第40回沖縄平和行進に参加して

第40回沖縄平和行進に参加して

 

関西地方阪神支部 坪井雄志

 

私はこの平和行進は3回目の参加です。

1日目に行われた全国結団式では各人の話を聞いて共謀罪法成立を狙う与党、そして、米軍基地を沖縄に押し付ける政府に対し、不安と怒りを感じました。

三単産結団式内で行われた崎原真弓氏による平和学習会は歌、芝居、琉球空手等これまでの学習会と違って大変斬新な内容ではありましたが「沖縄の歴史」が理解しやすく、また、普段は意識できませんが私たちが生活していく上で「平和がいかに大事か」また、平和な日常は決して当たり前ではない」ということが分かりました。

行進1日目はレンジャーをしましたが自分自身が思うようにはうまくいきませんでした。しかし、黒レンジャー、班長、行進に参加された皆さんの協力のおかげで最後までやり抜くことができました。

行進2日目は天候悪化が予想されたため午後からは中止になり、非常に残念ではありましたが、1日目の行進の疲れ、翌日の県民大会を前にいい休息になったとも感じました。

行進3日目は県民大会終了後、行進が行われましたが辺野古の海を眺めながらの行進はとても爽快な気分にさせられたとともに連日、辺野古新基地建設工事に抗議するカヌー隊の私たちに対する歓迎はとてもうれしく感じました。

行進終了後の視察学習会では辺野古の浜を歩きましたが米軍新基地建設予定の砂浜にはフェンスが張られ、数メートル先の砂浜がとても遠くに感じられました。

嘉数高台では一番高い所に登ると普天間飛行場が目に入り、オスプレイが数機停まっているのが見受けられました。また、戦闘に使用された塹壕、銃弾を受けた石、京都府出身者、朝鮮出身者の慰霊碑等々があり、穏やかな雰囲気の場所にあるにも関わらず、なぜか重い空気を感じました。

沖縄が本土に復帰して45年が経ちましたが今もなお、在日米軍基地が70%も存在し、辺野古への県内移設という政府の圧力を受けています。この現状に対し、私は「勝つ方法はあきらめないこと」という言葉を柱とし、運動に取り組まなければと感じさせられました。

 

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

横浜支部 有賀 悟

 

今回、初めて参加して何もわからず参加しましたが命の大切さや戦争の悲惨さを改めて感じる事が出来ました。最初はキツイなぁと思いながらやってたんですけど地元の人や行進団の方々の応援や思いを感じて最後の行進の日のシュプレヒコールを1発目に、やらせていただいたんですけどものすごく気合を入れて思いを込めてやることが出来ました。また参加したいと思いますけど少しでも早く平和行進という運動が無くなればいいなと思いました。ありがとうございました!

 

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

関西地方神戸支部   中川 秀直

 

今回、初めて沖縄平和行進に参加させて頂きました。平和学習会でのお話しを聞き自分の子供と重ねてしまい、もの凄く悲痛な思いをしました。行進では沖縄の戦時の中で一番の激戦区である、南コースを歩きました。行進を重ねる度に沖縄の歴史と悲惨な戦争の爪痕、そして今沖縄が抱える現状を身を持って感じる事が出来ました。この貴重な経験を持ち帰って、分会で話しをし一人でも多くの人に伝えていきたいと思います。このような貴重な経験をさせて頂いた全国の仲間への感謝と沖縄から米軍基地が無くなる日まで共に闘いましょう。本当にありがとうございました。

 

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

関東地本横浜支部東分会 清水 聡

 

2017年5月15日沖縄平和行進を終えました。三日間、レンジャーという形で参加し、行進をする中でたくさんの事を感じ、学びました。正直、メディアの情報程度の知識しかない状態で、県民の方々が抱えている問題も客観的な感覚でした。しかし、一日目の崎原真弓さんによる、学習会で、その客観的感覚が一気に消えていくのがわかりました。崎原さんのおばぁの語りで、気が付くと、涙を堪えていました。戦争は二度としてはいけない。戦争は悲しみしか生まないという言葉を34年間生きてきて、初めて心から思えた気がしました。そのために、自分達が沖縄県に来て、平和行進をやる事の意味を知りました。

又、自分がやれる事を考え、レンジャーを志願し、行進団を守り抜き、平和行進を完成させる事で形にしました。沿道から、拍手や手を振ってくれる県民の方々、すれ違う車の中から手を振ってくれた方々もいらっしゃいました。同じ思いを持っていても、行進に参加できなかった方々の思いも乗せた行進団を、レンジャーとして守れる事を誇りに思えました。行進二日目は雷雨により、午後から中止になってしまい、最終日の行進を心配しましたが、三日目には暑いくらいに晴れて、中部コースと戦跡コース、心を一つにして行進しました。右翼団体勝っていたシュプレヒコール。それに答えるようにいつも以上に声を張り上げる行進団。「団結」を目で見る事ができました。全国の仲間との交流も深まり、また必ずどこかで。と挨拶をし、沖縄を離れました。今回、2017.5.15 沖縄平和行進に参加でき、本当に良かったと思います。

沖縄に、もう慰霊碑や、戦争の傷跡はいらない。

一日でも早く基地問題が解決し、綺麗な海と自然がいつまでも守られ、素晴らしい県民の方々が静かな沖縄で幸せに暮らせる事を祈る思いです。

 

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

関西地方神戸支部 西尾優次

 

今回、2017年の第40回沖縄平和行進に初めて参加させていただきました。私個人的な話になりますが、私の親が沖縄出身であり、沖縄の日本返還を目の当たりにしてきた世代で、少しながら話を聞く機会がありました為、私自身も普段行き慣れた沖縄とはまた違った、沖縄の事情を知るいいきっかけになればと思いました。

初日は空港で沖縄地方本部の方に暖かく迎えて下さり、ホテルからは全国から集まった多くの仲間と合流し、3日間の平和行進を一致団結して頑張りぬこうと誓い合いました。行進初日は天候にも恵まれた暑い陽射しの中、沖縄県庁からスタートし、ひめゆりの塔へ行進。私は慣れない日差しや暑さに負けそうになりましたが、皆の熱い気持ちや、地元の温かな応援おかげで自分の気持ちを奮い立たせて完歩することが出来た。

2日目は生憎沖縄の梅雨入りと重なり、激しい雨風の中、平和祈念公園から行進。生憎悪天候の為に、予定していた行進を全て完歩出来ずに終わったのが、大変残念でならなかった。

3日目は瀬嵩の浜から大浦湾を行進、その後、辺野古と嘉数高台を視察。辺野古は基地を移設し新しく建設しようと計画されていますが、昔からの守られている自然や風景などを見て、壊されようとしているのをなんとしてでも阻止すべきだと感じた。

各地域を自分の足で歩き、実際にその目で見て、戦争当時、戦争とは無関係な人々が、争いの火に焼かれ逃げ惑い、見つかれば敵に殺されてしまう、悲惨な状況の中で犠牲になってしまうことを思うと、とても胸が締め付けられた。米軍基地に関しても、基地がある事によって潤っていた、かつての時代は終わりました。一日でも早く沖縄にある基地を全て日本に返還され、私達自身の自らの手で沖縄の平和と発展を守る為に行動する時代がきたのです。また、かつての無益で愚かな戦争を繰り返さない、自分達の手で未来の子ども達のために、そして自身の大好きな家族がいる、母なるこの素晴らしい沖縄の平和を守るべきだと強く願い、そしてこの平和行進で学んできた事を、今後の活動に繋げ、役立てていきたいです。

 

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

沖縄地方本部青年女性部部長 與儀泰寛

 

本土復帰45周年になるこの沖縄の地で今年も第40回「5・15平和行進」が行われた。今年は「中部・基地コース」と「南部・戦跡コース」の2コースに分かれて行進をした。私は「南部・戦跡コース」の副団長という大役を担い参加させてもらいました。初めて南コースの行進団の副団長をしましたが、不慣れで多々ご迷惑をおかけしたと思いますが周りのサポートもあり責務を果たせたかと思います。

初日は、炎天下のなか県庁前の県民広場をスタートし、ひめゆりの塔までのゴールを目指し、戦争はしない、静かな生活を守るため、辺野古への新基地建設反対などの思いを胸に力強いシュプレヒコールを掲げ行進した。二日目は雷雨の中、糸満市の平和記念公園を出発した。行進中、幾度となく雷鳴が響く最中、大雨にもひるむことなく行進団はゴールの南風原町役場のゴールを目指し行進したが、天候の悪化により不本意ではあるが行進を中止せざるを得なかった。今では舗装された道路を使っているが、戦時中は道なき道を暗闇の中どこから銃弾が飛んでくるかもわからないし、砲撃される不安を背に歩いていた当時の戦況を思うと激しく胸が痛む。その恐怖は計り知れない。最終日は、「平和とくらしを守る県民大会」が名護市の大浦湾・瀬嵩海岸にて行われ、短い距離ではあるがわんさか大浦パークまでの約二キロの道を平和を願う思いを一心に行進団一致団結して平和行進を終えた。

沖縄ではオスプレイの夜間飛行訓練は午後11時を過ぎても爆音を響かせながら我々の上空を飛んでいるのが現状である。騒音被害も日に日に増している。また、緊迫状況が続いている北朝鮮の情勢を考慮すると、基地のある地域にとっては標的にされるリスクが高い事もふまえると、やはり基地の撤去はどうしても必要不可欠なのである。戦争をしても何ら得はしない、何も生まれない。ただ、憎しみと痛みだけが残るだけである。現世の我々が戦争の重みを受け止め後世の平和な暮らしを守ることを第一に考えていくことが大切だ。基地のない平和な島を実現させるために、国民の自由を奪われないために沖縄県民のみならず日本国民全体で重要だと改めて痛感した。

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

関東地本横浜支部青年副部長 鶴岡勇輔

 

今年で40回目となる、5.15沖縄平和行進に参加させて頂きました。私は去年に引き続き二回目の平和行進と言うこともあり去年勉強したこと、失敗したこと、持ち帰ったこと。今年一緒に行く初参加の仲間達と共有し三日間完歩出来たと思います。

これは去年私が肌で感じた、先輩達が作り上げてきた運動を「継ぐ」に近い事やと思ってました。ですが、初日に沖縄地本の永山書記長から頂いた挨拶の「来年、再来年にでもこの運動は終わらせて欲しい。」この言葉を聞いて見えてなかった事がすぐ解りました。

受け継ぐ事だけに慢心せず、目的を達成する為にどうするか、何が出来るか、を支部に持ち帰って仲間と話したいと思います。

初日の崎原真弓さんの講話、辺野古の浜で基地反対派の私達に向けられた現地の方のあの表情、嘉数高台で聞いた激戦の話もとても勉強になりました。そして、改めて戦争の悲惨さ、平和の有り難さ、今日本が抱えてる問題を認識し、これからに活かして行きたいと思いました。

最後になりましたが、一緒に行進した全国の皆さん。そして、今年も細部まで気に掛けて我々を受け入れて下さいました沖縄地本の皆さん。本当にありがとうございました。

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

日本海地方七尾支部   古濱陽介

 

5月11日~14日、沖縄平和行進に初めて参加させていただきました。不安と緊張のなか沖縄に到着し、5・15全国結団式に参加しました。ホテルに移動し三単産の平和学習会では、講師に崎原真弓さんを迎えて、沖縄戦争、琉球の歴史を学びました。そこで自身の戦争・平和への知識の低さに痛感しました。悲惨な戦争の話には胸が苦しくなり、明日からの平和行進への意気込みが強くなりました。

行進初日は天候にも恵まれ出発式を終え、ひめゆりの塔を目指して、戦争激戦地の南部コースを行進しました。不馴れながらシュプレヒコールにも挑戦し沢山の命が奪われたこの地を一歩一歩踏みしめて行進しました。

二日目は雷、ゲリラ豪雨のなかレンジャーとして行進に参加しました。雨で足が重く疲れた体には、地元の人の声援が心強く最後まで行進することができました。

三日目は県民大会に参加し、わんさか大浦パークを目指し最後の行進をしました。シュプレヒコールにも力が入り、参加者が一体となって平和を訴えました。現地で体感した平和行進は貴重な体験であり平和への願いを改めて考えさせられました。

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

関西地方阪神支部 篠崎謙悟

 

沖縄が本土に復帰して45年目となる節目の年に沖縄平和行進に初めて参加させていただきました。出発前はテレビやインターネットなどのメディアでしか沖縄の現状を知ることができず、何が本当のことなのか分からないというのが正直なところでした。沖縄の地を歩き本当の現状というものを自分の目でしっかりと見てこようと心に決めていました。

実際に沖縄に着き移動する中で至る所にアメリカ軍の基地があり、フェンスが道や町を分断しているのを目の当たりにして衝撃を受けました。

また、行進最終日には辺野古の海を歩きこのような美しい海を埋め立てて自然を壊して新しい基地が建設されようとしていることにとても憤りを感じました。

嘉数高台からはオスプレイが配備されている普天間飛行場を望み、かつて沖縄戦で一番の激戦地であった地に今もアメリカ軍の基地が堂々と存在していることにとても違和感を覚えました。

平和行進は無事に貫徹することができましたが、行進を終えたから沖縄の事を考えるのも終わりではなくこれからも沖縄の基地問題についてずっと考えて行動していこうと思います。

基地問題と共に、戦跡地を歩いて学んだ戦争の悲惨さや無意味さ、初日に講話をしていただいた崎原真弓さんの話のなかで学んだ命の大切さなど、沖縄に来て自分が見たこと聞いたこと学んだことを一人でも多くの人に伝えて沖縄の問題について興味をもってもらえるようにすることが平和行進の最大の責務だと考えています。今回の経験を普段の組合活動にも活かし邁進して参ります。このような機会を与えていただき本当にありがとうございました。

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

東海地方清水支部副部長 新庄 巧

 

みなさんお疲れ様でした。今回初めて参加させていただきました。去年から副部長になり青対とは何をしているのかわからず、今回は少しでも勉強しようと思い参加を決意しました。今回参加させてもらいよかったなと思うことは全国の仲間と意見交換、また、話をしたり仲良くなれたのが1番よかったかなと、率直な感想です。

労働講座では、いままでの全港湾の歴史、法律の話、組合の話、色々ありました。また分科会では全国の港湾の人と話し合い、みんなで考えて答えを出していきました。自分の考えと全然違うなとか、そんな考えもあるんだと、すごい参考になりました。今回の自分が思ったのは、港湾の仕事は決して楽ではありません。昼も夜も働いて肉体的にも大変だと思うのでもっと賃上げをしてもらいたいなと思いました。

そのためには自分一人では何もできません。自分が大事、生活が大事、仲間が大事みんなで同じ意見をもち戦っていかないと行けないと思います。組合に入っている以上、逃げない。

清水支部の青年部のみんなにも、どんどん話をして意識を変えて行けたらいいなと思いました。今回は自分が参加したんですけど、まだまだ勉強不足な所もありますが1つ1つ覚え仲間に伝えていきます。もっといろんな人に青対に参加してもらいたいと思います。

ありがとうございました。

 

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

東海地方清水支部 斉藤竜樹

 

今回初めて青対、労働講座に参加させていただきありがとうございました。自分は現在、東海埠頭(株)の執行委員をやっています。今回の青対、労働講座に初の参加の為、不安もありましたが、執行委員を通して多少組合業務には関わりがあるので、ちょっと自信もありました。ですが、労働講座が始まり全然分からない事だらけでした。そして、この労働講座を通じて、組合の事をもっともっと勉強したいと思いました。

特に気になったのが、時間外分母です。2025年までに149時間になるとの事ですが、本当に149時間になるのかな?と疑問に思います。また、東海埠頭(株)は港湾年金に加入していないので、これからの港湾年金の動向も気になります。また、全国の青年部の方々と貴重な話、いろいろな話が出来ました。6大港の役割や地方港の役割、各地方により労働条件もさまざまだと思いました。懇親会では、熱い議論もしました。その中で沖縄の方との話の中で、米軍基地やオスプレイの問題等、現地の方に聞かなければ分からない話も沢山し、沖縄平和行進にも行ってみたくなりました。今回の青対で一番感じた事は、今回来ている皆の思いは一つで、皆の団結が目に見えて分かりました。

現在東海埠頭(株)の青年層では、組合に対する意識がかなり低いと感じます。今回の労働講座、青年対策交流集会で勉強した事を一人でも多くの仲間に伝え、浸透していけるように頑張ろうと思います。今後、縁があれば、青対等に積極的に参加し勉強したいと思います。今回の労働講座、青年対策交流集会は本当に勉強になりました。ありがとうございました。

 

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

東海地方田子の浦支部  小泉好秀

 

4月21日から24日にかけて、小樽港湾センターで行われた第50期労働講座・   第20回青年対策交流会議に参加させていただきました。今回は労働講座と青年対策交流会議の合同開催で、全港湾の歴史や労働組合の基礎知識、問題など、この講座を聞かなければ知らなかったことがたくさんありました。これからもっと港湾を取り巻く環境は厳しくなると思うので、知識を身につけて今後に生かしていきたいです。

分科会では各支部、各地方により温度差があり、いろいろな意見や各地方の活動を知ることができこれからの青年部活動の参考になりました。

今回参加して、大変貴重な体験をすることが出来ました。学んだことを青年部員伝え、もっと一人一人の意識を高めて行きたいです。

 

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

東海地方田子の浦支部 佐藤伸行

 

2017年4月21日から24日にかけて小樽港湾センターで第50期労働講座・  第20回青年対策交流集会に参加しました。開催地の北海道地方の方々ありがとうございました。労働講座では松本委員長、真島書記長、鈴木副委員長、鈴木中執より講演をして頂き、全港湾の歴史、労働組合の取り組み方、港湾労働法制定のたたかい、地方港について学びました。その中で鈴木福委員長が「私もまだ勉強している。これからも続いていく」といったお話しがあり、自分も頑張らないといけないと思いました。

分科会では全港湾の長所・短所、団交の取り組み等の討論を行いました。

各支部同じ悩みを抱えていて、他支部の取り組み方を知る事ができこれからの活動に生かしていきたいと思います。この4日間で学んだ事を組合員と協力しより良い職場を築けるように、組合活動をがんばります。

 

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

北海道地方 工藤恭平

 

5月11日~14 日まで第40回5・15沖縄平和行進に参加させて頂きました。今回初めての参加と共に三単産の団長を勤めさせていただきました。

行進の初日も不安とプレッシャーに押し潰されそうになりながらスタートしましたが、行進経験者の仲間や沖縄地本の青年部にサポートして頂きながら炎天下の中シュプレヒコールをし、声を掛け合いながら無事にひめゆりの塔まで完歩することができました。疲労を忘れさせるくらいの達成感が見に染みたのを今でも忘れられません。  2日目は雨風と雷に見舞われ、行進事態が中止になるかいなかになる中、出発式で我々はこの天気にも負けないぞという言葉と共に始まりました。今まで体験したことのないスコールに逢い、皆ずぶ濡れになり行進しました。残念なことにそこでシュプレヒを途切れさせてしまった事を自分の非力さに憤りを感じました。無事に休憩地点に到着しましたが午後からの行進が中止になってしまいました。仲間からここまで来たのだから最後まで歩き抜きたかったと聞こえとても残念でした。  そして最終日、コースは短いもののこれまでの集大成とも言える素晴らしい行進になりました。皆一丸となり声を上げ拍手まで起こり、思い出すだけで鳥肌が立ちます。  今回の体験で「平和」という二文字がどれ程重い言葉かを改めて実感しました。いつ米軍が堕ちるかわからない恐怖、米兵の減らない犯罪、いつ我が身に犯罪が降りかかってもおかしくない状況の中、暮らす人々がいること、本当にこの沖縄、そして日本という国を今一度見つめ直す機会を頂きました。そしてこれから共謀罪という壁が我々の前に立ちはだかってきます。平和を訴えただけで犯罪になってしまうかもしれない、些細な冗談すら犯罪として取り締まられ自分の生活、家族、そして人生までも狂わされてしまうかもしれない状況がこれから始まろうとしています。  この沖縄平和行進で皆と共に一歩一歩前に進み貫徹できた力、そしてです手を取り合って作った絆があればどんな事にでも立ち向かって戦っていけると思います!!これからも全港湾青年部団結して頑張っていきましょう!!最後になりますが受け入れ体制を取って頂いた沖縄地本の皆様、全国から集まった三単産の皆様本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。

 

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

北海道地方 伊藤勇武

 

この度、5/12~15の日程で開催された5・15沖縄平和行進に参加させていただきました。

行進初日は、気温30度を超える中で目的地のひめゆりの塔を目指し約19kmを完歩いたしましたが、浴びた事のない日差しが容赦なく照り付け宿舎に戻る頃には腕が見事にツートンカラーになっており、現地の方がなぜ長袖を着ているのかを理解しました。

2日目は行進開始前から荒天に見舞われ、北海道にはない梅雨というものを体験し約3時間雷雨の中行進させていただきました。いずれの中での行進は非常に辛く、休憩中も言葉を発する事すらできない位に疲弊しておりましたが、72年前いつどこから飛んでくるかも分からない銃弾に怯えながら暮らしていた方々の日々を思うと現在の日本の向かおうとしている所が非常に危険で絶対に阻止しなければならない状態である事を再認識いたしました。

今回の経験を地元に持ち帰り、他組合員に留まらずに共有したいと思います。本当にありがとうございました。また、本行進開催に際しましてご尽力いただいた中央本部の方々、現地受け入れ・期間中にご協力いただいた全港湾沖縄地本の皆様。そして、全国各地より終結する仲間の路程を完璧にご手配いただいたリウボウ旅行サービスの盛田様には紙面をお借りして重ねてお礼を申し上げます。

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

日本海地方直江津支部 井田一馬

 

今回、沖縄平和行進は初めて参加させてもらいました。沖縄の戦争の話を聞いて、とても悲しい気持ちになり、戦争は2度と起こしてはいけないという気持ちが一層強くなりました。行進ではとても暑くて距離も長く疲れましたが、シュプレヒコールやレンジャーなど積極的に参加できて良かったです。あと、海がとても綺麗で感動しました。

今は、平和なのが当たり前ですが、それを当たり前と思わずこれからも何か自分にできる事があれば積極的に取り組んでいきたいです。このような機会を与えてもらってとてもいい経験になりました。ありがとうございました。

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

関東地方鹿島港支部 高木 涼

 

5月11日から5月15日の5日間の日程で5・15沖縄平和行進に参加しました。

15日には講師の崎原真弓さんによる「琉球の歴史から学ぶ平和行進のちむぐくる」

という内容の学習会がありました。この学習会で改めて戦争の悲惨さや平和と命の

大切さ「命どう宝」の意味を知りました。

12日から行進が始まりました。 12日はとても暑い中での行進だったのですが皆で歩き

きりました。行進 2日目は、雨、雷が酷く午前中の行進のみとなってしまいました。

行進最終日には、前日に悪天候でできなかった分、凄く大きな気合いの入った

シュプレヒコールで鳥肌がたつくらい凄いものでした。現地の方々からも「ありがとう!」

や「頒張って!」と声をかけてもらい、微々たるものですが少しでもカになれたのかなと

思います。

5日間という期間ではありましたが様々な機会を通して沖縄の基地問題への無関心を

無くすよう伝えていきたいと思いました。最後になりますが、受けいれて下さった沖縄地方の皆様ありがとうございました。

 

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

関東地方鹿島港支部 山本 恭平

 

1日目は平和学習会で琉球の歴史を学びました。自分が知らなかった事もたくさんあり戦争の恐ろしさ、争いは憎しみや悲しみや痛みしか生まれないなどの話を聞き、戦争はもう絶対にやってはいけないと思いました。沖縄の混状や新基地問題などを知ることができました。この学習会を聞いて気持ちが変わり、平和行進を沖縄のため、日本のためにやらなくてはいけないと思いました。5月12日から 3日間の行進が始まりました。

5月12日は南コースでした。南コースは那覇市役所からひめゆりの塔まで行進をしました。沖縄の中で1の激戦区を歩き、心が痛みました 5月13日は、悪天候により午前だけしか歩けなくて残念でした。しかし、この雨が鉄の弾じゃなくてよかったです。もし戦争だったら雨ではなく鉄の弾だったと考えると恐ろしく、今は平和でよかったなと思いました。

行進最終日は先日の雨で歩けなかった分、この最終日で気持ちを入れて行進しました。この行進3日間、沖縄住民の皆さんの声援が凄くて声援をされる度に体が震えました。私は初めての平和行進参加でしたが、参加して本当に良かったです。全国の仲間と交流をし、紳を深められて良い関係を築きあえました。沖縄から基地が無くなる日が来ることを願っています。

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

沖縄地方本部青年女性部 垣花勇樹

 

今回5.15平和行進へ初めて参加させてもらいました。三日間レンジャーとして、不慣れながらもなんとか行進団と一緒に最後まで歩くことが出来て一安心しました。

私自身、今回の南部コースで初めて通る道も多くなぜこのコースを行進するのか分からずに歩いていましたが、山形の塔や白梅の塔など戦時中に沢山の人がここで命を落としたのだと知って、戦争の悲惨さを感じながら南部コースを歩きました。

平和行進三日目、辺野古での行進後、辺野古の浜と宜野湾の嘉数高台へも視察に行きました。テレビでしか見たことがなかった辺野古の海を実際に見て、とてつもない面積を埋め立てして基地を造ろうしているのだと初めて実感しました、こんな綺麗な海に基地はいらない、絶対に基地は造らせてはいけないと強く思いました。

今回の平和行進に参加して、沖縄にいる私自身が普天間基地の問題や辺野古移設の問題に関して一番無関心だったと改めて気づかされとても考えさせられました。

平和行進を通して感じた思いを忘れることなく、これからの活動に活かしていきたいと思います。

 

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

沖縄地方本部青年女性部書記長 金城雄介

 

今年も、無事に5.15平和行進が終わりました。 初日は、暑い中30分遅れで完歩できたので良かったと思います。 途中、もっと遅れるのではと思ったが30分遅れなので皆んな頑張ったと思います。 2日目は、大雨の為に午前中で打ち切りになったので、物足りないと思います。しかし、雷や雨、風が強い為、中止にするのは仕方ないな事です。 BBQでは、雨のため皆んなが集まって飲食が出来なかったのがとても残念です。来年はもっといい方法を考えたいと思います。 最終日は、レンジャーの一員として参加しました。レンジャー自体が慣れてない人達だったので、私が後列から前列まで行ききし、レンジャーに声を掛けながら歩行者にも声を掛けて約2キロぐらいを歩きました。 今年は、裏方という、とても大変なポジションになり、色んな勉強を出来たことを、また来年に活かしたいと思います。

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

沖縄地方本部青年女性部会計監査 松原 翔

 

5月13日〜14日の二日間5.15平和行進に参加しました。去年に続き今年も先導車で行進団の皆さんの先頭をやらしてもらって去年よりはスムーズにできるかと思ったんですが行進団との距離やスピードなどまだまだな所もたくさんありました。また雨で行進が中止になったり夜の懇親会のバーベキューの時も雨が降りうまくいかないことがありましたがこの経験を無駄にしないで来年にいかしていきたいと思います。お疲れさまでした。

 

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

沖縄地方本部青年女性部副部長 白石善秀

 

初めて行進、黒服レンジャーをしました。 初めは最後まで歩けるのか?黒服レンジャーを任せられて最後までレンジャーをまとめきれるのかなど色んな心配が正直ありました。 でも、全港湾を初め色んな人の協力、助け合い、を肌で感じて正直直ぐ終わった感じです。 こんなにも全国の協力が有るとは正直思いませんでした。 自分自身の考えもかわりました。正直余り興味がなかったのが正直な所です。 でも今は全国の色んな平和運動に参加してみたいと思いました。 また来年も参加して楽しみたいです。 ありがとうございました。

 

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

沖縄地方本部青年女性部副部長 山城 隼

 

私は全港湾沖縄地本青年女性部副部長の山城隼です。 私は沖縄平和行進レンジャーを5年連続務めています。 最初の2年は赤レンジャーの班長を務めて3年目からは交通責任者のアンカーを務めてきました。 今年の平和行進はこれまでより行進者が年々少なくってる事で従来通りの東コース西コース南コースとは違って南部コースと中部コースの2コースになってしまった事が悔しかったです。今回も南部コースの交通責任者のアンカーを務めてさせて頂きました。 今年は平和行進が行われる中の梅雨入り予報があり心配でしたが行進の初日どうにか晴れてくれて県庁前からのスタートでした。行進を始めて約400メートル歩いた所の交差点ですぐに警察官の誘導により行進団半分ぐらいから赤信号で止められてしまい、これではデモ行進にはならないと警察官に抗議するも全然聞いてくれず、しまいには勝手に交差点の交通誘導するなって言われどうしようもなくなり、それからは交差点では行進団止められては、前の行進団たちまで追い付くように駆け足させてはの繰り返しをさせてしまい初日の行進は後方の行進者には大変な思いをさせてしまい反省とこれからの課題になってしまいました。この問題は来年の平和行進に向けて平和運動センターとも沖縄地本青年女性部で話し合いをして解決したいと思います。 行進の二日目は梅雨入りに入りスタート直前から雨に見舞われてしまいましたが交差点も少なく順調に行進してましたが午前中の途中から大雨と雷注意報が発令してしまい午後からは中止となってしまい今まで自分が参加してからは初めての中止だったのと二日目の行進が完歩出来なかった事がとても悔しい思いでした。 三日間は辺野古での行進で梅雨入りにもかかわらず天気に恵まれて2㎞と短い行進でしたが無事に完歩できました。今年も三日間行進団を事故ケガもなく無事に完結する事ができ良かったです。 2017年沖縄平和行進のまとめとして今年もたくさんの本土参加者がレンジャーのご協力もあり、また懇親会などで全国の青年女性部と懇親を深める事ができました。 三日間お疲れ様でした。本当にありがとうございました。 これからも全港湾沖縄地本青年女性部は辺野古新基地を絶対作らさない、そして沖縄から全基地撤去訴えていきます。未来の子供たちの為、沖縄の平和目指して戦っていきます。

 

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

沖縄地方本部青年女性部八重山港運分会 宮城光都

 

沖縄平和行進に参加するにあたってレンジャーとして皆様と行進を共に行いました。

私が参加したコースは南部・戦跡コースとなり一日目は那覇市の県庁前県民ひろばより出発し最終目的地の糸満ひめゆりの塔までのコースでした。

二日目は糸満市の平和記念公園より出発し最終目的地である南風原町役場までの予定でしたが初日の天気とはうってかわって雨の中での行進となり、時折雷や目の目が見えなくなるほどの豪雨に見舞われ、思うように行進が捗らず、午後の行進は中止となりとても残念な結果となりました。

三日目の最終日は名護の瀬嵩海岸にて県民大会が行われ多くの方々が参加されました。瀬嵩海岸より行進を行い、わんさか大浦パークまでの短い距離でしたが、合計三日間という期間の中で誰一人として事故にもあわず行進できたことに達成感と安堵感を感じることができました。

今回私は二回目の参加となりましたが、全国から集まる仲間がいることを再認識することができ、沖縄の現状が全国各地に伝わることが何よりも大切な事だと思いました。

 

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

沖縄地方本部青年女性部八重山港運分会 上地 圭

 

今回初めて平和行進に参加させてもらいました。石垣島からの参加で、わからない事が多く、不安な気持ちでの参加でした。

私は、行進を安全に整然と進めるためのレンジャーという交通整理部隊として参加しました。何組かのチームに分かれて行動したのですが、他府県から来た初めて会った仲間達と大きな声を出しながら頑張ることで、最後まで任務を果たす事ができ、一体感や達成感を感じることができました。

夜の懇親会では全国の仲間たちの明るく友好的な人柄で会話も盛り上がり、楽しい時間を過ごすことができました。また、話をしている中で、皆さんが日頃から組合活動に積極的に参加している事がわかり驚きました。自分の勉強不足や意識の足りなさを恥ずかしく感じました。私の分会の仲間達にも参加してもらい、同じように感じ、意識を変えてもらいたいと思いました。

一番強く感じたことは、全国にはこんなにも頼もしい仲間たちがいるのだと、三日間一緒に行進した事で実感しました。平和行進に参加して戦争の悲惨さ、恐ろしさを学び、もう二度と戦争を起こさない世の中を作るために全国の仲間たちと一緒に闘っていこうと思いました。

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

香川県支部   尾崎   達也

 

5月11日から15日の5日間の日程で三単産結団式、5・15沖縄平和行進に参加をしました。四国地方からは私を含めて5名が参加をしました。11日の夕食後に平和学習会があり、講師としてNHK「プロフェッショナル  仕事の流儀」でも取り上げられた崎原真弓さんの「琉球の歴史から学ぶ、平和のちむぐくる」というテーマでお話を聞きました。沖縄は元々、日本ではなく独立国家「琉球王国」であったが、江戸幕府の命令により薩摩藩に侵略されて日本の一部になった事、侵略によりいかなる事にも耐え抜くために琉球空手を作った事や日本との出会いがなければ琉球芸能もここまで華やかに多彩に発展していなかったのかもしれないと琉球の先人たちの災い転じて福となすような素晴らしい生き方で生き抜いてきた事を知りました。そして70年前の戦争の話では、避難先の壕の中で敵に見つかるまいと泣き止まぬ赤子を母親が自分の手で殺したといった悲しい話を聞き戦争の恐ろしさや残酷さ、犠牲者の悲しみが自分の中に刻まれた気がしました。

12日から14日の3日間で5月15日の「本土復帰の日」にあわせて戦争の放棄や基地の撤去を訴える「第40回5・15沖縄平和行進」が始まりました。私は初めての参加という事もあり、少しの緊張と戸惑いもありましたが、平和行進初日ではレンジャーとして参加をしました。また、一般車両にはクラクションを鳴らされたりしましたが、手を振って応援してくれる現地の方もいてこの活動は最後まで精一杯やり遂げたいと改めて思いました。シュプレヒコールも行いましたが、大きな声を上げた時に参加者との団結力には感動を覚えました。この3日間で日差しが強い日もあれば、大雨にうたれた日もあり温度差で体調を崩す人もいましたが、たくさんの人の想いが1つになり行動をし、一致団結できたことは非常に意味のあることだと感じました。

今回、「5・15沖縄平和行進」に参加をして私は沖縄の歴史を見て触れることができ、自分が感じた事や学んだ事を自分の身内や友人そして次世代の人たちに伝えていかなければいけないと強く思いました。また、全国の仲間と一致団結をし交流を深めたことで自分の身の周りの人たちを大切に想う気持ちが平和に繋がるのではないかと思うようになりました。平和行進に参加された皆様、応援してくださった現地の皆様、交流会を受け入れてくださった沖縄地本の皆様、本当に有難うございました。

 

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

徳島支部 上野浩幸

 

今回、初めて沖縄平和行進へ参加させていただきました。今回の平和行進に参加するにあたり、事前に沖縄について学んではいましたが、やはり、直接現地で、自分の体で感じる、考えることの大切さ、重要さを学びました。

まず、初日に行われた結団式では、全国から沖縄に集まり、安倍首相について・沖縄の過去について・国や政府への思い・日本国憲法について・安保条約、共謀罪について、本当に多くの様々な事柄から沖縄はもちろん、日本全国への問題として講演をいただきました。

また、同日、ホテルでの平和学習会では、72年前の戦争・歴史について学びながら、平和の素晴らしさ、戦争の辛さ、命の尊さについて講和いただきました。戦争からは何も生まれない、本当にそうだと思います。講演中、自然と涙が流れ、本当の意味で沖縄の歴史、戦争について考えることができました。

そして、沖縄平和行進についてですが、今回は天候に恵まれず、二日目の行進では途中で中止という状況になってしまいました。中止となったと聞いたときは、もっと全国から集まった仲間と戦いたい、訴えたいという感情も芽生えるなど、少し複雑な気持ちになりました。ですが、三日間の平和行進を通じて、様々なことを学びました。

正直、完歩できるとは思っていなかったのですが、共に歩く仲間、沖縄の人たち、それぞれの強い思いを考えながら歩いていると自然と足が前に一歩一歩進んでいました。今まであまり経験することのないような感覚でした。

行進をしながらはもちろん、講和や平和学習での視察を含め、まだまだ沖縄のこと何も知らなかったな、分かっていなかったなと改めて感じました。沖縄の現状等をあらゆるメディアで耳にしていましたが、現地で自分の足で、自分の耳で、感じることの大きさ、重大さ、逆に怖さまでも感じてしまうくらい、貴重な経験をさせていただいたと強く感じています。講和や平和学習では、本当に心を打たれました。他人事ではなく、自分のこととして考え、行動していかなくてはならないと。

今回の沖縄平和行進に参加することができ、これまでの自分、そして、これからの自分について考えることもできましたし、沖縄、日本、世界について、もっと真剣に物事を考えていかなくてならないと強く感じた数日でした。

 

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

四国地方 新居浜支部 村上 真也

 

今回初めて沖縄平和行進に参加させて頂きました。沖縄で白兵戦が起きたことは知っていたのですが、実体験を聞きくと全く印象がちがいました。沖縄の4人に1人が戦争の被害に合っていたり、子供たちが逃げるために出した船が沈まされたり学校では教えてくれないような話が多かったです。戦争は自分が思っている以上に残酷だなと思い現政権が行おうとしている事の愚かさを再度痛感しました。行進では三日間レンジャーをしました。初めてのレンジャーで不安でいっぱいでしたがみなさんに教えてもらいみんなと協力して大きな問題もなく無事行進が終えてよかったです。レンジャーをしていて周りから「車に気をつけて」、「頑張ってね」と声をかけていただいた陰で体は限界でしたが歩くことができたと思います。  最後に受け入れをして下さった沖縄地本の皆様、全港湾をはじめ全国から行進のために集まった皆さんありがとうございました。

 

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

松山支部 菅 智彦

 

第40回沖縄平和行進に初めて参加させて頂きました。沖縄を肌で感じて自分のいる場所と何が違うのか、また沖縄の歴史を学んで帰りたいという思いを胸に参加をしました。

現地に到着し、まず県武道館にて5.15平和行進全国結団式があり、その後ホテルに戻り三単産・結団式、その後平和学習会が行われ、講師で語り部の崎原真弓さんが『沖縄の歴史について』のお話しをしてくださいました。戦争の辛さ、悲惨さ、平和の大切さ、笑顔の大切さを教えてくださいました。この話を聞いてこの活動に対して改めて身を引き締めて取り組みたいと感じました。

行進一日目は、那覇市役所からひめゆりの塔までの予定となっており、この日私はレンジャーをさせて頂きました。行進団の隊列が途切れないように皆で声を出し合い、目的地まで怪我なく安全に辿り着くことができました。

二日目は、平和記念公園から南風原町役場まで行進をする予定でしたが天候が悪く残念ながら南城市中央公民館までで行進は中止となりました。しかし、午前中雷雨の中シュプレヒコールで声を出して団結し少しでも行進ができ良かったと思います。夕方には、沖縄地本にて青年BBQ交流会を行いました。全国の仲間とお酒を飲み交わし色んな話題で仲間の絆を深めることができたと思います。

三日目最終日は、瀬嵩の浜からわんさか大浦パークまで行進をしました。この日は2000人余りの全国の仲間が集まり力強い行進ができ、皆の思いが一つになった瞬間だと感じ、少しでも早く基地撤退など現実化してほしいと改めて思いました。その後辺野古の浜や嘉数高台に平和学習・現地視察に行き、辺野古の浜の生命や綺麗な海を基地で潰すのは許せないと思いました。嘉数高台では戦争の跡が残っており、戦争の恐ろしさや平和の大切さが身に沁みました。

日程最後の夜、三単産での懇親会を行いました。皆で楽しくお酒を交わし、最後に沖縄伝統の踊りや歌を歌い盛り上がり青年部員の方々と交流を深めることができ沖縄平和行進全日程が終了しました。

今回の参加で全港湾の組合員の方々と絆を深め離れていても仲間がいるということを改めて知り、これからも活動などを積極的に取り組んでいきたいと思いました。平和行進に参加された皆様、そして受け入れて下さった沖縄地本の皆様、本当にありがとうございました。

 

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

四国地方高知支部 長田 篤

 

5月11日から14日の4日間の日程で、「第40回5・15平和行進」に初めて参加させていただきました。私たちが行進した南コースは沖縄戦があった中でも凄惨な地上戦が行われた地域としてしられるところのコースでした。

三日間の行進中まわりの風景はきれいでのどかに映りましたが、かつて沖縄戦で20万人の犠牲者が出たことや、米軍基地がある為に騒音、事件、事故などの基地問題あることを思い出しました。今、自分ができることは声を出して行進する事で沖縄の人々の平和で安心して暮らせることだと思いました。

そしてレンジャーやシュプレヒコールにも参加ができて暑さや雷雨にも負けずにこの三日間全国の仲間と団結して精一杯取り組むことができました。

今回、平和行進に参加して自分自身沖縄の歴史や米軍基地問題の現状を肌で感じることができました。また米軍基地問題に対する意識が沖縄と全国との大きな差があり、この差を少しでも縮まるよう自分たちの問題として職場や家族に平和行進で感じたことを伝えていきたいと思いました。

この沖縄平和行進は私にとっていい経験と平和な世の中について考えさせられる充実した4日間でした。

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

関西地本大阪支部青年部員 高田剛士

 

5月11日(木)から15日(月)まで4泊5日で沖縄平和行進に初参加しました。5月に入って間もないのに日差しが強く暑かったです。

初日の全港湾顔合わせでは同世代の人が多かった事もあり、すぐに仲良くなれました。

2日目は19.2キロの初行進に参加し、レンジャーをさせていただきました。このデモコースは、かつてここで戦争があり多くの人が亡くなった場所とは思えないほど整備されていましたが、戦時下の沖縄県民にしかわからない戦争の恐怖を思い「もう二度と戦争は起こさせたくない」そんな気持ちでいっぱいになりました。全国の人が団結し、1日でも早く戦争の恐怖がなくなるように声をあげ、米軍基地を撤退させなければなりません。

3日目は朝から雨が激しく途中で中止になりましたが、雨にも負けない力強いシュプレヒコールが街に響き渡りました。

4日目は「復帰45年5.15平和とくらしを守る県民大会」が大浦湾瀬嵩(セダケ)海岸で開かれ、私たちは「基地のない沖縄を」というハチマキを巻いて参加しました。国内外から約2200人が集まり、中には韓国や中国の人、驚いた事にアメリカの人たちもおり、米軍や自衛隊基地の拡大・強化に反対し、日米地位協定の抜本的改正を求める大会宣言を採択し、ガンバロー三唱で平和への強い意志を確認しました。しかし、その願いとは裏腹に目の前には、新基地建設のためのフロートや、大型作業船が浮かぶ厳戒態勢の海が広がっていて、怒りと悲しみの入り混じった複雑な感情になってしまいました。

5日目は抗議船に乗り、海上行動、大浦湾視察、ゲート前視察に参加しました。この5日間で一番衝撃的な1日で、ゲート前に到着した時に、炎天下で座り込みしていた年配の方々が機動隊員に両手両足を4人がかりで持ち上げられて、痛そうにしていたのです。辺野古新基地建設に必要な土砂を運搬するトラック運転手、機動隊もみんな沖縄出身の人です。トラック運転手の方が悲しそうな顔していたのも印象的です。機動隊の人はこんな事をするために機動隊になったわけではないのに強制でやらされているそうです。この光景を知っている人は日本に何人いるのでしょうか。知っている人は少ないと思います。年配の方々が必死で戦っているのに私は呆然としてしまいなにもできませんでした。ですがこの光景を1人でも多くの人々に伝えていく事は私たちにもできる事だと思いました。

この沖縄平和行進に参加できた事で、多くの頼もしい仲間と出会い、沖縄に美しい海と平和で静かな街が来る日まで私たちは闘い続けます。

 

 

第40回沖縄平和行進に参加して

 

関西地本大阪支部青年部副部長 岡田 大

 

5月11日「木」から5月15日「月」から沖縄平和行進に参加させて頂きました。

初日沖縄につくと全港湾の仲間達と県立武道館で平和行進団結式に参加しました。約700人の人が集まりいろんな人が平和行進団にエールをくれました。その中でも平和運動センター山城博治議長の言葉、安倍内閣のやり方、憲法改悪、共謀罪、辺野古移設反対に対する思いに明日からの平和行進に気合いがはいりました。ホテルに戻り全港湾、全国一般、日建連帯で三単産結団式をしました。関東、東北、日本海は沢山と人がきていて関西は少なく残念に思いました。結団式では歌や踊りで沖縄の歴史に触れました。戦後72年、20万人の犠牲、不発弾の後処理に何年もかかる事、未来の子供達に平和な街を作りたいと願う思いなどでした。2日目約19キロの道のりを全港湾先頭で歩きました。戦争の激戦区でいまだに不発弾がある可能性が高く建物が高く建てらないなど戦争が終わった後でも苦しみが残っていました。3日目大雨の中の行進でした。この日はレンジャーをやらせて貰いました。道中に地域の人に手を振られ頑張る事ができました。カミナリが強く、人に落ちる可能性がある為この日は昼で中止になりました。夜は沖縄地本でバーベキューをして貰い楽しめました。4日目県民大会に参加しました。全国からまた仲間が集まり大阪支部の仲間の労組も来ていました。約2200にが集まり瀬嵩海岸からわんさか大浦パークまでの2キロを声をあげ歩ききりました。2200人はとても少なく反対しているはずの沖縄県の人の参加が少ない事を痛感させられました。行進が終わりバスガイドさんの案内で戦争の姿が残る嘉数高台に行き亡くなった方、名前がわからない方へ黙祷しました。オリオンビールの星の意味や、かりゆしの意味、希望や先人の敬いだと知らせれ勉強になりました。最終日大阪支部の活動で現地のに基地座りこみ、海上行動に連れていってもらいました。トラックを止める為警官隊との戦いは凄まじかったです。ここではなんか少し悲しくもなりました。埋め立てるためのジャリや砂、コンクリートを運んでいるのも沖縄ナンバーのトラック、警官隊のなかにも沖縄の人、反対のはずの沖縄の人が米軍基地の為に沖縄の人達と戦わなくてはならない事はこの国の本当に残念な所だと思いました。この戦いで泣く警官もいたみたいで胸が熱くなりました。

沖縄にきて自分の目で見て、自分の足で歩き、しっかりと一人一人が沖縄、米軍基地、戦争、今の日本を考え行動に移し、県内外にとわずしっかりと活動するべきだと思いました。ありがとうございました。

 


青年対策交流会議・労働講座に参加して

青年対策交流会議・労働講座に参加して

 

関東地方横浜支部関東港運分会 山本 拓矢

第20回青年対策交流会・第50回労働講座に参加出来て良い勉強になりました。青年部の交流の方も全員と出来たので嬉しく思います。

会社の現場で感想や質問を分会長をはじめ執行委員のメンバーに伝え、これから少しづつでも全港湾の歴史や文化、政治経済等も勉強していかなければと考えてます。今後は、まだ若い組合員に参加してもらい私達執行部と同じ考えで職場で働くように出来たら良いかなと思います。現地北海道の方々と各担当の講師の方々に感謝の気持ちとお礼を言ってレポートを終わりたいと思います。ありがとうございました。

関東地方横浜支部 道村 昭

4月21日(金)~4月24日(月)にかけて、北海道小樽市にある小樽港湾センターで行われた第50期労働講座(第20回青年対策交流会議兼務)に参加しました。

初日は17時から開校式が行われ、終了後全体懇親会が行われました。2日目は松本中央委員長のあいさつから始まり、講義(港湾産別闘争と全港港湾の歴史)について話を聞きました。全港湾の成り立ちから、今の全港湾までの歴史について学びました。法の整備から携わり形にしていく組織力に驚きました。また、これまでの労働組合からこれからの労働組合にどのようにしていくか意識付の話を聞き、今後何ができるか考える事ができました。

午後からは真島書記長の講義(労働組合とは何か、基礎知識、問題提起)についていくつかの問題提起の話を聞きました。現在、自分の職場で問題になっていたアライアンスの再編で船社の共同運行で船社の集約が行われ荷役業者が仕事を失うという事態になっています。世界経済の流れには逆らえないため、現状の6大港で多い縦割りの荷役形状が機能しなくなりつつあり、今後どのような連携体制とっていくのかが大きな課題だと思いました。また、コンテナラウンドユースでは空バンの状態での運行を減少させようとする事で、運送運賃の値下げ適正料金が支払われないことが危惧され、コンテナターミナルのバンプールの機能が成り立たなくなる事に強い危機感を感じました。

3日目は初めに鈴木副委員長の講義(港湾運送事業法と港湾労働法制定のたたかい)について話を聞きました。労働者を守る戦いの歴史で港湾事業は波動性の特色が多い職種で船が入れば人が多く必要で船がなければ、仕事にあぶれると言う事があったために日雇い労働者を守る戦い、正規雇用者に負けない制度づくり、あぶれ手当や退職金制度などを制度勝ち取り正規雇用者に追いつき追い越すまでの制度を作りあげた事におどろきました。またストライキでは、はしけ船からコンテナ船に機械化が進んだ際には80隻ものはしけ船を港に浮かべ、コンテナ船の入港を拒否と聞き全港湾に組織力と行動力のすごさを感じました。二人目は鈴木勝也中執の地方港の労働運動について、地方港の厳しい現状や地方港ならではの事情を聞き、今後どのような対策をとればいいのか考えさせられました。

3日目の午後は分科会が行われ各班に分かれて議題にそって全港湾の長所、短所、経済闘争と社会運動を話し合いました。中でも最も多い意見は一般組合員の組合に対する意識力の低下が多く挙げられて、各地域で若い世代への意識レベルの向上が課題とされました。今回初めて参加して各地方の方と交流を持つことができて、今まで自分の知らなかった事や、全国の仲間の現状を知ることができて貴重な体験をさせていただきました。このことを、各地区に持ち帰り地区の運動に力を入れていきたいと思います。


日本海地方伏木支部 末坂紘基

公演では、松本中央執行委員長、鈴木誠一中央副委員長、真島中央書記長、鈴木勝也中央青年対策中執の4名の講演でした。講演内容は青年部としてのあり方、全港湾の歴史、全港湾の基礎になっていることと今からの港湾における問題点など、私の知らないことわからないことをわかり易く、また興味を持たせてくれる講演をしていただき、私自身成長できたとても貴重な講演でした。

分科会では、今の全港湾の長所、短所について話し合ったり、他の地方本部、支部や分会などで行なっている取り組み、活動や問題点などの意見交換ができ刺激的な分科会でした。

最終日に今年の全港湾青年部のスローガンが『「団結!絆!」で繋がろう南から北の全港湾青年部』に決まり、今年1年このスローガンに基づき分会、支部での絆、団結をしっかり築き、他の労組、団体、日本海地方青年部そして全港湾青年部に繋がっていきたいと思います。

 


日本海地方敦賀支部 森北俊文

今回第50期中央労働講座・第20回全国青年対策交流集会に参加させていただきました。僕自身参加するのは2度目で今回は中央労働講座と合同開催ということで身の引き締まる会議となりました。

まず初日に、松本耕三中央執行委員長より「青年部よ、大志を抱け!」というテーマについて講演をしていただきました。その後、真島勝重中央書記長より二部制の講演をしていただきました。第一部は「全港湾を取り巻く社会情勢と労働運動」がテーマとなり、第二部は「全港湾の基本と各労働法の違いについて」という二つのテーマについて講演をしていただきました。

二日目は、鈴木誠一中央副委員長より「港湾運送事業法と港湾労働法制定のたたかい」について講演をしていただきました。その後、鈴木勝也中央青年対策担当中執より「地方港の取り組み・運動について」を講演していただきました。その後、あらかじめ決まっていた班に分かれて①労働組合とは?組織とは?②経済闘争と社会運動の将来③スローガン選考についてグループ討論を行いました。また、真島中央書記長からお題された「アライアンスVSコンソーシアム」「インランドデポVSコンテナラウンドユース」についてもグループ内で話し合いました。携帯を使って検索してもそれといった答えが出ませんでしたが、分からないことについてみんなで考える時間は貴重だと再認識することができました。これからの青年部をより良いものにするために、各地方の取り組み等良いところは盗んで今後に繋げていきたいと思いました。

また、今回第50期中央労働講座が全国青年対策交流集会の前にあり、聞いた事もないような言葉や聞いた事はあるけどどんな意味か知らなかった言葉が山ほどありました。正直3日間すごく頭が痛くなるような内容で潰されそうになりました。しかしその反面、今の世代を引っ張って行くのは僕たち青年部の役目なのではないかと実感することができました。

今回参加してたくさんの人たちと出会いまた中には再会できた人もいました。こういった横の繋がりを今後大事にしていきたいと強く思いました。この三日間すごく難しい言葉がたくさんありましたがその言葉以上にたくさんのことを学習することができました。未だに分からない事だらけですが参加して本当に良かったと思っています。開催にあたり準備等していただきました中央執行部の皆様、北海道地方の皆様本当にありがとうございました。

 


日本海地方境港支部  安部宅造

まず初めに今回の全港湾青年対策交流会議に参加させていただく中で貴重な全港湾の資金を使っていただき、ありがとうございました。今回の全港湾青年対策交流会議に当たり、自分の目的と境港支部での目的があり全国の青年部員との交流を通して全国の青年部員の活動を知り、この対策交流会議で学んだ事を支部に持ち帰り今後の活動に活かすという目的があり参加しました。

結果、北海道地方の青年部のみなさまのサポートのおかげで懇親会もでき、また、中央労働講座での仲間の発言で、本当にいろいろな活動を知りました。その発言の中で様々な問題が全国でありそれに対しての組合活動について深く感銘を受けました。この思いを自分なりに支部に青年部員に伝え、これからの青年部活動に活かしていきたいと思います。労働講座では分からない事がたくさんありましたが心に残っている事があるのでそれを持ち帰り支部の委員長に話を聞きそれについて青年部員と話し合うなどし、今後の活動につなげていきたいと思います。

最後に今回の全港湾青年対策交流会議、労働講座は本当に貴重な体験でした。この体験は当たり前じゃないと強く思っているので、絶対に今後の境港支部の発展につなげていきたいです。


日本海地方直江津支部 高橋竜児

北海道の小樽で行われた第50回中央労働講座、第20回青年対策交流集会に4月21日~24日にかけて参加してきました。今回参加してみて一番感じたことは、自分の勉強不足です。労働講座では、難しい事だらけで正直ついていくのが大変でした。今回講座で学んだ事を少しずつでも整理していき、自分の支部の若い人たちに伝えていけたらなと思います。交流集会では、色々なテーマについて話し合いましたがその中でも悩みで多く共感されたのが組合の中での温度差があって活動に参加している人がほぼ同じである。活動に参加したくなるような催しなどはないか?などでした。各地方での悩みなどが自分の支部でも言えることなので、どうしていくべきなのかいろいろと参考になることがありました。支部に持ち帰り少しでも組合ばなれをなくしていけたらと思います。青年対策交流集会に参加して勉強不足な点がありましたが全国の青年部の仲間たちと交流や雑談などができ横のつながりがより一層深まったと思います。

今回、労働講座の講師をしてもらいました松本委員長、鈴木副委員長、真島書記長、鈴木中執、諸見書記次長貴重な経験をさせていただきありがとうございました。「熱意」「希望」「学ぶことの大切さ」が感じられた4日間でした。また、開催地方でもあります北海道地方川村委員長、青年部の方々4日間大変お世話になりました。全港湾の組合員として名を恥じぬようこれからも日々精進していきたいと思います。


日本海地方舞鶴支部青年部長 藤本一輝

今回、4月21日から24日まで北海道で開催された第50期・中央労働講座(第20期青年対策交流会議兼務)に参加させて頂きました。自分は、労働講座は初めての参加なんですが青年対策交流会議は2回目の参加となります。

初めて労働講座を受けてみて思ったことは、分からないことが多く理解するのが難しかったです。自分の知識不足ということもありもっと勉強しないと駄目なんだなと実感しました。また、2日目の午後から行われた分科会では南から北までの全港湾の青年部が集まって一緒に様々な意見交換をすることができ他の支部で取り組んでいることなどを知ることができとても良い体験ができました。

あっという間に終わってしまいましたが貴重な体験をすることができ自分の中での全港湾に対する思いがより一層強まりました。今回学んだことを支部に持ち帰ってしっかり伝えていきたいです。今回は参加させて頂きありがとうございました。

 


日本海地方新潟支部 松田祐樹

北海道の小樽で開催された、第50期労働講座・第20回青年対策交流集会に4月21日~24日の日程で参加してきました。

初日は、全体夕食懇親会に参加しました。久しぶりに会う全国の仲間、初めて会う仲間と親睦を深めることができよかったです。

2日目、開講式ののち、午前中は松本中央執行委員長の講演を聞きました。印象に残っている言葉がたくさんありましたが、中でも印象に残っている言葉は、「肩書きが暴走してはダメ」という言葉です。自分も今期から青年部長をしています。また、分会の執行委員会にも参加しています。部長だからと天狗にならず、青年部員と同じ目線で活動していきたいと思いました。午後からは、真島中央書記長から2部制の講演聞きました。まず冒頭に、共謀罪や非指定港などの話を聞きました。質問形式の講演だったので笑いもあり面白かったです。全港湾の弱点でもある女性組合員のはなしがありました。男性部員と女性部員の考え方の違いが大きい。圧倒的に男性が多い組合なので、大変だと思う。でも、このまま放置すれば意識の差がひらく一方になると思います。うちの分会にも女性の組合員がいます。青年部でなにができるかわかりませんが、できることがあればなと思っています。その夜はジンギスカンを食べさせてもらいました。「うまい」の一言でした。

3日目は、まずは鈴木中央副委員長の講演を聞きました。昔の全港湾はすごい闘いをしていたんだなと改めて感じました。勉強不足の自分にはどれもが難しかったです。副委員長からは「分からなくて当たり前、日々勉強、勉強することをやめるな。」などといった言葉をもらいました。簡単なことから勉強していこうと思いました。

つぎに、中央青年対策担当中執の鈴木委員長から「地方港の取り組み・運動に」の講演を聞きました。冒頭清水港の歴史、仕事内容などの話がありました。地方港がこれから生き抜いていくには様々な取り組みをしていかなければならないそう思いました。昼からは分科会がありました。班分けをしてから、各班テーマに沿って話し合いをしました。全国の仲間と話をしていると、地方、支部での問題や若手あるあるだったり、たくさんの話が聞けました。テーマの中に全港湾の長所と短所というのがありました。大体でてくる長所だったり、短所がほぼ一緒でした。みんな思っていることが同じ様なことで共感できました。

最終日は、分科会のまとめ報告会をしました。各班の報告を聞き、思ってること、考えていることを共有できよかったです。

4日間終わってみればあっというまでした。勉強になりました。なにより、仲間と交流でき、新しい仲間もできました。横のつながりもできました。大切にしたいです。今回のことを支部、分会に帰ってどれだけ伝えられるか分かりませんが、がんばって活動していきたいです。ありがとうございました。

 


日本海地方青年部部長 小堀一彦

平成29年4月21日から24日に小樽港湾センターにて第50期中央労働講座、第20回青年対策交流集会が総数57名で開催され、日本海地方からは7名参加させて頂きました。

まず始めに、開催地である北海道地方の方々には各地方の受け入れや準備等などをして頂きありがとうございました。

松本執行委員長を始め、真島書記長、鈴木副委員長、鈴木中執の講義を受けてきました。

今まで労働組合の労働運動や全港湾の歴史、労働組合の重要性や労働条件などを学び、先輩方々の成し得た歴史があるからこそ我々があるのだという事を痛感しました。

2日間の講義の中で「労働組合が協力して戦争させない。家族を守り、子供たちを幸せにする事が労働組合の役割である。また仕事をするためには労働組合が必要。本物の全港湾を目指す。」という言葉が強く印象に残りました。

分科会では、4班に別れて議論し、若年層の青年部の方々が組合離れで、青年部の人数が減少している状態の地方や支部が多い事を理解しました。そのため、将来へ繋ぐ組織作りが出来るのかどうか自分自身不安になりました。

私は今回2回目の参加ですが、正直「他の支部は頑張っている」という印象を受けました。恥かしい話ですが、他の地方、支部と比べると組合活動の取り組みが少ない感じがしました。当事者側からお話をお聞きする事で、とても分かりやすく興味を持つ事が出来ました。

全国の仲間との横の繋がりがもてた事や沢山学んだ事を、全国の青年部の皆さんと協力して今後の組合活動に活かし、若い組合員や女性などが参加出来る活気のある労働組合を作っていければ良いと思いました。

 


四国地本青年部長 辻 健一

皆さんの血と汗の結晶である組合費を使わせてもらい、北海道小樽市で開催された第50期中央労働講座、第20回青年対策交流会議に参加してきました。松本中央執行委員長はじめ、真島書記長、鈴木副委員長、諸見書記次長、鈴木中執の講義を受け大変有意義でありました。

特に印象に残ったのが、分科会においてアライアンスとコンソーシアムについて議論した事です。国の判断と企業判断の違いはありますが、私達地方港の問題に勝手に置き換え、自分なりに考えてみました。国際競争力に勝つ為に荷物を一極に集中させて無駄を省き、コスト削減していくというものだと理解しました。荷物を奪われた港はそのままではますます衰退していきます。中央執行部の説明の中、国際的な荷物の移動であるから荷物を追いかけて行って向こうで作業する訳に行かないという話でありましたが、地方において荷物が奪われていった先に、全港湾が無くても同じ話になると思います。日立港におけるスバル自動車の問題を去年の青対で聞いていて、自分とよく似た環境に置かれていると気にかけていました。荷物が出ていってしまう港と入ってくる港両方に共闘する組合組織があり、うまく落とし所を見つけWIN-WINとまではいかなくても、両港で作業を残せたのは素晴らしいと思います。この様な例を見ても全国的に全港湾を組織できれば、少なからず地方港、特に取り扱い貨物量の少ない港が生き残っていける道があるのではないかと思います。今すぐという訳にはいきませんが、中央執行部はじめ地本、支部、分会で協力して実現して欲しいと思います。

そして全国の仲間と意思共有できた事、横の繋がりを強化できたという事は、今回の青対で得た大きいものだと思います。

また、全国の仲間の置かれた状況や悩みが似ているという事を知りました。その一つは一般組合員との温度差です。これについて鈴木副委員長からも悩みもがき苦しみなさいという事で、この問題を解決することは中央執行部含めて全国的テーマであります。

そして労働組合は、誰かがやってくれる、自分には関係ないなど、自らは何もせず人任せにしていたら組織全体が腐っていってしまいます。「木を見て森を見ず」とあります。松本中央執行委員長の講義にもありました。労働組合とは何のためにあるのか?それは家族、仲間、そして自分自身の生活を守る為、より良くしていくために私達が手に入れた手段であります。

たたかう労働組合である全港湾は、必ず私達の為に力を発揮してくれます。その為にはこの組織を守り、より良く強くしていけばさらなる力を発揮出来るでしょう。やらされているのではなく、私達の大切なものの為、自分自身の為にすすんで行動していきましょう。全体的な組合に対する意識レベルの温度差の穴埋めは1人や少数では不可能であり、皆さんの協力無くしてはあり得ません。全港湾の力を存分に発揮する為にも理解とさらなる協力をお願いして今回の報告とさせていただきます。

 

 

関東地方横浜支部青年副部長 寳納雅行

4月21日から24日にかけて北海道地方本部小樽港湾センターにて第50期中央労働講座、第20回青年対策交流会議が中央本部合わせ総勢57名で松本中央執行委員長の挨拶で開催されました。

松本中央執行委員長の講義では「青年部よ、大志を抱け!」と題したアメリカ人のクラークにもじった内容でした!港湾労働にも掲載された中身で「木を見て森を見ず」私自身も組合や生活において木しか見れてなかったと思います。物事の一部分や細部に気を取られて、全体を見失う事が多々ある。青年層の組合離れもここにあるのだと思う。労働組合と言う森の中で木も森も見れるように頑張りたいと思います。「要求」「希望」「怒り」を話し合う事が大切だとも話されていました!やはり職場討論に意味が在るのだと再確認しました。

真島中央書記長の労働講座では全港湾を取り巻く社会情勢と労働運動、全港湾の基本と各労働法の違い(問題提起)について講義して頂きました。そもそも労働講座は敷居の高い講座だと冒頭中執は言われてました。難しすぎて耳を傾けるのでいっぱいで頭の整理がつきませんでしたが、少しずつ整理していきます。話の中で島国である日本の労働組合組織率がたったの17%しかない事に驚きました!それに対しフランスは90%も占めるそうで本気で生活の向上や職場改善など資本に向き合った労働運動を展開してるんだなと自分なりに解釈しました。労働組合に入ったら組合員としての権利と義務が発生する民主的な労働組合を運営するのにルールが必要とも言われてました。コンソーシアム、アライアンス、インランドデポ、コンテナラウンドユース難しい横文字も出てきました。インランドデポ、コンテナラウンドユースに関しては反対です!開港から離れた内陸部に通関物流基地を設置して輸出入貨物の通関機能と保税機能をするそうだが、新規参入になりかねない、コンテナラウンドユースもそうだ!空バンを港に返却しないで継続利用するという事は港湾現業にとって雇用不安につながると感じました。ドレー会社に往復の料金も払わない可能性も秘めてる。

鈴木中央執行副委員長の講座では港湾運送事業法と港湾労働法制定のたたかいを学びました。この講義に関しても理解するのには時間がかかります。一般港湾運送、港湾荷役、港湾関連事業、その他と港湾において種類分けを細かくしていくと色んな業種が関わり港を運営している。六大港、地方港、否指定港。この中でも又種類分けされているらしく即答で答えるのには難しいと思いました。港湾労働法制定は全港湾が港の夜明けを作ったのだと確信しました。法整備に関しても日雇い労働者の登録制度を組織化し、港湾年金の復活も全港湾だと聞いている。単一組織なのに労使間との力関係に凄さを感じました。

鈴木勝也青年対策中執の講義では「地方港の取り組み・運動について」を学びました。清水港の歴史、立地、仕事内容など各地方港の役割を聞きましたが、二種港においても厳しい港間競争の現実があると知って驚きました。六大港もそうですが地方港、否指定港も労働条件確立に目指し声をあげていこうと思いました。再三申し入れをしてる三島川之江港指定港化もその一つなんで問題提起して行きたいと思います。家族、組合員を大切にして下さいのひと言に胸を打たれました。

分科会ではそれぞれ班に分かれて労働組合についてと集団交渉の取り組みについて意見交換をしながら議論をしました。長所、短所をそれぞれあげて長所は継続する。短所に対しての対策をあげて発表しました。中執も同じ共通認識だと確認し方向性がはっきり見えました。集団交渉の取り組みは各地方分会によってやり方が違うみたいだが職場集会を開いて周知してるとの事。北海道地方本部川村委員長が挨拶の時に目標を持って挑めば必ず叶うからと言ってた事も記憶に残りました。何か1つでも負けない目標を立てたいと思います。

この労働講座、青対を通して感じた事は私達青年部がどうあるべきかを考え主体性を持って労働組合に参加する事だと思います。講師の方々も口をそろえて言われてました。動員も大事だがこれからもっと港湾を取り巻く環境は厳しいものになると思うので知識を身につけ前進あるのみだと感じる集会になりました。最後になりますが、北海道地方本部の皆様迎えて下さり有り難う御座いました!

 

 

留萌支部 五十嵐和哉

地元北海道で開催された労働講座・青年対策交流会に参加しました。今年は合同開催と、今までにない日程で行われました。初日に行われた労働講座は自身初めての参加でした。講師の真島書記長の講座では、とても難しい話で理解するのが大変でしたが、とても勉強になりました。
2日目に行われた青年対策交流会議事は2回目の参加でしたが、今回も勉強になったことばかりで特に分科会では各地方の人達との議論や、他地方ではどの様な活動をしているのか実態を知ることができ、今後の組合活動にとても参考になりました。今回の会識を通じて、改めて組合の重要性を強く感じました。そして今回学んだ事は自分より若い世代へしっかり伝えて行きたいと思います。

四国地方青年部 伊達健太

2017年4月21日から24日に小樽港湾センターにて第50期中央労働講座、第20回青年対策交流集会が開催されました。四国地方青年部から2名で参加しました。  初日・二日目と、第50期中央労働講座として松本執行委員長、真島書記長、鈴木副委員長、鈴木中執の講義を受けました。全港湾の歴史、先輩方の功績などが学べて大変良かったです。
二日目の午後から第20回青年対策交流集会として分科会が行われました。4班に別れて、出されたテーマに沿って議論しました。いろいろ議論していく内に、全国離れているけれど抱えている問題は一緒な事に驚きました。会社や社会に負けないように、日頃から分会・支部で意思統一をしなければならないと思いました。今年の全港湾青年部のスローガンは「『団結!絆!』で繋がろう 南から北の全港湾青年部」に決まりました。  今回、第50期中央労働講座・第20回青年対策交流集会に参加させていただいて、学んだ事や全国の仲間と交流を大切にしていきたいと思いました。最後になりますが、今回受け入れをしていただいた、北海道地本の皆さんありがとうございました。

沖縄地方本部 青年女性部部長 與儀泰寛

北海道で開催された労働講座・青年対策交流会議に参加して改めて良かったと実感できたことに感謝します。松本中央執行委員長、鈴木誠一中央副委員長、真島中央書記長、鈴木勝也青年対策中執の四名の方々の講義では青年部の在り方、共謀罪、地方港と六大港の比較、歴史などを講演していただきました。初めて参加される青年部の方々が多勢いたと思いますが、そのような内容を一から理解・把握できた人がどれだけ居たかは定かではありませんが、鈴木中央副委員長が「分からなくて当たり前。これから興味を持って勉強して成長して行くことが大切だ」とおっしゃっていたように、青年部が日々成長していく為には少しでも組合活動に参加し、交流して情報を現地で仕入れその情報を共有し合い助け合って互いに成長していく過程が最も大切だろうと感じました。

全港湾青年部には全国にたくさんの仲間が居ます。横のつながりを強くすることを前提に全国各地の動員の場所を与えてもらっているので積極的に仲間と交流し絆を深めて互いに切磋琢磨して少しずつ分かり合えるだけでもいいのではないでしょうか。青年部のテーマでもある組合意識の低下などの問題も、青年部の結束力で補えばより強化でき活発な青年部を構築できると確信しています。

最後になりましたが、労働講座・青年対策交流会議を向かい入れてくださった北海道地本ならびに青年部の皆様に感謝を申し上げたいと思います。迎いいれ先の現地は大変だったと思いますが有意義な交流会議ができたと思います。本当に有難うございました。そしてお疲れさまでした。

沖縄地方本部青年女性部書記長 金城雄介

今年は中央労働講座と青年対策交流会議が合同開催という事で、話が少し難しかったです。 今年で、2回目の参加ですが、やはり、話が難しすぎて頭が混乱してました。難しい法律や、制度、6大港と地方港の違いが少しは勉強出来たかと思います。 今、皆んなが注目してる共謀罪についても話されました。今後、組合活動、青年部活動が萎縮するのではと思います。どんどん、戦争に近づいているので、とても心配です。今後は、全港湾、全国港湾、他の組合組織と団結して、戦争反対運動をして行かないと行けないと思います。今の日本が、昔の日本に戻らない事を願って、組合活動をして行きたいと思います。

沖縄地方本部青年女性部副部長 白石善秀

全港湾沖縄県地方本部青年女性部副部長の白石善秀です。初めて青年対策交流会、労働講座を初めて参加させていただきました。正直6大港の話、難しかったです。自分の会社に関わりが有るのかなー?港湾事業に関わってるのかなー?など色んな事を考えながら講座を聞いてました。自分は鈴木副院長の話が素直に響きました。自分は今自分の分会で色んな事を闘ってます。青年層の正社員の雇用がおろそかで、分会長に相談しても流され会社に相談しても流されどうしれば聞いてもらえるのか?など、考えて沖縄地方青年部の役員に相談して動いてもらって約一年半で要約会社、自分の会社の分会に話を聞いてもらい青年層の正社員の雇用を勝ち取る事が出来ました。難しい話は正直分からないけど身近な行動、横の繋がりを感じて今沖縄地方の青年部の副部長をしたいと思い、今回の青年対策交流会、労働講座を参加をお願いして参加しました。自分の行動が当たってるのかな?間違ってないのか?とか正直分からないけど鈴木副院長の話を聞けて自分の中では間違ってないのかなーと思えました。参加出来て良かったと思いました。ありがとうございました。

 

 

 

 


さようなら原発 さようなら戦争 9.22大集会に参加して

さようなら原発 さようなら戦争 9.22大集会に参加して

四国地方 伊達健太

2016年9月22日に代々木公園で、「さようなら原発 さようなら戦争 大集会」が開催されました。降りしきる雨のなかでしたが、全国から約9500人もの方が原発を止め、戦争を止める為に集いました。集会の中で、原発事故被災者の現状を福島県飯舘村の酪農家・長谷川健一さん(原発事故被害者団体連絡会共同代表、原発被害糾弾・飯舘村民救済立団団長)を始め11名の方がお話をしてくれました。心に残ったのが避難解除をするにあたって政府からは何の確約も保証もなく、「自己責任で帰れ」ということかという言葉と、閉会のあいさつでの、今日はデモ行進はやらないが、雨の日に闘い抜いた記憶を胸に刻み、今後にエネルギーを蓄えてください。みなさん、がんばろう!という言葉です。短い時間ではありましたが、この集会に参加することができ11人の話を聞いて大変勉強になりました。この経験を今後に役立てたいと思います。


原水禁止大会広島大会に参加して

原水禁広島大会に参加して

九州地本関門支部 伊東俊介

2016年8月5日~6日(金・土)に九州地方平和学習会として、広島県広島市で開催された「被爆71周年原水爆禁止世界大会」に各支部代表者4名で参加しました。

5日には、数あるひろば・フィールドワークの中の「⑧ヒバクを許さないつどい」に参加をし、プログラム最初の主催者あいさつでは、「原発はごめんだ!ヒロシマ市民の会」代表の木原省治さんから「会場には様々な年齢の方々がいるがもっと多くの若者に参加をしてほしい」との挨拶をいただきました。

講演・「5年を経た避難者の現状と思い」では、「退職女性教職員の会」副会長の橘柳子さんから、福島原発事故以降1年余りで10カ所を転々と避難した話や、現在の避難者たちの悩みなどの話を聞かせていただきました。

講演・「私たちはなぜ、福島から避難したのか」では、「原発賠償関西訴訟原告団代表・東日本震災避難者の会、Thanks&Dream代表」の森松明希子さんからは、母子避難の話や、逃げる権利などについての話を聞かせていただきました。

全体討論では、母子避難時の心境・これからの若者がどうするべきかなど様々な意見や質問があがりました。講演の中で私が心に残ったのは、母子避難をする前の話で3歳と5ヶ月の子供に放射線物質が検出されている飲み水を飲ますことが親としてどれだけ辛い決断だったかと聞いたことでした。私も同じ親として、小さな子供に身体に悪いと分かっている物をあげなければいけないというのがどれだけ辛いかは計り知れないことだと思いました。

最終日の6日には、平和公園で開催された広島市主催の平和祈念式典へ参加をしました。平和祈念式典では広島の方々だけでなく、日本人だけでもなく、様々な国の方々も参加しているのを見て、平和を願う気持ちというのは世界共通なんだと改めて強く実感させられました。平和祈念式典終了後には県民文化センターホールで開催された「まとめ集会」へ参加をしました。まとめ集会には600人もの人々が集まっていて、黙とうをして主催者川野浩一大会実行委員長からのあいさつ・海外代表からのアピール・特別報告などがおこなわれました。特別報告では沖縄の辺野古新基地建設問題なども話されていました。

全港湾で沖縄平和行進に参加させてもらったことがあったので、話の内容・風景をとてもよく理解することができました。広島大会まとめ・ヒロシマアピール後には会場に参加した全員で「原爆を許すまじ」を歌い、まとめ集会は閉会となりました。

今回、原水爆禁止世界大会・広島大会に参加をしてみて改めて平和の大切さ・核と人類は共存できないと感じることができました。

私たち若者にできることは聞いた話を少しでも多くの人達に伝えて、後世に残していくことが大切だと思うので、まずは家族・友達・会社などで勉強したことを伝えていきたいと思います。ありがとうございました。

 

原水禁広島大会に参加して

九州地本博多支部 橋本 佑介

2016年8月4日から6日まで行われた被爆71周年原水爆禁止世界大会広島大会に5日、6日の2日間参加しました。

5日は、フィールドワークが行われヒバクを許さない集いに参加し、主催者あいさつでは「原発はごめんだ!ヒロシマ市民の会」代表である木原 省治さんより、「数多くの参加者がいて嬉しいが若者が少なく、もっと多くの若者が参加してほしい。そして、後世に伝えていき運動を行ってほしい」と話されました。

退職女性教職員の会で副会長を務めている橘 柳子さんの講演では、東日本大震災があった日から5年経った今も仮設住宅での生活を余儀なくされています。私たちは被災者の悩み、思いを訴えていくことを強く思いました。

森松明希子さんの講演「私たちはなぜ、福島から避難したのか」では、強制避難区域ではなく自主避難区域だったけれど夫は福島に残り、母は子供2人を連れて大阪に避難した。ここ日本で生活していく中で、身の危険に直面したら誰もが逃げるのが当然で、逃げることは簡単にできると思い込んでいます。でも、原発事故を経験して当たり前のことが出来ない状況があると身をもって知らされた。これが現実であり、私たちは日頃から考えて行動しないといけません。生の声を聞くと想像以上に悲惨な出来事があったと強く思いました。

最終日は、平和公園にて広島市主催、平和祈念式典が開催され、会場に行く途中から数多くの参加者がいて、平和への思いは世界共通だと改めて思いました。平和祈念式典終了後には、県民文化センターにてまとめ集会が開催され、参加人数が約600名と数多くの参加がありました。まず、全員にて黙とうを行い、主催者あいさつ、海外代表からのアピール、特別報告がありました。特別報告の中で沖縄辺野古新基地建設問題の話がありました。以前、沖縄平和行進に参加する機会があり、分かりやすく現状を聞くことができました。広島大会まとめ、ヒロシマアピールがあり、最後に全員で「原爆を許すまじ」を歌い閉会となりました。

今回、原水禁広島大会に参加して、平和の大切さ、核はいらないと強く思いました。2日間と短い時間でしたが、一つでも多くのことを学び、これからの生活に生かしていきます。また学んだことを家族、職場、同世代に広げていき、原発事故、戦争について知識をつけこれから先も、風化させずに運動、活動を行っていきます。ありがとうございました。

 

原水禁広島大会に参加して

九州地本長崎県支部 大平幸弘

8月5日、1日目、RCC文化センターでヒバクを許さないつどいPart17(フクシマとヒロシマ、ナガサキを結び、国の責任による被災者の補償をもとめて)に参加しました。

主催者あいさつとして、(ヒロシマ市民の会代表)木原省治さんの挨拶で始まりました。

橘 柳子さんの(退職女性教職員の会)副会長の講演で、福島原発で5年を経た避難者の現状と思いで、橘さんは、福島出身の福島原発の避難者で、帰りたくても帰れない故郷、現在の避難者の悩みを話されてました。

次に、森松明希子さん私たちはなぜ、福島から避難したのか『放射線被ばくから免れ健康を享受する権利』の講話がありました。その中の話しでは、3年たっても5年たっても変わらない所もある事や、国から水に放射性物質があるので子供に水を与えるな、補養システムなどを税金とかでなんとかならないのかと訴えていました。避難者あるある五七五などを紹介され、特に印象にあるのが『尿検査、子の体から、セシウムが…』や『マイホーム、今ではただの、核のゴミ』でした。

建部暹さんの国の年間20ミリシーベルト基準による被害者切り捨ての問題点の講話では、事故発生当時、年間20ミリシーベルト以下の地域には避難指示されず、また避難先も放射能汚染されているなどで、住民は放射能汚染が続く中での生活を余儀なくされ、被ばくさせられてきた。福島だけでも、今なお約9万人が避難生活を余儀なくされている事を話されていました。夜は全国から集まった全港湾の方と懇親会をして盛り上がりました。

2日目は、朝の8時から原爆死没者の霊を慰め、世界の恒久平和を祈念するため、平和記念公園の原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)前において、原爆死没者の遺族をはじめ、市民多数の参加のもとに平和記念式典の中で広島市長によって行われる平和宣言は、世界各国に送られ、核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴えっていました。

また、原爆の投下された8時15分には平和の鐘やサイレンを鳴らして、式典会場では原爆死没者に哀悼の意を表し、あわせて恒久平和の実現を祈り、1分間の黙とうを行いました。

式典の後は、9時30分から被爆71周年原水爆禁止世界大会、広島大会まとめ集会が広島県民文化センターにあり参加しました。集会では、海外代表からのアピールや特別報告として沖縄の辺野古新基地建設問題や愛媛の伊方原発再稼働問題などがありました。そして、集会に集まった600人で最後の項目で、原爆を許すまじの歌を歌い閉会の挨拶で終わりました。今回、この平和学習会で学んだ事や戦争、核兵器の恐ろしさなどを周りの人や子供達に伝えられるようにもっと運動に参加して勉強して行こうと思います。

 

原水禁広島大会に参加して

九州地本苅田支部 田中伸和

2016年8月5日、6日に広島県原水禁に参加させてもらいました。私は原水禁に参加するのは初めてでした。1945年8月6日午前8時15分、71年前広島に原子爆弾投下されました。投下された原子爆弾は、強烈な「熱線」、「爆風」、「放射線」のもと、その年の内に14万人もの命を奪い去りました。その日から71年、「核戦争起こすな、核兵器なくせ」、「ふたたび被爆者をつくるな」と、被爆者は今日まで声の出るかぎりに訴え続けてきてくれました。

被爆者は高齢化し、残された時間で、戦争、被爆を知らない世代と一緒になり伝え続けてくれています。なのにもかかわらず、安倍政権が進める原子力政策では、福島原発事故の反省もなく、国民世論の6割以上が脱原発を求めているにもかかわらず、原発推進政策を打ち出し、強引に進めています。だから今こそ、私たちは被爆者たちが訴え続けているその声を「継承」していく責任、そして世界で唯一被爆した国、日本人として脱核、脱原発を訴え続けていかないといけないと思いました。参加された皆さんお疲れ様でした。ありがとうございました。


止めよう辺野古埋め立て9・12国会包囲行動に参加して

止めよう辺野古埋め立て9・12国会包囲行動に参加して

関門支部青女部部長 伊東俊介

 9月12日、東京都千代田区にある国会議事堂の周辺で「止めよう!辺野古埋立て9.12国会包囲」が行われました。 九州地方からは関門支部青女部部長の伊東と副部長の石原の2名で参加をさせて頂きました。国会議事堂に到着すると、たくさんの人達が旗・のぼりを立てて色々な地方から集まってきていました。市民団体や個人の他に平和フォーラム・全労協・戦争をさせない1000人委員会・解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会・戦争する国づくりストップ!憲法を守り、いかす共同センターなどの人達が参加をしていました。 国会議事堂周辺では4つのエリアに分かれており、ステージは国会議事堂正門前の1カ所しかありませんでした。全港湾は残念ながらステージが見えるエリアではありませんでしたが各所に設置されたスピーカーのおかげで音声ははっきりと聞こえました。 オープニングが始まると「沖縄を返せ」・「座り込めここへ」などのうたがスピーカーから聞こえてきて、みんなで口ずさみました。14時になるとリレートークが開始され沖縄からの訴えが始まりました。訴えではヘリ基地反対協議会・共同代表の安次富浩さん、次に島ぐるみ会議・事務局長の玉城義和さん、最後に基地・軍隊を許さない行動する女たちの会・共同代表の高里鈴代さんからの訴えがありました。その後、「沖縄を返せ」を集まったみんなで大きな声で唄い、最後には沖縄方式(つないだ手を挙げる)でシュプレヒコールをおこない「止めよう!辺野古埋立て9.12国会包囲行動」は終了しました。終了後には各地方から集まった全港湾の仲間で、参加できる地方のみの夕食懇親会がおこなわれました。懇親会はこれからの青女部・各地方の取り組み・それぞれの悩みなどを話しとても楽しい時間を過ごすことができました。日頃携帯で連絡を取り合ってはいますが、実際に会って顔をみながら話すことができ良かったです。 また、今回の国会包囲行動の参加では民意を無視して暴走をする安部政権の人達に目で見て分かる民意が伝わってくれればと思います。これからも未来を担う若者の一人として、反戦・反核の行動に参加をして行きたいと思います。

松山支部 竹田英弘

 今回9月12日(土)に東京にて、『止めよう、辺野古埋め立て9・12国会包囲抗議行動』に、四国地方青年部を代表して、高知支部の渡辺青年部員と2名で参加をしてきました。当日は空港に降りたったときからむし暑く、関東地方は地震も起こっていたということで、現地への移動など大丈夫か?と心配をしましたが、何事もなく無事に行動団と合流することができました。今回、北海道地方・九州地方・沖縄地方から各青年部員が参加されており、沖縄からはオブ参加として2名の増員での参加ということでした。また、関東地方から自主的に参加された仲間の方もおられ、抗議行動参加者は、主催者発表で2万2000人ということを知り、まずこの抗議行動の規模の大きさに驚きました。我々全港湾は、「平和フォーラム」・「全労協」・「戦争をさせない1000人委員会」の共闘する人たちと、国会記者会館前(Bエリア)で抗議行動を行うこととなりました。この抗議行動は、辺野古の埋め立ても安保法案審議どちらも県民の声、国民の声を無視した現政権の強行姿勢にみんな怒りを感じているということだと思い、私もその気持ちは皆と同じ「基地を作るな!辺野古に作るな!日本政府は沖縄の声を聴け!」と、抗議行動としてできるだけの声を張り上げシュプレヒコール繰り返し声をあげてきました。短い時間ではありましたが、このような大規模な抗議行動は、なかなか地方では体験できない事だと感じ、今回組合活動として本当に良い経験をさせてもらうことができました。今後も青年部運動方針である平和運動、「辺野古埋め立て、新基地建設には断固反対!」の姿勢で取り組んでいきたいと思います。ありがとうございました。

高知支部 渡辺義隆

 2015年9月12日、東京都にて開催された「止めよう!辺野古埋立て 9.12 国会包囲」に四国地方青年部代表として、松山支部の竹田さんと私の2名が参加しました。総勢25名で参加してきました。私は今年、初めて沖縄平和行進にも参加し、現地での抗議行動、シュプレヒコールをしてきました。現地の人達の熱い思いも肌で感じてきたばかりでしたが、今回またこの抗議行動への要請があったので立候補し、参加することになりました。当日、国会議事堂南側Bエリアに到着し、全港湾の旗を立て抗議行動が始まりました。今回の参加者数は、実行委員会発表で22、000人の市民が参加し、米軍普天間飛行場の返還に伴う辺野古(大浦湾)の新基地建設反対を訴えてきました。この日は、沖縄から駆けつけて下さっていたヘリ基地反対協議会の安次富浩氏より「今朝、沖縄防衛局がボーリング調査に伴い、フロートの準備作業が始まった。」と聞き、強く怒りを感じました。沖縄県民の声や日本国民の声は届いておらず、民主主義は機能していないと感じ、改めて安倍政権に失望しました。自分より若い一般の学生団体専修大学辺野古ゼミやシールズ琉球の熱い思いに感銘を受け、私は辺野古新基地建設を撤回させ、平和憲法を否定する戦争法案に断固反対し、青年部層にこの思いを広げていきたいと思います。最後になりましたが、このような大規模な抗議行動に参加させて頂き、有り難う御座いました。また、抗議行動に参加された皆さん、本当にお疲れ様でした。今後もこの活動を続けていきたいと思います。

沖縄地方青年女性部  與儀泰寛

 9月12日に、全港湾沖縄地本青年女性部からは部長、書記長、書記次長、琉球港運分会の4名で国会包囲行動に参加した。国会議事堂周辺には老若男女問わず、全国の仲間が約22000名が集結した。辺野古新基地建設や安保法制の強行可決など多くの民意に反した政治をし続ける現政権に対して、今まで政治に無関心だった若年層の若者達でさえも声をあげて全国各地の集会やデモ行動に自主的・積極的に参加してきている。このような背景はもはや他人事ではないのです。このままでは、年齢に関係なく子供たちまでも戦場派遣を強いられる危険性があるので是が非でも反戦・反核・反基地を主張していかなければならない。戦後70年恒久平和を誓ってきた日本が戦争のできる国に再び戻る事は決して許される事ではありません。沖縄青年女性部も辺野古新基地建設阻止、安保法制廃案に向けて行動を取り組みます。


原水禁広島大会に参加して

原水禁広島大会に参加して

 今回初めて原水禁広島大会に参加させていただきました。8月4日から6日までの3日間で、折鶴平和行進、被爆70周年原水禁広島大会、7つの分科会(平和と核軍縮 1、沖縄と東北アジアの非核化への課題)、国際会議、広島市主催平和祈念式典、原水禁結成50周年シンポジウムに参加しました。
 被爆70周年原水禁広島大会での原爆被害者の原爆投下直後の惨状の語り、高校生代表のスローガン「微力だけど無力じゃない」と「年が経ち記憶が薄れ忘れてはならないことを語り継ぐ語り部が減ってきている、原爆投下の当事者の第一世代の孫の第三世代の私たちが語り継いでいかなければならない」、広島県原水禁代表の「私たちは、確かに原爆の被害者だが同時に原爆投下の原因たる戦争の加害者でもある」という言葉に、もう二度と同じ悲劇をくりかえしてはならない、原爆を、その投下原因になりうる戦争を無くさなければならないと強く思いました。
 今回三日間参加して、知識としては知っていましたが、広島に住む人たちの非戦争、核兵器廃絶の願いに強く共感する三日間でした。一人一人の声では小さいでしょうが皆で集って声を上げ続けなければならないと、絶対に戦争を起こしてはならない核兵器廃絶を目指して団結して頑張りましょう。
 最後に暖かく迎えてくれた地本広島の全港湾の仲間の皆さん三日間本当にありがとうございました。(関東地方鹿島港支部 青年部長 栗俣和夫)


長崎平和学習会に参加して

長崎平和学習会に参加して

 七月十九日に、長崎市において長崎平和学習会が開催されました。総勢で七〇人の参加でした。四国地方青年部から私と新居浜支部の村上さんとで参加しました。
 まずはじめに、A・B・Cの3コースに別れ被曝遺構巡りをしました。私は、Bコース(山王神社コース)でした。一番印象に残ったのは、被曝鳥居(爆心地から三〇〇メートル)です。強烈な爆風により片方の柱は吹き飛ばされ残った片方の柱の上の部分の笠石がねじれて角度が変わっていたこと、熱線により石の表面が剥がれ落ちて、その部分の奉納者の名前が読めなくなっていたことです。私は、目と体で当時の原爆の爆風と熱線を感じることができました。
 次に、被曝講和として下平さくえさんの話を聞きました。お話の中で、米軍は原爆の威力を知るために偵察機も一緒に飛んで記録を残している事知り、私は腹立たしくおもいました。次に、高校生平和大使の活動についてお話がありました。全世界を駆け巡り活動しているのを知りました。次に、中川拓弁護士による安保法制(戦争法)による憲法破壊の講義を受けました。今の政権がどのように憲法を変えようとしているか、変わればどのようになるのかを丁寧に教えていただきました。
 私は、この学習会で学んだことは戦争の恐ろしさと原爆の恐ろしさ、そして今戦争のできる国になろうとしている事です。絶対に戦争はよくないので国民一人一人が自覚を持って抗議していかなければならないと思いました。地元にこの気持ちが伝わるようにこれからは活動していこうと思いました。そして、この学習会に一人でも多く参加できるように考えていこうと思います。(伊達 健太)

 長崎平和学習会に参加して

  今回、七月十九日の長崎平和学習会に参加させていただきました四国地方の村上です。
 高校生一万人署名活動実行委員会の活動報告を聞いて、すばらしい活動をしているんだなと思いました。高校生が世界に向けてこのような活動をしていると思うと日本の平和だけでなく世界の平和に繋がっていくんだなと思いました。
 長崎の証言の会・山川さんによる山王神社コースに参加して、原爆の爆風は秒速二〇〇メートル、熱線は一〇〇〇度以上と説明を受けました。話だけでは想像がつきませんでしたが、実際に山王神社二の鳥居、大楠を見ると原爆の威力に驚きました。鳥居の表面は熱線でとけ、大楠の中には大きな石入っていました。すさまじい威力の原爆を二度と使わせたくないためにできる限りがんばろうと思いました。
 下平さんの被爆体験談を聞いて、自分の家族のこと、友達のこと、周りの人々のこと全て耳をふさぎたくなる内容でした。戦争、核爆弾の恐ろしさを再度痛感しました。今後戦争を起させないよう活動できたらと思いました。
 今回の平和学習会に参加して得た知識や話を少しずつでも周りの人に伝えていきたいと思いました。(村上真也)

 


第38回沖縄平和行進に参加して

第38回沖縄平和行進に参加して

建設支部太平ビルサービス分会 松岡昭二

 5月14日から四泊五日で〝5・15沖縄平和行進〟に行って来ました。初日、市民劇場で「復帰43年 第38回5・15平和行進全国結団式」が行われました。テーマは、『全国の力を結集して止めよう辺野古新基地建設』です。次に、三単産・全造船結団式で、全港湾沖縄地方本部執行委員長より、沖縄の現況説明と歓迎の挨拶を受けました。その後、元宜野湾市長・伊波洋一講師による沖縄平和学習会にて、辺野古新基地建設反対の闘いと日本の平和について講義を受けました。
・沖縄戦での戦死者は約20万人(内訳:沖縄県民約12万人、県外約7万人、米兵約1.3万人)が戦争の犠牲になった
・米軍は住民を捕虜収容所に入れている最中に、必要な土地を確保(接収)して米軍基地を建設したという事実が特に印象に残りました。
 二日目、早朝にホテルを出発。快晴の中、瀬嵩海岸(せたけ海岸:大浦湾を挟んで辺野古の反対側)で、出発式。大浦湾の青く透き通った海を見ながら抗議行進。その後、キャンプ・シュワブゲート前にて「埋め立て阻止!」の座り込み行動と『5・15平和とくらしを守る辺野古現地全国集会』に参加しました。
 三日目、ギラつく太陽の下、宜野湾市役所にて出発式。普天間包囲コースを宜野湾海浜公園野外劇場まで平和行進。後、集約集会に参加しました。午後からは、南風原(はえばる)陸軍壕病院跡、糸満平和祈念資料館を見学、戦争の痛ましさを肌で感じました。
 四日目、米軍嘉手納飛行場を遠目に見学、午後より沖縄セルラースタジアム那覇にて県民大会。『戦後70年 止めよう辺野古新基地建設!』をテーマに35,000人が集まり、新基地反対を訴えました。稲嶺進名護市長、翁長雄志沖縄県知事の言動は力強く、沖縄県民の民意を代表するすばらしいスピーチでした。
 *翁長知事「どうか、日本の国が〝独立は神話〟だと言われないように安倍総理、頑張ってください。沖縄人(うちなーんちゅ)をないがしろにしてはいけない!」

オスプレイが事故

 私たちが帰阪した5月18日に、また輸送ヘリ「オスプレイ」が事故を起こしました。米ハワイ州オアフ島のベローズ空軍基地で墜落。事故機から黒煙が立ち上り、炎上する様子が映し出されました。乗っていた海兵隊員1名が死亡(後日もう1名死亡)、21名が負傷して病院に搬送されたとの事でした。事故機は沖縄県宜野湾市の米海兵隊普天間基地に配備されている24機と同型です。乗組員の死亡はこれで累計40人に達しました。沖縄の人たちは常に事故の危険に脅かされています。
 来年はまだ行ったことのない人が参加して、この沖縄の現状を感じて運動していってほしいと思います。

辺野古座り込みに参加して

建設支部 飯塚淳平

 沖縄平和行進と同じ時期に辺野古座り込みに参加してきました。キャンプシュワブゲート前のテント村では、朝6時に集合し、7時頃の海保入場阻止座り込み(警察の引き剥がし・拘束)、昼前に島ぐるみバスが到着しゲート前をデモ行進、午後からも工事車両進入時は随時対応、参加者からのアピールや歌を交えた集会、テントを排除しようとする国交省との対峙、という闘いを毎日展開されています。この闘いは沖縄だけの問題ではなく、反戦・平和を希求する気持ち、自然環境、民主主義、法治主義、人権、地方自治、そのすべてが蹂躙されています。この事実は、本土に住む私たちにとっても他人事ではありません。
 非暴力直接行動でたたかうにはとにかく数の力ということで、辺野古に行ける人は行って、行けない人は関心を寄せて情報を広めることや、「戦争につながるものはいやだ」と発信したり、地元のデモに参加したり、取り組み強化してやっていきましょう。
 現地で聞いた「仲間が集まれば、なんとかすることができる」という言葉は、私たちが労働現場でたたかう時と同じです。5・17大阪市解体の住民投票に対する闘いは「オール沖縄」にならったものでもありました。辺野古新基地を止めて安倍政権の暴走を止めよう!


第38回沖縄平和行進に参加して

第38回沖縄平和行進に参加して

沖縄地本青年女性部部長 下條智史

 2015・5・15平和行進、全国結団式が5月14日(木)那覇市、パレット市民劇場で開かれ県外各地から多くの仲間が集まり辺野古新基地建設阻止!思いをひとつに平和行進を成功させようと四単産で全国結団式に参加した後、三単産・全造船機械・結団式&事前学習会が宿泊ホテル内で開かれ本土団長には、全港湾横浜支部の石原茂治さん・副団長に、日本海七尾支部の秋元良和さんが任命され事前学習会の講師には、元宜野湾市長の伊波洋一さんが辺野古新基地建設反対の闘いと過去の米兵が起こした事件、事故の話や過去に基地が返還され土地改良により大型スーパーやデパートなど観光施設などで雇用も生まれ沖縄に取って米軍基地は、他国の脅威と沖縄の安全を脅かし危険と隣合わせで生活しているとこを全国のみんなに知ってもらいたいと分かりやすく話してくれてとてもいい学習会で初日の日程を終え、翌朝平和行進の出発式が行われる名護市辺野古の瀬嵩の浜に向かい瀬嵩の浜からは、移設予定地が見渡せ予定地を囲うようにフロートで規制されフロートを挟むように海上保安庁とカヌー隊が睨み合っていました。瀬嵩の浜には、1200名の行進団が集結し辺野古大浦湾コースの座り込み行動場所のキャンプシュワブゲート前まで6.6キロの平和行進がスタートしました。日差しが強く途中、給水休憩を入れ残りの長い登り坂を力強く行進団は隊列を切らす事なくキャンプシュワブゲート前に到着しゲート前で座り込みしている市民団体と一緒になって座り込み行動をしました。
 2日目は南コース、北コースに分かれ普天間基地を包囲する形の行進となり四単産は、南コースを行進し自分は、南コースの副団長として初めて大勢の行進団ともに行進し今、沖縄が抱えている問題を平和行進の行動で変えていかなければならないと思いました。また、南コースは、2004年8月13日訓練中操縦不能となったCH53Dヘリコプターが墜落した現場の沖縄国際大学の前を通り集約集会が行われる海浜公園までシュプレヒコールを上げながらひとりひとり思いを踏みしめて無事、事故怪我なく宜野湾海浜公園野外劇場に到着し集約集会で南コースが1200名、北コースが1400名と主催者発表があり鳴り止まない拍手と指笛で会場は平和行進の成功を確かめた2日間の5・15平和行進は無事終え明日の県民大会に向けガンバロー三唱で集約集会終え
 3日目の朝は普天間基地が見下ろせる嘉数高台と嘉手納飛行場が見下ろせる嘉手納道の駅に視察に行き米軍の施設が土・日は、休みのため嘉手納基地から飛び立つ戦闘機の騒音は聞けなく普天間基地に配備されているオスプレイが普天間基地の滑走路脇に止めらている状況でした。午後から辺野古新基地建設阻止行動沖縄県民大会に参加し会場のセルラースタジアムは、予想以上の35000人の参加者が集結し沖縄県知事初め党派を超えオール沖縄を超えオールジャパンになり沖縄の基地問題を日本の問題として考えてもらえるように訴え辺野古には基地を造ららせないこと確認して辺野古新基地建設阻止行動沖縄県民大会は大成功で終わりました。沖縄県知事が言った沖縄県民は奪われた土地に基地が造られた事はあるが沖縄県民が提供して基地を造らせたことは一度も無い!その発言で動かされた沖縄県民の声が今の辺野古新基地建設反対の盛り上がりになって沖縄から全国、世界へ向け平和の大切さを広めていきたいと思いまた。

第38回沖縄平和行進に参加して

沖縄地本 河野貴博  

 4単産の皆さん5・15平和行進暑い中お疲れ様でした。怪我、熱中症など1人も出さず完結出来たのば皆さんのお陰です。今年は課題が出来たので来年の平和行進では改善して頑張って行きます。また、伊藤顧問、中央本部鈴木委員長の話しを聞いてとても勉強になりました。伊藤顧問が言った、皆さんの地元にも戦地の傷跡があり、それを家族や子供達と一緒に戦地の傷跡を見て学んでほしい事、鈴木委員長の話しでの辺野古問題は沖縄の問題ではなく日本の問題だと言う事でした。
 自分達も沖縄の戦地の傷跡を再度回って勉強しないと行けないと思い、辺野古問題や原発問題、沖縄県民としてではなく、日本国民として今直面する問題を4単産と団結して頑張って行きたいと思います。

第38回沖縄平和行進に参加して

沖縄地本 金城秀直

 三日間通しして、1日目はレンジャーをして交通整理や行進者に呼び掛けをして、みんな団結してるなーと思いました!レンジャーでは車を停めたり初めてだったのでなかなかうまくできなかったので、次また出るときは、自分から率先してやりたいと思いました!2日目は救護車ででした。ケガ人がいなくて良かったです!3日目の県民大会では暑いなか、みんなが団結して無事終われたので良かったです!三日間いい体験ができました!お疲れ様でした!

第38回沖縄平和行進に参加して

沖縄地方青年女性部書記次長 金城雄介

 今年の平和行進は、役員になって初めてでした。1日目は、本土参加者を迎えました。無知過ぎていろんな方に迷惑をかけたことが平和行進の反省点です。2日目は、レンジャーとして頑張りました。初めてのコースでやりずらさはありました。3日目は、宜野湾市役所からのいつものコースで楽しくできました。途中、列が2つ、3つに別れましたが無事ケガ人が出なくて良かったです。最終日は、セルラースタジアムで県民総決起大会ということで、誘導係をしました。
 3万5000人が集まり、皆の思いが凄いなと感動しました。全然球場内に収まらないので、外に設置していたスクリーンにも沢山の人が集まりました。とても日差しが強く暑いなか集まったことが、日本政府に届くことを願ってます。安全な生活を、ぜひ取り戻したいです。日本政府の暴走を止めるには、皆の団結がかかせないです。
 1、2、3、団結!!

第38回沖縄平和行進に参加して

沖縄地本青年女性部副部長 山城 隼

 自分は今年の5.15沖縄平和行進でレンジャーの交通責任者のアンカーを務めさせてもらいました。毎年レンジャーで参加してますが去年まではずっと赤レンジャーの班長でした。今年からは初めての交通責任者のアンカーする事になり緊張でした。また今年の行進は今までとは違う辺野古のコースで不安もありました。そして一日目の辺野古に行き大浦湾海岸で出発式を終えて大浦海岸からキャンプシュワブまでの6㎞ちょっとのコースを行進しました。今年は初日から炎天下でかなり気温も上がり、また辺野古コースはアップダウンで道幅も狭く行進団の皆さんも大変そうでしたが、皆で団結しながら無事にゲート前に到着する事ができました。そして初日の行進を終え夜は四単産での懇親会も大いに盛り上がりました。
 二日目は毎年最終日に行進する宜野湾市役所から宜野湾コンベンションまでの慣れたコースでしたが、今年は例年より行進団の人数が多かったせいか途中で隊列がバラバラになったり交差点で隊列が途中切られたりと自分的にはあまり納得のいかない行進にはなりましたが、二日目も無事に何事もなく終える事ができたのでほっとしました。二日目の四単産懇親会は毎年恒例の沖縄地本BBQ~で大盛り上がりで楽しかったです。
 三日目は平和行進では初めてのセルラースタジアムでの県民大会で自分たちは交通整理で参加しました。特に今年は辺野古新基地建設問題あり、この大きいスタジアムにどれぐらいの参加者が来るのか予想もつきませんでした。いざ県民大会が始まると総勢3万5000人と驚くほどの人数でスタジアムに全然入りきれないほどの県民が集まり、県民大会は大成功で今年の5.15沖縄平和行進を終える事ができました。
 だけどまだ沖縄平和行進は終わってはいません。辺野古新基地建設を阻止し、そして沖縄から基地がすべてなくなり沖縄が平和を取り戻すまで平和行進を続けていきたいと思います。最後になりますが2015 5.15沖縄平和行進に参加された皆さん本当にお疲れ様でした。

第38回沖縄平和行進に参加して

沖縄地方青年女性部副部長 知念裕太

 今回辺野古の大浦湾をみながら行進してみて、この海に基地はいらない。この自然を守っていきたいと、改めて思いました。沖縄だけではなく日本の問題として考えてもらえるよう、沖縄青年女性部を中心に団結し今後も辺野古の抗議行動、座り込みを行っていきたいと思います。

第38回沖縄平和行進に参加して

沖縄地本青年女性部 書記長 與儀泰寛

 今年の平和行進はレンジャーの班長をさせてもらいました。例年のコースとは違って行進距離が短くなりましたが、何より辺野古基地周辺を直接行進できたことが良かったと思います。多くの行進者参加者と共に沖縄の現状を共感できたことに嬉しく思います。
 これからの沖縄基地問題はどうなるかわかりません。より一層厳しくなるはずです。県民のみならず日本全国民の反戦・反基地の意志が強まってきている中、我々全港湾青年部が率先して行動を起こしていかなければなりません。沖縄地本青年部としても出来る限りの活動はやっていきたいと思います。来年の平和行進も頑張ります。


第38回沖縄平和行進に参加して

第38回沖縄平和行進に参加して

東海地方名古屋支部青年女性部 上條清隆

 私は去年に引き続き今年も参加しました。今年は例年と違い、行進距離が少なく物足りないと思ってたのが大きな間違いでした。梅雨入りしてなかった分、日射しが肌に突き刺さる暑さだったのを今も覚えてます。行進だけを考えると間違いなく去年のほうが楽でした。視察のほうでは【南風原陸軍壕病院跡】へ行きました。ガイドさんに案内され濠の中に入りましたが暗くてとても狭い上に濠内は湿っていました。当時の置いたと思われる薬瓶や米兵に火炎放射器で濠内を焼かれた時に残った杭があり戦時中あの中で無念にも亡くなられた方達の悲痛の叫びが聞こえてくるような重々しい空気でした。その後 2度目となる【ひめゆり平和祈念資料館】に行きました。去年時間がなくて見れなかった所を見ましたがとても衝撃を受けたのはひめゆり学徒さん達の写真とプロフィールでした。その中には私の娘と同じ年の子がいました。言葉を失いました…胸が締め付けられました…この子達はお国の為 お国の為と大人達に言われ続け、訳もわからないまま戦争に加担させられ好きな物も食べられず、好きな事もやれず、色んな事を我慢して過ごしていたのだろうと思うと改めてどこの場所でやろうが戦争は駄目だ!!という気持ちになりました。自分の娘が戦争の犠牲になったらと考えると嫌です絶対に嫌です 気が狂いそうになります。ふと思ったのですが、安倍首相を筆頭に政府の皆さんはこういう所をちゃんと真剣に見たことがあるのか?と思いました。そして普天間基地の見下ろせる高台へ行き その後 嘉手納基地がある道の駅に行きましたが去年と違い、日曜という事もあって嘉手納基地周辺はびっくりするぐらい静かでした。基地が無くなれば毎日がこういう静かな沖縄になるんだと思いました。
 嘉手納道の駅後セルラースタジアムに向かい集会に参加しましたが沖縄の暑さと人の熱気で圧倒されました。確認出来る人数で35000人と言っていましたがスタジアムに入りきれなかった人達もいたのでもっといると思います。翁長知事の辺野古新基地建を絶対に設断念させるという並々ならぬ信念のこもった演説があり鳥越俊太郎氏も熱い演説してました。肉眼では見れませんでしたが会場内に民主党政権の時の元総理大臣だった鳩山由紀夫氏も来てました。興奮冷めやらぬ状態で閉会しました。スタジアムを出ると案の定待ってました!!とばかりに黒い車の人達が大好きなヘイトスピーチをやっていて、暑いのに元気だなと思いました。
 ホテルの部屋に戻り自分に何ができるか?少しでも何かやれることはないのか?自問自答で沖縄の滞在が終わりました。今年は戦後70年の節目であり沖縄では戦後27年後の本土復帰43年目です。沖縄は27年前まで米軍占領の統治下に置かれ日本でありながら日本の憲法は無効でした。米軍占領下の中、沖縄を我が物顔で好き勝手やり、犯罪まで平気で犯していた米兵達。それが今まで我慢してきた沖縄県民の怒りを煽り民意を示しました。そして27年後、条件付きで沖縄が復帰しました。当時、沖縄の方達は返還を大いに喜んだと思います。ですが現状はどうですか?当時の人達はこれを望んだのでしょうか?米軍関連施設が約70%を占めている沖縄は返還されたと言えません。そして今、翁長知事を筆頭にあの当時と同じように沖縄は民意を示してます。安倍政権はこれを無視して強行策に取りかかってます。それを阻止するのは簡単にはいかないしキレイ事だけで理想を追い求めても無理なことも分かってます。結局 私もその中の一人だと思いますが今まで数十年沖縄に任せて見て見ぬふりをしてきた自分勝手な奴でした。多分それは日本中で自分に危害がなければそれでいいと思ってる人間のほうが多数を占めてるのではないかと思ってます。福島や他の土地の原発も沖縄の基地問題と同じように外国政府や日本政府、企業は関心がない事を分かってるので強行策が出来るのです。私達の一番の敵は【無関心】ではないでしょうか。それを一人でも多く【関心】に転換させる努力をしないといけません。いつか絶対!に沖縄の事、福島の事を日本全体で考えていけるようにしたいと思いました。皆さん共に頑張りましょう。

第38回沖縄平和行進に参加して

名古屋支部 杉本 恒

 私は名古屋支部の杉本恒と申します。今年、沖縄平和行進には初めて参加させていただきました。出発日が近づくにつれ、自分の中で「今、沖縄に行って俺は何が出来るんだろうか?たった1日辺野古の座り込みに参加したところで力になれるのだろうか?」そういった思いをいだいたまま沖縄の地を踏みました。
 15日のキャンプシュワブを目指す行進、座り込みへの参加そして、現状。16日の普天間基地を囲む大行進。途中米軍ヘリが墜落した沖縄国際大学があり、あの事故を風化させないために焼け焦げた木の記念碑を見たときは胸が痛くなりました。その後、南風原の陸軍病院跡地やひめゆりの塔、嘉手納基地などを見学し、戦争の恐ろしさ、残忍さを思い知らされました。それと同時に今まで抱いていた「僕には何が出来るんだろう?」という思いが解決されました。
 僕の役目は沖縄の現状、戦争の残忍さ、そして、戦争は2度と起こしてはいけない。この事を友人や家族、子供達に伝えていくことです。最後に私達、平和行進団の受け入れに尽力を尽くして下さった沖縄地本の方々本当にありがとうございました。この2015沖縄平和行進は私にとって一生涯忘れる事の出来ない思い出になりました。