうか?特別強化地域には私達の職場があります。そしてそこには浜岡原発も伊方原発もあります。

原発の立地から読み取れる様に自治体にあえて跨がる様に建設し、助成金や雇用をちらつかせ住民の分断を図る様な狡猾な国策を取る今の政治に身を委ねるだけでは自分達の生活を守れないのでは?と強く思いました。

今回の青対を経て貴重な体験が出来、分会、支部の仲間に伝える事からですが今の時代を生きる大人の責任として、子供達次の世代に元のこの国を取り戻すため、そして残す為に行動して行かなければと熱いモノを頂きました。この様な大切な機会を作って下さりました全ての皆様に感謝し、結びとしたいと思います。本当にありがとうございました。

 

 

大阪支部青年部部長 林 涼史

 

6月1日(土)〜3日(月)全国青年対策交流集会に参加させて頂きました。初日、現地の泉駅に着いたのが早かったので送迎を待たずに会場のホテルまで歩いたのですが、到着早々から違和感を感じました。歩いていると車は少ないながらも走っていたのですが、自転車、歩いている人が全く居ない、大きな公園も子供が全く居ないのにも驚きました。住人が少ないのかタイミングが合わなかったとかかも知れませんが大阪での日常が福島ではこれほどまでに違うのだと感じました。

この後、3日間のグループ討議、フィールドワークで福島の現状を学習しました。原発事故当時より放射能漏れは減っているとは言われているけれども、今も原発から放射能が撒かれ風に乗り降り続け、いつまでたっても家に帰れない人が居る、放射能漏れを止める事も出来ず事故の収束すら出来ていない恐ろしい現状を見ました。この見て感じた現状を持ち帰って大阪から原発反対の声を上げていこうと思いました。参加させて頂きありがとうございました。

 

 

関西地方阪神支部日本包装運輸分会 鈴木暁道

 

2019年6月1日から3日の3日間、福島県いわき市の小名浜オーシャンホテル&ゴルフクラブにおいての第22回全国青年対策交流集会に参加しました。私自身青年部に参加してまだ日が浅いこともあり、良い勉強になるかと思い参加を希望したのですが、想像以上の収穫があったのではないかと実感しています。

まず1日目、ホテルに到着してから各役員のあいさつをいただき、この全国青年対策交流会議の成り立ち、存在意義について学びました。「第〇〇回」とカウントするに至ったエピソードには感銘を受けました。

その後の分散会では各班に分かれて原発について必要か・不必要かを議論しました。ほぼ皆不必要という論調だったのですが、私は当初原発はまだ日本には必要だという考えを持っていたので意見をぶつけるという意味合いも含め、自論を展開しました(日本にはまだまだ資源が不足している、メガソーラーの拡大は自然破壊を伴うなど)。その時に東北地方の皆さんが興味深そうに私の話を聞いていたのが印象に残っています。

そして2日目、マイクロバスに分乗し被災地のフィールドワークが始まりました。私は以前よりこの件には興味があり、現状がどうなっているか自分で調べもしていたのですが百聞は一見に如かず、悲惨な状況を目の当たりにしました。ガードレール、鉄柵などのバリケードで街が分断されているのです。国が指定した帰還困難区域で住民がバラバラにされているのを見て憤りも覚えました。請戸小学校のある浪江町はかつて町があったとはとても思えないような草原がただただ広がっていました。復興などまだまだできていないのです。

2回目の分散会ではフィールドワークをふまえた上での議論になりました。それでも私はまだ迷っていました。確かに福島にこのような現状をもたらした原発はあってはならない、しかしだからと言って急にゼロにするのは可能なことなのか?原発があることで生活ができる人もいる。そんな人たちに対して無責任な発言にならないか?結局はっきりした答えは出ませんでしたが、時間をかけて原発を減らしてゆき、最終的にゼロにできればという結論に落ち着きました。

今回全国青年対策交流会議に参加して、全国の青年部がもっと連携して各地方ごとに情報を共有し、同じ目的に向けて行動することが大切だと感じました。原発のことについてもわれわれが現地で学んだことは、各々が自分の支部で勉強会を開き、知識を深めていかなければ今後の原発ゼロという目標も見えてこないのではないでしょうか。

最後になりましたが、東北地方青年部の皆さん、とても良い機会をご準備いただき本当にありがとうございました。皆さんの熱意には圧倒されっぱなしでした!

 

 

関西地方神戸支部山陽バス分会 木村浩暢

 

2019年6月1日~3日の3日間、福島県で開催された第22回全国青年対策交流集会に参加して参りました。日本全国各地より同世代の多くの仲間達が集まり、全国には活動的な同世代の仲間がいる事に頼もしさを感じました。

1日目は開会の挨拶から始まり、中央本部・東北地方の代表者による挨拶や各地方青年部ごとの活動報告が行われました。その中で中央執行部鈴木誠一氏から「何故、青年対策交流会議はあるのか?」全港湾を立ち上げたのは20代の青年達で、立ち上げた先輩(当時青年)達の意思継承をするためであるという話がありました。この話を聞き、偉大な先輩達の意思を風化させないためにもこの三日間で既に活発に活動している同世代の仲間から出来るだけ多くのことを吸収しようと決めました。

その後、7班編成で分かれ分散会をおこないました。ここでは、原発についてどう思っているか?というのを最終日に班ごとに発表するので現在自分はどうイメージを持っているか各々意見を出し合いました。

2日目はマイクロバス2台に分かれフィールドワークを行いました。8年前に起きた、東日本大震災によって被災した地域や建物を実際に自分の目で見てきました。自分の中では8年経てば少しづつ復興しているのではないかという思いはありました。確かに震災以降に建てられた建物もありましたが、あの日以降何も変わっていない地域がありました。それが、放射線の影響で帰還困難区域と指定された地域です。現在、帰還困難区域と指定されている地域とのそうでない地域の境界地点を見学させていただきましたが、私にはこの境界地点がすごく不思議に見えました。私が自分の眼だけで見ればこの境界というのはなにが違うのか分からないからです。こうして境界地点に居ても、放射線は痛い・熱い・臭いといった生身の人間の五感では感じることができず放射線は見えない恐怖があるとフィールドワークを通して認識させられました。その後、ホテルに戻り一日目と同じく分散会を行いフィールドワーク後どうイメージは変わったか意見を出し合いました。

3日目は分散会で出し合った意見をまとめた発表を各班ごとに行いました。様々な班ごとの意見はありましたが、原発はいらないという意見が多くありました。それには、放射能の恐怖や安全面の確保や現在、原発事故の影響で復興が止まってしまっていること等が理由に挙げられていました。その後、中央執行部鈴木誠一氏より総括があり、東北青年部代表者より閉会のあいさつがあり解散となりました。

私はこの3日間を通し多くの仲間達と交流させていただきました。同世代の仲間達と真剣に一つのテーマに取り組み学び、時には誰一人孤立することなく全員で笑い絆を深める。こうした事が、全国にいる仲間達と出来るのは全国青年対策交流会議という特別な機会があるからこそだと思います。初日の東北青婦部部長 井坂氏のあいさつ冒頭でありました青年対策交流会議は存続が危ぶまれていると仰られていました。この素晴らしい青年対策交流会議を存続する為にも、今回で得たものを地方に持ち帰り労働組合活動の基本である、喋る・行動する・文字を書く事を信念を持って取り組み青年対策交流会議に参加した事を意味のあるものにしていきます。全港湾の皆さん、参加された皆さん、この青年対策交流会議を成功させるために尽力された東北地方の皆さん、本当にありがとうございました。

 

 

関西地方阪神支部青年部長 篠崎謙悟

 

61日から3日にかけて福島県小名浜オーシャンホテルに於いて第22回全国青年対策交流集会が総勢65名で開催されました。私は全国青対には今回が初めての参加でありました。

初日の開会式で鈴木誠一中央副委員長よりご挨拶を頂き、その中で青年部の成り立ちについて触れられ「全港湾を作り上げたのは青年たちであり、その後を継ぐ第3世代第4世代に意思継承していくために青年部ができた。みなさんがこの組織をより良いものにするためにその意思を継承する入口となるのが全国青対であると自覚をしてこの3日間しっかり学んでいただきたい」とお話をされました。

続いて東北地方青年部の井坂部長より「今回の全国青対の開催地に手を上げさせてもらったのは2つの理由がある。1つはこの全国青対は年々開催が危ぶまれるようになってきた。全国青対に参加することですごくいい経験になるし全国に仲間ができる。この様な良い集まりを無くしたくないという思いから手を上げさせていただいた。2つ目は福島の現状はみなさんが思っているほど変わっていないよというのを見ていただきたい。そして皆が地元に帰って伝えてほしい」とご挨拶がありました。

その後の分散会では『組合を抜きにして原発は必要か不必要か』というテーマで各班ごとに討論しました。私の班では7人中6人が不必要、1人が必要という結果でした。出された意見としては「太陽光や風力などの自然エネルギーにシフトするべき」「資源のない日本にとって原子力は夢のエネルギーだと理解はできるがリスクが大きすぎる」「今現在、原発関連の仕事をしているので原発がなくなれば生活が困窮かもしれない」などがありました。

2日目はフィールドワークとして原発事故の被災地を実際に見て回りました。途中の高速道路上に放射線量計が設置されていたり、道路脇に汚染土壌の仮置き場があったりと物々しい雰囲気がありました。

避難指示解除準備区域である富岡町では道路を一本隔てただけで住める地域住めない地域に分けられている現状を目の当たりにしました。また、住める住めないだけではなく補償の有無についても大きな差があると聞き、住人同士の確執すら生んでしまっているのではないかと感じました。

全線開通した国道6号線を北へ走り、延々と続く人が住めなくなった街を通り抜けると、海辺の方向に福島第一原子力発電所が見えてきました。あの小さな場所で爆発事故が起きただけでこんなにも広範囲に影響を及ぼし、人が住むことができなくなったのかと考えると心底恐ろしい気持ちになりました。

その後の分散会では『実際にフィールドワークに参加してどう感じたか、前日と意見は変わったか』をテーマに討論しました。

出された意見として「山や川に放射能が多くあってすごく恐い」「道路一本で区切られていて何が違うのかと疑問を感じた」「テレビなどのメディアでは原発事故は収束した、福島は復興したと良いニュースが多いが実際はまだ何も終わっていなかった」「放射能は目に見えないので恐い」「現状を見たら賛成とは言えない。有るよりかは無いほうがいい。そもそも原発を置いたのが間違いだった」などがあり7人中7人が不必要という結果になりました。

最後に『福島の現状を見て今後の脱原発運動にどう取り組むべきか』というテーマでまとめを行いました。「原発事故は福島だけに限ったことではなく全国どこでも起こりうる事であり、東北地方だけが反対運動を行うのではなく全国の青年部が一丸となって取り組むべき問題である。福島連帯キャラバンに参加するなど、各地方各支部で原発問題に取り組むことで青年部としての底上げに繋がるのではないか」とし、3日目に発表を行いました。

各班の発表の中で「福島連帯キャラバンに参加すること」「選挙に行って政治から変えていこう」という意見が多く出されました。

総括の中で鈴木誠一中央副委員長より「この3日間みなさんを見ていて感じたことがある。それは人として、国民として、全港湾の組合員として1日目よりも格段にスキルアップしている。これを地元に持ち帰って必ず反映して下さい。最後に、脱原発キャラバンは福島に来なくてもできる。全国の青年部が一斉に立ち上がって各地方で福島に連帯する脱原発キャラバンを展開する手もある。一つの目的に向かってみんなで取り組むことが福島を孤立させないことである」とお話があり、脱原発運動や沖縄基地問題など現地に足を運ぶことが一番いい事だと思っていた自分にとって目からウロコでした。

神戸や大阪には原発自体はないが、近隣の県にある原発が事故を起こした場合、甚大な被害を受ける可能性があり、全く他人事ではありません。関西地方青年部としても福島に連帯した取り組みができないか地元に持ち帰り話し合いたいと思います。

3日間を通して非常に貴重なお話や体験ができ、青年部としての存在意義も確認できました。今回の経験を活かせられるように今後の活動に取り組みたいと思います。

最後になりましたが、東北地方青年部の団結力には本当に感銘を受けました。素晴らしい運営をしていただきありがとうございました。

 

 

名古屋支部青年女性部 羽賀達也

 

今回の青年対策交流集会のテーマは「原発」がメインとなっていて、今回の日程の中にあるフィールドワークで「フクシマ連帯キャラバン」でもフィールドワークを行う場所も、視察に向かうということだったので、今年キャラバン隊には参加したのですがフィールドワークには行けなかった自分としては是非参加してみたくて今回の青対に参加させていただきました。

まず、参加しての率直な感想としては、自分の中での原発に対しての見解が変わりました。

今まで青年部の活動に参加してきた中で福島の現状はある程度学んできてはいたのですが、それでもどこか他人事のように思っている自分が居て「それでも必要なものだから」という気持ちが心の中の何処かには有りました。しかし実際に帰還困難区域に指定されている場所に、自分の脚で立って見た時にその空気の異様さを感じ、放射能という見えない物への恐怖を自分の肌で感じ取った結果「これは人間の手には負えない物だ」と心の底から思いました。

福島第一原発の事故からもう8年が経ち、被災した地域以外ではその関心が薄れつつあります。それは私達全港湾青年部の中でも同じことです、ですから私達が率先して原発事故の悲惨さや放射能の恐ろしさを日本中すべての人に伝えていく必要があります。

そんな大切なことを思い出させてくれた全港湾東北地方の青年部の方々、この場を開いてくれた全港湾中央本部に感謝の気持ちを伝えて終わりたいと思います。

 

 

名古屋支部 赤木 敬

 

全港湾名古屋支部の赤木です。第22回青年対策交流会議(以下青対)には2泊3日で参加させて頂きました。

青対への参加は今回が初めてです。今回は開催地が福島で、僕が参加した3月の福島連帯キャラバンでは東北の方々にお世話になったこともあり、参加してみようと思いました。

やはり青年部の若い人が全国から集まるとパワーが凄まじく、初日の交流会では場の空気に圧倒されてしまいました。

青対のテーマが原発ということで福島県にある帰宅困難区域のフィールドワークをしましたが、福島キャラバンの時とは違う場所を見て周ることができました。

その後は、班ごとの発表に向けて意見交換などをして他の支部のメンバーとも交流ができ、2日目の交流会では楽しい時間を過ごすことができました。

初めての青対ということで、たくさん貴重な体験をさせて頂きましたがその中でも特に東北の人たちの団結力を見られたことが大きいと思います。青対の企画、準備から進行など細かなところまで気配りまでされていてとても楽しく参加させてもらえました。

普段働く港が違ったとしてもこういう場所で協力しあい、何かを作り上げていき盛り上げる、そしてその場に新しい人を迎え入れていく。そういった楽しさの中に青年部として出来ることや、青年部の必要性を強く感じました。

名古屋支部でも今後、全国の活動に参加しつつ青年部で活動するメンバーを増やし団結力を高めていくこと、また新しい人が来た時には全港湾の「楽しい」という部分を見せてあげられるよう環境を整えていくことが必要だな、と感じました。

 

 

九州地方長崎県支部 中ノ瀬大志

 

六月一日から三日間に渡って、第二十二回全国青年対策交流集会が福島県いわき市にある小名浜オーシャンホテルで行われました。

初日は開会式が行われ、中央本部鈴木誠一副委員長より青年対策交流集会の成り立ち、意義等の話があり青年部とはどうあるべきか教えて頂きました。初めて青年対策交流会議に参加するにあたり、参加出来る有り難さや、組合員である事を誇りに思い、次世代を担うであろう我々が努力して組合を支えることが出来るようになる為に、この三日間を無駄にしないよう頑張ろうと誓いました。

二日目に被災地フィールドワークを行いました。立入禁止区域のバリケードのある街や福島第一・第二原発、津波が来た地域や慰霊碑等を東北地方の方々のまとめた当時の写真や、エピソード等を聞きながら回りました。そこには目に見えない放射能という恐怖に汚染されて決して人の住める環境ではない土地が広がっていました。これはメディアの報道では決して知り得なかったであろう現状が広がっており、言葉に出来ない衝撃を受けました。確かに原発は多くの雇用を生み、それに携わる土地・人に金銭を生み出すメリットはあると思いますが、人の命・故郷を天秤にかけてまで必要とするものではないという声を聞き、それに感銘を受けどこの原発でも起こり得るこの惨状を決して繰り返してはいけないと思いました。

分散会は七班編成で行われ、課題としては福島の原発事故についてでした。原発が必要かどうか、フィールドワークを行う前と行った後ではどういう心境の変化があったか、またそれに伴いこれから青年部としてどういう活動をして行きたいかというような課題を話し合いました。初日では金銭面、発電効率面から不必要とは言い難いという声が少数ではあるが上がったものの、フィールドワークを終えると意見の変化が見られ、少しずつても減らしていくべきだという声に変わっていきました。原発を無くすためには選挙闘争に参加し、原発反対の政治家を当選させ各地方から少しずつでも原発事故の悲惨さ、現状を全国に発信し、より強い意見を出せるようにしなければならないと考えています。その為に私は同じ被爆県として原子力によりもたらされた恐怖を決して風化させてなるものかという強い意思を持ち続け、反戦・反核の勉強や、脱原発の署名等、多くの活動に積極的に参加して知識を広め、より強い意見を持たせる事も重要であると考えています。

最後に今回初めての参加でしたが、同じ方向を向いている全国の仲間と共に勉強し、議論を交わし、楽しく同じ時を過ごすことが出来ました。このような素晴らしい学びの場に参加出来た事を誇りに思います。また、これほどまでに高い意識を持った仲間達のいる全港湾は素晴らしい組合だと実感しました。これも運営である東北地方始め、運営に携わった皆様、共に学んだ仲間達があってこそだと思います。本当にありがとうございました。この三日間を無駄にしないようこれからの青年部の活動に尽力していきます。

 

 

九州地方博多支部 陳ヶ尾俊

 

まず最初に、東北地方の青年部の方々お疲れ様でした。6月1日から3日間の間、私にとって、とても貴重な経験をさせて頂きました。

今回、テーマを「原発」におき、原発における様々な問題を青年部同士で協議、共有できたこの3日間は、私自身を人として、組合員として成長させてくれました。

2日目に行われたフィールドワークでは、災害から8年経ったとはいえ、未だに爪跡は生々しく残っており、津波の凄惨さを物語っていました。そして、第一原発爆発という「人災」によって奪われた、安心できる生活は今もなお戻ることはなく、不安と心配がのこるフィールドワークでした。帰りのバスの中で、様々な感想や質問がありました。印象に残っているのが、禁止区域が解除された地域住民のライフラインは、人口が何人になったら、普及されるのかという質問です。とても、重要な事だと思いました。実際に体験しましたが、目に見えず、臭くもなく、熱いとか寒い訳でもない、全く何も感じさせない放射能の恐怖のなかで生活をしていかなくてはならない人達の事を想った時に、言葉が思いつきませんでした。その日の分散会では、一人一人が自分の立場として考え、全港湾の青年部としてどうしていくかなど活発な議論ができました。

私はこのような貴重な経験をさせていただき、青年部だけではなく、支部、分会も含め組合員、家族、友人、同僚、1人でも多くの方達に原発の怖さを伝え、脱原発へ向け1人でも多くの人に理解してもらえるように活動していきたいと思います。繰り返しになりますが、東北地方の皆さん本当にお疲れ様でした。

 

 

九州地方苅田支部   濱崎直哉

 

6月1日〜3日までの、第22回青年対策交流集会に参加させて頂きました。青対としては2回目の参加でした。懇親会の場では、個人の悩み、活動の仕方など全国の仲間と交流を深める事が出来ました。2日目のフィールドワークでは、被災、被爆している場所など行き、地震や津波の怖さや凄さなどを肌に実感しました。帰宅困難区域では、被災した当時のままの建物など見ることができ、津波や地震の凄さを目で見て体験する事が出来ました。その後山間に行ったのですが、そこはただ綺麗な景色の山だったのですが、放射線量計のブザーが鳴った時にここでも鳴るのか!?という気持ちに襲われました。目で見てとれない放射線はただの恐怖でしかありません。この恐怖を、支部で広げていければと思います。そして、この恐怖は天災ではなく人災だという事。感じた事を支部で広げ、青年部での活動に繋げていきたいです。分散会では、班長を務めさせてもらいました。班員の様々な意見をまとめ、発表するのは大変でしたが有意義に過ごせたと思います。これからの組合活動に繋げていきたいです。

 

 

東海地方清水支部青年部  髙田祐次

 

今回、初めて青年対策交流集会に参加させてもらいました。今回の開催地が8年前の3月11日に震災があった福島と聞きました。津波や原発事故で被害を受けた所でフィールドワークをすると聞き、同じ原発を持つ県として、今現在どこまで復興出来ているのかを勉強しようという思いで参加しました。初日はグループに分かれて原発の必要性はあるのかという内容で話し合い、自分たちのグループでは原発は怖いが、今の生活を維持して行く為の代わりになるエネルギーはあるのか?必要がある、ないに対し分からないと言う意見が多くありました。

2日目、バスに乗り津波や原発事故で被害を受けた場所に行きました。津波で家を流されてしまった場所はきれいになり新しい建物が出来ている所もありましたが、まだ、工事中の所や被害にあった小学校などはそのまま残っていて、1階はほぼ破壊されており津波の壮絶さを感じました。また、原発事故で放射能を受けた町は今もなお、人が住むことを許されず車、家、全てが8年前と変わらずそのままで人の気配もなく周りには帰還困難区域にバリケード、警備員と監視カメラをセットされている状態でした。1つ道を挟んで通りが違うだけで住むことができる、帰還困難区域に入るか入らないで国からの補助金が出る、出ないがあると聞き、数メートルの差で国の助成が全然違うのは何なのか疑問に思いました。道や畑には今現在も汚染物が入った黒いフレコンにシートがかけられて仮置きされている状態、放射線量が高いため車の通行は許されても窓を開けてはダメ、バイクは走ってはならないという区間があり衝撃を受けました。国道は除染がされていて山や川は除染作業されず今現在も高い数値を出していて目にも見えない、臭いもしない、でも身体に悪影響をもたらすものが飛んでいて恐怖を感じました。現地で説明を受けている時、今この瞬間にも放射能を受けています。という言葉がありました。自然がいっぱいで綺麗な所なのに、ここにはまだ人は住めない、放射能を浴びたこの地で動物がいっぱいいるのに悲しい思いを感じました。現地を見てからのグループワークでの話し合いでは皆、考え方が変わり原発は必要ないと言う意見に変わりました。一人一人が原発という「核」に対し知識を持ち、どう問題意識を持って行くか?また、次の世代へどう繋げて行くのかが大切だと感じました。今回の全国の仲間とコミュニケーションを取りとても楽しく3日間を過ごす事が出来ました。今回、知り合った仲間を大切にして行きたいと思います。貴重な体験をありがとうございました。

 

 

東海地方清水支部青年部 小田島幸佑

 

第22回青年対策集会に参加させていただきました。今回が初めての青年部活動という事で右も左もわからない状態でしたが一緒に参加した先輩や他港の支部の方々に色々と教わり無事に終了できました。

初日は各支部の活動報告を聞き、その後、班ごとに分かれて分散会を行い、福島第1原発についてと8年前の東北の震災について意見交換を行いました。色々な地区の人の意見を聞いて、自分もそうでしたが福島から離れている地域の人ほど実感がなくて知識もなく東北支部の人の実体験を聞いて驚く事ばかりでした。その後懇親会が始まって、普段の会社での宴会とは違う雰囲気の中、はじめはうまく話せませんでしたが色々な方たちが話しかけてくれて各支部の人達と色々な話をして楽しく過ごせました。

2日目はフィールドワークを行い、バスで現地を回りながら原子力発電所がどんな意図で建設されたのか、地域にどんなメリット、デメリットがあったのか等の勉強や東北地震で起きた津波によって起きた福島第1原発での事故やその後の影響を学びました。8年経った今でも放射能の数値が下がらず立ち入りを制限されている地域や、立ち入り禁止区域で人が居なくて荒れ放題の町を目の当たりにして衝撃を受けました。実際に放射能を測定する機械を使って数値を確認すると目に見えない放射能がはっきりと存在している事がわかり、とても恐ろしく感じ原子力の怖さを実感しました。ホテルへ帰って分散会を行い各班で原子力発電所についての意見交換と発表するためのまとめを行いました。初日より意見がたくさん出て、自分の意見も積極的に伝えることが出来て内容の濃い分散会になったと思いました。その後の懇親会では初日よりさらに色々な人達と話ができ、二次会のカラオケでは最後はみんなで肩を組んで歌うほど打ち解けて本当に参加できて良かったと感じました。

最終日の3日目は各班でまとめた意見の発表を行いました。各班で原発に対する様々な意見がありとても勉強になりました。今回の青年対策交流会議に参加して、見て、聞いて、感じた事はすごく自分にとってプラスになったと思います。また体験した事をしっかり清水支部に持ち帰って職場の先輩や後輩に伝えたいと思います。有難うございました。

 

 

東海地方清水支部 堀井大夢

 

第22回青年対策交流集会が福島県で行われました。今回の青年対策交流集会では、原子力発電所や福島第一原子力発電所の事故後の現状などを見てきました。

まず一日目は各地方の活動報告がありました。どの地方も、その地方ごとの問題を解決するために行動していることを聞き、自分達ももっと積極的に行動しないと駄目だなと思いました。活動報告の後は分散会が行われ、色々な地方の人達と「原子力発電所は必要か」という議題について話し合いました。自分達も浜岡原子力発電所が近くにありますが、原子力発電所が本当に必要なのか、もし何か起きた時にどんな事が起きるかなど考えたこともありませんでした。福島の人達の話も聞けてとても勉強になりました。

二日目はフィールドワークがメインでした。福島第一原子力発電所の事故によって放射線が漏れ、住民が避難する事になりました。フィールドワークでは帰還困難区域の境界などを見に行きました。同じ町の中でも道路一本挟んで帰還困難区域のためフェンスで囲われている所と帰還出来るので戻ってきて生活しているような所を見てきました。フェンスで入れないようにされている帰還困難区域は震災当時のままで、今までこんな光景を見たことが無かったので自分の中では衝撃的な光景でした。また、帰還困難区域の道路の反対側では普通の生活を送っている家もありました。道路一本挟んだだけで放射線量がそんなに変わるとは思えません。しかし、帰還困難区域が解除されてしまったため、補償が出ないのでしょうがなく戻って来ている人達もいるという事でした。次に帰還困難区域の中を通っている道を走りながら放射線量を測定しました。風向きなどによって変わったりすると言っていましたが、車で走っている間も放射線測定器の警報が鳴っていました。途中、車から降り道路と道端の草むらで放射線量を測定しました。道路は除染されているので警報は鳴りませんでした。ですが、草むらで測定した時は警報が鳴りっぱなしでした。警報は鳴っていても目には見えないし臭いも無いので、放射線測定器がなければ何も分からず草むらに入って被爆してしまう事になります。福島の人達はこんな状況の中で生活しているのだと思うと考えさせられる事が多いです。そのあとホテルに戻り分散会をしました。フィールドワークで福島の現状を目の当たりにした後に再び「原子力発電所は必要か」という事を考えると原子力発電所はいらないのではないかと思いました。今回福島に行かせてもらって、福島第一原子力発電所の事故の現状を見てきて原子力発電所の恐ろしさを知りました。この事を色々な人達に伝え、行動していかなくてはいけないなと思いました。

 

 

 

 

 

 


第42回沖縄平和行進に参加して(参加者感想)

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沖縄地方青年女性部部長 金城雄介

 

五月十六日に三単産全国の仲間が沖縄入りし、県立武道館にて五・一五全国結団式が行われました。今年も南部戦跡コースの副団長を全港湾が担い、全国結団式で沖縄地方青年女性部部長金城雄介が「南部戦跡コースの副団長として安全にコースを引っ張って行く」と決意表明を行いました。全国結団式終了後、琉球サンロイヤルホテルに移動して三単産・結団式を行いました。三単産の団長に全港湾東北地方の矢内誠也、副団長に全港湾関東地方の寶納雅行、全国一般の南守、全日建の晋山邦弘を選任し「平和行進に向け一致団結して頑張っていきましょう」と声をあげました。終了後の平和学習会では、講師に沖縄タイムス記者の阿部岳氏をむかえ、今の沖縄の辺野古新基地・高江ヘリパットの現状等を勉強しました。

初日は、県民広場から出発し自衛隊基地前を通り西崎運動公園で昼食をとりました。午後のコースは、西崎運動公園から糸満ロータリー向けに歩き、真栄里入り口に入りました。真栄里入り口前では、二〇分程、妨害に遭い行進する事も出来ませんでした。真栄里に入り、南部戦跡コース団長・高教祖の金城比呂子先生のアナウンスで、慰霊碑などの説明を聞きながら給水ポイントに向かいました。給水ポイントから、到着地点のひめゆりの塔までの妨害はあったものの、沖縄の気温より熱い行進団の熱いシュプレヒコールをしながら無事にゴールしました。

二日目は、平和祈念公園から昼食場所である南城市中央公民館に向かいました。出発式では、国籍を問わず沖縄戦で亡くなった二四万余の全ての戦没者に弔いの意を込めて黙祷を掲げました。当日のコースは道幅も狭く、雨も降っていて足元が悪いままの出発でした。ですが、行進団の熱い思いが、雨も止ませ昼食地点では、すっかり晴れてとても暑かったです。午後は、南風原町役場まで歩きました。二日目のコースは、起状が激しいコースで、到着時間も少し遅れてはいましたが無事にゴールしました。

三日目は、宜野湾市役所から出発し、南ウイングコース・北ウイングコースに分かれ、米軍普天間基地を囲うように宜野湾市海浜公園に向かいました。最終日でもある三日目は、行進団の疲れも感じないほどシュプレヒコールが続きました。南ウイングコースは、信号機右折が多く大変ではありましたが、無事に宜野湾市海浜公園につくことができました。午後からの県民大会では、約二、〇〇〇人が参加され、辺野古新基地建設反対、基地のない平和な沖縄をつくろうと声を上げました。

最後になりますが、平和行進に参加された三単産の皆様、街宣車を派遣した横浜支部、先導車を担当した横浜支部の新井さん、アンプ調整をして下さりました中央本部、青年部をサポートして下さりました沖縄地本の皆様、本当にありがとうございました。この熱い思いを胸に、これからも平和活動、組合活動を頑張っていきます。

 

 

神戸支部青年部長 吉村 知

 

2019沖縄平和行進に参加してきました。日程は5日間、初参加でしたので、当初は不安な気持ちでした。沖縄に到着すると、現地は梅雨入りという事もあり、雨天の中全国結団式の会場である県立武道館アリーナに向かいました。そこで各組織のこの度の活動の意気込みを発表し、一人一人、意識を確実に高める事が出来ました。そしてホテルに戻ると三単産による結団式を始め、続く平和学習会においては、パワーポイントを使い沖縄の現地の活動家による目線でより深くリアルな内容に、沖縄が受け続けている深刻な爪痕の深さを認識しました。その後は沖縄の青年部主宰の食事会が催され、楽しいコミュニケーションがとれました。

2日目は初日行進で、20km先のひめゆりの塔を目指しました。レンジャーを志願した私は、独特の緊張感と責任感がありましたが、全国の300人以上の仲間と共に一歩一歩力強く行進しました。午前中から数台の右翼による妨害行為や誹謗中傷等がありましたが、シュプレヒコールと団結という武器の前に、私達を一歩も止める事が出来ませんでした。そうして無事到着したひめゆり資料館を見学して、語り部の方々のお話を伺い、生きたくても死んでしまった、この悲しい犠牲の上に存在する憲法第9条の意味を理解するだけに終わらず、後世にまで存続させられる活動を今後も携わっていきたいと思いました。

3日目は行進2日目、平和祈念公園から19km先の南風原町役場に向かいました。この日は前日と180度変わり、右翼が全く見られず少々面を食らった部分がありましたが、それでも最前列で横断幕を持ち、時には宣伝カーからシュプレヒコールを叫ぶと、後ろから返ってくる声の熱量に、頼もしさを感じました。その後の交流会では沖縄の方々が地本を上げてBBQ交流会を開催してくれました。そこでは過去に共に活動、学習、そして呑み明かした仲間がいて、更に覚えていてくれて、風化していかない仲間の絆の深さに、活動の素晴らしさを再認識しました。

4日目、行進も最終日は快晴の中、宜野湾市役所から8km先の海浜公園を目標に、総勢600名以上の仲間と共に行進しました。この日は行進開始と共に右翼の団体による妨害がありました。非常に激しかったのですが、県道から手を振ってくれる地域住民の方々や、すれ違う車の窓から笑顔をくれた子ども達に力をもらい、欠ける事なくこの3日間歩く事が出来ました。そしてホテルに戻った後夕食の懇親会があり、そこでは民謡が演奏され、会場全体仲間たちと舞い踊り、この4日間を労いました。

私はこの4日間を通して、仲間達との絆と、前進する行動力を身につける事が出来ました。しかしこれで完結ではなく、邁進し続ける事により、一人でも多く影響を与える事の出来る組合員になりたいと思います。最後に、この度の沖縄平和行進が無事に終われるよう尽力してくださった沖縄支部の皆様はじめ、中央執行委員の方々、そして先導の沖縄支部の金城さん、団長の小名浜支部の矢内さん、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。

 

 

横浜支部上組名古屋分会 假宿 真也

 

5月16日から20日まで初めて5.15沖縄平和行進に参加させて頂きました!16日には全国結団式、三単産結団式、平和学習会が行われました!様々な方の話を聞いて沖縄の歴史や現状など学びましたが、僕の中ではこれが日本の中で起こっていることなのかと信じれませんでした。

行進1日目は県民広場からひめゆりの塔まで「辺野古新基地建設をとめるぞ」、「安倍政治を許さないぞ」などシュプレヒコールを上げながら歩きました。ひめゆりの塔に到着後ひめゆり資料館を見学しました。今の自分より一回り違う子達が「解散命令」の名の下で米軍包囲網の中に放り出されて命を落としたと知り、その無念さを思うと胸が痛みました。

行進2日目と3日目はレンジャーを担当しました!最後尾から先頭までの行進団の隊列整理や車の交通整理など他のレンジャーと連携をとりながら取り組みました。体力的にも辛かったが、行進団の中には障がい者や子供達が声を上げている姿をみて元気をもらいました。

3日目のゴール地点宜野湾海浜公園では県民大会が行われ約2千人が集結しガンバロー三唱で平和への思いを1つにしました。沖縄平和行進で学んだ事や経験したことを1人でも多くの人に伝えて興味を持ってもらいたいと思います。そして1日でも早く沖縄に基地がなくなる日を願っています。

 

 

横浜支部上組東京分会  岩本  拡

 

私は、5月17日から20日にかけて3日間、5・15沖縄平和行進に参加しました。私は昨年に引き続き2回目の参加でした。今年は去年より一週遅かったため沖縄で梅雨入りしてからの平和行進となり雨での行進を覚悟していました。しかし3日間雨も降らず快適に行進することができました。

今年は初日の一発目のシュプレヒコールをやらせてもらい気合を入れて元気にやることができました。行進団に戻った際よかったよ!と言ってもらいとても励みになりました。

行進2日目は日差しがとても強く体調を崩す人もいましたが、地元の応援してくれる方々や手を振ってくれる子どもたちに元気をもらい歩ききることができました。

行進3日目はコースは短いコースでしたが最終日ということもありシュプレヒコールもみんな力強く一体となって素晴らしい行進となりました。

去年に引き続き今回の平和行進でも沖縄の方の話を聞いたり、沖縄の現状を見たり、聞いたりして今まで自分がいかに沖縄の基地問題について無関心で無知であったかを痛感させられました。平和行進に参加することで、戦争反対や基地反対を訴えること以外に、参加者全員が地元に帰ってこの貴重な経験を家族や仲間に伝えることが重要な役割だと思います。そして、いつか沖縄の基地問題が解決しこの平和行進がなくなることを心から願っています。最後に今年も我々を受け入れて下さいました沖縄地本の皆さん、本当にありがとうございました。

 

 

大阪支部  青年部部長  林 涼史

 

2019年5月16日(木)〜20日(月) 沖縄平和行進に参加させて頂きました。自分自身沖縄平和行進の事前学習会に何度か参加してましたが、沖縄平和行進自体は初めての参加でした。行進に参加して、自分の中でイメージしていた以上に悲惨な現状を見て感じました、沖縄県という狭い島にだだっ広く広がる米軍基地、日本にある米軍基地の70パーセントがここにあると聞きました、そして基地がある事によりヘリの墜落事故、暴行事件等々起き、起こした米軍基地の兵隊は日米地位協定に守られてほぼ捕まる事がなく、やりたい放題の現状に憤りを感じました。この現状を変えて行く為にも今後も行進は続け、米軍基地を沖縄から切り離す方法を考えていかないといけない問題だと思いました。貴重な経験させて頂きありがとうございました。

 

 

関西地方大阪支部 河村崇人

 

今回、沖縄平和行進に初めて参加して学ぶ事も多く本当に貴重な経験が出来ました。勉強不足でのスタートでしたが、考えさせられる事、感じた事も多く、先輩から「1度は経験しておくべき」という言葉の意味がわかりました。3日間の行進では炎天下の中、約45キロを歩きました。全国から多くの団体が結集して、皆同じ目的を持って行進している姿を見て、「これが団結か!」と実感しました。実際に参加しないとわからない、言葉では表現できない事だと思いました。

平和行進後、5月20日(月)には2014年から辺野古基地建設の反対運動をしている方に現地案内をして頂きました。ゲート前に座り込み工事車両を止めようとする約50名の人達が、機動隊に強制排除されている光景を目の当たりにし「同じ日本なのに沖縄では大きな問題がある」と色々考えさせられ複雑な気持ちになりました。また1日、朝、昼、夕方の計3回工事車両の出入りがあり、朝には沖縄平和行進から流れてくる人が多く約300名もの人が集まり工事車両の出入りを阻止できたそうです。数の力の凄さを知った反面、なぜもっと人が集まらないのかと疑問を抱きました。

自分や家族、身近な人の問題なら動こうとする人は多いはず。しかし、沖縄の人口145万人に比べるとあまりにも少ないと思い、関心がある人が少ないのかと感じました。5日間でたくさん学び、感じ、考えさせられ一生忘れられない経験が出来ました。

 

 

東海地方清水支部青年部 後藤 允

 

私は、今回の沖縄平和行進で、初めて他の地方の組合員の方達と交流を持つ事が出来ました。色々と話をする中で、様々な問題を抱えながらも、仲間たちと協力し合って、解決に向けて団結して進んでいく姿を感じる事が出来ました。全国に沢山の熱い気持ちを持った仲間がいる事を知り、大変感動しました。以前の職場では、組合も無く、経営者側の一方的な要求で、賃金をカットされるという、憂き目にあうことがありました。なす術も無く、悔しい思いをしました。しかし、今の職場に転職した時は、強い組合がある事を知り、非常に安心した記憶があります。その時の気持ちを今一度思い出し、組合の素晴らしさ、団結する事の意義、たたかう事の意義を、新しく入社した若い世代に伝えて続けていきたいと思います。

今回は、メンバーの一人として参加させて頂き、本当にありがとうございました。沖縄滞在中に、見て、聞いて、感じた事は一生忘れずに、平和への気持ちを熟成し続けていきたいと思います。

 

 

東海地方清水支部青年部 大西 健悟

 

今回初参加となった沖縄平和行進で、右も左もわからない状態でした。沖縄が返還されてから、47年という年月が経った今でも、色々な問題がある事を知りました。辺野古の新基地建設やオスプレイなど、自分たちの住むところではない問題があり、とても良い勉強になり、良い経験となりました。デモ行進をしている時には、温かい声援で出迎えてくれる人も居れば、妨害をしてくる方も居ましたが、温かい声援のおかげで頑張って歩く事が出来ました。また、今回デモ行進をする事によりドローンの禁止が認められたと聞いて、参加した甲斐があったと感じました。まだまだ沖縄には沢山の問題が残っているため、今回だけではなく参加できる機会があれば、積極的に参加をしていきたいと思います。

 

 

東海地方清水支部青年部 副部長 竹田昇平

 

今回、初めて沖縄平和行進に参加するので事前に沖縄の歴史の資料を見てから行きましたが、実際に米軍基地があるせいで、オスプレイの部品が小学校の校庭に落ちてきたり、昼夜問わず米軍が飛行訓練をしている為にうるさくて迷惑していたりと、初日に行った結団式と平和学習会で沖縄のいろんな問題を知って驚く事ばかりでした。

行進1日目、県民ひろばからひめゆりの塔まで一歩一歩沖縄の事を思いながら歩きました。途中、右翼による行進の邪魔がはいりましたが、無事に到着する事が出来ました。2日目は途中の邪魔が入らず、行進終了後に沖縄青年部によるBBQ交流会が開かれ、他の地方の人と楽しく交流する事が出来ました。3日目、右翼の妨害を受けながらも目的地の海浜公園まで到着する事が出来ました。そこに集まった人の数を見てこれだけの人達が全国から沖縄のために1つになって歩いていたんだと思って驚きました。

今回の沖縄平和行進に参加してみて、最初は右翼の妨害や行進による渋滞を見て沖縄のためになっているのかと思いましたが、車から手を振ってくれたり、頑張ってと声を掛けてくれたりする住民もいたので行って良かったと思えました。今年の平和行進は終わりましたが、沖縄の問題が解決したわけではないので、これから沖縄に目を向けて沖縄に対して何が出来るかを考えていこうと思いました。

 

 

東海地方清水支部青年部 八木拓海

 

今回の沖縄で僕は勉強してきた以外の色々なことを学ぶことができました。今まで歩いてきた所が戦争の時アメリカ兵から逃げてきた場所で、ものすごく胸が苦しくなる思いになりました。特に1日目のひめゆりの塔で見てきた戦後の物資と戦争を味わった人の話を聞いて、自分は本当にいい環境で育ってきて恵まれているんだなと実感しました。

沖縄平和行進をやる理由を身近で味わう事ができて、今までの歴史を振り返ると復帰して47年も経過しているにも関わらず、アメリカに沖縄を支配されているように感じました。今回のこの活動を通して沖縄の問題が少しではありますが伝わりました。本当にいい勉強にもなりましたし、これからこの気持ちこの悲惨だった沖縄を身近の人に伝えていき、もっと共感を与えられるようにしていきたいと思います。

 

 

関東地方鹿島港支部 山本恭平

 

2019年5月16日から5月20日の日程で開催された5・15沖縄平和行進に参加させていただきました。予報では三日間雨という事だったのですが、沖縄県民の思い・全国の人たちの思いが天に届いたのか三日間雨は少ししか降らず、思い切ってシュプレヒコールをしながら行進することが出来ました。

三日間行進を行っていく中で思うことがたくさんありました。一番気になったのが、「辺野古新基地建設の問題」です。ジュゴンをはじめ、絶滅危惧種262種を含む5,800種以上の生物が確認されている辺野古・大浦湾の豊かな海が今まさに破壊されつつある。

世界的にも希なこの美ら海を破壊してまで、米・日両政府が建設を強行しようとしている新基地こそは、V字滑走路と軍港、オスプレイやステルス戦闘機F35Bの駐機場、弾薬搭載エリアを有する最新鋭の巨大な軍事基地にほかならない。しかも、辺野古弾薬庫には、使える核兵器の配備が計画されている。このようにアメリカはやりたいことをやる。それを許していいのだろうか。沖縄の人たちの思いを無視し、自由にさせている。このような事はあってはいけないと思いました。

沖縄の為に何が出来るか。自分は感じたこと・沖縄で思ったことを地元に持ち帰り仲間たちに伝えていき、沖縄の事を一つでも知ってもらえるよう活動していきたいです。良い経験が出来ました。本当にありがとうございました。

 

 

関東地方鹿島港支部 高木 涼

 

5月16日から20日の5日間で5.15沖縄平和行進に参加しました。行進前には沖縄タイムスの阿部 岳さんに沖縄の基地問題の現状を教えてもらいました。辺野古新基地・高江ヘリパッドを作ることでジュゴンが住む海、ヤンバルクイナが住む森の破壊や豊富なサンゴ群落などの色々な生物が住む沖縄の海を壊している。さらには、国が先頭に立ってそれを行い沖縄の人たちの民意を無視しているという現状を聞きました。

行進が始まり、僕たちは南部・戦跡コースを行進しました。南部コースでは、ひめゆりの塔・平和記念公園など戦争に関わる所も通りました。途中、妨害の車や人たちがたくさん来て「何しに来てるんだ?」「お前らがやってるのは平和運動とは言わない」という声を聞いて、再度自分たちの行動・運動に対する気持ちを確認することが出来ました。

沖縄の自然破壊、民意を無視した政治は許せないし、これからも戦争なんて起こさせないように小さいことでも行動して次の世代の人たちにも伝えていくことが大事だと思いました。最後になりますが、受け入れて下さった沖縄地本の方々本当にありがとうございました。

 

 

関西地方阪神支部内外フォワーディング分会 古川泰礼

 

2019年度沖縄平和行進に初めて参加させて頂きました。事前に平和行進学習会に臨み、同平和行進に参加しましたが、全日程を終え、少し時間が経つにつれ思うことは、沖縄について、あまりに無知な状態で参加してしまったという事です。沖縄の歴史、米軍基地問題をしっかり勉強し、把握してから参加すべきだったと後悔しております。「基地の無い平和な沖縄」を訴え、平和行進に参加したのですが、人は、自分の身に降りかかってこない事だと他人事であったり、自分には無関係な事と捉えがちになると痛感しました。ただ、平和行進を終え、無事に帰路に着くことができたのは、行進に携わった方々の協力・尽力によるものだと感謝しております。

 

 

関西地方本部築港支部商船港運分会 平山敬仁

 

5月16日(木)から5月20日(月)までの5日間の沖縄平和行進に今回初めて参加させて頂きました。当初は率直に申し上げて右も左も分からない中での行動に多少の不安と緊張感を感じておりました。

16日沖縄到着日に沖縄地方本部の方に頂き、初めて他地方の方にお会いする瞬間でしたが、すごく優しそうな方に出迎えて頂き良かったです。また、空港からホテルまでの送迎の際に私と日本海支部の方2名でホテルまで送迎され、2名で行動できるのが羨ましく思っている中でその方々から昼食のお誘いを受けた際は非常に嬉しかった事を覚えております。

同日の夕方、沖縄タイムスの記者を招き辺野古移設に関する問題や日本政府と米軍との関係性の実態など様々な事を学ばせて頂きました。私はその話の中で地元民は当然の事ながら渦中の末端で働いている従業員の方々はこの問題についてどのように思われて責務に従事しているのだろう、政府や会社から受けて使命に心底同意しながらこの件に関わっているのだろうかと疑問を持ち、記者の方に尋ねるとやはりこの件に反対の気持ちを持ちながらも上層部からの指示であり、自身の仕事に関わる問題なので致し方なく自身の気持ちを押し殺しながらこの件に関わっている方もいると伺いました。私はそれを聞いたときにその方々に同情を覚え、すごく辛いだろうなと思い、この1件にはそのような方々の気持ちも背負って行進を頑張らないといけないなと改めて気持ちを引き締め頑張ろうと思いました。

翌日から3日間、天気は梅雨入りを宣言された中、雨が降りそれほど暑くはないだろうと油断しておりましたが、1日目から曇りでも突き刺さるような日射と紫外線に見舞われながら行進がスタートしました。

暑い中ではありましたが、初めは意気揚々と歩き始め、皆と共にシュプレヒコールを行い、時には沖縄の実態や景色に目を向ける余裕も持ちながら行進をしておりました。行進を続けていく内にその余裕がなくなり、徐々に気持ちが折れそうになっておりましたが、行進中に沿道で声を掛けてくださる住人、マンションなどの建物内から手を振ってくれる子供、応援の意味を込めたクラクションを鳴らしてくれる運転手などの様々な応援を受ける事で気持ちを継続させることができました。行進中、歩いて疲れ果てながらも沖縄の現状を目の当たりにして、私個人としては沖縄のこの和やかな環境を壊すような米軍基地はこの地に必要があるのかを考えておりました。私個人としては必要ないのではと思います。この沖縄平和行進で米軍基地がある事で安全、安心な生活よりむしろ性的暴行や騒音問題など被害を受けて恐怖の中で生活を送る事の方が多いのではないかと思いました。これからも沖縄平和行進は必要不可欠なものであるなと再度認識させられました。

最後となりますが、これからも沖縄平和行進を引き続き行われ、沖縄の未来が明るいものとなるよう祈る中でこれからの活動に私も頑張って生きたいと思います。この度はこのような貴重な経験をさせて頂き有難うございました。

 

 

関西地本築港支部 須藤裕之

 

今回の平和行進に参加し、率直な感想を言うと本当にきつかった。しかし、今までは平和行進というものは知っていたものの何のための行動なのかを知らず、今回参加したことでその意義や実際に行進が行われる時期は辺野古への土砂搬入がstopされている事からその重要性を知る事が出来ました。

沖縄には大半の米軍基地が集中しており、今も尚、県民の方々が多くの不自由を抱えながら生活している。米軍ヘリが小学校の上空を飛行する事が許され、罪の無い子供たちがヘリ飛行時にはシェルターへ避難するという不合理な事実には非常に驚かされました。

参加した各々が何を思って今回の行進に挑んだのかはそれぞれ違うかもしれないが、沖縄を守りたい、その気持ちは今回参加した1,200名に共通したものだと考えます。しかし、自分一人で今回の行進に参加していたらやり遂げる事は出来ていなかったかもしれない。周りに同じ意志を持ってあるく仲間たちがいたからこそ3日に渡り闊歩を続ける事が出来たと思います。この経験をもとに、今後の組合活動をより良いものとしていきたい。

 

 

四国地方徳島支部 近藤貴麿

 

5月16日~20日の5日間で第46回5.15沖縄平和行進に参加させて頂きました。到着した初日に県立武道館アリーナにて全国結団式が行われ、平和行進を皆さんと共にやり遂げようという気持ちになりました。その後ホテルへ移動し、三単産の団結式と平和学習会がありました。講師は沖縄タイムスの阿部岳氏で、沖縄の基地の現状を報告してもらい学習しました。日々の過酷な取材と労力に驚きました。

全港湾は南部戦跡コースへ行進しました。1日目は県民広場からひめゆりの塔へ行進しました。沖縄戦の時と同じルートで南へ行進し、鈴木誠一副委員長の「祈りながら歩いて欲しい」という言葉が胸に響きました。当時の状況や戦争の恐怖を自分でも感じながら日本軍や一般市民がいかに追い詰められて悲惨な状況下にいたのかを思い知りました。一歩一歩祈りを込め、踏み締めて歩きました。

2日目は平和祈念公園から南風原町役場への行進にて青レンジャーもさせて頂きました。体力の消耗は激しかったですが集まった全国の仲間達と居ると、自分も少しでも何か協力をしたいと思い頑張りました。大変いい経験になりました。

3日目は宜野湾市役所から海浜公園へと行進しました。この日は普天間周辺の現状を見ながら行進し、地元沖縄の方々の行進団への応援の声もありシュプレヒコールも掲げる事が出来ました。行進の途中にお年寄りから子供まで手を降ってくれたりして嬉しさともっと頑張ろうという気持ちになりました。沖縄の様々な問題や基地の状況、自分が実際に来なければ感じる事の出来なかった多くの事がありました。やはり1人でも多くの人に力強く関心を持ってもらう事が重要である事と、一人一人が団結する事の大切さを学びました。この行進を地元に持ち帰ってみんなにしっかり伝えていこうと思います。

最後にお世話になった沖縄地本の方々、全国の三単産の皆様本当にありがとうございました。沖縄に平和な未来が来る事を信じます。

 

 

四国地方香川県支部 枦山茂隆

 

今回、初めて沖縄平和行進に参加させて頂きました。行進では沖縄戦の中で一番の激戦区であった、南コースを歩きました。また、最も過酷な戦いが行われた場所ということを聞いていましたが、今はとてものどかで自然が綺麗でした。しかし、戦時中に負傷兵を最後まで看護をしていた女学生達がいたというひめゆりの塔では、住人たちが集団自決したガマなどを見て戦争の残酷さを知る事で、自分達が今歩いているこの場所では、悲惨な歴史があったのだと考えさせられました。
また、平和祈念資料館を見学して、戦時中に多くの無関係な人々が、戦争に巻き込まれ、米兵に見つかれば殺されてしまうと感じ、捕まるくらいなら死んだほうがマシだと集団自殺を考えてしまうほど悲惨な状況であった。そのような中で看護をしている女学生達は毎日、負傷兵の手術に追われ麻酔なしでの手術で骨を鋸で切断していたと知り、とても胸が痛くなりました。戦争をしても何も生まれなく、家族も友達も自然も何もかも失ってしまうと感じる中で、私は戦争の重みを受け止め平和な暮らしを守ることを第一に考えていくことが大切だと思いました。そのためには米軍基地の撤去はどうしても必要であり、平和行進への意気込みが強くなっていきました。
行進の初日はわからない事が多く、不安な気持ちでスタートしましたが、行進経験者の仲間や沖縄の方々の応援等に助けられ無事に三日間の行進をすることができました。特に印象に残っているのは全港湾の仲間の熱いシュプレヒコールと沖縄の人達が手を振ってくれたり、『頑張って』と声をかけてくれたりしたことです。
最後に、これまでの自分これからの自分について考えました。沖縄の基地問題・戦争という悲惨な歴史を繰り返さないことや本土と沖縄の人たちとの温度差があるということは事実であり、沖縄で感じた事や学んだ事などを沖縄の人達の気持ちをできるだけ沢山の人に伝えていかなければいけないと思いました。そして一日でも早く基地問題が解決し、綺麗な海と自然がいつまでも守られ、県民の方々が静かな沖縄で暮らせる事を願います。

 

四国地方松山支部 宮内 渉

 

5月16日から20日までの5日間、沖縄平和行進に初めて参加しました。不安や緊張がある中でも、精一杯活動に取り組みたいと思い出発しました。

初日は移動や全国団結式、三単産団結式、平和学習会がありました。全国団結式は県立武道館アリーナで行われ、平和行進に参加する人達が集結、予想以上の人数と熱気の中、皆が一致団結できる全国団結式となりました。三単産団結式では、一人ずつ自己紹介を含め平和行進の意気込みを発表し合いました。一人一人がしっかりと自分の考えを持ち、その意気込み聞くことによって自分も頑張ろうと思えました。平和学習会では、講師に沖縄タイムス編集員の阿部岳さんに来ていただきました。学習会では沖縄の現状や歴史、沖縄戦の悲惨さ、そして今沖縄が抱える様々な問題を再確認することができました。

二日目は行進初日となり、県民広場で出陣式終了後、距離も長く歩けるか心配もありましたが、戦争中にどの様な気持ちで沖縄の人々が逃げていったのか、一歩一歩感じて行こうと思いスタートしました。行進の途中、右翼団体による妨害がありとても攻撃的で正直怖かったです。緊張して言葉はかんでしまいましたが、精一杯の声を出しシュプレヒコールをしました。真剣に取り組んでいるとあっという間に、ひめゆりの塔についていました。

しっかり歩きとてもしんどかったですが、戦時中降りそそぐ砲弾、迫りくる米兵、食料や飲み水も満足にとれず常に死と隣り合わせの中、逃げなければならなかった人達のことを思えばしんどいとも思えなくなりました。

行進二日目は記念公園を出発して、南風原町役場を目指しての行進でしたが雨予報の中、天気は晴天でとても暑かったです。歩くのに必死で余裕はなく、周りの風景を見ることで今の沖縄を知りたいと思っていましたがとても残念でした。平和行進二日目も無事に怪我無く、だれも欠けることなく終えられて良かったです。

行進最終日は宜野湾市役所を出発し、南ウイングコースを歩き海浜公園を目指しました。最終日という事もあり、行進団にも力が入りシュプレヒコールの声も大きく一致団結できていると感じる瞬間でした。沢山の人達の思いが一つになり、平和行進をできたことは非常に意味ある行動だと学ぶことができました。海浜公園到着後、県民大会がありました。県民大会では平和、人権、環境について考えることができとても良い経験となりました。

平和行進最終日の夜は、三単産夕食懇親会がありました。三日間、共に歩き一致団結して一つの行動を無事に終わらせる事ができた仲間達との懇親会はとても楽しく有意義な時間でした。平和行進の感想を発表する時間があり、一人一人が学んだことや感じたことを聞けて良かったです。

平和行進を終えて感じたことや学んだことは沢山ありますが、沖縄の現状や歴史、自分自身勉強不足でわからないこともあります。これからもしっかり勉強して、今後の組合活動に活かしていきたいと思います。参加された皆さん、本当にありがとうございました。

 

 

四国地方新居浜支部 松田聖貴

 

私は、今回、五月十六日から十九日までの五日間、平和行進に参加させて頂きました。そこで、私は、聞くだけでは分からない沖縄の現状を目の当たりにしました。
一日目、私達は、平和行進全国結団式に参加させて頂きました。これから行われる平和行進に向けて、参加者の方々の行進に対する熱い思いを受け、自分自身も頑張ろうと硬く決意しました。
次の日から、平和行進が始まりました。三日間で合計で約42㎞ほどの道程を歩かせて頂き、道中では、シュプレヒコールをさせて頂きました。熱い思いを声に乗せて、シュプレヒコールを行いました。
一日目の行進後には、ひめゆり平和祈念資料館の見学をさせて頂きました。そこでは、沖縄戦での悲惨な爪痕を証言映像という形でしたが、戦時中の実際の様子を聞き、見ることが出来、私は、もうこのような戦争を起こさないよう、活動していかなければならないと、強く思いました。
私は、この平和行進で平和の尊さ、この平和を守っていくために何をしていくべきか深く考えさせて頂きました。この経験をこれからの活動に生かし、頑張っていこうと思います。

 

九州地方関門支部 宮前尚命

 

今回、初めて沖縄平和行進に参加させて頂きました。初日、県立武道館アリーナにて全国結団式を行ない、ホテルに戻って三単産結団式、平和学習会をしました。今までは、戦争のこと、沖縄の歴史、基地問題など客観的な感覚でした。しかし、結団式での高良鉄美さんの話、平和学習会での阿部岳さんの話を聞いて戦争は悲しみしか生まないと初めて心から思えました。そのために自分たちが沖縄県に来て平和行進をやるこ事の意味を知りました。

行進初日は曇りで風もあり歩きやすい天候でした。沖縄県庁からスタートし、ひめゆりの塔へ行進。私は普段運動不足おせいか足腰が痛くなり、めげそうになりましたが皆の熱い気持ちや地元の温かな応援のおかげでなんとか完歩することができました。

2日目は、平和祈念公園から南風原町役場までの行進でした。沖縄は梅雨入りしたにもかかわらず晴天になりました。沖縄の日差しと暑さはものすごいものでしたが体が行進になれたのか初日より楽に行進できました。

3日目は宜野湾市役所から宜野湾海浜公園までの行進、そして県民大会でした。3日目の行進は午前中だけでしたがシュプレヒコールのも力が入り参加者全員が一体となって平和を訴えました。

4日間を通して、沖縄の歴史、沖縄が抱えている問題を知り感じることができました。このことを身内や地元の仲間、次の世代の人達に伝えていかなければならないと思いました。また全国の組合員と交流を深めることができ、とてもいい4日間をすごすことができました。ありがとうございました。

 

 

九州地方関門支部 宮里 勉

 

5月16日から20日までの日程で、第42回5・15沖縄平和行進に参加してきました。初日は、県立武道館アリーナで全国結団式が行われ、各代表の方々から挨拶をいいただき、最後に平和運動センターの山城博治議長のガンバロー三唱で4日間の平和行進が始まりました。終了後、ホテルで三単産・結団式が行われ、平和学習会では講師の阿部岳さん(沖縄タイムス記者)に沖縄の現状について学び、初日は終了しました。

行進1日目は、南部・戦跡コースに参加し、県庁前の県民ひろばからひめゆりの塔まで約19kmを歩きました。このコースには、戦時中日本軍が本島南部に後退する時に通った場所がありました。そこでは、南部へ逃れようとする住民と撤退する部隊が混在し、米軍の標的になり、無差別な攻撃で多くの住民が命を奪われ犠牲になったそうです。沖縄戦による死者は約20万人と言われています。ひめゆりの塔では、平和祈念資料館を見学しました。そこには看護要員として動員された学徒隊が突然の解散命令で戦場に放り出され沢山の方が亡くなった事が記されていました。館内には沢山の遺影が掛けられており、戦時中の悲惨さを改めて思い知らされました。

行進2日目は、平和祈念公園から南風原町役場まで約17kmを歩きました。道中には所々に戦争で受けた痕跡があり、戦闘の凄まじさを感じました。いつどこから銃弾や砲弾が飛んでくるか分からない中、飢えや怪我で苦しんでいる人がこの地に多勢いた、その状況を思うとやるせない気持ちになりました。

行進最終日は、普天間基地包囲南ウィングコースを宜野湾市役所から宜野湾海浜公園まで約9kmを歩きました。ゴール地では「平和とくらしを守る県民大会」が開催され約2000人が集まり、参加者全員のガンバロー三唱で4日間の平和行進は終了しました。

沖縄では、復帰して47年経った現在も様々な問題を抱えています。基地の建設、基地による騒音、事故、米兵による凶悪犯罪など、沖縄に米軍基地がある限りこの問題に解決はありません。1日でも早く平和な島沖縄を取り戻す為にこれからも県民と全国の仲間が一丸となって闘い続けなければならないと思いました。

 

 

九州地方関門支部 戸田政茂

 

5/16九州支部の方々と本土復帰47年5・15沖縄平和行進のため沖縄県へ行きました。沖縄県は梅雨入りし小雨の中移動し、全国から集まった仲間達と5・15沖縄平和行進のための結団式を行い、団結頑張ろうで締めホテルにて三単産・結団式をし、平和学習会では講師『阿部 岳』さんが、沖縄の現状について説明してくださり、沖縄の地がどれだけ危険で迷惑しているなど勉強になりました。平和行進初日は沖縄県庁前に集まりレンジャーとして参加し、ひめゆりの塔まで当時歩いたとされている道のりを歩きました。途中右翼に激しく邪魔され止まったりしましたがシュプレヒコールを上げて負けることなく一歩一歩沖縄の地を歩きました。歩いていると高齢者の方々や親子連れの人達から励ましや感謝言葉をもらいました。

二日目は平和祈念公園から南風原町役場まで、終わってからは沖縄地本でバーベキューをして全国の仲間と交流を深めました。準備等をしてくださった沖縄支部の皆様には感謝しています。ありがとうございました。

最終日は晴天の中、地元では味わえないような沖縄の暑さに驚愕し、宜野湾市から海浜公園、基地の周りを歩きました。午後からは海浜公園野外ステージにて県民大会がありガンバロー三唱で沖縄平和行進が終了しました。

この歩いた三日間、平和行進で各所を歩き当時の事や現状を思うと胸が痛くなり、これからの子供達に戦争を体験させてはいけない。危険な基地の撤退。沖縄本土の平和を願う気持ちが一層強くなりました。今回、戦闘機など飛んでいる所は確認できなかったがオスプレイ事故、新基地建設、騒音被害などで恐怖や不安の中で生活している沖縄の人を思うと1日でも早く現状を変えて、平和な沖縄を目指し平和行進をしなくていい日が来るように団結して頑張ってもらいたいです。

今回沖縄平和行進に参加し貴重な体験ができ、これからの沖縄のために少し貢献できたのかなと思いました。これから多くの事に積極的に参加し勉強し伝えていこうと思います。そして今回参加された方お疲れ様でした。ありがとうございました。

 

 

九州地方博多支部 園田大輔

 

1日目那覇空港に到着した時に戦闘機が配備されていてこれが沖縄なんだなと改めて感じました。ホテルチェックイン後すぐに徒歩で全国結団式の会場県立武道館アリーナへ移動、移動中にも自衛隊の車両と数台すれ違いました。全国結団式には様々な団体総勢500人が参加しており、平和運動センターの山城議長が「一致団結して平和を守る戦争の道は許さないという声を上げていきましょう。」と挨拶されていました。全国結団式終了後三単産結団式、平和学習会を行いました。学習会では沖縄タイムスの阿部岳記者から講話があり、辺野古新基地問題、高江ヘリパッド建設問題、オスプレイ墜落問題について話をしていただきました。中でも印象に残った話が米軍のヘリコプターの窓枠が宜野湾市立普天間第二小学校に落下し男児1人が落下物の影響で飛んだ石が手に当たり怪我を負うという事件でした。その後も保育園に米軍機の部品が落下する事件もおきているにも関わらず政府が取った行動は同小学校にシェルターを設置するというものでした。避難回数は年間600回を越えており、一日約三回から四回避難しているそうです。その話を聞いて今回の平和行進の大切さを感じました。

平和行進1日目 行進は中北部、基地コース、南部戦跡コースに分かれ私達三単産は南部戦跡コースを行進しました。出発式を県民広場で行い~泉崎交差点~R58~軍港前~自衛隊基地前~高良あおぞら公園~R33豊見城バイパス~豊崎~沖水高前~川尻橋~R331~糸満ロータリー~真栄里入口~真壁~伊原~ひめゆりの塔まで行進しました。ひめゆりの塔到着後ひめゆり平和祈念資料館を見学しました。施設の中には当時の資料や身に付けていた所持品などが展示されており見学する中で沖縄地上戦終盤は若い女の子ですら機関銃や手榴弾などの使い方を訓練し当時の教育の天皇のためお国のためという教えに何も疑問を抱かず当たり前に受け入れられていたという今の時代では信じられない話に言葉が出ませんでした。またこういう時代を繰り返さないためにも今を生きる人もたくさんの事を勉強し学んでいかないといけないと強く感じました。

行進2日目 平和記念公園平和の火を出発しR331~具志頭交差点~南の駅やえせ~向陽高校前~奥武入口~県道48号線~稲峰交差点~県道77号線~大里農村改善センター~仲間入口~喜屋武交差点~南風原陸軍病院壕前~南風原町役場まで行進しました。行進中は初日より沿道、民家から手を振ってくれる方、ありがとうと言ってくれる方も多く、3日間の行進を通して思った事は長時間の道路封鎖や交互通行などにもほとんどの方が文句も言わずに応援してもらってとても意味のある行進なんだなと感じました。行進終了後は沖縄地本にてBBQ交流会に参加し沖縄支部の青年部の方たちとも交流しました。

行進最終日 最終日は2コース合同で出発式をして宜野湾市役所を出発し南コースは長田交差点~沖国大前~真栄原GATE~真栄原交番前~上大謝名~森川公園~宜野湾海浜公園まで行進しました。最終日はレンジャーをさせてもらい、行進の誘導、交差点の封鎖しました。最終日ということもあり右翼団体の妨害も激しかったです。宜野湾海浜公園到着後野外劇場にて「平和とくらしを守る県民大会」が行われ北コース、南コース合わせて1000人を超える方が参加しました。3日間の行進を悪天候にも右翼団体の妨害にも負けずシュプレヒコールをしながら一致団結し歩ききることができました。普段テレビでしか見ることの無い現実を間近で感じて団体で何かを訴える力強さを実感しました。各地方の方とも親交を深めることができ、仕事や組合活動の話など多くのことを学ぶことができました。中々体験できないことを目で見て、耳で聞いて、肌で感じてとてもいい経験になった5日間でした。この経験をこれから先に活かせるように頑張りたいと思います。

 

 

九州地方博多支部 武田巧也

 

5月17日から5月19日にかけて「第42回5・15平和行進」が行われ、博多支部から2名参加しました。72年5月15日に沖縄が本土に復帰して47年が経過し、78年から毎年5月15日前後に平和行進が行われ、今回が42回目となりました。

1日目はホテルチェックイン後、県立武道館アリーナへ移動し全国結団式が行われ全国から多くの団体が参加しており平和行進の規模の大きさに驚きました。全国結団式では平和運動センターの山城議長を始め海外からの参加者の方からの挨拶があり全国結団式終了後、三単産結団式が行われ2日目から始まる平和行進に向け団結を深めることが出来ました。

その後、沖縄タイムス編集員の阿部さんを講師に向かえ平和学習会をしました。学習会では記者の人にしか体験できないような講和を聞くことが出来、機動隊が一般の人にきつい言葉を言ったり、米軍が事故を隠蔽したりなどの話を聞き私達が新聞を見ても分からないリアルな現実を知ることが出来ました。また、小学校に米軍ヘリの窓枠が落下、その後も保育園に米軍機の部品が落下という事件を受け政府はシェルターを設置するだけという杜撰な対応は許されるものでなく平和行進を通し「基地撤去、新基地建設反対」と強く発言していこうと思いました。

行進1日目は県民広場で出発式を行い泉崎交差点~R58~軍港前~自衛隊基地前~高良あおぞら公園~R33豊見城バイパス~豊崎~沖水高前~川尻橋~R331~糸満ロータリー~真栄里入口~白梅の塔~真壁~伊原~ひめゆりの塔までの約19kmを「命どう宝」、命こそ宝という意味の言葉をスローガンに掲げ行進し、途中、行進の最前列を歩きながらシュプレヒコールをさせてもらい行進の一体感を感じながら1日目を完歩しました。ひめゆりの塔に到着し、ひめゆり資料館を見学。資料館ではガマと呼ばれる洞窟のレプリカが展示されていて、この中で約140人の人が避難していたと書いてありました。ガマの中は暗く声を出すと米軍に見つかってしまうという恐怖に怯えながら避難していたそうです。他にも戦争を経験した人の話が冊子で残されていて当時の恐ろしい体験を読ませてもらい、二度と同じことを繰り返してはいけないと改めて感じました。

行進2日目は平和祈念公園~R331~具志頭交差点~南の駅やえせ~向陽高校前~奥武入口~県道48号線~稲嶺交差点~県道77号線~大里農村改善センター~仲間入口~喜屋武交差点~南風原陸軍病院壕前~南風原町役場までの約15kmを行進しました。2日目はレンジャーをさせてもらい、行進の安全と一般車両の交通整理をして1日目では分からなかったレンジャーの大切さを感じ、責任感のある役割を体験できました。行進終了後、沖縄地本にてバーべキュー交流会をし沖縄地方の青年部の方々と交流を深めることができました。

行進3日目は宜野湾市役所から宜野湾市海浜公園を北ウイング、南ウイングと二手に分かれ私は南ウイングを約7km行進しました。南ウイングは宜野湾市役所~長田交差点~沖国大前~真栄原GATE~真栄原交番前~上大謝名~森川公園~宜野湾市海浜公園を目指すコースで道中、一般の方からの「がんばれ!」「ありがとう!」など声援や拍手をたくさんの方から頂き基地のない平和な沖縄を作りたい気持ちや辺野古新基地建設をを止めたい気持ちが強く伝わりました。その後、「5・15平和とくらしを守る県民大会」が宜野湾海浜公園屋外劇場にて行われました。大会参加者は1000人を超え平和運動センター幹事、大城由美子さんから基地建設の現状を聞き「辺野古新基地建設NO」という沖縄の圧倒的な民意を無視し絶滅危惧種のジュゴンや豊富なサンゴ群落などの生物多様性の美ら海を埋め立てることは観光立県沖縄の未来を崩壊させる暴挙であると感じました。

この3日間を通したくさんの妨害や罵声を受けましたが、参加者全員が毅然とした態度で行進を行い、また、各休憩場でお茶や塩アメ、休憩のための敷地を提供してくれた多くの方々の協力があり3日間無事に完歩することが出来ました。最後に、私はこの平和行進をいずれやめなければいけないと思います。なぜなら、世界的に平和を実現できればこの平和行進を行う必要がなくなると思うからです。しかし、これにはとても時間がかかるはずです。ですから職場の人や家族、友人などに今回体験した貴重な体験、平和の大切さ、戦争の愚かさを伝えていくことが私に出来る平和活動であることと信じ今後5・15沖縄平和行進に参加できる機会があれば、是非参加していきたいです。

 

 

九州地方長崎県支部  桑原将太

 

2019年5月16日〜5月20日私は、今回初めて5.15沖縄平和行進に長崎県支部として参加し、南部〜戦跡コースを三日間、シュプレヒコールを掲げ行進しました。平和行進前日には、平和学習会が行われ、沖縄の米軍基地問題、嘉手納基地、普天間基地、辺野古新基地建設問題と、様々な問題を抱えているという沖縄の現状を知ることができました。その後は、三単産の結団式を行いました。

行進1日目は、ひめゆりの塔を目指し県民ひろばから行進しました。今回歩いた南部〜戦跡コースは、沖縄本土戦の中でも激戦地で当時の沖縄の人々が逃げ歩いた土地で、山道を歩いてる山の中にまだ戦時中に亡くなられた方が埋まっているかも知れないと聞き、ものすごく心が痛みました。1日目のゴールであるひめゆりの塔では、ひめゆり平和祈念資料館を見学し、子供達がひめゆり学徒隊として、戦争に参加させられていた事知りし衝撃を受けました。

行進2日目は、平和祈念公園で出発式を行いスタートし、南風原町役場までシュプレヒコールをあげながら行進しているとお年寄りや、子供達から手を振ってくれたりしてくて、疲れていても頑張らなければという気持ちになりました。夜は、沖縄地本にて青年部・BBQ交流会があり、他の支部の方達ととてもいい交流ができました。

行進3日目は、宜野湾市役所で出発式を行い普天間基地を取り込むように南ウイングと北ウイングコースで分かれて行進しました。最終目的地である宜野湾海浜公園では、県民大会に参加し大勢の方達との団結ガンバローは、凄かったです。

3日間の行進で、右翼の妨害もありましたが、みんなが全力を出しきれたのも、コース各所に給水所を設置してくださった地元自治体の皆さんのおかげで無事に完歩できたと思います。それと、全国の仲間と目標に向かって行動することの、素晴らしさを学びました。今回、初めて平和行進に参加し不安がありましたが、仲間達と励ましながら完歩する事ができ、そして、この平和行進をやり遂げた全港湾の仲間との絆をこれからも大切にしたいと思いました。最後に、沖縄と同様に私が住んでいる佐世保にも米軍基地があります。このような問題を解決するために、行動し声を上げていかなければならないと強く思いました。今後このような活動や運動には、積極的に参加し、周りに伝えて行こうと思います。

 

 

九州地方長崎県支部 馬場祐一郎

 

5月17日から19日にかけて第31回5.15平和行進が行われました。72年5月15日に沖縄が本土復帰して47年が経過し今回が42回目。今年は、中北部・基地コースと南部・戦跡コースの2コースに分かれて行進しました。三単産、全港湾・全国一般全国協・全日建連帯の団としての参加で自分は南部・戦跡コースを行進しました。南部・戦跡コースの出発式は那覇市の県民広場で開かれ、沖縄平和運動センターの比嘉京子副議長が「戦争でもって平和が訪れることはない。沖縄の現状を皆さんと一緒に考えていけたら」とあいさつ。その出発前日の飲み会の時にレンジャーにならないか、と誘われ何もわからなかったがこれも経験あるのみと思いレンジャーへ。レンジャーの仕事内容的には行進団の保護と交通整理が主にと聞いてそこまできつくないだろうと思っていました。しかしいざやってみると歩き走り歩き走りの連続に加え右翼との激しい戦闘が・・・。少し甘く見過ぎた所もあったかと思えました。

行進初日、雨予報だったものの天候にも恵まれ暑い陽射しの中、沖縄県庁からスタートし、ひめゆりの塔へと行進を始めました。慣れない日差しや暑さに負けそうになりましたが、皆の熱い気持ちや地元の温かな応援のおかげで自分の気持ちを奮い立たせて完歩することが出来ました。

2日目は、右の方の反対運動もなく平和の火から南風原町役場までのゴールを目指しました。平和の火の前で出発式を始める前に、国籍や軍人、民間人を問わず沖縄戦で亡くなった約24万人の方に黙祷をし、戦争をしてはいけないと心に誓いました。

シュプレヒコールも体験でき声は枯れませんでしたが大声で訴えられたかなと思います。

平和行進最終日はレンジャーをしながらのシュプレヒコールを行いました。本当に暑い中でしたが、みんなで一生懸命声を出し、最後まで頑張ることが出来たと思います。最終ゴール地点に着いたときは、今までの活動の中で一番の達成感を味わうことが出来ました。

今回の活動を経験し他にも様々な活動に参加したいと思いました。とても貴重な経験が出来、又、良い勉強となった事で今後の自分のためになりました。本当にありがとうございました。また機会があれば是非参加したいと思います。

 

 

九州地方苅田支部 久冨神聖

 

この度、第42回 5.15 平和行進に初めて参加させてもらいました。初めての参加だったので不安と緊張でいっぱいでしたが各支部の方々に支えて頂きました。
行進初日では梅雨入り予報が嘘のように雨が降ることなく天候にも恵まれ、県民ひろばで出発式を終え、ひめゆりの塔に向けてスタートしました。なれない暑さの中約19キロの道のりを歩く中何度も心が折れそうになりましたが、皆さんと共に大きな声でシュプレヒコールをする中、地元の方々の「頑張って」や「ありがとう」など、温かな声援や拍手を頂き事で折れそうな心が復活し完歩することができました。ひめゆりの塔に着くと少しの時間ですがひめゆり平和祈念資料館を見学することができました。中に入って資料を見るたびに鳥肌が立ったのを覚えています。240名のひめゆり学徒隊は約3カ月間で136名もが犠牲になり、この犠牲者の中には、突然の解散命令で取り残されて逃げる事も出来ずに亡くなった人や負傷した友達を助けるために逃げ遅れて亡くなった人や自決した人も多くいたのをしり、この様な惨劇を二度と繰り返さないよう強い気持ちで行進したいと思い初日が無事に終えることができました。
行進二日目ではホテルからバスで移動をし、平和祈念公園から南風原町役場を目指しスタートしました。初日に感じた事を活かし大きな声で行進することができました。
夜には、沖縄地本の方々とバーベキューをし、最終日に向けて親睦を深め2日目を終えました。
行進最終日では出発後すぐにシュプレヒコールをかけさせてもらいました。噛んでしまったとこもありますが大きな声でかける事が出来ました。これも、色々な方々の話を聞く中で自分の反戦の気持ちが強くなったからだと思いました。そして宜野湾海浜公園屋外劇場につき「平和とくらしを守る県民大会」が開催され無事に終了しました。今回参加させてもらい感じた平和の思いや、戦争の悲惨さを多くの人に伝えて行きたいです。最後になりますが沖縄地本の皆さん受け入れ、準備等ありがとうございました。

 

 

東北地方ひたち支部青年女性部 花枝寛朗

 

私は今回、初めて沖縄平和行進に参加させていただきました。沖縄に向かう途中、現地はどのような状況なのか、全国の方々とうまく会話ができるかなど不安を感じながら向かいました。現地入りすると、全国結団式を行いました。自分の予想をはるかに超えた人数が集結し驚きを感じたとともに、精一杯この活動に取り組みたいと感じました。 その後は、ホテルで三単産結団式・平和学習会がありました。

学習会では、沖縄の抱える問題・現状など様々なお話をいただきました。そのお話の中で、基地があることにより昼夜問わずヘリや戦闘機が上空を飛び、その部品などが小学校に落ちてくることもあると聞きました。自分では想像もしたこともない日常です。基地があることで毎日不安を抱えて生活をしている方々がいることに心が痛くなりました。

行進は、南部・戦地後コースを行進しました。初日は、県民広場からひめゆりの塔までの19キロの行進でした。気温が高い中の行進でしたが、みんなでシュプレヒコールをあげながら行進をしました。自分もシュプレヒコールをさせていただき、緊張しつつも大きな声でゴールできたと思います。行進していると、多くの方々が手を振ってくれたり、「暑いけど頑張って!」と声をかけてくれたりして下さる方がいました。長距離の行進に正直きついと思っていた自分がいましたが、このような温かい心を持った方々の為にも頑張らなくてはいけないと気持ちを強く持つことができました。行進を続けていくとガマがあり、戦争の爪痕を見て感じました。ガマの中で恐怖心を持ち、身を隠し生活をしていた当時のことを考えると、今の平和な生活にありがたみが込み上げてきました。ひめゆりの塔では、当時の遺品や写真、記録があり戦争の実態、犠牲者の悲しみ・叫びが自分の胸の中に深く刻み込まれました。

2日目は、平和記念公園から南風原町役場への道のりでした。平和記念公園の平和の礎には、国籍や軍人、民間人の区別なく沖縄戦の戦没者の氏名が刻銘されており、沖縄の歴史の中で培われた平和の尊さを感じました。コースは、登り坂が多く大変な道のりでしたが他の支部の方たちとの会話や旗の持ち合いをし、良い雰囲気で行進しきることができ、団結感が増したと感じました。この日の夜はバーベキューが行われ、みんなとのコミュニケーションをとることができ、とても楽しく過ごせました。料理を振舞ってくださった沖縄地本の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。

平和行進最終日もシュプレヒコールをしながらの行進でした。3日目ということもあり、緊張もほぐれ良い雰囲気の中、行進をすることができました。途中右翼による妨害もありましたが、妨害に屈さない大きな声でのシュプレヒコールをしながらなんとかゴールすることができました。安ど感もありましたが、それ以上の達成感を味わうことができました。自分たちが貫徹することができたのは、応援の声、給水して下さった各支部の多くの方々の支えがあったからです。自分たちの取り組みに手を差し伸べてくださった人たちへの感謝の気持ちを忘れず持っていたいと思います。

実際に沖縄平和行進に参加し、米軍基地の存在に反対な方もいれば、賛成な方もいて様々な意見を目で見て肌で感じました。この問題は、双方の意見を尊重しあい力ではなく、何らかの方法を見つけ解決しなければならない問題だと思います。そして、二度と同じ過ちを繰り返してはいけないと強く感じました。

今回、沖縄で暮らす方々の声、全国の仲間の声を聞き、たくさん得られるものがありました。全国の仲間と交流・団結できたことや沖縄の現状を直接体感でき、とてもK長で追い経験ができました。今後戦争の教訓を忘れず平和なことを当たり前だと思わず生活していく必要があると感じました。

 

東北地方ひたち支部青年女性部 栗原拓哉

 

沖縄平和行進は初参加なので期待と不安の中で当日を迎えました。初日の平和学習会で沖縄タイムス記者の阿部氏より沖縄の現状報告を聞く機会がありました。そこで辺野古新基地建設に対する県民投票の結果、賛成19%、反対72%、どちらでもないが9%と約7割の方が反対という話を聞き、しっかりと活動しなくてはならないと思いました。平和行進がスタートし、初日から長距離を歩き大変ではありましたが、沿道からたくさんの方の声援をいただき、最後まで元気に更新することが出来ました。

しかし、自分たちと同じ世代の人達からの応援の声は少ないと感じました。そこには家庭の事情等たくさんの理由があり、声をあげられない人たちもいると思います。しかし、この問題に関して無関心な人も数多くいると思います。これは、地元茨城で行っているJCO臨界事故集会に参加したときにも同様な感想を持ったことを覚えているからです。自分を含めてですが、もっと自分の地域で起こっていることにアンテナを張って、自分の思いや考えを伝えたり、周りの人と意見交換したりするような、アクションを起こしていかなければいけないと感じました。

沖縄県民、日本国民が納得できる結果を勝ち取り、沖縄平和行進を良き思い出として語れる日が一日でも早く訪れる日を心から祈っています。それまで私も共に闘っていきたいと思います。

 

 

東北地方ひたち支部青年女性部 進藤光夫

 

今回が初めての沖縄平和行進参加となり、正直不安もありましたが、初日の結団式で地元の方々から沖縄の現状や問題のお話を聞いているうちに、不安が消えて平和行進へのやる気がどんどん満ち溢れてきました。ホテルに戻ってからの平和学習会では沖縄の現状や基地の歴史、新基地建設問題などを詳しく知ることが出来ました。

平和行進初日はレンジャーをやらせていただき、妨害もすごかったですが、みんなでひるむことなく行進することが出来、団結の力は本当にすごいなと思いました。そして、沖縄県庁前の県民広場からひめゆりの塔まで約19㎞の道のりを更新し、無事レンジャーの役目を果たすことが出来ました。ひめゆり資料館では、戦争によって亡くなった方々の写真などがあり、本当に胸が苦しくなりました。もう絶対に戦争など起きてはならないと強く思いました。平和行進2日目は平和祈念公園から南風原町役場まで焼く15㎞の道のりを行進しました。行進中は現地の方々が手を振りながら「頑張れ!」と励ましてくださり、小さい子供たちからも「バイバイ、頑張ってね」と言葉を掛けられ、一日でも早く平和な沖縄になってほしいと心から願いました。平和行進最終日は米軍の普天間基地を囲むようなコースを約8㎞行進し、最終日だけあって、行進もより一丸となって行進しているのを感じました。そして、ゴールである宜野湾市海浜公園に到着した時の達成感は一生忘れられない経験になりました。その後の県民大会で現地の方からの日本政府への思いや訴えを改めて聞いて、これからの沖縄、そして日本を危険のない平和な国になっていくよう活動していきたいと思いました。今回、貴重な経験をさせていただき、本当にありがとうございました。この経験を若い人たちにもしっかりと伝えていきたいと思います。

 

 

東北地方塩竈支部塩竈分会 清野泰広

 

16日から20日までの5日間で行われた、沖縄平和行進に参加しました。16日、15時から県立武道館アリーナで、全国結団式をしました。そこでは、平和行進をやろうと思ったきっかけや、行進するにあたっての団長の注意事項などを確認しました。17時からは、全港湾、全日建、全国一般の団体で結団式を行い、その後平和学習会に参加し、沖縄の歴史について学ぶことができました。

17日、9時から県民広場で出発式をやりました。多くの人が行進に参加し沖縄を変えようという思いを強く感じました。初日はひめゆりの塔に到着した後、ひめゆり資料館を見学し、ひめゆり学徒が戦時中どんな思いをしていたのかを学び、また戦争の傷痕があり心が痛くなりました。

18日、9時から平和祈念公園で出発式を行いましたが初日より参加者が多くいました。この日の懇親会は、沖縄地方青年部がBBQを準備していただき、各地方、青年部の仲がより一層深まったと感じました。

19日、最終日は9時から宜野湾市役所で出発式をやりました。最終日は沖縄で学んだことや沖縄の方の気持ちを聞いたからこそ、シュプレヒコールも大声で訴えることが出来ました。目的地である海浜公園に到着後は県民大会に参加しました。沖縄の市長や、議員、団長の話を聞き、反戦平和や基地問題について改めて考えていきたいと思いました。

今回私は、初めて沖縄平和行進に参加しました。本当に貴重な体験をさせて頂きました。この体験した経験を生かし、自分の地方でも広め未来をより良くしていきたいと強く思います。

 

 

東北地方塩竈支部塩竈分会 木村拓哉

 

今回、初めて沖縄平和行進に参加させていただきました。正直、自分の中で理解できていない部分もあったので、事前に勉強会を開いていただいてから参加しました。教わった事を踏まえて現地に行き、たくさん思う事がありました。

全港湾は、実際に戦場であった南部コースを行進しました。何の罪もない人々が次々と死をつげている場であり、実際に平和祈念公園で20万人余りの人の名前が刻んであり、心が痛くなりました。行進中には、元気に手を振って応援してくれる子供達、年配の方を目にして絶対に戦争を阻止しなければいけないと思いました。

3日目に、普天間基地の周りを行進しました。沖縄の約10%を占める米軍基地、街づくりなどの地域開発にも大きな障害になっていると聞きました。航空機の騒音、ヘリコプターの墜落、米軍による少女暴行など、大きな不安を抱えて生活している県民の為にも早く撤去しなければいけないと思いました。基地従業員の人件費、光熱水料、基地の建設費を日本が負担している事も、全く理解できませんでした。

辺野古の新基地建設に関しても、ジュゴンが住む美ら海、サンゴを失っては、いけない  ただ県民の不安が多くなるだけなので絶対にダメだと思いました。その他にも、たくさんの問題がありますが、沖縄の問題でなく、日本の問題として国民一人一人が考えていかなければいけないと思いました。行進をしていて応援してくれる人もいれば、興味もなさそうに見ている人もいて残念だなと思う部分もありました。

生きたくても戦場で失われた数多くの尊い命を忘れず、平和な未来を作る為にも、実際に見た沖縄の現状、感じた事を、支部の仲間、身近な人、友人など多くの人に伝えて一日でも早く沖縄、日本の平和の力になれる様活動していきたいと思いました。

 

 

東北地方酒田支部 後藤真太郎

 

5月16日〜19日、5.15沖縄平和行進に参加させていただきました。今回初めての参加でしたが、基地問題や戦時中の事を事前に調べて平和行進に望みました。

16日は全国結団式とホテルで三単産結団式と学習会がありました。沖縄は現在も日本の法律が通用しないという話を聞き憤りと何とかしたいという気持ちになりました。

17日県民広場で出発式をし、自分達は南部·戦跡コースを回る事となりました。県民広場からひめゆりの塔までの行進でした。ひめゆり資料館では戦争の悲惨さを強く感じました。

18日平和行進2日目は、祈念公園から南風町役場まで行進しました。住宅地を通って行きましたが、通っている所は全て戦争の傷跡が残っていて、まだ不発弾もあるということで自分達がこうして行進する事で何か変わっていけばいいと思いました。

19日行進最終日、3日間集大成として全体が普天間基地を囲うように歩く事となりました。妨害もありましたが、皆が声を出し全力を出し無事にゴールする事が出来ました。

今回、沖縄平和行進に初めて参加して、自分が今まで聞いていた話と現地で聞く話とは違いがあり、戦争の残酷さなどを子供たちにそんな思いをさせてはいけない。日本を戦争が出来るようにしてはいけないという事を強く思いました。沖縄の綺麗な自然を破壊する基地建設、昼夜問わず飛び交う米軍ヘリ、そして住民が安心して生活出来ない米軍基地は沖縄だけの問題ではなく日本の問題だと感じました。沖縄での活動を通して政府に訴え、そして自分が地元に持ち帰りみんなに訴えることが大事だと思いました。

 

 

東北地方酒田支部 菅原啓資

 

今回、第46回沖縄平和行進に参加させていただきました。私自身初めての参加でしたので実際に現地での活動をしっかりと経験して来ようと思っていました。ホテルで行われた三単産の学習会では、沖縄タイムズ記者  阿部岳さんを迎えて基地設立での自然破壊やオスプレイの爆音問題などの話を聞きました。

行進初日は日差しも強くなく雨雲はあるも、土砂降りにはならず丁度良い天気で初行進となりました。戦争跡地を行進し、現地の住民の方々から手を振って応援していただいたりもしました。

行進2日目の朝は小雨が降っていましたが昼には快晴となり、強い日差しの中南風原町役場を目指しました。初日の疲れも残っていましたが、現地の方々の応援もありこの日も最後まで行進することができました。

行進3日目は最後の行進を終えた後、県民大会に参加しました。会場では基地問題や自衛隊の増強問題など1日でも早い解決を望む人ばかりでした。

今回初めて平和行進に参加して、自衛隊、オスプレイ、自然破壊、爆音問題など人が住む場所にはあってはならないことだと思いました。1日でも早く問題が解決して平和行進などなくなるような沖縄になってほしいと思いました。

 

 

東北地方小名浜支部 矢内誠也

 

5月16日から20日の5日間5.15沖縄平和行進へ参加しました。私は今回3単産の団長として活動させていただきました。

初日県立武道館アリーナで行われた、全国結団式へ参加し、平和運動センター議長の山城さん、平和フォーラム共同代表の藤本さんをはじめ、現在の沖縄の現状また、行進へ向けての意気込みなどを聞き、気持ちが高まりました。ホテルへ戻り3単産の結団式を行いました。隠れて参加者の自己紹介や意気込みを聞きました。今回はほとんどの方が初めての参加ということだったのですが、全員が強い気持ちを持って行進をしようと思いました。その後平和学習として、新聞記者の方を講師に招いていただき、現状の沖縄や過去の米軍関連の事故、事件の話を聞きました。数年前から参加をさせていただいておりますが、この間にも新たな事故も増え続けていることに怒りを覚えました。

そして行進1日目、県民ひろばからひめゆりの塔までの約17キロの道のりを歩きました。スタートしてから多くの仲間がシュプレヒコールをあげるため街宣車へ来てくれました。早い段階から妨害行為をする車が来ており、例年よりも多く粘り強く着いてきた印象でした。そんな妨害にも負けることなく17キロ歩き抜くことができました。

翌2日目は平和記念公園から南風原町役場までの約12キロ。前日の疲労、またアップダウンの激しいコースのため疲れは見られたものの、強い気持ちで足を進めました。1日目とは違い、妨害行為などはほとんどなく、スムーズに進むことができました。

最終3日目は宜野湾市役所から宜野湾市海浜公園までの約7キロのコースでした。スタート地点には南コースと中北部コースの2コースがそろって、スタートをするためかなりの人数で出発式を行いました。最終日も妨害行為は南コースには少なかったが、中北部コースはとても大変だったと聞きました。4日間を通して、全国各地の仲間とともに活動をし、大きなケガもなく、夜には楽しく島酒を飲み交わせたことを財産とし、今後も頑張っていきたいと思いました。

 

 

東北地方小名浜支部 齋藤正樹

 

本土復帰47周年5.15沖縄平和行進に参加させて頂きました。私は今回が初めての参加で今までに参加してきた仲間達からの色んな体験を聞いて考えさせられてきた中での参加でした。行進前日に行われた5.15全国結団式の講演では平和憲法の意義として基本的人権の重要性や日本の憲法が世界を意識していること、沖縄と憲法の関係性について教わりました。その後、三単産・結団式の平和学習会では復帰47年の沖縄基地現状報告を沖縄タイムス記者の阿部岳さんから教えていただきました。写真や動画を交えての講演はどれも衝撃を受けるものばかりで平和行進への意欲がより一層湧きました。

行進初日、右翼団体の妨害行為が例年よりも激しく数も多く面食らう部分もありましたが前日聞いた沖縄の歴史、現状が頭の中に過ぎり妨害行為に負けないようにシュプレヒコールを上げました。

行進2日目は南部.戦跡コースでレンジャーをさせて頂きました。初めての行進でのレンジャーには不安がありましたが、行進団やほかのレンジャーの皆様の協力のおかげですごく達成感のある行進ができました。

行進3日目は中北部.基地コースと南部.戦跡コースで米軍普天間飛行場を包囲するようなコースで歩き辺野古の新基地建設反対や普天間の返還平和憲法の維持を求めて、戦地の跡を当時の思いを馳せながら完歩する事ができました。その後宜野湾市海浜公園で行われた「平和とくらしを守る県民大会」に参加しました。

今回、沖縄平和行進に参加して、今までに聞いていた話と実際に聞いた話、触れたものとでは誤差があり戦争の辛さや残酷さ命の尊さに触れ、二度と戦争のできる国にしてはいけない、沿道から笑顔で「頑張れ」と笑顔で手を振ってくれた子供達にそんな思いをさせてはならない闘いをしなければいけないと感じました。そして、沖縄の自然を破壊する新基地建設、危険な戦闘機が昼夜飛び交い県民が安心して生活が送れない米軍基地は沖縄.日本にいらないと政府に訴えていかなければならないと強く思いました。この経験を広げていき、次の世代に受け継げるように活動していきたいと思います。

 

 

東北地方小名浜支部 齋藤直道

 

本土復帰47周年5・15沖縄平和行進に参加させて頂きました。今回初参加で、参加した方々から教えて頂いたことを踏まえて、この沖縄の問題が本当に悪いことなのか、いいことなのか自分の目で確かめようと思い参加しました。

5月16日の5・15全国結団式では、現在の沖縄の状況や「沖縄には沖縄の、日本には日本の民主主義がある」これが安倍首相の民主主義の在り方であるとか、基本的人権の重要性、選挙の大事さなどを教わり、全国の仲間で、沖縄を平和にと強い意志を持って結団式が行われました。

全国結団式が終わり三単産での学習会では、「沖縄タイムズ記者  安倍 岳さん」を講師に学習会を行いました。学習会の内容は、戦争当時の沖縄の悲惨さや、現在の沖縄の問題、米軍戦闘機墜落の証拠隠滅、メディアの役割、沖縄問題は本土問題、本土は無責任など、私が考えたことがない内容ばかりで、さまざまな問題があり平和行進を風化させてはならないと意欲がより一層湧きました。

行進初日は南部・戦跡コースで県民ひろばからひめゆりの塔へ約20km行進しました。行進している途中、一般の小さい子や大人の方々が手を振ってくれたり、頑張ってなど声を頂き、命を無駄にする戦争は二度としてはいけないものだと再確認にしました。

行進2日目は、平和祈念公園から南風原町役場まで約17Km行進しました。初日より300人多い約650人で行進し、途中上空をヘリなどが飛び交いこんなものがいつ落ちてくるかもわからない、落ちたらひとたまりもないなど思いながら行進しました。

行進最終日は、宜野湾市役所から宜野湾市海浜公園まで約7Km行進しました。初めてのレンジャーをやらせて頂き、最初はわからないことがあったんですが周りの方々にサポートしてもらい充実したレンジャーを務めさせていただきました。その後、県民集会に参加しました。

今回、沖縄平和行進に参加して、戦争の辛さや戦争で亡くなった多くの命の尊さを改めて感じ、二度と戦争をしてはいけない、国は軍事力を所持してはいけない、子供達にそんな思いをさせてはならない、沖縄の問題を国民に知って欲しい絶対に風化してはいけないと感じました。そして、沖縄の自然を破壊する新基地建設、危険な戦闘機が昼夜飛び交い、県民が安心して生活が送れない米軍基地は、沖縄・日本にはいらないと強く思い、政府に訴えていかなければならないと強く思いました。最後になりましたが受け入れ等、沖縄地本の皆様ありがとうございました。そして行進団との団結が出来た事に感謝致します。この経験を広げていき、地域ごとにも原発問題などさまざまな問題を風化させないように私の周りの方々から伝え受け継げるように活動していきたいと思います。

 

 

東京支部浪速通運分会 山本勝広

 

第42回5.15沖縄平和行進に参加する機会を得ました。右翼の激しい妨害活動にあいながらも、レンジャー隊の活躍も有り最終日に抜けるような青空の元、宜野湾海浜公園に到着することが出来た。全港湾だけを見れば最年長といえる私が三日間の厳しい工程を貫徹出来たのは、若い仲間達の迸るエネルギーと、沿道から我々に手を振ってくれた沖縄県民の笑顔で有ることは他ならない。観光地としての沖縄しか考えたことのない私。今回平和行進に参加し、沖縄の現状を肌に感じ、もっと知りたい、もっと、もっと勉強しなければとそんな気持ちにさせられた。新基地建設反対と唱える一方で、基地と共に発展してきた沖縄、基地建設による自然破壊で、基地が有るが故に地元企業による乱開発が抑制されていると言う識者もいる。知れば知るほど分からなくなる沖縄の問題。右翼のやり方は暴力的で反社会的であるが、本土から来てガタガタ騒ぐな!と言う言葉が、勉強不足のままこの地にやって来た私には多少考えさせられた。また、それを決定づけたのは、最後の夕食時に起きた出来事だった。

平和行進を貫徹し、歓喜の酒を酌み交わす私達に、挨拶に立つ壇上の女性から、この後皆さんは、夜の平和行進だと連日歓楽街に繰り出して行きますが、私は女性の立場で戦後の沖縄を勉強してきました。あまり知られていない事実ですが、戦後沖縄では米軍による沖縄女性陵辱事件が多発しました。それを解決するために政府は安易に、韓国や朝鮮、本土等から慰安婦として多くの女性を連れて来ました。皆さんも労働問題、戦後の沖縄問題を勉強し、考えてくれるならば当然夜の平和行進などとおおっぴらに騒ぎ立てることは慎むべきだと…。正直この一喝に私は頭をガツンと叩かれたような衝撃を受けた。正直自分の活動の意義に迷いも感じた。そんな私に、沖縄本土最北端に立つ、祖国復帰闘争碑の一文が勇気と力、仲間が団結し繰り返し声を上げ続ける意義と必要性を教えてくれた。

「沖縄の祖国復帰は実現した。しかし県民の平和への願いは叶えられず、日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された。しかるが故に、この碑は喜びを表明するためにあるのでもなく、増して勝利を記念するためにあるのでもない。闘いを振り返り、大衆が信じ合い自らの力を確かめ合い、決意を新たにし合うためにこそありと」

 

 

関東地方横浜支部青年部長 寳納雅行

 

沖縄が本土復帰して47年第42回「5・15平和行進」が今年も沖縄の地で5月16日から20日に開催された。関東地方からはオブ参加者も含め7名で参加しました。全国結団式が県立武道館アリーナで行われ沖縄平和運動センター山城議長より明日から始まる平和行進で声をあげ国民主権を取り戻そうと団結した。戦跡コースの副団長を全港湾沖縄地本の金城雄介青年部長が担い力強いスピーチをしました。その後ホテルにて全港湾、全国一般、全日建連帯の三単産結団式、平和学習会が行われた。学習会では、講師に沖縄タイムス記者の阿部岳氏をお招きして、沖縄の現状報告やメディアの役割や存在意義など今の政府の在り方を問題定義し非難されました。三単産の団長に東北地方の矢内誠也さんが選出され団を引っ張りました。デモコースは沖縄戦でもっとも激戦が行われた「南部・戦跡コース」です。

初日は県民広場からひめゆりの塔を目指し(約18㎞)昼食を西崎運動公園にて2日目は平和記念公園から南風原役場まで(約15㎞)昼食を南城市中央公民館にて最終日は宜野湾市役所から宜野湾海浜公園まで(約7㎞)3日間をトータル(約40㎞)皆で完歩しました。梅雨入りしたはずの沖縄は晴天に恵まれ行進にも力が入り皆で反戦、反基地の声をあげ平和運動をしました。午後から県民大会が開催され平和な沖縄を!基地のない沖縄を!平和行進の総括がされました。まとめとしまして、私自身三単産副団長を立候補して行進団に声掛や団長、レンジャー、行進団の皆に負担の掛からぬよう努力したつもりではありますが至らないところもあったと思いますが、皆の力で団結して乗り越えたと思います。県民の民意を無視した今の政府の在り方にノーの声をこれからも反戦、反基地に声をあげていこうと思います。最後になりますがバーベキューや平和行進の準備をして迎えて下さった沖縄地本の皆様ありがとうございました。交通整理をして下さったレンジャーの皆様、行進団で声を枯らせシュプレヒコールをした仲間に感謝します。これからも共に頑張ろう!!

 

 

名古屋支部 高山文彦

 

今回で沖縄平和行進の参加も3回目となりました。全国の青年部の仲間と会える事は喜ばしい反面、もし基地が自分の近くに来た場合を想像すると嫌だなと思う中、沖縄県民に大きな負担をかけている事から、罪悪感と共に少しでも負担軽減に向けて、協力出来ればと思いながらの参加でした。

行進1日目に自分の中では過去最大の右のお友達の妨害を受けましたが、改めて考えると彼らこそ、県民投票の結果を受けて焦っているかなと思います。

今回、講師に来て頂いた阿部さんから紹介して頂いた基地の引き取り運動や「新しい提案」のような取り組みは素晴らしいと、思うのですが結局は沖縄の過去の歴史と今の現状を知ってもらい、関心を持って貰う事がスタートで、沖縄地本の山口委員長のお言葉にもあったように沖縄から基地が無くなり沖縄平和行進自体が無くなる事がベストだと思うので、今後も地元での運動を続けたいと思います。

阿部さんから紹介頂いたマルティン・ニーメラー牧師の言葉「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。彼らが私を攻撃したとき、私の為に声をあげる者は、誰一人残っていなかった。」との言葉が刺さりました。全日建が弾圧を受けていますが、全港湾もターゲットになり兼ねません。今後も正しい事は正しい、間違っている事は間違っていると主張し続けて行きたいと思います。

最後になりましたが、苦楽を共にした行進団の仲間と、受け入れてくれた沖縄地本の皆さんに本当にありがとうございました。

 

 

名古屋支部 青年部部長 太田 光

 

今回、2019年の第42回沖縄平和行進に参加して私は4回目の参加となりました。初めての平和行進は全港湾に加入して3年目に、一昨年には2回目の参加とし副団長、去年には団長を務め、そして今年も沖縄の地へと参りました。

今回の平和行進では視察がありませんでしたが、戦争の悲惨さ、基地の危険性、学習会で学ぶ度にいつも同じ感情が芽生え、やはり平和というものは自然に訪れないものなのだと思いました。

基地のない平和な島を実現させるために、国民の自由を奪われないために沖縄県民のみならず日本国民全体で重要だと改めて痛感しました。

最後になりましたが、一緒に行進した全国の皆さん。そして、今年も細部まで気に掛けて我々を受け入れて下さいました沖縄地本の皆さん。本当にありがとうございました。

 

 

日本海地方直江津支部  内山真治

 

今回、本土復帰47周年となる沖縄の「5・15沖縄平和行進」に参加し、最も激戦地であったと言われる糸満市や南風原町などの南部・戦跡コースの行進をしました。

行進の前日には全国団結式と平和学習会が行われましたが、辺野古新基地建設や高江ヘリパッドの影響からジュゴンやヤンバルクイナがすむ海と森の破壊、オスプレイ墜落等の今の沖縄の現状を聞き、ニュースだけでは知り得ない事を多く学びました。そして、沖縄だけの問題ではなく私たち日本国民全員の問題であることを実感し、私たちが今なにをしなければいけないのかを考えさせられました。

行進初日の最後には、ひめゆりの塔で当時の医療器具や生徒が戦場で携えていた品々があり、壁面には犠牲者の遺影、生存者の証言ビデオなどを見て、この時の悲劇を痛感しました。3日間行進をしていて時折、窓や外に出て「頑張れー!」と声があり、「戦争反対」「憲法改悪反対」などのパネルを持った地元の方々がいて、沖縄県民の声を実際に聞いて不安、怒りなどの気持ちを感じました。そして、今後平和行進に参加する後輩たちに今回の平和行進で感じた事や考えさせられた事、今の沖縄の現状を伝えていきたいです。

最後に、私たちの受け入れ体制をされた沖縄地本、行進中の車両の誘導をしたレンジャーの方々のおかげで無事に行進を行うことが出来ました。この様な貴重な体験をさせていただきありがとうございました。

 

 

日本海地方舞鶴支部 合林真吾

 

私は、今回「5.15 沖縄平和行進」に舞鶴支部代表として参加してきました。この活動に参加し沖縄の現状に反対、阻止に少しでも力になれたらと思いました。全港湾・全日建・全国一般の三単産で、南コースの先頭をがっちりと固め、シュプレヒコールを絶やすことなく続け、3日間の44kmの行進を全員でやり遂げることが出来ました。

今まで平和活動に参加したことはありますが、1日の活動であまり深く考える事は正直ありませんでした。今回、3日間の長い期間の活動は初めてで、今までにないことを感じ、考えることが出来ました。戦争は起こさせてはならない。沖縄の歴史を知り、戦争で亡くなられた人達の為にも、米軍基地はなくすべきである。米軍基地反対という考えになりました。また、行進をしている時に、車の運転手やすれ違う人達が手を振ってくれたこと、直接「頑張って」と声を掛けてくれたこと、頑張って行進しなければならないという気持ちに、その時はなりました。しかし、そうだろうか?実際に頑張らなければならないのは、その人達なのではないか。平和行進を終えた今、そう思います。勉強不足なのかもしれないが、その人達はこの活動に参加したのか?行進・県民大会にどれくらいの沖縄県民が参加していたのか?自分と同年代の沖縄県民がこの問題に興味を持っているのか?たくさんの疑問が自分の中にありました。行進中に妨害もあったが、その人達の言っていることも、正直理解出来なくはない。

毎年行われている平和行進を続けていくことは、とても大切なことだと思います。3日間の行進をやり遂げた達成感はありました。毎年、平和行進には全国から人が集まってくる。活動とはそういうものなのかもしれないが、毎年同じことをしていてもあまり意味のない気がする。興味のない人にどう興味をもってもらうか、活動にどうすれば参加してもらえるのか、沖縄全体でどう闘ってくのか、色々と考えさせられました。これからこの活動を今よりさらにいい活動に変えていってほしいと思います。この3日間は、自分にとってとても貴重な経験になりました。ありがとうございました。いつの日か「5.15 沖縄平和行進」なくなり、みんなが平和に暮らせる、そんな日が来ることを願っています。

 

 

日本海地方境港支部 井上 海

 

今回、初めて沖縄平和行進に参加して、戦争鵜を経験していない私ですが、戦争を身近に感じることができました。今、沖縄で起きている騒音問題、基地建設、自然破壊など様々な問題を目の当たりにして、沖縄だけの話ではないと思いました。また、新しく基地ができてしまえば、軍備強化に大金がさかれ、オスプレなどが空を飛び交い事故の確率が上がり、基地建設のために自然が壊されていく、市民が反対しても強行されていく工事、このままではいずれまた戦争がおきてしまい、また数えきれない人が死んでいってしまいます。全国民が手を取り合い、この事態を止めなければこの先明るい未来はありません。一人でも多くの人に、今回学んだ事を伝えていき少しでも何か出来ることがあれば、行動を起こし多くの輪を広めていきたいです。

今回、お世話になりました沖縄地本の皆さん、全港湾のみなさん、行進で共に歩いてくださった皆さん本当にありがとうございました。平和行進に限らず、参加できる事があれば積極的に参加していき、勉強をして今後の活動に役立てていこうと思います、四日間という少ない時間でしたが、ありがとうございました。

 

 

日本海地方新潟支部臨港分会 相馬健人

 

5月16日~19日の日程で沖縄平和行進に始めて参加してきました。不安と心配の中沖縄に到着し、5・15全国結団式に参加しました。結団式を終えホテルに戻り、三単産の平和学習会がありました。学習会では、沖縄の歴史や基地問題の話がされ、自分自身の戦争や平和への関心の低さを痛感しました。

行進初日は、県民広場からひめゆりの塔を目指し戦争激戦地の南コースを行進しました。途中右翼の妨害もありましたが、それに負けないシュプレッヒコールをあげ、無事に目的地まで行進する事ができました。

2日目は、平和祈念公園から、南風原町役場を目指し行進しました。初日より上り下りが激しい道のりですごく大変でした。行進が終わってから沖縄支部の方が準備してくれたBBQ交流会があり最終日に向け更に団結しました。

最終日は、県民大会が行われる宜野湾市海浜公園にむけ行進しました。ここでも、右翼の妨害がありましたが、無事に完歩することが出来ました。

今回、この平和行進に参加して自分が見た事、聞いたこと、学んだ事をたくさんの人に伝えて沖縄の問題について少しでも興味をもってもらいたいと思います。この度は普段体験できない機会を与えていただき本当にありがとうございました。

 

 

日本海地方七尾支部 柳川朋之

 

5月16日~19日、沖縄平和行進に初めて参加させていただきました。初日は全国結団式が15時~県民武道館アリーナで行われました。その中で学習会も行われ、今の沖縄の現状を改めて再確認しました。ホテルに移動し、三単産の学習会では講師の阿部岳さんを迎えて、オスプレイの危険性、米軍基地問題について学びました。オスプレイの墜落の写真や着陸の動画もあり、これが町の中に落ちたらと思うと恐くてたまりません。

行進初日は天候にも恵まれました。出発式を終え、ひめゆりの搭へ向かう南部コースを行進し、途中たくさんの妨害もありましたが、地元の人の声援もあり、なんとか行進を続けることができました。

2日目は平和祈念公園から南城市中央公民館へと向かい、到着が南風原町役場へと向かうコースでした。参加人数も600人に増え、さらに気合いの入る行進になりました。

3日目は宜野湾市役所から県民大会が行われる宜野湾海浜公園野外劇場まで行進しました。県民大会では参加人数2000人でした。今回、5・15沖縄平和行進に参加し、実際に沖縄の歴史を見て、そして触れることができました。沖縄の歴史を忘れてはいけない、そして繰り返してはいけないためにも、若い次の世代の人たちに伝えていかないと改めて強く思いました。平和行進に参加された皆様、応援してくださった現地の皆様、本当にありがとうございました。

 

 

新潟支部日本海倉庫分会 渡辺正樹

 

5月16日から5月20日まで沖縄平和行進に参加してきました。初日那覇空港に着くと雨が降っていて、その日梅雨入りの発表がされました。その後県立武道館アリーナに移り、全国結団式でおおよそ1,000人規模の中で山城議長から、沖縄の現状と平和行進の意義を聞くことが出来ました。その後ホテルでは三単産結団式を行い、全港湾の仲間と共に頑張る決意を固めました。平和学習では沖縄タイムスの記者である阿部さんから、復帰47年沖縄の基地の現状報告を聞き、沖縄への理解を深めました。

一日目に私達が歩くのは南部戦跡コースと言われ、戦時中アメリカ軍が沖縄に上陸した際、沖縄の人々が南に逃げていく足跡をたどるコースを歩きます。県民広場に集まり出発式を行い、蒸し暑い中行進が始まりました。この日は行進中に右翼の妨害を受けましたが、大きな声でシュプレヒコールを上げ、団結して歩きぬきました。ゴールのひめゆりの塔では、戦時中の生活や戦争の悲惨さを学ぶ事ができました。

二日目、小雨の降る中で平和祈念公園からの出発となりました。

行進が始まると雨も上がり、蒸し暑い中サトウキビ畑の周りや自然豊な沖縄の原風景の中を歩くことができました。沿道を歩いている時、年老いたおばあさんが手を振ってくれているのがとても心強く感じました。途中、給水所で迎えてくれる沖縄県民の方にも親切にされ、感謝し二日目も行進が終わりました。

最終日の三日目は普天間基地包囲コースで宜野湾市役所からのスタートでとても大きい列になりました。この日も右翼の妨害を受けながら、ゴールの宜野湾海浜公園を目指しました。そこでは平和と暮らしを守る県民大会を行い、大会宣言を採択し無事に三日間を歩ききる事ができました。体力的には大変な行進でしたが、沖縄の皆さんや三単産の仲間に励まされ、とてもいい経験ができました。

 

 

敦賀支部 久保田隆吾

 

僕は、5月16日から5月20日までの5日間の日程で5.15沖縄平和行進に参加させていただきました。

初日は、県立武道館アリーナにて、全国団結式が行われました。その後ホテルにて三単産結団式、平和学習会が行われました。平和学習会では、沖縄タイムズの記者である阿部岳さんにより、沖縄にある米軍基地の歴史や現状、安倍政権にて行われている事などについて学びました。

17日よりいよいよ3日間の行進が始まりました。1日目は県民広場にて出発式を行い、その後ひめゆりの塔を目指し約19キロを行進しました。僕たちは沖縄戦の激戦区であり最も犠牲者が出た南部コースを行進しました。この日僕は行進を安全に行うためのレンジャーという役をさせていただきました。かなりの大役で大きな不安もありましたが、周りのレンジャーの方々と連携を取り無事に初日の行進を終えることができました。

2日目は平和記念公園を出発し、南風原町役場を目指し約17キロを行進しました。初日には出来なかったシュプレヒコールを精一杯唱え、反戦・平和を訴えながら行進しました。

最終日は、宜野湾市役所を出発し、海浜公園を目指して行進した後、5.15平和と暮らしを守る県民大会に参加しました。県民大会では、沖縄返還47年目の沖縄の基地の問題や沖縄県民の大きな不安。また各団体の様々な取り組みについて、話を聞くことが出来ました。

この5日間沖縄平和行進に参加させていただき、改めて戦争の恐ろしさと平和の大切さ感じることが出来ました。日本が今後二度と戦争をせず、平和な暮らしを維持するために、世間を騒がせている憲法9条の改正を止めなくてはいけないと、強く思いました。この度は、このような貴重な体験・経験をさせていただきありがとうございました。

 

 

沖縄地方青年女性部書記次長 稲嶺昂太

 

5月17日(金) 平和行進 初日。心配でした。10数キロ歩くのなんて未経験でしたから。そして、人の多さに驚きました。こんな多人数を少数のレンジャーで どうやって守るのかと疑問に思っていましたが、やってみると皆で助け合って情報を共有しあって

やればできるものだなと思いました。その日は、右翼団体もたくさん いろんな場所から出没して妨害行為!これも、アメリカ軍基地があるから日本のトップが、代表が 、しっかり国民のことを考えてないからだと考えさせられました。

5月18日(土) 平和行進 2日目。この日は糸満 平和祈念公園からスタートし、ほとんど片側1車線の狭い道でした。そして、行進団の長い行列。沖縄の暑い太陽の下を大声で訴えながら長い道のりを淡々と歩く。体調を崩す人に気を配り一般者、車に気をつけながら安全に完歩しようと団結できるのは全港湾以外の団体が これをこなすことができるはずがない!全港湾 凄いと思いました。

5月19日(日) 平和行進3日目。この日は、宜野湾市役所から宜野湾海浜公園までの道のりでした。その日も右翼団体は現れ、特に沖縄国際大学付近に頻繁に現れ 同じ日本人なのにアメリカ軍の飛行機事故があったにも関わらず 反対抗議を続けてくる。少しでも同じ想いは無いのか不思議で仕方ありません。そして、無事に完歩し 沖縄の基地、平和のことを しっかり考え想い行動して下さっている方 平和行進に携わる方々のスピーチを聞き この平和行進の歴史を止め、後世に伝えていきたいと思いました!

 

 

沖縄地方青年女性部琉球港運分会 河野貴博

 

5月17日〜19日の3日間3単産の皆さん平和行進お疲れ様でした。今年初めて黒服のアンカーさせていただきました。皆様のお陰で行進団も何事も無く平和行進を終える事が出来ました。ありがとうございます。まだまだ勉強不足だと感じさせられました。沖縄の若い人達に何故平和行進をしているのか?何故、辺野古移設問題で反対なのかと質問された時上手く説明する事が出来ませんでした。青年女性部としても個人としても勉強し若い世代達に伝えていきたいと思います。そして横浜支部の皆様毎年宣伝車を貸していただきありがとうございました。

 

 

沖縄地方青年女性部琉球港運分会 高安  淳

 

私は地元ながら初めて平和行進に参加しました。初日は県庁前からひめゆりの塔まで、約20kmレンジャーとして行進団を誘導させて頂

きました。最初に思ったのが県外からもこんなに沖縄の辺野古や基地問題に関心を持ち沖縄の歴史を勉強して参加している方々が居るという事でした。私もこれを機に自分の生まれ育った沖縄の歴史をもっと調べてみようと思います。

2日目雨が降っていました。いざ出発って時には雨も上がり沖縄特有のムシムシした湿度の高い蒸し暑くなり、慣れてない方には辛い1日になったと思いますが、先導車から聴こえるシュプレヒコールを行進団全員で復唱し団結を感じました。

最終日およそ8kmと3日間では短めでした。沿道や車から手を振って応援してもらいゴール地点の宜野湾コンベンションセンターに着きました。この3日間で平和とは何か改めて考えさせてもらい団結の素晴らしさ1人では微々たるチカラも大勢の仲間との団結力で自分達の子や孫の次の世代に今より素晴らしい沖縄に変えていけたらと思います。

 

 

沖縄地方青年女性部副部長 徳里 優

 

今年初めて3日通しで黒服をしました。初日年号も代わったからか右翼さんたちも活発でした。レンジャーをしているときはうるさい奴らだなと思っていたけどよくよく考えると右の人たちも自分達の意見を言っているだけなのかと疑問に思いました。二日目、三日目も通行車などにクラクションを鳴らされたり睨まれたりしました。中

には応援や手を振ってくれる人もいました。手を振る人や応援してくれる人がだんだん増えているような気がしました。早く基地がなくなればと思っている人が増えているのかな?と思った今年の平和行進でした。

 

 

沖縄地方青年女性部沖縄港運分会 崎間晃司

 

今回初めてレンジャーとして5.15平和行進に3日間参加させていただきました。暑さと足の痛さで大変でしたが団結して何かを成し遂げるということの楽しさ、大切さ、色々なことを学ばせていただきました。この経験を生かしてこれからも青年部活動に積極的に参加していきたいと思います。

 

 

沖縄地方青年女性部マルエー物流分会 伊藤健一

 

5月17日から5月19日の3日間の日程で平和行進に参加させて頂きました。今回初めての参加で、行進の初日は不安やプレッシャーもありながらのスタートでしたが、同じ青年女性部のサポートもあり、3日間レンジャーとして行進団と共に無事に完歩する事が出来喜ばしく思います。この経験を無駄にはせず、これからも戦争反対、辺野古基地建設反対等を組合員皆んなで訴えていきたいと思います。最後に平和行進参加された皆様、レンジャーの皆様、地本の皆様ご協力ありがとうございました。そしてお疲れ様でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


全港湾の19春闘個別賃金交渉〔終報〕

回答額平均3、754円(回答率74%)
妥結額平均3、907円(妥結率81%)

全港湾の個別賃金闘争は、全闘争分会の74%が有額回答を受けたが、まだ残り26%の分会が回答待ちの状況となっている。納得できる回答額を目指して各地方賃金交渉が続けられているところではあるが、まもなく夏季一時金闘争への切替準備となってくること等から、不本意ではあるが、本日5月17日現在をもって19春闘の集計を終了とする。また、合わせて今年から春闘集計データベースの変更もおこなったことから、19春闘の回答額に関しては前年対比をおこなわず、金額の発表のみとさせていただく。
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