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集まった海陸一貫輸送をになう産業別労働組合です。

活動最新ニュース

被爆80周年原水禁世界大会 開催

被爆80周年原水禁世界大会 開催

 

福島大会

 

7月26日に行われた被爆80周年原水禁福島大会に参加してきました。原爆事故から80年を迎え、今だに世界では終わりの見えないロシア・ウクライナ戦争、アメリカによるイランの核施設攻撃等が起きている中で核が使用されています。講師の金子哲夫さんの原水禁運動の原点とこれまでの運動についての講義を聞き、福島で起きた東京電力福島第1原発の事故があったのにも関わらず日本では原子力発電を再稼働に向けて動いているのが現状です。その中で金子さんが話されていたのは原爆事故で被害に遭い被爆してしまった方の実相、核と人類は共存できないという思いを胸に諦めずに声を上げ続けることを訴えていました。

私達、全港湾でも平和運動・福島連隊キャラバンという運動を、世界から戦争や、そして原発がなくなるまでこの活動は続けていかなければいけないと強く感じました。そしてもっともっと若者が積極的に集会やデモに参加し、活動していかなければいけないと思いました。

全港湾小名浜支部青年部

松村 海斗

 

広島大会

8月4日~6日に被爆80周年原水爆禁止世界大会・広島大会に参加しました。折鶴平和行進では境港支部の仲間4名が駆けつけてくれて共に行進しました。開会総会は約2,200人が参加して開催されました。昨年の日本被団協のノーベル平和賞受賞は、長年の被爆を語る努力が、核使用抑止の大きな力となったことが評価され、被爆の実相、被爆者の証言こそが唯一無二の核抑止の力です。しかしながら、アメリカのトランプ大統領は、イランの核施設への攻撃を正当化するために広島・長崎を引き合いに出しました。到底許されることではありませんが、日本政府は抗議の意思を示していません。石破首相は広島の平和式典で、「核兵器のない世界」の実現に向けて全力を尽くすと言いましたが、核兵器禁止条約に批准しません。核抑止論では核兵器はなくなりません。また、福島原発事故は収束していないにもかかわらず、原発回帰へ進んでいます。「核と人類は共存できない」の理念のもと、被爆の実相に向き合い、現世代の責任の先に次世代への継承がある。核廃絶の強い意志と勇気を持ち、一人ひとりが当事者として、主権者として、行動の第一歩を踏み出さなければなりません。

2日目の分科会では猿田佐世さんから、労働組合にお願いしたいこととして、被爆者の平均年齢が86歳を超えるなど高齢化が進んでいます。平和運動は労働組合の肩にかかっています。外交をちゃんとおこなう政府を作るように選挙活動、組合員への平和運動の継承、外国の労働者との国際交流の3つをお願いされました。核廃絶に向けて考えなければならないと思います。

関西地方大阪支部 関谷和人

 

 

 

8月4日~6日、被爆80周年原水禁世界大会・広島大会に参加しました。

開会総会では約2,200名もの仲間が全国各地から結集し、そのなかには境港支部の仲間も結集していました。折鶴平和行進では大勢の仲間と広島市内を行進しました。開会総会では箕牧智之氏の被爆体験やノーベル平和賞を受賞するまでの活動報告があり、分科会では「話芸で学ぶ」をテーマに講談師の田辺一乃さんがビキニ環礁での第5福竜丸被爆談話や、落語家の古今亭菊千代さんの禁演落語など、日本の戦中戦後の世情をわかりやすく話されていました。私はこれらの話しを聞き、被爆体験そのものが核使用抑止になり、核兵器廃止に繋がっていくものだと感じました。大阪支部でも平和運動をおこなう上で反戦平和をはじめ、非核三原則や原発問題について学ぶ機会がたくさんあります。今回、原水禁世界大会・広島大会に参加し、原爆の強烈な衝撃に耐え、その姿を現代に残す原爆ドームをみて、そして、被爆者やその家族の方々の体験談を聞き、これに勝る学習の機会はないと感じました。今後もこの活動を継続し、たくさんの組合員がこういった機会に携わっていけるような運動にしていければと思います。

大阪支部 佐久原智彦

 

長崎大会

 

8月7日~9日にかけて、「被爆80周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」が同大会の実行委員会の主催で開催されました。

7日の開会行事は「長崎ブリックホール」で開会され、悪天候で飛行機や鉄道の遅延などもありましたが、約1,000人が参加しました。冒頭、高校生平和大使OPで現在大学生の皆さんによるトークセッションが行われました。自らの活動経験を踏まえつつ、核廃絶と平和の実現に向けた思いを率直に語り合いながら、これからの活動の展望を共有しました。その後、司会の三藤理絵さん(大会実行委員)の呼びかけで、広島・長崎をはじめとするすべての核被害者、そしてすべての戦争被害者への黙とうを、再び過ちを繰り返さない決意を込め、捧げました。

主催者を代表した川野浩一・共同実行委員長のあいさつでは、自身が5歳で被爆した経験を振り返りながら、しかし悲惨な歴史的事実と痛切な反省が忘却させられつつある危険な日本の現状を指摘されていました。また、パレスチナ・ガザ地区をはじめとする厳しい世界情勢にもふれ、そして、「唯一の被爆国」を自称する日本政府が核廃絶に背を向けていることを批判し、反戦平和の先頭に立つことを求め、そのためにともにがんばろうと訴えていました。

続いて、来賓の長崎市の柴原慎一・副市長が、鈴木史朗・市長からのメッセージを代読されました。その後、海外ゲストや被爆体験者訴訟第二次原告代表、全国から集まった第28代高校生平和大使・高校生1万人署名活動のメンバーが登壇し、それぞれからの決意表明が行われ、谷雅志・事務局長から大会基調が提起され、「被爆80年」への注目を一過性のものとせず、山積する課題の解決に向け持続的にとりくむことが、核なき世界へと繋がっているとしたうえで、若い世代に継承するだけではなく、現世代がしっかりと役割を果たしていくことを訴えました。最後に「原爆許すまじ」を斉唱し、閉会しました。

8月8日、「被爆80周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」2日目は6つの「分科会」のほか、「ひろば」、「フィールドワーク」が行われ、全港湾は第2分科会の「平和と軍縮Ⅱ 日本国内の動き」に参加し、「戦争できる国づくり」から「戦争する国」へと、日本政府による軍備拡張が進められていること、戦後80年を迎えた今日、沖縄・九州・南西諸島のみならず日本全土を巻き込んだ基地機能強化が進み、その先に改憲を実現し、先の戦争の反省を基に築き上げてきた「平和主義」の方針転換をはかろうと目論む勢力があることを学びました。

最終日の8月9日には、閉会総会が長崎県立総合体育館アリーナで開催されました。猛烈な降雨のなかでしたが、約870人の参加がありました。まず、米村豊・現地実行委員長から主催者あいさつでは、核使用の危機が高まる世界情勢を踏まえつつ、「核抑止」の虚構性を指摘され、核廃絶に向けともにがんばる決意が表明されました。

続いて谷雅志・事務局長が3日間にわたる長崎大会全体についての総括があり、第28代高校生平和大使と高校生1万人署名活動のメンバーが登壇し、それぞれの思いが述べられました。

また、「特別報告」として、佐賀県平和運動センターの宮島正明・事務局長より、オスプレイ配備に伴う自衛隊基地強化の問題、そして放射性廃棄物最終処分場選定に向けた玄海町での文献調査の動きについて、それぞれ報告がありました。

最後に「大会アピール」(全文を本記事下部に掲載)を全体で確認し、集会を終了しました。悪天候のため「非核・平和行進」は中止し、参加者はそれぞれ爆心地公園に移動しました。爆心地公園では、原水禁を代表して川野浩一・共同実行委員長が慰霊碑に献花され、幸い11時2分には雨も上がり、多くの人びととともに長崎の、広島の原爆犠牲者、そしてすべての核被害者の皆さんに黙とうを捧げました。

今回の大会には、中央本部1名、九州地本2名、長崎県支部19名、各地方からのオブ参加5名、総数27名が参加しました。

 

 

 

機関紙「港湾労働」

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